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引退変身ヒーロー、学校へ行く!  作者: 雑種犬
番外編3 The beginning
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EX-3-20 友よ見てくれ、この拳 3

 空手。


 今日の日本においては武器を用いず打撃技を主とする格闘技であるが、その由来は古代中国より現在の沖縄、琉球へと伝わった古典武芸である。


 それ故、古くは「唐渡りの拳技」を意味する「唐手」と称し、打撃技に留まらない投げ技、極め技も含まれ、棒、サイ、ヌンチャク、トンファーなどの武器の修練をも内包した総合武術であったという。


 多くの学者たちが指摘するように、これはキリスト教の発達とともに欧州から活動の場をアジア圏へと移してきた悪魔との戦闘のためと言われ、事実、唐手が用いる武器は槍、鉾、あるいは弓矢といった戦場で用いられる物よりも間合いが狭く、その代わりに市街地や屋内など場所を問わずに扱える物ばかり。

 これは悪魔や怪異たちが人々の心を乱すために市井に溶け込もうとする特性を持つが故とも言われている。


 不思議に思った事は無いだろうか?


 少林拳でその名を知られる中国は嵩山少林寺が何故に宗教施設であるのに武術の総本山となったのか?

 それはかつて少林寺が中国における退魔士の根拠地であったがためなのだ。

 中国禅宗の開祖として伝えられる達磨大師の像が今日の日本においても縁起物として人気であるのは、魔性のモノが達磨大師の武術を恐れるが故だという。


 そして日本へも禅宗とともに唐手は伝わった。


 このような有名な逸話がある。


 室町時代、時の征夷大将軍である足利義光は絵屏風から夜な夜な虎が抜け出しては人々を驚かすという怪異に悩まされていたという。

 そこで将軍の御所へと招かれたのが当時の禅の高僧、一休宗純であった。


 一休禅師は調査もそこそこに虎の描かれた絵屏風の前で硬く拳を握りしめ「それでは虎を屏風から出してください」と言ったと伝えられている。


 虎の絵の怪異からしてみればこれ以上の愚弄はないであろう事は想像に難くない。

 姿と同様、虎の気性を持った怪異からすれば、己を人が家畜のようにどうこうしようとはこれ以上ないほどの侮辱である。


 虎の牙は人の肉を切り裂き、顎の咬合力は骨も容易く砕いていたであろう。

 その爪は鋭い刀剣の如く衣服の上から人を絶命させうるものであり、振るわれる前脚は人の頭部を簡単に吹き飛ばす事もできたであろう。


 だが虎の怪異は何もできなかった。


 相手は瘦せ細った僧侶1人。

 だが怪異は虎としての野生を持っていたが故に眼前の敵と己との力量差を無視する事ができなかったのだ。


 一休禅師の低く腰を落とした姿勢に大きく引かれた拳は張りつめた弓の弦を思わせ、解き放たれる正拳の鋭さは鋼の矢尻以上の威力を想起させた。


 故に虎の怪異は何もできなかったのだ。


 牙や爪以上に虎の絵を虎たらしめていた野生を一休禅師にへし折られた怪異はもはや虎にあらず。ただの絵でしかなかった。

 それ以降、虎が屏風から抜け出す事はなくなったという。


 そして時は流れ、現代。

 唐手は空手となり、諸外国の拳法と拳を合わせて互いの技を磨き合うようになったこの時代。


 かつて人々を脅かしていた妖魔の代わりに宇宙の彼方から異星人が地球へと魔の手を伸ばし、悪しき人も己の野望のために人と機械の融合である改造人間を作るようになったこの時代。


 空手は無力なのであろうか?


 否。

 断じて違う。


 少なくとも数奇で過酷な運命へと叩き込まれた1人の益荒男にとっては己の肉体を鍛え上げ、精神を研ぎ澄ましてきた空手は異星人の改造人間が相手であっても空手は信じるに足る道であった。


 故に若人は立ち上がる。

 これまで10年以上に渡って数万、数十万回と繰り返してきた構えの動作を細心の注意を図って取り、己の意思の具現である拳を敵へと向ける。


 友は救わなければならない。

 力無き者は助けなければならない。

 囚われた弟も取り戻さなければならない。


 そこに合理性はない。


 合理性の徒である彼の仲間ならば、何かを得るためには何かを捨てる決断をしなければならないと彼を諭していたであろう。


 だが、その男、石動仁にとっては誰かを切り捨てるだなんて、真っ平御免だった。


 石動仁が敵へと向ける研ぎ澄まされた戦意とは裏腹、彼の思考はバラバラ、取っ散らかっていると言ってもいい。


 “ここではない別のアジトにいる弟を救いだすためにはここで終わるわけにはいかない”

 “異星人の友は自分たちが逃げられる可能性を少しでも高くするために自分の身を犠牲にした”

 “自分よりも仲間たちの方が大アルカナなる改造人間の性能についてはよく知っている”

 “敵は自分の事を捉えて洗脳処置を施すつもりであり、仲間たちの事は殺す事も厭わないであろう事”


 石動仁はそのいずれも理解している。


 だが、それでも石動仁は誠、ルックズ星人、世界、ゼロ、栞奈、誰の事も切り捨てる事ができなかったのだ。


 それは合理、不合理を超えて“混沌”と言ってもいい。

 混沌ではあっても、正しい事であり、人の道であり、両親が彼に付けた“仁”の道である。


 そして“混沌”とは、奇しくも彼に背負わされた暗示、シンボルを示すものでもあった。


 タロットの15番目のカード。

 正位置においては混沌、破天荒、激烈、破滅を意味し、逆位置においては覚醒、出会いを意味するそのカードは━━━。

ちなみに本作中においては人間以上の身体能力を持つ悪魔と戦うためにエクソシストがルチャリブレ式の戦法を取るのに対し、禅宗由来の唐手(空手)は一撃必殺を目指して技を発展させていったのだと思います。

ベリアルさんが手刀の連打を多用していたのは、多分、空手家をおちょくるというか、彼女流の悪意の発露みたいな? まあ手刀の連打と言っても「仔羊園」の園長さんと戦った時のように人間相手なら1発で骨を砕くくらいの威力はありますが……。


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