18-1
西住涼子は五月病だった。
彼女は今年の3月に高校を卒業したばかり。
彼女の両親が経営していた町工場が倒産したのは彼女が高校1年の時、以来、彼女は借金というものに敏感になっていた。そんな彼女が奨学金を借りて進学するという選択肢を選ばなかったのは当然と言えた。たとえ統計的に生涯年収が大きく変わるとしてもだ。
元々、彼女は勉強もスポーツも音楽も絵も料理もありとあらゆる事が人並みにしかできなかった。そんな彼女が数百万円の奨学金という名の借金を抱えて大学や専門学校に進んだとして何ができるというのだろう? 彼女が自分の可能性を自ら狭めていくのも当然の事と言えたのかもしれない。
つまり西住涼子は自分に自信の持てない、ごく普通の、しかも環境に恵まれないただの若者だったのだ。
彼女の生まれ育ったH市は日本におけるヒーローのメッカ。彼女も子供のころは自分よりも年下の女の子が魔法少女に変身して活躍する特撮ドラマに夢中になったりもした。ただ現実は非情なもので、彼女には何も才能と呼べるものが無かったのだ。少なくとも彼女はそう思っていた。
彼女は高校3年の夏休みに地元の福祉法人の主催する「介護職員初任者研修」を受講し、旧ホームヘルパー2級に相当する資格を取得した。その後、研修を主催した福祉法人の経営している特別養護老人ホームへの就職の内定をもらったまでは良かった。
雲行きが怪しくなってきたのは入社式の後だ。
事業所ごとではなく法人全体で行われた入社式の後、法人の代表である滝川に一人だけ呼び止められた彼女はその後の彼女の人生を左右することになる事を告げられたのだ。
「You、戦車、ヤっちゃいなYO!」
最初、彼女は自分が何を言われているか分からなかった。一瞬の間の後、“せんしゃ”という言葉を洗車と捉え、無理矢理に自分を納得させたのだ。ああ、そうか。新人だからデイサービスやショートステイの送迎などに使われる自動車を洗えと言われているのか、と。
その場は「はい、分かりました」と返事をしておいた。相手は法人の経営者で自分は入社式を終えたばかりの新人。そう返すしかないではないか。
その後、法人本部から彼女の勤務先である特別養護老人ホーム「天昇園」に向かった彼女は滝川代表の言葉の本当の意味を知る事になる。
挨拶と事務的な手続きもそこそこに彼女が案内されたのは老人ホームにはあまり無さそうな巨大なガレージだった。そこに並んでいたのだ利用者の送迎用の3ナンバーの1ボックスカーやケアマネージャーが使う軽自動車など。そして一画には4輌の戦車が並べられていた。
彼女は直感でソレを戦車と認識したものの、すぐに何かおかしいことに気付いた。まず何よりも“小さい”のだ。北海道に配備されている自衛隊の90式や本州用の10式戦車、あるいは10式よりも小型の警察庁の16式よりも大分、小さい。ただ1輌を除いて。その1輌も全長や全幅の割に背が高くずんぐりむっくりとした印象を受ける。
しかも何やら古臭い。ぼつぼつとしたリベットの打ち付けれた車体はあからさまに揃いも揃って旧式の物である。
「何でこんなものが?」との質問に答えてくれた所長の言葉は涼子を驚愕させるものだった。
「西住さん、戦車乗ってくれるって? 助かるよ。丁度、2号車の砲手がお亡くなりになられてさ! こっちのケツにアンテナつけてんのが2号車ね! 1号車には2から4号車は付いていけないから実質、隊長車だね! 頑張ってね!」
そう言って所長はニッコリと否定を許さないような笑みを浮かべて彼女を「天昇」と書かれた1輌の元へ案内したのだ。
それから1ヵ月。
涼子は介護職員として働きながら戦車の砲手としての訓練も続けていた。
何を隠そう、彼女が就職した特別養護老人ホーム「天昇園」は全国でも例を見ない戦車隊を有する老人ホームだったのだ。まあ、他にもあってたまるか! という気もしないでもないが……。
元々は旧軍の経験者のリハビリ用だったらしい。
ただでさえ高齢者というのは運動能力や認知機能の低下により若い頃にできていた事ができなくなってしまって次第に内向的になりがちである。しかも特別養護老人ホームである「天昇園」の入所者は要介護認定2以上の者ばかり。だが、そんな高齢者でも若い頃に繰り返し行っていた事や強烈な体験は意外と体に染みついていたりするもので、それを思い出させてやることができれば高齢者にとって数少ない成功体験となる。
そういう訳で手芸教室や絵画教室を行うように天昇園では戦車を整備して運用しているのだ。
そういうわけで当然、保有しているのは旧軍の保有していた戦車に限られる。涼子が初見で「古臭い戦車」と感じたのも無理はない。
別に悪い事ばかりではなかった。
涼子も前向きに利用者と新人である自分が仲良くなるためにはいいのかもしれないと思っていたし、実際、戦車隊の乗員、整備員の利用者とはすぐに打ち解けることができた。また先輩職員も彼女をただの新入りとは扱わずに戦車乗りとして憐憫の情を持って親切にしてくれたので、本来の仕事である介護の仕事にも早く馴染むことができたのだ。もっとも新人が誰でも犯すような小さなミスは彼女も御多分に違わずにやってしまうことがあったが、それも最大限に好意的に見られたのだ。
また介護職員としての職務以外の戦車の訓練の時は残業扱いできちんと手当を出してくれるという。しかも残業手当だけではなく、車両手当と危険手当も出してくれるという。ただ残業代や車両手当はともかく、危険手当についてはその意味を深く考えなかった事について後悔することになるのだが……。
彼女が乗る事になった戦車、天昇園戦車隊2号車は新砲塔チハ改と呼ばれるものであった。
これは実のところ旧軍の正式兵器ではない。ごく普通の少女である涼子は知るよしもないが、大日本帝国陸軍が使用していた九七式中戦車チハの砲塔と搭載砲を変更したものは“新砲塔チハ”あるいは“九七式改”“チハ改”と呼ばれていた。つまりは天昇園にチハは新砲塔チハを更に改良したものだと言う。
(それにしてもショボすぎない……?)
