EX-3-31 敗北 前編
一体、何が起きているんだ?
事実は至極単純。
“皇帝”が“廻る運命の輪”を殺害しようとしているだけ。
“廻る運命の輪”の胸板を貫通した“皇帝”の剣。
“皇帝”を殴りつけようとした“廻る運命の輪”の拳は弱々しく、重装甲に守られた“皇帝”は微塵も揺るぎはしない。
「な、何故だッ!?」
「貴様が無能だからという説明で不足か? すぐそこに上位互換の代替品があるという話もしたハズだが?」
“皇帝”が長剣を引き抜こうとすると、その次に何が起こるかを予想した“廻る運命の輪”はそうはさせまいと右手で剣を掴もうとするが、赤く輝くエネルギー体で覆われた長剣に触れた瞬間に機械の指はボドボドと床に落ちて、何の抵抗もなく胸から剣は引き抜かれる。
「これまでの貢献には感謝して苦しませずに死なせてやろう……」
俺は自分の目に映る物が信じられなかった。
いや、自分の目に映る物に、それ以上の物を感じて圧倒されていたのだ。
邪悪。
陽の当たる場所で生きてきた俺なんかには想像もできないほどの圧倒的で濃密、疑いようもないほどの悪。
これがイっ君を殺そうとしているのならばまだ理解はできる。
理由はともあれ、向こうからすればイっ君は裏切者なのだから。
俺やゼロ君に栞奈ちゃんを殺そうとしたとしても「まあ悪党なんてそんなもんだろうな」とぐらいにしか思わないだろう。
俺は敵と同じ大アルカナである以上、奴らにとっての脅威になりえるのだろうし、ゼロ君も奴らに改造された身とはいえARCANAの連中からすれば彼は失敗作扱いで随分と軽んじられてきたそうなのだから。
栞奈ちゃんがなんで奴らに拉致されてきたのかは分からないが、機械の体の改造人間を人間とほぼ変わらない姿で偽装する事ができるような技術力を持つARCANAが人間1人に人質としての価値を見出すわけもないという事も分からないわけでもない。
あるいは俺の両親が殺されたのだって俺と誠を攫う上で邪魔だったからだと思えば納得も理解もできない事だが、そういう理由だったのだと分かる。
だが“廻る運命の輪”はARCANAの一員だったハズだ。
確かに奴は地球人ではないが、イっ君で分かるように彼らルックズ星人は地球人とほぼ変わらない精神性を持つ。
そして改造手術に失敗したわけでもなければ、洗脳処置が行われていないわけでもない。
掛け値なしに間違いなく“廻る運命の輪”は奴らの仲間なのだ。
それが「無能だから」というだけで殺すなどありえるのか?
しかもバイクや自動車のタイヤを履き替えるように変わりにイっ君を捕えて洗脳する事によって新たな“廻る運命の輪”にするというのだ。
それがタチの悪い冗談じゃない事は明らか。
“廻る運命の輪”が体を起こしていなければ“皇帝”の剣は頭部を貫き、大アルカナの弱点である脳を破壊していた事は間違いないのだから。
何故、そんな事ができる?
何故、そうも人の命を軽々しく扱える?
“皇帝”にとって「無能だから」というのは人の命を奪う理由になりえるのか?
