14-3
天を衝く巨体、ゴリラ怪人の踏みつけ攻撃にアーシラトは抵抗することができなかった。
アーシラトも当初は腕を伸ばして防ごうと逸らそうと必死だったが、ゴリラ怪人のパワーと質量を前に腕ごと踏みつけられるのだ。
頭を踏みつけられると意識が混濁する。
胸を踏みつけれると呼吸を止められそうになる。
腹を踏みつけられると口から内臓が飛び出しそうになる感覚に襲われる。
事実、彼女は血と反吐に塗れていたし、骨折した箇所も数えきれないほどだ。
それでも彼女は立ち上がろうと、自身を踏みつけた足が次の一撃を見舞おうと持ち上げられた瞬間を見計らって頭を持ち上げるが、生温かい血が鼻腔から垂れてきていることに気付いた瞬間に彼女の意識はプツリと途切れる。
《……》
《…………》
《…………!》
誰かの声が聞こえる。
《…………ト》
どこか懐かしい声。
ゴリラ怪人のものとは違う男の声。
そうだ。アタイはゴリラ野郎と戦っていたハズだ。
この声の主がこの場にいるハズが無い。
アイツは消えたハズだ!
《……シラト!》
だが、この声は……! 聞き間違えるハズも無い!
《アーシラト! 元気ですかッ!?》
『バアル!? アンタ、消滅したハズじゃ……!?』
そう言ってアーシラトは気付く。ああ、これは夢かと。
3000年前に人間の預言者をセコンドに迎えたシナイの山の神とのタイトルマッチに敗れて神格を失い引退に追い込まれたかつてのタッグパートナーが極東日本のH市にいるわけがない。
ならば、これは夢だ。
ゴリラ怪人に惨敗した自分が過去の栄光を思い出してみる夢。
微睡の中にいるような。微温湯の風呂に浸かっているような感覚。フワフワとした、どこか現実味のない夢。
だが、随分と脈絡のない夢だな? いや、人でない自分が知らないだけで、夢というのはそもそもそういう物なのかもしれない。
《引退したって元気があれば何でもできる!》
『アンタも相変わらずだねぇ……』
これは人の言う「お迎え」という奴かもしれない。だがアーシラトは不思議と落ち着いている自分に気付いた。
昔の馴染みを使いに遣してくれるなんて、死神とかいうのも存外に気が利いているじゃないか、と。
《お前ぇも相変わらずトッポい生き方してんな》
『なあに随分と日和った生き方をさせてもらったよ……』
《だからと言って、殴らにゃならねぇ野郎を殴らねぇで済ましたこともないんだろう?》
『ハハ! いつの間にやら、スレてアタイ自身が殴られなきゃならないような悪党になったりもしたよ』
《んで。人間のガキに何度もブチのめされて根性叩き直されて、人間と久しぶりにツルむようになって、今もケツに火が点いてるってか?》
『なんだ、知ってるのかい?』
《まあな!》
『ていうか。ケツに火が点いているも何も、アタイは死んだんだろう?』
話なら向こうでもできるだろうとアーシラトが思っていると、意外なことをバアルは言う。
《いや、まだお前は死んだわけじゃない》
そうか。それなら旧友と話をしている暇は無い。とっとと、あのゴリ公にリベンジだ。
《待て待て待て! まだ死んでないだけで、お前はもう瀕死。すぐに死ぬだけだ。それに勝ち目があるのか?》
『は? 勝ち目の有る無しで相手を選んだことなんて一度もないけど?』
《あ~、そらそうだろうけどよぉ……。まあ、いい。ここで俺には選択肢が2つある。「復活のためにコツコツと貯めてた力をお前に渡す」か「とっとと復活して、死んだお前の仇を討つ」か》
『アタイは時間が無いんだ! さっさと決めな!』
後ろにいるのは顔色の悪いもやしっ子、前にいるのはチビッ子2人。とっとと類人猿を片付けて助けに行かなくてはならないのだ。
《分かった分かった。お前さんに手を貸すことにするよ。一人で復活しても、お前がいないと退屈だろうしな!》
『フ、あんがとよ! でも、こっちは地中海と違って小さな島国だけど、結構、楽しいモンだよ!』
《そら、命の張り合いもあるな!》
『だな!』
アーシラトは自身の中に力が満ちていくのを感じていた。
小春日和の日光の暖かさのような。盛夏の日陰のそよ風のような。共通するのは心地よさ。
急速に意識が覚醒していく。湧き上がる戦意、闘志、闘魂。
「いい加減、くたばったか?」
怪人が独り言を呟く。
ハドー怪人の中でも抜群の巨体を誇るゴリラ怪人は、その恵体ゆえに苦戦というものを知らなかった。現にこちらの世界の悪魔、アーシラトと言えども体格差、質量差を覆すことはできずに沈黙したのだ。
それにしても何というタフネスだ。ゴリラ怪人は空恐ろしさすら感じていた。
だが、それももう御仕舞だ。もうアーシラトは動くことは……。
「!」
突如、アーシラトの体が飛び跳ね、勢い余って天井でバウンドしてから着地する。
何の余裕か、こちらに背を向けたアーシラトの体にダメージは見られない。ただ安物の衣服が乱れて破けて汚れているだけだ。
(な、何故だ!? これではまるで……、これではまるで……!)
