どこでもないどこかにて 2-2
もう二度と会えないかと思っていた人たちとの再会をひとしきり喜び合った後、僕をこの地へ招いたというヘルさんがその理由について説明をしてくれた。
「……は? 僕が異世界転生?」
ヘルさんは冥界とはいえ1つの世界の管理者というだけはあって、その話し方や素振りは常識的というか、四角四面というか「お堅い」印象を受ける神様だ。
見た目こそ血の通っていないようにさえ思える白い肌に、黒くヒビが入った目元、呼吸をするたびに口から漏れ出る黒い瘴気は濃密な死の気配を感じさせるし、その雪のように白い髪は死の季節とされる冬を思わせる。
でも父親があのロキというせいで苦労させられたのだろうか?
彼女のパーソナリティーはいたって真っ当な人格者だと短い付き合いながら僕は感じていた。
「はい。貴方が住んでいた日本で古くからネタにされ、今もマンガやアニメ、ネット小説なんかで人気の“異世界転生”です」
そのヘルさんがマンガみたいな事を言い出したのだから驚いて当然だろう。
「石動誠さん。貴方は自分から望んで“ヒーロー”という立場になったわけでもなければ、ましてや、貴方のような平凡な人間が“神の試練”なんて受ける謂れなどないのです」
「神の試練?」
「……ウチの父に色々と迷惑かけられたでしょう?」
「え、ええ。まあ……」
申し訳なさそうな顔をするヘルさんには悪いけど、本ッッッ当にロキの奴には迷惑かけられたと思う。
「その、石動さんが死んだ理由ってのも……」
「……うん。事情が事情とはいえ、パラレル・ワールドのロキが送り付けてきた奴に負けて死んでしまったと思えばイラッとしてくるよね」
この“世界”には相応しくない、真っ黒な感情がふつふつと腹の底から湧き上がってくるのを感じる。
実際、僕を殺したのはロキではなくてペイルライダーなのだけれど、やれる事はやれるだけやって戦い十分に時間を稼いでから死んだわけで、あれだけ時間を稼いで、山間部から市の中心部まで移動もしていれば真愛さんが逃げるだけの時間は作れたと思う。
翌日の昼頃まで真愛さんが隠れてくれれば明智君の手配で安全な地下帝国まで避難できるわけで、そういう意味ではペイルライダーに対しては「ざまぁみろ!」とある種の笑ってやりたい気持ちすらある。
でも、ロキの奴に対してはどうだろう?
ヘルさんにも言ったように、そりゃ僕だって“向こう”のロキには平行世界にペイルライダーを飛ばして時間を稼ぐしかなかったというのは分かる。
しかし、これまでの因縁の故だろうか? 正直、納得して飲み込み切れない思いがアイツに対してはあるのだ。
「というわけでして、貴方がウチの父のせいで被った補填といたしまして、異世界に転生してもらって、そこで悠々自適な生活を送って頂こうかと思いまして……」
そういうとヘルさんはルーン文字と漢字が刻み込まれた石板を僕へと見せつけてきた。
「こちらのルーン文字が私とオーディンのサイン。で、こちらが天照大御神様と伊邪那美命のサインで、石動誠さんの異世界転生の決済書類となります」
「うわぁ~……。僕でも知ってるビッグネームばかりだなぁ……。こんな大盤振る舞いで大丈夫なんですか?」
「ああ。それなんですが……」
そこでヘルさんは少しだけ眉間に皺を寄せるととある人物の方を向く。
「へへっ!」
「あれ、兄ちゃん? 兄ちゃんが何か?」
ヘルさんのしかめ面に気付いていないのか、兄ちゃんは僕に対してバチコン! とウインクを飛ばしてくる。
その様子を見てヘルさんはあからさまに大きなため息をついた。
「実はですねぇ。本当は石動仁さんに悪意ある者の手によって滅びに向かっている“とある世界”を救いに行ってもらおうって話なんですよ。……で、誠さんにはそれにかこつけて向こうに渡ってもらって、仁さんの用事が終わったら後は向こうで好きにしてもらってかまわないというか……」
ああ。ようはウチの兄ちゃんのサポートっていうお使いクエストはあるのか。
先週、咲良ちゃんの護衛のために「仔羊園」に泊まっていた時、そこの子で暇があればタブレット端末でネット小説を読み漁っている子がいたけれど、その子が読んでいた異世界転生モノの小説にも目的が定められているものがあったっけ。
まぁ、ウチの兄ちゃんのサポートをさせたら僕以上の適任者がいるわけもないし、兄ちゃんと僕の2人の相手をしなくちゃいけないというその世界の悪意ある者とやらには同情するしかない。
「まさか、死んだ後も誠と暴れられるとは思わなかったぜ!!」
「そらあ僕もだよ!!」
「でも、半年前に死んだ兄ちゃんがここにいるって事は、兄ちゃん1人では救う事ができない困難がまってるって事?」
「いえ、それが……」
僕の質問に対してヘルさんは困ったような顔をして言葉をつぐんでしまう。
え? 何、そんなに?
さっきはヘルさん、「悠々自適な生活」とか言っていたけれど、そんなヤヴァい世界なの?
でも僕の疑問に答えてくれたのは兄ちゃん自身だった。
「いやぁ~、それがよ。俺が最初にその話を聞いた時によ、『俺の力が必要だ』とか言うから、せっかく取った教員免許でも活かせるのかと思ってよ……」
「……は?」
「で、『日本史なら任せてください!』って言ったら、『いや、お前、ちょっと待て!』と……」
異世界で日本史って……。
「あの……、ヘルさん?」
「……はい」
「その、僕たちが行く予定の世界って、日本ってあるんですか?」
「いえ。存在しておりませんし、別の世界に日本という国が存在している事も知らないでしょう」
……うん。想像してた。
仮に日本という国が存在していたとしても、僕たちが住んでいた世界とは差異があるのかもしれないし、教員免許取っただけで実務経験ゼロの中学校教師に救える世界などあるものなのだろうか?