俺は目の前で繰り広げられている光景に対して動く事ができないでいた。
イっ君が彼の弟である“廻る運命の輪”を救おうとしているという事も頭の中から消え失せて、ただ“皇帝”の剣が振られるのを黙って見ている事しかできなかったのだ。
今ならば“皇帝”が俺たちの前に姿を現れた時にゼロ君が動けなくなってしまったのも分かる。
彼はARCANAの“皇帝”が持つ悪の本質を知っていたのだ。
何故、ARCANAという組織がこれほどまでに強大な技術力を持っていながらも少数の大アルカナの他は兵力の大多数を心を持たぬロボットで構成されていたのか。
その大アルカナも洗脳処置で無理矢理に従わせなければいけないのか。
この邪悪が人の形を取ったような、それでいて邪悪さが人の枠を超えて溢れ出しているかのような“皇帝”に付いていける者など滅多にいるハズもない。
例えば“教皇”や“女教皇”のように大アルカナにならねば命が無かったような者でもなければ“皇帝”の邪悪さについていけるわけもないだろう。
「では、さらばだ!!」
“皇帝”の赤く光る長剣が上段に振り上げられる。
助けなければ、そう思うものの体が動かない。
皇帝から溢れ出した“悪”のオーラが足に絡みついたように俺はただその光景を見ているしかなかった。
「させるかッッッ!!」
その場で動く事ができたのはただ1人だけ。
「イっ君!?」
「博士、危ない!!」
イっ君は先の戦闘による大量の出血によってマトモに体を動かす事もできないであろうに、ボディーアーマーに取り付けられたロケットエンジンを吹かして、床に体を2度、3度とバウンドさせながら弟を守ろうと突っ込んでいく。
「なっ……!?」
「兄者!? なんで……!?」
そしてイっ君は間に合った。
“皇帝”の剣が振られた瞬間、イっ君の体は“皇帝”の左腕に持たれた大盾へと体当たりして剣の軌道を“廻る運命の輪”から逸らさせる事に成功していたのだ。
だが不意を突かれた“皇帝”は反射的に乱入者へと剣を振るいイッ君の胸へと深々と突き刺さっていたのだった。
大アルカナの超合金ナントカとかいう装甲すら容易く切り裂く剣を相手にイっ君のボディーアーマーは何に意味も持たずに背から剣が抜けて、彼の胸と背から電気回路の破損による紫電が迸る。
「なんでだよ!? 兄者ッ……」
「ごふっ……。そ……、そんな事、聞く必要があるのか……? 俺たちは兄弟だろう……」
イっ君の声はあまりに弱々しく、すでに負っていた負傷による大量出血と合わせて胸を貫いた剣は彼を死に至らせるものであろう事は間違いない。
つい先ほどまで血を血で洗う戦いを繰り広げていた兄が自分を庇った事が信じられないのか、それとも兄が死を迎えるという事が信じられないのか“廻る運命の輪”の声も震えていた。
だが改造人間には涙は流せないのだ。
ルックズ星人の顔はのっぺらぼうのようになっているのでそもそも涙は流せないのだが、それに類する事もできないというのはあまりに辛い事だと思う。
そしてイっ君は今際の時においても強い兄であろうと努めていた。
最後に弟の顔を見る事もせずにボディーアーマーの腰、右脇に取り付けられている銃器に手を伸ばして“皇帝”の腹部へ至近距離から発射。
「無駄だよ。博士、貴様ら兄弟はそこまで馬鹿だったかね? 全てを支配する皇帝にそんな豆鉄砲で傷を付ける事ができると思ったのか?」
「黙れッ! 貴様が笑っていられるのも今の内だ!!」
イっ君が放った銃弾は“皇帝”の装甲にかすり傷すら付ける事はできずに、反対に砕けて飛び散った弾体によって彼の剥き出しの顔面はいたる所に裂傷を負っていた。
続けて2射、3射とイっ君が銃爪を引く度に彼の顔面は傷だらけになり血塗れになっていく。
それは俺が持ちえない覚悟だった。
自らの命を考えず、守ると定めた者の前に邪悪に立ち向かう覚悟。
“皇帝”というヘドロのように、タールのように漆黒で濃密で全身にまとわりついて溺れそうになる邪悪を前にして、それでも前へと進もうという覚悟。
そこに甘さや妥協は無い。
大アルカナの力を得て、仮初の万能感に酔っては敵を殺さずに済まそうなどという俺に対してイっ君は自分の身を持ってその覚悟を示していたのだ。
何をどうしてパラレルワールドの咲良ちゃんは“皇帝”の事を仲間にできたんですかねぇ……?




