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「あれがペイルライダー……?」
「……ああ」
世界でもっとも人通りが多いと言われている渋谷のスクランブル交差点。
その交差点前の歩道上でロケを行っていたテレビクルーの元へとゆっくりと降り立つ青白い終末の騎士。
ガレージでテレビを見ていた面々はこれから行われるであろう惨劇を予想してただ固唾を飲むことしかできない。
交差点の周辺にいた数えきれない者たちもそれは同様。
彼らの中にはペイルライダーという新たな敵が改造人間デスサイズを破壊した事や、その後の交通機関への襲撃をまだ知らない者も多かったが、終末の騎士が放つ機体色よりも青白いイオンの輝きは大アルカナに搭載されていたイオン式ロケットエンジン特有のものであり、忌まわしい記憶として民衆の記憶に未だ鮮やかに刻み込まれていたのだ。
誰しもが間近に迫った濃密な死の予感に逃げる事すらできなかった中、カメラの前へと降り立ったペイルライダーの眼前へと飛び込んでいく者がただ1人、いや1体だけいた。
『……ッ!!』
『そ、ソラタロー!?』
闖入者を排除するべく敵の眼前で飛び込み前転するように地に手を付き、肢を鞭のように振るって顔面を狙うのは天気予報コーナーのマスコットキャラクターであった。
カポエラのシバータ風の蹴りをペイルライダーは避けるのも面倒とそのまま受け、マスコットキャラクターがそのまま跳びあがった勢いを使っての左右の拳の連撃も何気無い仕草で右手で受ける。
飛び上がった勢いを使っての左拳。
左拳を引いた反動を使っての右拳。
いづれも空気が震えるほどの重い拳であった。
だが並みの格闘家であれば切り札とするであろう槌のように重く剃刀のように鋭い連撃もマスコットキャラクターにとってはフィニッシュへの振りでしかない。
『……ッセイ、ヤアアアァァァァァ!!!!』
ゆるキャラが吠えた。
ビルの谷間、夜の渋谷に野獣のような咆哮が轟き、地上に旋風が生まれる。
物言わぬ“ゆるキャラ”が叫ぶ、それは例え戦いに勝利したとしても己のゆるキャラとしての“死”を意味していた。
これが観る者が限られた武人同士の死合いの場であれば「聞かなかった事にする」という武士の情けを期待する事もできたであろうが、渋谷のスクランブル交差点という衆人環視の場ではそれも期待できるわけもない。
だが、それでもソラタローは叫ばなければならなかった。
己の限界を超える一撃を放つため、己がゆるキャラであるために。
ゆるキャラとは強くあるべし。
ソラタローにその言葉を教えてくれたのは業界の古株である緑恐竜と赤雪男であった。
世界が混迷の中にあっても“ゆるさ”を貫きとおすだけの強さ。
どこへ流れるとも知れぬ浮き雲のように誰も脅かさず、そして誰にも脅かされず。
そうでなかればゆるキャラとは言えぬ。
ソラタローは芸達者なゆるキャラではない。
緑恐竜のように多才ではなかったし、赤雪男のように隠密能力に長けていたわけでもない。
果汁を撒き散らす事もできなければ、菌糸で敵を捕縛する事もできない。
しかし彼らに負けぬだけの傾奇者としての意地はある。
そして己のゆるキャラ生命を捨てての咆哮は奇跡を呼び込む。
肺から空気を絞り切った事によりソラタローの胴は柳のようにしなり、筋肉はバネのように炸薬のように瞬間的な力を生み出したのだ。
地上に生まれた旋風は稲妻のような蹴りとなって終末の騎士の首を狙う。
……いや、首ではない。
稲妻が空中で折れ曲がるようにソラタローの必殺の回し蹴りは途中で股関節の捻りを加えられる事によって、横から首を刈りにいく軌道から後頭部を狙う軌道へと変わった。