訓練の後に改めて自身の乗車する2号車の前に立って考えてみる。
どう見てもこれは戦車ではない。しかもコレは“軽”戦車よりも一段、上の“中”戦車を名乗っているのだ。
もしかしたら叩いてみたら鍋みたいに軽い音がするのではないかと手でノックするように叩いてみたが、さすがにゴンと重い音と厚い鉄板の感触が帰ってきた。
それでもまだ安心できない彼女は車体の上に登って、砲塔のハッチの中に右手を入れて左手を車体にあてて大体の厚さを測ってみようと試みたのだ。結果、正確なところは分からないが大した厚さは無さそうだ。少なくとも敵戦車と安心して戦えるような鉄板の厚さではない。
それだけではない。至る所にリベットが打たれた表面はいかにも古めかしく、小型で特に全幅の小さな車体は安定性に欠けているように見えるし、さらに言えば砲塔は良く見てみると車体の中央から微妙にズレている。
現代の戦車を多少なりとも知る涼子にとってチハは見れば見るほど不安になる戦車だった。
「西住しゃん、どうしたとね?」
2号車を眺めていた涼子に話しかけてきたのは2号車の車長である島田さんだった。戦車に乗車中はピンと伸びていた腰がブーメランのように綺麗に折れ曲がり杖を付いてプルプルと震えていた。無理もない。島田さんは100歳近い老人だ。彼は旧軍の戦車乗りだったそうだ。
「あっ、島田さん。いえ、この子の鉄板ってどんなモンなのかと思いましてね。頼りにできるモンなんですか?」
「西住しゃん、鉄板って……」
そう言って島田さんは壁の工具掛けに掛けられている金属用ヤスリを取って涼子の元にやってくる。
涼子は一瞬、ヤスリで何か危害を加えられるのではないかと思い、島田さんの思い出の品であるチハを馬鹿にするような事を言ったことを後悔した。少し前に激高した老人に危害を負わされた介護職員のニュースを見たことを思い出す。
だが島田さんはヤスリを涼子に渡し、チハの車体にヤスリをかけてみるように言ったのだ。
「あ、あれ……?」
試しに言われるがままに車体にヤスリをかけてみるが思うようにいかない。塗料ばかりが剥がれて車体にはほとんど傷が付かないのだ。しまいには剥がれた塗料でヤスリの目が詰まってにっちもさっちもいかなくなってしまう。
「ど、どうして……?」
「ん~とな、コレは表面が硬いナントカカントカ板って奴でな。じゃからコレは“鉄板”じゃなくてな、“装甲”っちゅ~んじゃ……」
「へぇ~」
一応は頷いておくが涼子は島田さんを信用することは出来なかった。
島田さんはごらんの通り、腰が曲がって杖を付いてはいるものの運動能力自体はしっかりしている。しかし彼の要介護認定は2だ。そう彼は認知症を患っているのだ。
一見すると彼の言ってることはしっかりしているように見える。だが涼子も短い付き合いながら「あれ?」と思うような言動が幾つもあったのだ。
彼は大戦中にインドまで行ってきたというがミリオタじゃない涼子だって知っている。日本が戦争していたのはアメリカやイギリスなどだ。終盤にはソ連も首を突っ込んできたというが、それでもインドと戦争していたわけではない。
さらに彼が戦争中の手柄話をする時に「M3」なる敵戦車の話が良く出てくるのだが、彼の話ではM3戦車を中戦車と言ってみたり軽戦車と言ってみたりと一定しないのだ。
しかも認知症患者特有の激怒ポイント、通称“地雷”を抱えていて、戦車の話をしていたと思ったら急にヴァレンタインがどーとか話を始めて感情を昂らせるのだ。ヴァレンタイン・デーに彼女に振られでもしたのだろうか?
とはいえ島田さんは認知症こそ患っているものの、基本的にはいい人である。新人である涼子にも優しいし、なにより大らかな人柄は元軍人とは思えないほどだ。
彼だけではない。装填手の原さんは涼子の前の砲手だった方の奥さんで、旦那さんに付き合って戦車の装填手をやっているそうな。妻が砲弾を装填して夫が砲を撃つ、どんな形の共同作業やねんと思うが、原さん夫婦と同じ砲塔内にいた車長の島田さんは肩身の狭い思いをしたそうな。とは言え奥さんを残して旦那さんが先に亡くなった後も原さんは装填手を続けるようで、原さんが旦那さんから聞いていたコツなんかを教えてくれた。
操縦手の西さんは寡黙な、というより失語障害を持っているので一言も喋る事はない。だが、よく涼子に目を掛けてくれているようでそことなく視線を感じる。そして手ぶりなどで意思の疎通を図ってみると彼の考えていることは的確で合理的である事が分かる。
無線手兼前方機銃手の前田さんは下半身不随の普段は車椅子に乗っている人だが、障害を感じさせないほど明るく冗談の好きなムードメーカーである。
このようにいい人たちに囲まれていた涼子であったが、彼女はまだ分かっていなかった。彼女が乗っている戦車がどういう物なのか、戦車に乗るということがどういう事なのか。
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、
18話から登場するキャラクター「西住涼子」は旧陸軍から初めて軍神指定された西住小次郎大尉より名字を拝借いたしました(すっとぼけ)




