53-12
いつの間にか風が変わっていた。
高層建築物のせいでまだ姿を見せぬ太陽に温められたのか、ビルとビルの合間に流れ込む風は6月の早朝とは思えないほどに暑く睨み合う両者に吹き付ける。
(羽沢真愛が自分で戦う力を取り戻した? ……そんな都合が良い事があるのか?)
平行世界から来た終末の騎士、ペイルライダーは訝し気な心持でわずか15メートルほど先にいる少女へ鋭い視線を向けていた。
殺戮者が元々いた世界においては「最強の魔法少女」は最後まで姿を現さなかったのだ。
大方、東京で使った核爆弾で死んだのだろう。そうでなくてもそれ以前に死んでいたとしても不思議ではない。
だから少年はわざわざ直接的に焚きつけて戦う力を取り戻させようとしたのだ。
それが少年が本格的に行動を起こす前に羽沢真愛が戦う力を取り戻したなどにわかには信じがたい。
そうそう簡単には信じられる事ではない。
だが目の前にいる少女の体を通してあふれ出る覇気は万物の支配者の風格すら感じられ、とてもただのハッタリとは思えないのだ。
(……ったく、これがブラフだというなら、大したタマだよ!)
思わずチラリと横目でデスサイズの死骸を見る。
もう1人の自分といってもいい存在が命を賭して戦った理由が少しだけ分かったような気がしたのだ。
だが“こちら”の世界の石動誠が生きる事を選んだ「青春」を捨てたのは自分自身。
たとえ平行世界の自分が守ろうとした女性であろうと殺す事に躊躇は無い。
一方の真愛の精神は数年振りの冷たく冴えわたっていた。
だが、その止めどなく溢れる闘志は彼女の肉体をも焼かんばかりに溢れ出て、それと呼応するように彼女の内に秘められた魔力も局限まで練り上げられていく。
一瞬だけ、「本当にまた戦えるのだろうか?」という思いが湧き上がるが、胸の内に湧き上がってきた瞬間にその思いは闘志の炎に焼かれて灰も残さず消える。
長瀬咲良に「魔法は不可能を可能に変える力」と言ったのは自分自身。
できるのか? ではない。
やるのだ。
「……来なさい!!」
その言葉は敵に向けられたものではなかった。
真愛の目は終末の騎士に向けられていない。
胸の前に掲げられた手はペイルライダーへと向けられたものではないのだ。
それが羽沢真愛だった。
“最強”であるが故の傲慢。
傲慢を許されるだけの“最強”。
前方に向けられた手から迸る魔力は彼女が求める者を求めてどこへともなく向かっていき、巨船が海底から錨を引き上げるが如く虚空から“それ”を真愛の手元へと引き寄せる。
「あっ!! ま、マジカル☆バトン!?」
青白い殺戮者が真愛の良く知る声で驚愕する。
今の真愛にはペイルライダーがその声で喋る事すら許せなかった。
魔力に導かれて顕現したのは白い杖。
石作りのような材質に七色に光を反射して輝く質感。
色とりどりの魔石が散りばめられ、中心には桃色に輝くハート型の宝玉。
おおよそ女児が好みそうなデザインであるが、その玩具めいた外見とは裏腹にそのバトンは地球上でもっとも危険な兵器と言ってもいい。
ノストラダムスも予言した「アンゴルモアの恐怖の大王」の脅威から地球を救うため、異世界「魔法の国」で100年近い年月をかけて開発された12本のマジカル☆バトン。
その内の1本こそが真愛が持つ「Vita est explosio」だ。
そして本来は12人の魔法少女が力を合わせて来たる旧支配者を迎え撃つハズが、ある者は敵の姦計に敗れ、またある者は強すぎる力を得た事で精神の均衡を崩し、ある者は悪の道へと堕ち、ある者は仏門に帰依し、結局、「アンゴルモアの恐怖の大王」の襲来が間近に迫った時、地球に残っていた魔法少女はただ1人しかいなかった。
だが幸運にも、そのただ独りとなった「魔法少女TYPE-B」は単身で「アンゴルモアの恐怖の大王」を討ち倒す事に成功するほどの実力を秘めていたのだ。
それ故に「最強」の二つ名を持って呼ばれるようになった少女こそ羽沢真愛その人である。
「…………ッッッ、すううぅぅぅ……」
バトンを握りしめた真愛はゆっくりと深く深呼吸をして肺へ酸素を送り込んでいく。
「マジカル・ラブリー・マーチン・バトンでピルパルポ~ンっ!!」
安全装置のために定められた呪文を詠唱しながら真愛はバトンを振るう。
徐々に速度を増していくバトンの舞いによって宝玉たちは自律的にめいめいに回りだして炎を生み出していく。
肺に取り込んだ酸素によってバックドラフトを起こしたのかと思うほどに火勢は凄まじく、真愛本人の姿が見えなくなるほどだ。
炎の合間から少女の姿が見える度に、その姿は戦士の装束へと変わっていき、やがてマーチングバンドめいた真紅の衣装へと完全に変わると真愛はバトンを天高く投げる。
空いた両手で栗色の髪を撫でつけると、一瞬にしてその髪色はハート型の宝玉と同じ、桃色へと変化して変身は完了。
「魔法少女、プリティ☆キュート! 見参!!」
飛び上がって落ちてくるマジカル☆バトンを空中でキャッチ。
地に降り立った時には炎を吹き上げる魔法杖はしっかりと敵へ向けられていた。
「さあ! ペイルライダー、爆散するか蒸発するかくらいは選ばせてあげられるわよ!?」
真愛にはウドンは打てぬ。
