引退変身ヒーローたちは学校に行く-2
時刻はすでに19時近くになっていた。
あれから咲良ちゃんに電話して、ナイアルラトホテプさんにシュブ=二グラスの連絡先を聞こうとしたら、なんでも山羊女が普段いる空間には日本の携帯電話の電波は届かないというのだ。
そこで山羊女への連絡はナイアルラトホテプさんに頼むとして、5万円で文化祭当日に警備員にシュブ=ニグラスから子山羊たちを派遣してもらえるだろうかと聞いてみたところ、十分に可能だという回答。
むしろバイト代は2万円くらいで良いらしいのだけれど、代わりにというべきか事前の打ち合わせにシュブ=ニグラスを召喚する時にはケーキとジュース、それとお土産も必要らしい。
とは言ってもケーキはコンビニで売ってる2個セット398円くらいの物で良いらしいし、ジュースもコンビニで売ってる物で言いそうな。
お土産の方もシュブ=ニグラス本人と、アイツとナイアルラトホテプさんの親であるアザースだかアリガトウゴザイマスだかいう神様の分が必要という事で量はたくさんあった方が良いらしいのだけれども、それも別に高価な物は必要ないという。
事前の打ち合わせに必要な分を含めて予算の半額くらいで済むし、しかも邪神たちの製造元である上位神まで一枚嚙んでくるのにそのお値段で収まるという話に僕も「マジかよ……」と思わないわけではないけれど、ナイアルラトホテプさんが言うにはあの邪神の血統で一番の常識神はナイアルラトホテプさん自身だという。
先週、クトゥルー君を復活させて地球文明を崩壊させようとしていたナイアルラトホテプさんが一族で一番の常識人だとか随分とイカれた連中だと思うのだけれど、それには理由があるらしい。
なんでもナイアルラトホテプさんは“混沌”を司るが故に“混沌ではない状態”つまりは秩序というものを知っているのだとか。
逆にシュブ=ニグラスたち他の邪神たちは混沌だ秩序だ関係ないし興味もないから知ろうともしないわけで、そんな邪神たちを育て上げたアザナントカさんも意外と大らかなのだという。
逆説的にいえば、アザッスさんとやらが自分の子供たちである山羊女みたいなのにブチ切れるような神様なら、とっくの昔に世界は滅んでいるのだとか。
まあ、そういうわけで警備予算について目星がついたところで、明智君が必要な人数を計算するのに付き合って色々とやっていたらこんな時間になっていたわけだ。
「上手くいきそうで良かったわね!」
「そ、そうだね。シュブ=ニグラスが来れなくても、ナイアルラトホテプさんがナイト=ゴーント呼んでくれるらしいし……」
東の空は夜の闇に染まり、西には夕焼けが名残を惜しむかのように残っている。そんな夕と夜が入れ替わるタイミング。
僕と真愛さんは2人、帰り道を歩いていく。
僕たちが歩く歩道にまで周囲の民家から漂ってくる夕飯の香りが届いてきて、道行く人たちも今日1日を乗り切った事でホッとしたようなのんびりとした足取りだった。
隣のお宅はカレーだろうか?
刺激は薄いのに何故かスパイスを感じる家庭風カレーの香り。
こっちのお家は煮物か煮魚か?
甘く煮詰められた醤油の香り。
そんな1日の終わりが近づき、休息へと向かう落ち着いた街の雰囲気の中、僕は1人でドギマギとしていた。
「気が早い話だけど、文化祭には咲良ちゃんも呼んでみない?」
「そ、そうだね」
咲良ちゃんの目的は「悪魔や妖怪たちを導いて、友として共に暮らす道を選んでいく事」だ。
そういう意味では元悪の組織の幹部であった改造人間である僕がごくごく普通の学生生活を送っているというところを見てもらうのもいいかもしれない。
でも、そんな事はそっちのけで僕は真愛さんの事しか考えられないでいた。
彼女と僕がペイルライダーと戦ったあの日。
ペイルライダーと僕たちの必殺のキックが激突した衝撃で僕の電脳はエラーを起こして、一瞬だけ動作不能となり、宙を落下していた。
その僕をお姫様抱っこの形で抱き留めてくれていたのが真愛さん。
そして大破寸前、自慢の装甲のほとんども融解してフレームが剥き出しとなった状態でなお真愛へと襲いかかってきたペイルライダーを僕はなんとか動かした右腕で撃った。
僕が撃ったビームマグナムはペイルライダーの頭部を脳髄が納められた保護ケースごと撃ち抜いて、そこでやっと奴は動きを止めたのだ。
その時、僕の胸の内を占めていたのは決着の安堵感ではなく、言いようのない不安に焦燥感。
真愛さんの目の前で人間を殺してしまった。
僕が人を殺すのはこれが初めてではない。
何を今さらと思われるかもしれない。
そもそもペイルライダーは平行世界から来た道を違えた自分自身であるわけで、決着をつけるのは僕であるべきであっただろう。
それにペイルライダーは平行世界でも、また“こちら”の世界においても無辜の人々を虐殺し、それに悪びれる事もない悪。
死ななければならない奴だった。
殺さなければならなかった。
その事自体に後悔があるわけじゃあない。
ただ人を殺す事を真愛さんに見られるのがこんなに辛いとは思わなかったのだ。
もちろん通算のキルスコアでいうのならば、僕の何倍も真愛さんの方がキルを取ってるのは分かっているし、真愛さん自身もこんな理由で幻滅したりはしないだろうというのも分かっている。
ただ、僕の中に残っている改造人間にされる前、戦いに無関心でいられた頃の常識がどうしても僕の心を苛んでいたのだ。
その僕の不安を感じていたのか、それとも別の理由によるものか、真愛さんは僕の骸骨の仮面にそっと口づけしてくれていた。
たったそれだけで僕の心の中で渦巻いていたモノは一瞬で吹き飛び、そしていつもと変わらぬ日常に僕は戻ってくることができていたのだ。
もっとも、その後すぐに災害対策室の庁舎に僕たちの無事を知らせるために顔を出したところ、そこで切腹の準備をしていたラビンを見つけた衝撃で僕と真愛さんの話は有耶無耶になっていた。
まあラビンはラビンで、外国に軍隊を派遣するという越権行為を行ったため、もし真愛さんがペイルライダーに勝てなかったら腹を切ってお詫びしなくてはいけなかったらしいし、その事を責めるつもりはないのだけれどタイミングが悪いというか、何というか……。
「どうしたの? 誠君、顔が赤いわよ?」
「ゆ、夕焼けのせいじゃないかな?」
もちろん嘘だ。
すでに空の3分の2は夜の薄闇。
夕の赤は西の空にわずかに残るばかり。
そんな勢いの弱まった夕焼けに照らされたって色が付いたりはしないだろう。
僕の様子を見て、真愛さんはおかしそうに微笑みながら首を傾げてみせている。
僕の電脳が、生身の脳の状態をモニタリングして、顔を赤くすべきと判断したが故の反応。
潜入工作のために人間に擬態する必要があったために持たされた機能に余計にドギマギさせられてしまった形だ。
命を賭けてもなにも惜しくはないほどに、これ以上ないほどに真愛さんの事が好きだった。
なのに、「これ以上ないほど」と思っていたのに、1度のキスでもっと彼女の事を好きになっていた。
恋って不思議なものだと思う。
シュブ=ニグラスとパパ上は「どこでもないどこかにて」で「お得意様とは末長く……」とか言ってたけど、誠君は自分の身銭を切らなくてもいいのだ!
人類を舐めるなッッッ!




