EX-3-5 蘇る記憶と赤く光る目
「え、えと……。おぜうさん?」
世界さんのツッコミが真実であることを示すかのように、俺が努めて穏やかな笑顔を作って身の潔白を証明しつつ牢に囚われていた女の子へと話しかけてみるも、ベッドの上で体育座りの姿勢で膝を抱えていたその子がやっと動き出したかと思ったら、目で見て分かるほどにガタガタと震えだして壁際へ背中を押し付けるように後ずさっていってしまう。
『おい! この馬鹿マッチョ!! なんでへんなポージングしてんだ!?』
「これは『モスト・マスキュラー』っていうんだぜ?」
『知るかッ!!』
……ふうむ。
両の拳を腹の前でぶつけ合わせるようにしながら全身の筋肉を見せつけるのが「モスト・マスキュラー」だ。「モスト」というようにもっとも力強い筋肉を見せつけるポーズとも言われていて、腕や胸の筋肉の他、上半身を支える下半身の筋肉をも強調する事ができ、さらには肩の上へと盛り上がった背筋は真正面から背中の筋肉を見せるという矛盾をもクリアしてのける事が可能だ。
世の中には「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉があるように、俺の鍛え上げられた筋肉を見てもらえれば自分を誘拐したのが俺ではないと目の前の女の子に分かってもらえると思ったのだが……。
「あっ……!!」
そういえば俺の身体は脳味噌以外、つまりは目に見えるところ全ては作り物だった!
いや、こう言っちゃなんだが、俺はまだ目覚めてから鏡を見ていないので完全にそうだとは言えないが、少なくとも目に入る腕や脚、腹筋なんかは生身の頃と見分けがつかないような見た目。
それは微妙な色合いから、光の反射や影の出来具合にいたるまで完全に人間の皮膚を再現しているとしか思えないほどで、よく見てみると産毛すら生えているくらいなのだ。
つまりはこの女の子、人間の生身の筋肉と、本物と限りなく近い作り物とを見分ける目を持っているという事か?
まさか、こんな所で“筋肉の声が聞こえる者”と出会う事になろうとは!
「スーパーの鮮魚コーナーでも天然物と養殖物じゃ露骨に値段が違うからなぁ……」
『おまっ、何、いきなりわけの分からない事を言い出してんだ!? ……ちょっと、待て』
頭の中で微かにプツンという電子機器の接続が切れる時のようなノイズの音が走り、それからすぐに部屋の壁面に取り付けられていたスピーカーから世界さんの声が聞こえ始めた。
『あ~……、あ~、そこの君、聞こえるだろう?』
「……はい」
同性、同年代と思わしき世界さんの声を聞いて、やっと女の子の体の震えが止まる。
代わりにきょとんとした顔をして壁際のスピーカーと俺とを何度も見比べていた。
『あ~、済まない。怖かっただろう。いきなりマッチョの大男がドアをブチ破って入ってきたかと思ったら、わけの分からないポージングをしだして、おまけに独りでブツブツと呟いているし』
そういえばさっきまでの世界さんの声は直接、俺の頭の中に届いていたわけで、この子には聞こえていなかった。つまりは俺は世界さんと話をしているつもりが、この子から見れば独りで意味の分からない事を呟いているように見えていたのか……。
『そこの彼もまあ……、怪しい者じゃないよ? ……ちょっと自信無いけど。私は君の事をほっとこうとしてたのに、そこのパンイチは君の事を助けようとしているんだ』
「えっ!? ……えぇ!?」
「もう。世界さん、そんな自分を悪者にしなくてもいいのに……」
怯えていた顔から驚いてみたり、怪訝な顔をしてみたり、まるで百面相のように次々と表情を変えるその子は随分と幼く見えた。
「ええと、俺は石動仁、君は?」
「あ、すいません。私は佐々木栞奈」
「そう。栞奈ちゃん、君は今日がいつだか分かる?」
「え? 4月の2日ですよね……?」
そう言うと栞奈ちゃんは左手首の腕時計を確認して答えてみせる。
「あ……。そうなんだ……」
『いや、そんくらい聞かれたら答えたてたよ?』
世界さんが「何を今さら……」みたいな声を上げるが、考えてみればそうだよな。世界さんだって今日の日付を隠す理由なんてないだろうし、そもそも今日の日付が分かった所で先ほど俺が目覚めた部屋で見つけたマンガ誌が最新号だったというくらいしか意味がない。
何しろ俺は未だにARCANAとかいう連中に拉致されて改造された時の記憶が戻らないのだから。
『栞奈さん、ゴメンね。コイツ、多分、馬鹿なんだよね……』
「あ、いえ、ええ。大丈夫です」
ベッドから降りて立ち上がった栞奈ちゃんは脱出のためか軽く屈伸などのストレッチをして体をほぐしていた。
4月の頭という事もあってか薄いニットのセーターと厚手のスカート、柄付きの黒いタイツ姿のファッションとは違い、意外とアクティブな女の子なのだろうか?
