EX-3-9 ARCANAと大アルカナ 後編
重厚なボディーアーマー越しでも分かるほどにはっきりと肩を落としたイっ君。
ボディーアーマーの右前腕部に周囲の警戒のために展開していたビームガンも力無く垂れ下がっていた。
「ああ。まあ、予想はしてたけど、ゼロ君も奴らに拉致られて改造されたってパターンか」
「……彼だけではない。世界君もだ」
「世界さんも?」
「ああ、そうだ。そして私は図らずとも知らず知らずの内にARCANAが改造手術を行う対象を選定するのに手を貸してしまっていたのだ」
それがせめてイっ君に悪事に手を染めている実感があればどれほど気が楽であっただろう。
自らが追いやられた境遇に自己を正当化する事もできたかもしれない。あるいはそれすらもできない善良な心の持ち主であっても自らがなした悪行は精神を鈍化させ、しまいには麻痺して何も感じなくなっていくようになっていったのかもしれないのだ。
だがイっ君は何も知らないところでいきなり自らが悪に手を貸してしまった結果を突き付けられてしまったのだという。
『いや、前にもその話は聞いたけど、博士自身は悪い事はしてないだろう?』
「オデも博士の事は恨んじゃいないぞ」
世界さんは優しく諭し、ゼロ君もイっ君が罪悪感に苛まれているのは見ていられないとばかりに彼の言葉を否定するあたりイっ君の人柄が窺い知れるが、そのような人物であるからこそ彼は自分を許す事ができないのだろう。
被害者である世界さんとゼロ君が彼を許しても、彼は責任のある大人であるからこそ自分を許せないのだ。
「実際のとこ、アンタは何をしたんだ?」
俺はあえてイっ君が犯した罪に切り込んだ。
罪の大きさ重さに打ちひしがれている者にとっては罪を裁かれる事もある意味では救いとなりえるのだろうから。
「そうだな。私がした事といえば彼らの求めに応じて数学の問題を作った事だな……」
「数学? え? 数学ってあの算数のか?」
「ああ……」
算数の問題を作るという事がどのような罪になるというのか?
まったくもってさっぱりチンプンカンプンの俺は助けを求めるように後ろを振り返って栞奈ちゃんを見てみるが、彼女も俺と同じようにまるで合点がいっていないような様子だった。
「数学といっても地球では公式も何も知られていない、イチからの手探りで解法を求めるにはある種の資質が必要となってくるような問題だ……」
「……すまないが日本語で話してくんねえか?」
「……最初から最後まで日本語なんだが? まあ、ともかくその資質、地球人には稀有の空間認識能力者を炙り出すための問題を私は作り、そして奴らはその問題に懸賞を付けて数学専門誌に投稿したのだ」
俺も数学の難問に懸賞金が付いている物があるという話は聞いた事がある。
だが数学の問題を解くのに数学の資質や才能ではなく、空間認識能力が必要になってくるとはどういうものなのかはサッパリ分からん事だ。
「ど、どういう事だ?」
「ええと、私たち地球人の学生が解く図形の問題で補助線を引けば分かり易くなるって奴の滅茶苦茶に難しいような感じでしょうか?」
「ああ。お嬢さんのその例えは分かり易いな。さらにいうと補助線のような2次元的なものではなく、3次元的なものがさらに変動していく4次元的な感覚が求められるものだがね」
まだ栞奈ちゃんがいう図形の問題が補助線を引けば分かり易くなるという例えは分かるが、イっ君が言う4次元がどうたらというのはもうサッパリだ。
なにせ地球じゃ一般的に4次元とは縦、横、奥行きの3次元に時間の概念を取り入れたものだと言われているが、それが正しいのかどうかすら地球の学問では確立していないのだから。
「その問題を作る事ができたのは時空間理論学者の私ただ1人。その問題を解く事ができたのが世界君とゼロ君の2人。そして2人はARCANAによって拉致された。これが私の罪だ」
「そういう事か……」
そこでやっと俺は合点がいった。
高い知性を感じさせるイっ君が自分が罪を犯したという認識もないままどうやって手を貸していたのか不思議ではあったが何の事はない。
きっちりと切り分けるなら、彼自身は何も罪を犯していないと言ってもいい。
数学の問題を制作する事。
それだけの事に一体、何の罪があるというのだろうか?
