EX-3-1 3220番目の世界
雨が降っていた。
この世界に生きる人々の涙が落ちてきたかのように雨は降って戦士の屍を洗う。
「…………助けられなかったか……」
戦士の屍を取り囲む一団のリーダー格であるらしい大男が顔を雨に打たれるのも厭わずに天を仰ぎ見る。
男の両の拳は握りしめられて悔悟の念に心中を責めたてられているのは周囲の他の者たちにも一目で分かる。
「……分かってたハズなんだけどなぁ」
「僕たちは神様じゃない。何でもかんでも綺麗にできて、誰でも助けられるわけじゃあない。ホントに分かってたハズなんだけどね」
「…………」
「……そうだな。せめて遺体の身なりは整えてやろう」
マーダー・ヴィジランテこと松田晶が動いたのを皮切りに乾譲司も続き、さらに石動誠と米内蛍も動き出す。
一行のリーダー的存在である石動仁はただ黙って弟たちが遺体を清めてやるのを見守っていた。
(確かに、こんな生活を1人でやってたら魂がすり切れてしまうかもしれねぇな……)
仁たちの目的は「世界を滅ぼす敵を倒す事」。
そのために様々な世界へと渡って戦い続ける生活を続けていた。
故に敵の命を奪う事に葛藤は無い。
世界を救うのが目的であって、その世界に暮らす1人1人を助けるための旅路ではない事も頭では分かっている。
それでも彼らは心を痛めずにはいられない。
この世界においては“世界を滅ぼす意思を持った敵”による犠牲者はただ1人だけ。
彼らが弔っている戦士だけが本件における死者なのである。
何故か?
その答えは至極単純。
戦士が守ったからだ。
世界を滅ぼそうという意思を持ち、その脅威を神々に認められたが故に仁たちはこの世界へと送られてきた。
必然、彼らが戦ってきた敵は揃いも揃って強敵ばかり。
仁たちでなければ立ち向かう事すらも困難な相手なのだ。
その敵を相手にただ1人、敢然と戦いを挑んで世界の敵の魔手から力無き人々を守り抜いた戦士の高潔さを悼み、その魂の安寧を祈ってから仁も弟たちへ手を貸す事にした。
「……見ろよ。笑ってやがる」
戦士の遺体は全身の骨という骨がグシャグシャの状態。しかもご丁寧に喉笛までえぐられていて、それが致命傷になったようである。
この世界の敵は行動を起こすまで徹底的に姿を隠す事に注力しており、仁たちがこの場へとたどり着いた時にはすでに戦士は敵に取り囲まれてなぶり殺しの状態であった。
だが、松田が廃墟と化した民家から取り外してきた戸板に寝かされているこの戦士は、駆けつけてきた仁たちの姿を見ると安堵したかのように笑って息を引き取っていたのだ。
その遺体に残る笑顔がどれほど仁たちの心を救っただろうか?
彼らは孤高の戦士を救うには間に合わなかった。
だが戦士の心が絶望で染められる前には間にあったのだ。
それだけがこの世界で得た僅かばかりの救いである。
「さあ、英雄の凱旋だ。コイツだって自分が守ってきた連中に弔われた方が嬉しいだろうさ……」
「オッサン、こういう時には頼りになるのな……」
「ホント、こういう時はな……」
「よせやい……」
「褒めてはいないよ?」
グシャグシャの骨、グズグズの肉をなんとか形を取らせて戸板の上へと戦士の遺体を寝かせ、喉の深い傷には譲司がスカーフを巻いて隠す。
目は閉じさせてやろうかとも思ったが、戦士が浮かべる笑みに手を加えるのが躊躇われてそのまま。
振り続ける雨は戦士の遺体から血を洗い流し、それが戸板を伝って仁たちの衣服を赤く染めていくが、誰もそれが汚らわしい物だと思う者はいなかった。
そして葬送の列は進む。
戦士の亡骸をかの世界の者たちへと引き渡し、仁たちはこの世界を後にする事にした。
「……さ、帰ろうぜ。カレーが待ってる」
「オバサンのカレーは2日目も美味いからね……」
「…………」
「そういや、お嬢と坊主もなんか作ってたっけな。アレ、なんだ?」
「ああ、デザートに杏仁豆腐をね……」
仲間内に未だ漂う暗い雰囲気に仁もわざとらしく明るく振るまって見せるが、その声は自分でも思った以上に力無いものとなっていて内心、自分の事ながら驚かされる。
だが、弟たちも同様に空元気で明るくふるまい、そしていずれも仁と同じく力の籠っていないものであったので思わず一同は目でみやって苦笑した。
神界。
正しくはペイルライダーこと石動誠に課せられた罰のために特別に設けられた小さな世界。
そこは今や仁たちが救いを求める世界へと旅立つ待機場所となっていた。