本物の悪魔。比喩表現ではなく、何か自身の思いもよらぬモノ……。
「何故、動ける?」
内心、震えながらも声を振り絞る。
「さあてな! 3本勝負だったんじゃねーの?」
あっけらかんと言い放つアーシラトに、怪人は自分が馬鹿にされたように思って怒りを露わにする。が、それも一瞬だけだった。自身を振り返ったアーシラトの目を見てしまったのだ。
アーシラトの顔の4つの目。
白目の無い、真っ黒な眼球であるハズの目が真っ赤に燃えていたのだ。
凶事を思わせる色に染まったアーシラトの目。流した血が目に入ったわけではない。それで黒い目が赤くそまるか。まるで眼球が赤く輝いているようだった。
「それじゃ、仕切り直しといこうか? ……っと、その前に!」
《其は永久に横臥する死者にあらねど、測り知られざる永劫のもとで死を超ゆるもの(Cheating Death, Stealing Life)》
アーシラトが呪文と共に勢いよく両手を広げると、その手の動きに合わせるように背後から3本のロープが現れる。
同じく突如として現れた柱にロープは巻き付き、やがて現れる2人の戦場。
そう。マットこそ無いものの現れたのは1辺が5、6メートル程度のリングであった。
そして地より湧き上がる異形の者共。
ゴリラ怪人は戦闘中でなかったら、正気を失って狂気に呑まれていたであろう。
「準備はいい?」
アーシラトの次の行動を見逃すまいと意識を集中していた怪人の背後から、突如として声が掛けられる。
そこにいたのは黒のパンツと縦ストライプのシャツに身を包んだ一人の女性。人間ではない。比喩ではなく雪のように白い肌を持ち、口から黒い瘴気を撒き散らす人間などいるものか。
「へぇ。今日のレフェリーはアンタかい?」
白い女性に対してアーシラトが声を掛ける。
「レフェリー?」
ゴリラ怪人の疑問ももっともであろう。てっきり自分をこのリングに閉じ込めて、よってたかって嬲り殺しするつもりなのだろうと踏んでいたのだが。
「ええ、そうよ。私がレフェリー。審判員、裁定員。今日のリングの上での事は私が裁くわ」
『さあ! いよいよ目前に迫りました世紀の一戦! 本日は実況、私、バフォメットと解説のテスカトリポカさんでお送りいたします!』
『ガッデ~ム!! アイム・テスカトリポカ!』
『それではテスカトリポカさん。よろしくお願いします』
『あっ、よろしくお願いします』
リングの外にいる異形たちも自分に危害を加えるつもりは無いらしい。リングの中に白い女も中立の立場でいるらしい。アーシラトもこちらに背を向けてロープの張り具合を確かめている。
(何のつもりだ。悪魔め! 時間稼ぎのつもりか?)
メラメラと自身の胸に闘志が沸き上がってくるのを怪人は感じていた。
アーシラトの奇妙な復活に面食らったものの、彼女がやったことは自分をリングの中に閉じ込めただけ。ならば何度でも叩きのめしてやる。
そう思うのも無理はないだろう。例えそれが追い詰められた精神の防御反応からくる攻撃性であったとしても。
ロープのテンションを確かめたアーシラトがリング中央に戻ってくる。
レフェリーの少女が2人にそれぞれ目配せをする。そしてリング外のタイムキーパーに手で合図をして試合開始のゴングを鳴らさせる。
カッーーーン!!
小気味よいゴングの金属音と共に、アーシラトが両手をゆっくりと上げる。ゴリラ怪人と4つに組んで力比べをしようというのだろうか?
DoGooooooN!!!!