「あの、兄ちゃん? 日本なんて国が存在しない世界で日本史とか言い出してもただの電波ヤローじゃない?」
「そうか? 教育実習に行った時は分かりやすいって評判だったんだぞ?」
「そういう問題じゃないんだよなぁ……」
兄ちゃんは未だ納得していないのか、拗ねて「いん、しゅ~、しん、かん、ぎ、ご、しょく、しん!」と童謡「うさぎとかめ」のリズムで替え歌を歌いだす。
どうやら日本史に対するこだわりがあるわけでもないようだ。
「というわけで、担当の神が『誰か、話が分かる奴を連れて来い!』と……」
「ああ、それで僕が?」
「ええ。そういう事です」
「じゃあ、実際の難易度というのは……」
「仁さん1人でも大丈夫だとは思うのですが……」
ああ、理解した。
アホの兄ちゃんだけじゃまとまる話もまとまらないし、僕が行けば話がスムーズに進む。実際の難易度としては2人がかりなら楽勝といったところなのだろう。
だからロキに迷惑かけられた補填として、お使いが終わった後はのんびりと暮らせと。
「ちなみにどういう世界なんですか?」
「剣と魔法の石動さんが想像するファンタジーな世界だと思っていただければそう間違ってはいないかと。それに……」
「それに?」
「石動さんの友人であるマクスウェルが元いた世界だと言えば分かり易いでしょうか?」
「へえ~!」
マックス君がいた世界となれば俄然、興味を湧いてくるというもの。
でも、一瞬の後に僕は気付いてしまった。
マックス君がいた世界に世界を滅ぼす意思を持った悪意ある者がいて、しかも、そいつは神様が森羅万象の法則を無視した異世界転生なんて方法でウチの兄ちゃんを送り込まなければいけないような奴だというのだ。
「せ、責任重大だなぁ……」
難易度的には兄ちゃん1人でもいけるみたいな話だけれども、世の中に絶対などというものがあるハズもなし。
どっと両肩に重しを乗せられたかのような感覚が僕を襲っていた。
「どうした? そんなシケたツラして、ダチの地元なんだろ? 絶対に成功させんぞ!!」
「兄ちゃん……」
ウチの兄ちゃんはおバカだし、アホと言っても差し支えないような人間だ。
でも、間違えてはいけない事はけして間違えないし、やる! と決めたここぞという時には兄ちゃん以上に頼りになる男を僕は知らない。
不安に駆られた僕の肩にポンと大きな手を置いた兄ちゃんの笑顔を見ると、ズッシリとした重さを錯覚してしまうような不安も嘘のように晴れていく。
「向こうの神が言うには、世界を救ってくれるのなら、その後で少しくらい好き勝手したって構わないらしいですよ? まあ、石動さんほどの力があれば何だってできるでしょうし、武力だ暴力だみたいな話でなくても、現代日本の知識があればお金儲けも自在でしょうね」
ヘルさんの言葉は世界を救った後の生活、僕にとっての報酬のようなものの話だけれども、彼女の言葉には“向こうの神様”はどうしようもない相手が敵で、その後に「好き勝手して構わない」というのもようするになりふり構っていられないという意味なのだろう。
でも、もう僕の心に不安が湧き上がってくる事はなかった。
大丈夫。僕と兄ちゃんの2人なら何だってやれるだろう。
「そういうわけで異世界へと行って“こちら”の輪廻の輪から外れてしまえば、“こちら”の者たちとはそうそうに再会する事はできなくなります。そういうわけで石動さんに縁のあった方たちを特例的に“この世界”へと来てもらったのです」
「そうだったのか。ありがとう、ヘルさん!!」
なんで、あの父親からこんなに良い人、いや神様が産まれたのか分からないくらいにヘルさんは良い神様だった。
至れり尽くせりと言ってもいいくらいだろう。
真愛さんにペイルライダー、僕が生きていた世界の事が気にならないわけではないけれど、かと言って僕は死んでしまった身だ。
元の世界に近い場所にいれば、いつまでも真愛さんの事を忘れられずに前を向く事ができないだろう。
なら心機一転、別の世界に行ってみるというのもいいのかもしれない。
「ぢょっと、待っだぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛!!!!」
マックス君の世界へと渡る前に僕のために集まってくれた人たちと最後の言葉を交わそうと思っていたその時、ドスドスと大きな足音とともに現れたのは1人の少女、いや少女の姿をした怪獣兼神様だった。
「え? 山羊女……、シュブ=ニグラスだっけ? な、何の用?」
何の用だと聞いて自分でも馬鹿らしくなるくらいに山羊女が何をしていたのかは一目瞭然。
手には慣れない手付きで箸を握っているし、反対側の手には丼代わりの大きな擂り鉢。
イカっ腹とでも言えばいいのか? ぺたんこの胸よりもはるかに飛び出た腹でシンプルな白いワンピースはパンパンに膨らんでいた。
うん。間違いない。
コイツはここにウドンを食べに来たのだ。
そういやバカ兄貴こと石動仁さん。
「ジン」か「ヒトシ」か前に書いた事あったっけ?
弟が誠だからヒトシの方が良い気もするし、タロットの“悪魔”をモチーフとした改造人間だからジンってのもそれっぽい気がするし……。
ネタ帳を見返してみても、ジンとヒトシ、両方が使われているという……。