「……………………」
仁たち一行は見慣れた白一色の空間に入ると揃って言葉を失ってしまう。
「あ! お邪魔してま~す!」
「…………」
「あ、先にご飯頂いてます!」
「……いや、そんなん見りゃ分かるよ」
仁たちは揃いも揃って世界を股にかけて戦い続ける豪の者。
その彼らも思わず瞬きするのも忘れて目の前の光景に見入ってしまう。
なんと先ほどの世界で彼らが弔い、その世界の者たちへと亡骸を引き渡してきたハズの戦士が彼らよりも先にこの空間に来ていて、しかも彼らの夕食をむさぼり食らっていたのである。
床に崩した胡坐で座り込み、両足の間に炊飯ジャーの内釜を挟んで、そこへカレーを入れてシャモジをスプーン替わりに次から次へと頬張っていく。
全身をチョコレート色の毛に覆われ、頭に被る黒の三角帽に空いた穴からは2本の長い耳が飛び出て中ほどから折れ曲がっている。
さらにガラス玉のようにクリクリの眼球に手に生えた鋭い爪。
どこからどう見ても地球人ではない。
だが仁たちは全員、かの者の正体について心当たりがあった。
「なぁんでハドーの怪人が僕たちの晩御飯を食べてるんでしょうかねぇ……?」
「うん? 海賊が他人を物を奪うのは当たり前の事では? それが悪党たちの獲物であろうと、恩人たちの食事であろうと」
「ええと、お姉ぇさん、お名前を伺っても?」
仁はいかにもブチ切れ寸前とばかりに眉をピクピクと動かす弟の肩を軽く叩いて宥め、その隙に蛍がストッカーから500ml入りの緑茶のペットボトルをウサギ獣人に渡しながら名を訪ねる。
「フゥ~ハッハ~!! 私に名乗れと? 異次元から来た大海賊、人呼んで『超次元海賊キャプテンUSA』とは私の事よ!!」
意気揚々と炊飯ジャーの内釜を小脇に抱えて立ち上がったウサギ獣人は胸を張って大名乗りをあげて手渡されたペットボトルのお茶をグビグビと飲み干していく。
その様子にもはや怒る気すら無くした誠も訪ねる。
「てか、なんでここに?」
「うんと、なんかやたら色白のお姉さんが付いてきたら御飯食べさせてくれるって」
「うん? ああ、あの面倒見の良い堅物の神様か……」
仁たち一同の待機場所であるこの一面、真っ白なこの空間の管理者であるヘルは北欧の冥界の神であり、ちょくちょく家具や家電、食材の搬入の時には顔を合わせている関係であった。
その態度、口調からはいかにも冥界の管理者たる役人然としたお堅い印象を受ける神であったが、意外と融通が利くようで冷蔵庫にマグネットで張り付けているメモ帳に食材などのリクエストを書いておくと次の補給の際には間違いなく頼んでいた物が入っているという具合である。
「いや、それはともかく、そんなホイホイ怪しい奴に付いてったら駄目だろ」
「馬鹿め、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』というだろう?」
口では「馬鹿」と言っていても、その言葉は石動誠を馬鹿にしているという様子ではなかった。
あるいはその言葉はウサギ獣人の人生哲学、いやヒーローのいない時代にその代わりをしようとした決意であったのかもしれない。
キャプテンUSAを名乗るウサギ獣人の遺体を現地の者へと引き渡した時に聞いた話であったが、かつてかの世界は数多のヒーローと呼ばれる戦士たちが悪の尖兵たちと日夜、争いを繰り広げている世界であったという。
だがペイルライダーと呼ばれる1人の狂人が現れた事で世界は一変した。
そこまでは石動誠の知る世界と同じであったが、あの世界においてはペイルライダーはロキに平行世界へと送られる事もなく世界中で暴れ続け、そして地球で最後のヒーローとなった長瀬咲良が変身したファイナル・デモンライザーと戦い、相討ちとなって果てていたのだという。
最期の希望は折れ、ヒーローがいなくなった世界。
だがヒーローはいなくとも悪の芽は耐える事はなく、その世界で立ち上がった者こそキャプテンUSAなのだ。
ハドー獣人といえど、低コストで作られた伝令用の獣人。
まともに戦えるわけもない。
だが、それでもキャプテンUSAは抗い続けた。
時には自分の身体を盾にして人々を助け続けていたのだ。
その彼女からすれば「虎児を得る」ため、誰かを助けるために「虎穴に入る」事こそが日常であったといえよう。
「とはいえ、神田君も『アヤカシ・ナイン』の入団テストに受かっただろうし、最後にお腹一杯、ご飯が食べれて満足ってところかな?」