突如、地を揺るがす爆音が会場を襲う。
会場の者どもに知る由も無かったが、これはマクスウェルの新魔法「デイジーカッター」による轟音である。
リングの中にいる者、外にいる者。全ての意識が爆音へと向けられる。ただ1人、アーシラトを除いて。リングのアーシラトは目の前の敵を倒すことだけを考える戦闘マシーンと化していた。
レフェリーが自身に背を向けたその刹那、アーシラトは手元にパイプ椅子を召喚し、蛇の下半身の瞬発力と静音性を活かして襲い掛かる。
レフェリーへ。
ゴリラ怪人ではなくレフェリーへ!
ゴリラ怪人の頭脳の処理能力を超える出来事だった。
突如として鳴り響いた爆発音。どうやら、この場にいる面子の仕業でないことまでは分かった。レフェリー、実況、解説の他、アーシラトに召喚されたスタッフたちも驚愕の色を隠せないでいた。
だが次の瞬間、アーシラトが自身が呼び出した存在であるレフェリーの少女の後頭部を椅子で殴りつけた事態はゴリラ怪人の理解力の範疇を超えていた。
(な、何が目的だ……!)
崩れ落ちたレフェリーを横目に怪人に向き直るアーシラト。
だがアーシラトは折りたたまれた状態のパイプ椅子で怪人を襲うことは無かった。それどころか怪人にポンっと軽く椅子を投げて渡したのだ。思わず椅子を受け取ってしまう怪人。
(何だ? 何だ?? 何だ!? これは一体、何なんだ!?)
たちまち思考停止に陥るゴリラ怪人。
一方、いきなり殴りつけられたレフェリーもやっとの事で起き上がり状況を確認する。
リングの中にはファイティングポーズを取るアーシラトと、パイプ椅子を持ったゴリラ怪人。
「…………!」
自身が後頭部に痛みを感じた瞬間に聞こえた甲高い音。アレはパイプ椅子特有のものだ。
怒りに燃えたレフェリーはたちまちゴリラ怪人の反則負けを宣言し、ゴングを鳴らさせる。
カーン! カーン! カーン!
『おっ~と、レフェリー、アーシラト選手の反則勝ちを宣言してしまいました! どうなんですかテスカトリポカさん?』
『アーシラトの意地汚さには定評がありますがね。ルール無用の残虐ファイターがルールを利用して勝利する。彼女の新たな一面が見れました』
『おうっっと、レフェリーも怒りが収まらないのかゴリラ怪人選手に詰め寄っていきますね!』
『視聴者の方にはアーシラト選手とレフェリーはグルなんじゃないかとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、彼女は公正です。ただポンコツなだけです!』
口から黒くて氷のように冷たい瘴気を撒き散らし、双眸に青い炎を灯したレフェリーが近づいてくる。
「貴方ねぇ! プロレスは椅子を使っちゃいけませんとか、レフェリーを攻撃しちゃいけませんとか言われなきゃ分かんないの!?」
「え? あ、いや。ぷ、プロレスとか言われても……」
「…………へぇ?」
「そ、それに椅子で殴ったのも俺じゃない!!」
「…………」
怪人の弁明に怒ったのかレフェリーの白い素肌に鮮血のような血管が浮き上がる。
ゴリラ怪人の足元に黒い深淵が広がり、徐々に怪人を足元から飲み込んでいく。
「……ちょっと私んチでお話しましょうか……?」
度を過ぎた怒りに微笑みすら浮かべるレフェリー。
『おっとゴリラ怪人選手。レフェリー、ヘルの自宅に招待されながらの退場だ! ヘルの誤解は解けるんでしょうかねぇ?』
『ま、試合の映像を見れば一目瞭然でしょうけど、この試合は有料放送ですから彼女は見ないんじゃないですか?』
『そうでしょうねぇ。それでは本日の放送は実況のバフォメットと』
『テスカトリポカでお送りしました!』
『それでは御機嫌よう!』
(おい! そこの実況とかいうの、このレフェリーの事を何て言った!? ヘル? ヘル!? ヘル!! それじゃあコイツの家ってまさか!? 俺は一体、何処に連れていかれるというんだ?)
ゴリラ怪人が冥府へ連行されていくのを見届けて、アーシラトは高らかに勝利の雄叫びを上げた。
色々とネタ探ししてた時に驚いたんですが、
2代目ブラックタイガーとペガサスキッドの中の人がお亡くなりになられたことを初めて知りました。
アメリカで活躍していると思っていたのですが、なんというか残念です。
そういう訳で当初の予定していた展開を少しだけ変えました。