幼く見える顔立ちに髪型は軽い茶髪に染めたショートカットというのもそういう印象を強める。
『ああ、それとこれは仁にも聞いてほしいんだけどさ。後ちょっとで私の仲間と合流するんだけど、そいつら、ちょっと……。いや、かなり? まぁ、パンイチのマッチョと同じくらいにはインパクトのある連中なんだけどさ、できるだけ驚かないでくれないかな?』
世界さんの言うお仲間さんの内の1人は異星人だったか?
確かにたとえ異星人であれ俺たちの脱出に手を貸してくれるという人の見た目に必要以上に驚くというのは失礼な話だと思う。
そういうとこにわざわざ気を使ってくれるあたり、世界さんはやはり良い人なのだろうと思う。
たとえ何か俺に隠していても、姿を見せずに声だけの存在だとしてもだ。
幸い、栞奈ちゃんを拉致してきた連中はまさか彼女が逃げ出すとは思っていなかったのか、彼女のスニーカーはそのまま残されていて、さっきまで俺が歩いてきたような地下道でも問題なく歩けそうだった。
「へぇ。世界さんは仁さんの頭に直接、音声を送り込む事ができるんですか?」
「そうなんだよね。……って、意外と栞奈ちゃん、俺が改造人間だって知っても驚かないのね」
「うん? 今時、珍しいっちゃ珍しいですけど、そう驚く事でもないですよね?」
「そうかあ?」
少なくとも俺はテレビとかならともかく、改造人間なんて直接的に自分の目で見た事はない。
まあ、今の俺みたいにパッと見の外見で分からないような精巧な作りの改造人間なら、出会っていても気付いていないのかもしれないが。
脱出を再開する事にした俺たちは栞奈ちゃんが閉じ込められていた牢屋のある部屋から格納庫のようなだだっ広い部屋へと戻り、それから先を急ぐ事にする。
『パンイチのマッチョで驚く事に疲れてしまったってさ!』
「ハハッ! 手厳しいな、世界さんは!」
「あ、また頭の中に直接ですか?」
先ほどは部屋の中に設置されていたスピーカーで世界さんは栞奈ちゃんにも言葉を伝える事ができていたが、格納庫のある部屋に出てからはそれもできない。
「世界さんは栞奈ちゃんが俺の恰好で驚いてしまって驚き疲れちゃったんだろうってさ!」
「ま、まあ。あ、いや。なんかすいません……」
「いいってことよ! それよりここから抜け出したらその内、ボディビルの大会にでも行ってみなよ? 俺なんか気にならなくなるぜ?」
「い、いやあ……。それもどうなんでしょ……」
そらあ俺だって鍛えているわけで筋肉には自信があるけれど、あくまで俺は空手のために鍛えた筋肉だ。
それに対してボディビルダーの筋肉は人に見せつけるためのもの。
どちらが上というわけでもないのだろうが、それでも筋肉の隆起をハッキリと見せつけるために焦げ茶色に日焼けした筋肉に、音楽に合わせた生き物のように動く筋肉の魅せ方、健康を害するほどに苛め抜いて鍛え抜いた筋肉を晒しておいてなお満面の笑顔を浮かべてみせるメンタルは俺たち空手家も見習うべきところがあるのかもしれない。
第一、ボディビルの大会ともなればむくつけきトレーニーたちの集団そのものに襟を正さずにはいられないだろう。
「そういや栞奈ちゃんはどこ住んでんの? 盛岡市内?」
「え? 岩手? 私は東きょ……」
「シッ! 栞奈ちゃんは俺の後ろへ!!」
それも俺が改造されたが故の感覚であろうか?