もっともそれでも罪の意識を感じてしまうのも無理はないだろう。
世界さんとゼロ君がARCANAの標的になったのはイっ君だけが作れる問題を解いてしまったからなのだ。
「弟から2人がアジトに来ているという事を聞いた時には私は喜んだよ。なにせその頃には私もARCANAの連中の秘密主義には辟易していたし、弟はそんな連中に傾倒していって溝を感じていたのだ。新しい地球人の友人ができるかもしれないと年甲斐もなく心が躍ったものだ」
時空間理論学というものがどういう学問であるのかは分からないが、彼の言からするとイっ君の作った数学の問題というのは彼の修める学問に類する分野のものなのであろう。
ならば地球人には稀有の才能を示して彼の作った問題を作った世界さんとゼロ君はまさに同好の士と呼べるような存在と言えるのではないだろうか。
世界さんもゼロ君も時空間理論額なる物など露にも知らなかっただろうが、2人が教えを求めるならばイっ君はきっと喜んで自らが持つ知識を授けていたのではないかと思う。
俺は空手の道場で子供たちに熱心に指導をしていた師範や、大学の学生の質問に真摯に答える教授の事を思い出していた。
師範も教授も老齢と言っていいような年齢の割に懇切丁寧しかもエネルギッシュな人であったが、きっと彼らは自分と同じ道を行く若者や子供と触れ合い、自らが修めてきたモノを伝える事が楽しかったのだろうと今になって思う。
きっとイっ君と世界さん、ゼロ君も同じような関係が築ける未来もあったのではないだろうか。
だが、そんな未来は奪われていた。
「そして私が見たのは、頭部を割られて脳を抜き取られた2人の抜け殻だった……」
「……マジかよ」
「その時の気持ちが君に分かるかね?」
「えと、その前にさ、俺も?」
「は?」
そういえば今まで気にもしてなかったけど、俺も脳味噌を作り物の身体に移植されたって事は脳味噌を抜き取られた元々の身体があるって事だよな?
「俺の身体って……、どうなったの……?」
「スマンがもう火葬済みだ」
「マジかあ……、うわぁ……」
まあそらそうだろうなぁとは思うものの、ハッキリと言葉にされるとショックな事には違いがない。
「まあ、その、なんだ、君も同じ境遇なのに無神経な事を言って済まなかったね」
「あ、ああ、悪い。話の腰を折っちまって……」
「……で、だ。それからすぐに水槽に浮かぶ世界君の脳と、出来の悪いボディーに詰め込まれたゼロ君と出会ったのだ」
うん?
その時はまだ世界さんの脳は移植前だったという事か?
「その時に私は全てを理解したよ。ARCANAが世間から姿を隠しているのは大きすぎる力を巡って争いが起きるのを避けるために忍んでいるのではなく、力を蓄えて時が来たならば自らの野望のため世界征服を企んでいるためだという事にな! でなければ無実の人間の脳をミサイルの誘導装置になんぞ使うものか!!」
「……は?」
俺は思わず聞き返していた。
人間の脳をミサイルの誘導装置に?