御仏の心などとんと分からぬ。
ヤクザのように仲間などいない。
だが彼女は戦える。
自分に想いを寄せてくれた少年のためならば臆病になった自分の弱い心すら震わせて戦う事ができるのだ。
「な、なんだ!? その恰好は!? つ、つ~か、その体形は何だよ!? このデブ!!」
「…………え?」
ペイルライダーこと、平行世界の石動誠は戸惑ったような、半ば怒ったような声を上げていた。
言われた真愛の方も気勢を削がれていた。
いざこれから戦おうという時にいきなり罵倒されたのだ。
しかも自分に好意を寄せてくれていた少年の声で。
「…………ふ、太ってないし……」
「あン!? じゃ、なんだソレは!! パッツンパッツンじゃねぇか!!」
「び、BMIはまだ標準体型だし……」
正当化するように昨年の身体検査の結果について言うが、真愛自身も心当たりが無いわけではない。
魔法の行使には脳を酷使する。
そのために魔法少女たちは疲弊した脳への直接的な栄養補給として甘い菓子類を好んだ。
脳のエネルギーとなるブドウ糖で作られたラムネ菓子が戦闘食として用いられてきた以外に、魔法少女たちは平素から甘いスイーツに舌鼓を打っていたものであった。
しかも真愛たち魔法少女は甘く華やかな菓子類に目が無い歳頃の少女である。
それが「魔法は脳を酷使する」などという免罪符を与えられてはスイーツの摂取に歯止めがかかるという事はなかった。
だが、現役時代はまだそれで良かった。
実際、魔法少女に変身して戦っていれば、濡れたスポンジを絞るように肝臓に蓄えられたエネルギーは枯渇し、戦闘後に変身を解除した時は立ち眩みを憶えるほどであったのだから。
だが1度、体に染みついた習慣は事情が変わってもそう簡単には変える事ができず、真愛は引退後も甘い菓子類を好んで食べ続けていたのだ。
つい先日もシュブ=ニグラスに誘われてとはいえ、昼食からさほど時間が経っていないというのにロールケーキを1本まるまる食べたいたのだ。
それも甘い飲み物を付けて。
さらにペイルライダーは石動誠の声で続ける。
「おま、BMIがどうこうって、数字見るよりも鏡を見てみろよ? しかも何だい? そんな体形で昔の恰好しちゃって、恥ずかしくないの……?」
終末の騎士が言うほどには太ってはいないハズだ。
……少なくとも真愛は自分ではそう思っていた。
だが服のせいで余計に太って見えるのだ。
そうに違いない。
事実、服の丈は真愛が最後に変身した頃、中学校に入学した頃のままで、腹が苦しいという事はさすがになかったものの、胸の辺りはキツく息苦しさを覚えるほどで、戦闘用の衣装でなかったのならばボタンが弾け飛んでいるところだろう。
ラビンは昨晩、「僕は君から何も奪ってはいないんだもの」と言っていた。
その言葉は間違いなかったが、代わりに衣装のサイズ調整は怠っていたようだ。
しかも……。
「なのに、そんなミニスカートなんて履いちゃって……」
真愛も自分で気付いていた。
パンチラ防止のために風や真愛自身の動きを感知して地面から湧きあがる炎「フレイム・エフェクト」が昔よりも頻繁に発生しているという事に。
真愛は中学校1年の時からただ体重だけが増えたわけではない。
当然ながら身長も伸びているのだ。
なのに中1の頃ですらパンチラ防止魔法を必要とするようなミニスカートの丈の長さはそのまま。
脚が伸びて余計に丈が短く見える上に、腰回りの肉付きもよくなって本来は同じ長さにするだけでも余計に生地を必要とするようになっているにも関わらず。
「お前、“こっち”の僕が可哀そうだよッ!!」
「……黙れ」
口汚く罵倒を続けるペイルライダーであったが、彼がふと口にした「“こっち”の僕」という言葉が真愛の闘志を呼び覚ました。
「お前が誠君の事を口にするんじゃあない!!」
「……へぇ」
もう誰にも奪われたくないと自分が奪う側に回った少年の事である。
自分が殺した相手を、平行世界の自分の事を語るなという真愛の強い語気で発せられた言葉で一瞬にして気の抜けた雰囲気から殺意を研ぎ澄ませていく。
真愛の言葉により「平行世界の自分の事を“語る権利”」を奪われると感じたのだから無理はない。
「おしゃべりはここまでってわけだ。早々で悪いけど死んでもらうよッ!!」
青白い装甲の改造人間は手元に数多の命を殺めた大鎌を転送して右手で握って肩に担ぎ、脚部や腰部、それに両肩のロケットエンジンを吹かして脚力の補助としながら駆け出していく。
迷いの無い真っ直ぐな突撃であった。
自分が知る容姿からはいささかかけ離れた魔法少女の姿につい相手を甘く見てしまったのか。
魔法少女プリティ☆キュートが間合いに入るや否や、肩に担いだ大鎌を振るって袈裟斬り式に両断してしまうつもり。
「…………ッッッ!? なっ……!?」
だがバトンを構えたまま微動だにしない魔法少女まで残り3分の1というところで“何か”に足を取られて転びそうになってしまう。
両肩の時空間エンジン直結式推進器を可動させて噴射し、転倒する事はさけられていたが、昨晩から雨は降っておらずアスファルトの道路は乾いているハズだった。
プリティ☆キュートが何かした様子もない。
ならば何に足を取られたというのか?