突如として低い、耳を凝らさなければ分からないような本当に低い機械音が鳴りだして、それは何か巨大なモーターの稼働音を思わせた。
それが先ほど通り過ぎた大型のエレベーターの作動音だと判断した俺は栞奈ちゃんを庇えるように自分の後ろへと下がらせる。
『馬鹿なッ!? 私が把握していない部隊が動いているというのか?』
「世界さんも知らない? 俺たちが逃げ出した事がバレてるって事か?」
『仁、君の機能に制限がかかっているとはいえ、彼女を置いて走れば逃げ切れるかもしれないよ?』
「ハッ! そんなん聞く必要もねぇだろ!!」
ARCANAとかいう連中。未だにどのような組織なのかはサッパリだが、それでも同意も得ずに非合法の人体改造を平気で行うという点だけでも極悪非道の連中だという事は分かるだろう。
そんな連中に栞奈ちゃんの身柄を渡して逃げられるわけがない。
そんな事は考えるまでもない事だ。
『チィっ! そうかい! 来るぞ!?』
動き出したエレベーターはやがてブレーキがかかった時の大きな音を立てて止まり、一瞬の静寂の後にブ厚い鋼鉄製の扉が左右に開いて内部にいた者たちの姿が露わになる。
「あれは……、……ロボット?」
『やっぱり……、ARCANAの尖兵ロボだ! 逃げろッ!!』
もうその時には栞奈ちゃんの怯えたような声も世界さんの逃げるよう促す言葉も俺の耳には入っていなかった。
全体が鈍銀色にカラーリングされ、機体の要所要所には曲面で形作られた薄い装甲板が張られたロボット。
その人間とさして変わらないサイズの頭部には赤く光る一つ目小僧のような丸いカメラ。
戦闘機すら入りそうなほど広いエレベーター室内に所せましと立ち並んでいた一つ目のロボットの姿を見た時、まるで薬物中毒患者が見る悪夢のフラッシュバックのように俺の記憶が戻ってきたのだった。
それが本当に悪夢、目覚めれば終わりのただの夢であればどれほど良かっただろう。
しかし、幸か不幸か、俺はその記憶が偽りの物でないことを骨身に渡って理解することができたのだ。たとえ骨も身も作り物にされてしまっていたとしても。
溶けかけてシャーベット状になった雪の上へと飛び散る真っ赤な鮮血。
体中を撃ち抜かれ、口から血を吐きながら力なく倒れていく親父とお袋。
そして倒しても倒しても次から次へと現れる赤い目のロボットたち。
その一つ目のロボットの機械の冷たい腕が震える弟へと伸びていく。
「うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
俺はただ我を忘れて真っ直ぐにロボットの群れへと突っ込んでいった。
いい加減、読者諸兄も気付いたかもしれない。
本編ラスト付近で過去に死んだ者たちが登場した時に世界さんがいなかったのは、長い間、兄ちゃんのおバカに付き合っていた事で死んだ時に達成感が出て、すぐに成仏してしまったからなのだ\(^o^)/