そんな物、改造人間とすら呼べないだろう。
だがイっ君が続きを言う前に俺の頭の中で点と点が線で繋がっていくような感覚が走っていく。
「……世界さんの事か?」
「え? 世界さんが一緒に逃げる事ができないのって……」
俺と栞奈ちゃんの言葉に対してイっ君は沈黙で返すが、それは何よりも雄弁に俺の予想が正しい事を物語っていた。
機械の身体を与えられるわけでもなく水槽に浮かんだままの世界さんの脳。
姿を現さずにネットワークで声だけを送ってくる世界さん。
そして、その世界さんは地球人には稀有な空間認識能力とかいう能力を持っているという事。
もう1人の適格者であるゼロ君はこうして俺たちと共にいる。
そして最後はそのミサイルの誘導装置にされてしまった者はイっ君に深い後悔を感じさせる者だという事。
ここまで来ると俺だって分かる。
世界さんがミサイルの誘導装置であるという事が。
「私が『フラッグス移民船団』から持ち込んだ技術力で製造された反物質爆弾搭載ミサイル、それが世界君。いや“世界”の制御装置に組み込まれてしまった少女と言ったほうが正しいか……」
イっ君が頭を振って忌々しい物を語るように語るその反物質爆弾搭載とかいうミサイル。
本来は彼が地球人に外宇宙から来る旧支配者とも戦える力を与えるためにもたらした知識から作られたものなのだろう。
「君もテレビか何かの報道で見ただろう? 魔法少女プリティ☆キュートとアンゴルモアの恐怖の大王が繰り広げた激戦を。宇宙空間であれだけの運動能力を発揮できる旧支配者と戦うには同様の能力を持った誘導装置が必要だった。だが、その能力を持った人間の脳を組み込むなど……」
うつむいたイっ君が振り絞るように震えながら語る。
そうなるのも当たり前だ。
あまりに非人道的。外道の策と言ってもいい。
第一、ミサイルが要求された性能を発揮し、見事に敵を倒す事に成功したとして制御装置に組み込まれた者はどうなる?
当然、爆発するミサイルと運命を共にする他ないのだ。
よく人は英雄的な活躍を「決死の覚悟」というが、ミサイルの制御装置に組み込まれるなど「死を決めた」などという言葉ですらまだ温い、まさに必死「必ず死ぬ」しかない。
しかもそれが覚悟を決めた者が乗り込むのではなく、適性者だからと拉致して脳を抜き取ってミサイルに乗せるのだ。
これ以上に非道極まりない事があるのだろうか?
「おまけに予備として拉致されてきたゼロ君は世界君の摘出手術が上手くいったからといって、テスト機に押し込んでぞんざいに扱われていたのだ。おかげで私も1発で目が覚めたよ」
ゼロ君の見た目が人間とまったく見分けが付かない俺と違ってあまりにも人間離れしているのは、そのテスト機だからなのだろう。
「そしてARCANAに反旗を翻す事に決めた私だったが世界君とゼロ君の協力を得ても奴らの野望を挫く手も見えず……」
「うん? 弟さんは? え、弟さんも真実を知れば」
イっ君とは短い付き合いだったが、俺は彼の言葉を何の疑いも持たずに信じてしまうくらいには彼の事を信用していた。
高い知性に、どこまでも善良な精神。
そして自らが犯した過ちを、それも「知らなかった」で済ましてしまってもいいような事にまで責任を感じてしまうような高潔さ。
彼は異星人だが下手な地球人よりよほど「人間らしい」という言葉がピッタリの人物だった。
当然、彼の弟さんもそのような人物だと俺も勝手に思っていたのだ。
先に弟さんはARCANAの連中の思想に傾倒していたとは聞いていたものの、真実を知れば弟さんも高い知性を持ったルックズ星人だ。必ずやイっ君に力を貸してくれるのではないかと、そう思い込んでいた。
「……弟は全てを知っていたよ」
「え?」
「しかも私の知らない内にアイツは大アルカナの1体に、自らの肉体を改造していたのだ」
そこで先ほど格納庫で聞いた大アルカナという言葉が再び飛び出してきた。
「大アルカナ?」
「ああ、ARCANAのハイエンドクラスの改造人間、もしくはそれと同等レベルに重大な戦略兵器に振られたコードだ。世界くんは戦略兵器の方、そしてゼロ君はその新式機構のテスト機ゆえに“番号無し”。そして……」
イっ君は項垂れていた顔を起こしてそののっぺらぼうの顔をしっかりと俺へと向ける。
それは患者へ重大な告知をする医師のようでもあり、司祭に罪を告解する敬虔な信徒のようでもあった。
「そして石動仁。君も大アルカナの1体として改造されたのだ」