「こ、これは……!?」
いつの間にか地面のアスファルトがドロドロに溶けて、もう散々に噛んで味のしなくなったチューイングガムのように、マグマのように柔らかくなっていた。
このカラクリの正体こそは「フレイム・エフェクト」である。
フレイム・エフェクトは攻撃手段ではない。
防御のためのものでもない。
だが、たかがパンチラ防止魔法であるフレイム・エフェクトは生半可な敵が近付く事を許さないのだ。
相手がペイルライダーであるから転倒しそうになっただけで済んだのであるが、相手が相手ならばそのまま足を焼かれて、灼熱のアスファルトへ顔から突っ込んでいたであろう。
しかし、ペイルライダーが転倒しそうになっただけで済んだとはいえ、その一瞬の隙を見逃すようなプリティ☆キュートでもない。
「……ッ!?」
「ふんッッッ!!」
自身のフレイム・エフェクトで焼かれたアスファルトに臆する事なく一瞬でペイルライダーの懐に飛び込んだ魔法少女は渾身の左ストレートを叩きこむ。
終末の騎士の名で呼ばれ、戦いの日々を過ごしてきただけあってペイルライダーも回避は困難と見るや、体の軸を横に反らしてクリーンヒットは避けるが、左肩関節を守る肩部アーマーに命中。
そのまま吹き飛ばされて向かいのビルの外壁へと叩きつけられた。
「チィッ!! 腐っても魔法少女という事か!?」
全身のロケットを吹かしてコンクリートの瓦礫の中から飛び上がったペイルライダーだが、魔法少女は追撃を行う事なく左拳を震わせながら突き出したまま。
そして真愛が握りしめていた拳を開いて見せるとパラパラと砂と砂利のような物が地面へ落ちていった。
「それは……。まさか!?」
慌ててぺイルライダーが自身の左肩へ目を向けると左肩装甲の端は雑な半円状に欠損ができていた。
真愛の拳から落ちたのは砂でも砂利でもなかった。
ペイルライダーからむしり取った装甲だったのだ。
魔法少女の魔力で強化された握力によって堅牢無比、異星人ですら再現する事ができない、大アルカナが恐れられていた理由の1つでもある超合金Arは粉々に砕け散っていたのだ。
「クソッ! なんて奴だ!!」
「…………すぎる……」
「え?」
真愛はゆっくりと、まるで敵などいないかのように踵を返して振り返る。
少女の視線の先にあったのは石動誠の、デスサイズの遺体。
「……脆すぎる」
少女は両の拳を固く握りしめて震わせていた。
「超合金Ar。もう少しマトモな物かと思えば……。こんな、こんな砂糖菓子のように脆い物に身を包んで戦ってくれていただなんて……。誠君……」
魔法少女は自分のためには泣かない。
ただ人のために彼女たちは泣く。
魔法少女は涙を流さない。
だが見よ!
やり場のない怒りと悲しみによって硬く握りしめられた拳の中、爪が手の平を切り裂いて流れる赤い血は涙のように大地へと垂れていくのだ。
「いや、その理屈はおかしいだろ……」
黒かった装甲色が変色するほどに積層され、しかもさらに密度を増す事により強化されているハズの超合金Arの装甲を貫くどころか、素手でむしり取るという暴挙。
だというのに己の握力を誇るでもなく、「砂糖菓子のような」と言ってのける無自覚さ。
思わずペイルライダーも驚愕するのを忘れて呆れるしかなかった。
だが戦いは始まったばかり……。
以上で第53話は終了となります。
第54話は当然、ペイルライダーもこのまま黙ってやられるわけもなく、最強VS最強の最終章に相応しいバトルになると思います。
……俺らの誠君は戻ってきても戦いに加われんのか、これ?