『カポエラの次はブラジル空手? ……最近のゆるキャラってヤベェな!』
『……!?』
『ははッ! ウチの兄さんの方がよっぽど鋭い蹴りを使うよ?』
無常にも渾身の蹴りは容易く片手で受け止められて不発となる。
しかもペイルライダーは元の位置から1歩たりとも動いていないのだ。
そのまま終末の騎士はマスコットキャラクターの足首を掴んで交差点の向こうへと放り投げた。
哀れ天気予報コーナーの名物マスコットは向かいのビルの3階の窓ガラスを突き破って消える。
『ソラタロー!?』
『安心しなよ? 死んじゃいないさ! 殺しの現場なんて中継を止められちゃうだろ?』
周囲の凍り付いた空気を察してかいないのか、青白い装甲をした改造人間はやけに陽気な声でカメラに向かって話しかけていた。
日本のテレビ放送のシステムでは生放送と銘打っていても数秒から数十秒程度のラグがある。
それは技術的な問題からくるものではなく、そのタイムラグを使って放送事故を防ぐためだ。
何という事だろうか。
1匹のゆるキャラが己の命を賭した戦いを挑んだ相手は「テレビ中継を切られないように」と手加減する余裕を持っていたというのだ。
『あっ! 言っとくけど、中継やめたらお前んトコの本社に火ぃ点けるぞ!?』
その声は珠を転がすような中性的なものだった。
中性的といってもボーイッシュな女性とか、女性的な男性の声ではない。また第二次性徴で雌雄の分化がハッキリとしていない子供のもの。
そして、その声は紛れもなく石動誠のものと同じであり、ガレージでテレビ画面に釘付けとなっていた者たちにとっては邪悪を形にしたようなペイルライダーからその声が聞こえてくるのは思わず眉間に皺が寄るほどに忌まわしい思いをさせるのだった。
『お~い! 見てる~? ……ま、今見てなくても、その内に動画サイトにでもアップされるか!』
ペイルライダーはカメラの方、恐らくはカメラマンかその隣のディレクターにでも目配せするとテレビカメラはズームしてその醜く歪んだ髑髏の仮面を映し出す。
『もうニュースは見ただろ? 夜が明けたら攻撃を再開するよ? イチイチこっちからお前を探したりなんかはしない。お前からこっちに来い……』
意味が分かる者にだけわかればいいとでもいうつもりか、ペイルライダーは「誰が」と言う事も無く言葉を続ける。
もちろんガレージの面々や、限られたヒーロー、災害対策室の者にはそのメッセージが羽沢真愛に向けられてのものだという事は一目瞭然。
『別に来ないなら来ないでもいいよ? ひとしきり暴れたら「“こっち”には僕を殺せる可能性のある者なんていなかった」とでも思って帰るから。……でも、その時は日本は人間が住めるような環境じゃなくなっちゃうと思うよ?』
その言葉を聞く羽沢真愛は唇を固く噛み締め、その唇には朱を引いたように血が滲んでいる。
すでに彼女の頭脳は混乱、狂乱の状態から半ば麻痺したように薄くモヤがかかったような状態へとなっていた。
そんな状態の彼女でもペイルライダーがどこを襲うのか、幾つか予想はできる。
原子力発電所を破壊されれば周辺地域は放射能に汚染されるであろうし、機敏に逃げる事ができない原油を満載したタンカーを沈められば海洋の生態系は深刻なダメージを負う。
もしかすると富士山などの活火山を噴火させる事すら可能なのかもしれない。
『でも君も知ってるだろうけど、僕ってけっこう優柔不断だから、踏ん切りがつくように来てくれたら嬉しいな。それじゃ、待ってるよ~!』
終末の騎士は言いたい事を言い終えると現れた時と反対に宙へとゆっくりと飛び上がって、しばらく宙を旋回した後、渋谷の上空を後にする。
その軌跡が向かう先は渋谷の南西。
H市の方向だった。
緑恐竜と赤雪男ならもう少しマトモに戦えた可能性が……?