「妖・ナイン」とは、未だ絶えぬ悪の組織に対抗するために再結成される予定の野球妖怪たちのチームである。
永年に渡ってキャプテンUSAの相棒として力を貸してきた神田という少年も人間の身でありながら入団試験に挑んでいたがためにキャプテンUSAは1人で死地へと赴いていたのだ。
「あ~、成仏する前に最後に甘い物でも食べたいな~……」
すでに冷蔵庫の中に仁たちの人数分の杏仁豆腐が入っているのを知っているのか、一同の顔をチラチラと伺うウサギ獣人に松田が冷蔵庫を開けてカップを1つ出してやる。
「やり~!!」
「なあ、これが最後って事は無いんじゃあないか?」
差し出されたカップの杏仁豆腐をスプーンでつついて感触を楽しんだ後、ウサギ獣人は早速、舌鼓を打ち始める。
そこで口を挟んだのはこれまで黙ったままだった仁だった。
「うん、どゆこと?」
「俺たちと一緒に戦わないか?」
「え~、嫌だよ。ヒーローのいない世界で頑張ってきたんだ。もうゆっくりしたいよ!」
ウサギ獣人が手にしたカップの中身はあっという間に無くなり、そこでキャプテンUSAは敵に身を切り刻まれている時でも見せなかった絶望の表情を見せる。
たまらず仁が冷蔵庫の中から自分の分の杏仁豆腐を取り出して渡すと、子供のように顔を綻ばせて2個目の杏仁豆腐を今度は愛おしそうにゆっくりと食べ始めた。
「美味しい杏仁豆腐、食べたら無くなる。辛いよな?」
「辛いな! 兄ちゃんの優しさが身に染みるってモンよ!!」
「人間の命もそうだろう? 死んだらそこまで。そして俺たちなら救える命もあるハズだ。それに……」
「それに?」
仁の脳裏に思い起こされていたのは、あの世界でキャプテンUSAの亡骸にすがりついて泣く人々の姿、かの者たちが口々にしていた言葉であった。
「アンタは『ヒーローのいない世界』なんて言っていたけれどよ! あの世界の連中はアンタの事を『最後のヒーロー』って言っていたぜ? アンタにはヒーローの資質があると俺は思う」
その言葉にウサギ獣人のスプーンが止まる。
仁の言葉に自分が着ている海賊風の衣装を作ってくれた者たちの事を思い出していたのだ。
「ウサギと言えば白!」と作ってくれた純白の海賊風の長い外套は長年に渡って流してきた自らの血で真っ赤に染まっている。
幾度となく破けたのを繕って見た目はボロボロ。
それでも捨てられない。
死後に魂だけの存在となっても魂に染みついてしまっているというのか、地球人の作ってくれた海賊服はキャプテンUSAの身体の一部となっていたのだ。
「いや、でも……」
「なんだ?」
「お兄さんたちの事はライブラリで見たよ。いずれも揃って名にしおう当代一流のヒーローじゃないか? ……まぁ、そっちのオッサンと坊ちゃんは悪名しかしらないけど」
最初に杏仁豆腐を手渡してくれた長身の中年女性は悪党専門の殺人鬼。
ペットボトルのお茶を渡してくれたのは魔法少女集団「ヤクザガールズ」の組長だ。
そして床に座った自分の顔の高さに目線を合わせるために腰を折って話しかけてくれている長髪の男こそ「2代目最強のヒーロー」とも言われる石動仁である。
……もっとも、純日本人の顔立ちなのに何故かウエスタンな出で立ちの中年男は「日本一のガンマン」という二つ名の他に「セクハラ大王」と呼ばれていた男であったし、相棒であった神田少年よりも幼い見た目の少年こそ世界を破滅寸前まで追いやったペイルライダーこと石動誠である。
なんで死んだハズの彼らが? と思わないではないが、それ以上にキャプテンUSAには気がかりだったのだ。
「私なんかついていっても役に立たないと思うけど……」
「自分ができる事をやればいいだけさ。誰だって1人じゃ大した事もできやしない」
「お兄さんが言うと嫌味に聞こえるよ?」
乾譲司はどうだか知らないが、松田晶、米内蛍、石動誠、石動仁いずれも戦闘用のハドー獣人ですら一撃で屠る者たちである。
その者たちに伝令用の戦闘力に劣った自分が付いて行っても何ができるのだろうか? かえって足手まといなのではないかという懸念がウサギ獣人を躊躇わせた。
だが石動仁が口にしている言葉もけして嘘ではないとなぜか信じる事ができていた。
「少し話をしようか? 俺が折角できた友達を見捨てて逃げるしかなかった話を。そして次に会った時、俺はそのダチを殺すしかなかったのに、そのダチは約束を守ってくれていたって話を……」
あの世界の神田君、一体なにやってんだ……(困惑)




