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H市にある児童養護施設「翌檜園」の一室。
前日に小学校の部活動の野球で頭部にデッドボールを受け、救急車で搬送されていた少年、高梨章一は検査の結果は良好であったものの大事を取ってその日は学校を休んでいた。
ベッドの中で安静にしていた章一は眠るではなく、ただ前日の練習試合の事を繰り返し思い出していた。
相手のピッチャーは章一がいる「翌檜園」とは別の児童養護施設に住んでいる同学年の者だった。
学年も同じであれば、ポジションも、体格も、置かれている環境もほぼ同じ。
だが目に見えないモノはどうだろうか?
昨年に行われた練習試合では章一と向こうのピッチャーの実力はドングリの背比べであったように思う。
だが章一たちが知らない内に向こうのピッチャーはオーバースロー投法からウインドミル投法に転向し、緩急自在のライズボールを使いこなすようになっていたのだ。
当然、オーバースロー投法に比べてどうしても球速は落ちる。
しかし球速に比べて球威は重いのか、運良くフルスイングのバットに当たっても凡フライとなって容易にアウトを取られるだけ。
そもそも、まるで妖が憑いているかの如く上下に動くライズボールにバットを当てるだけでも至難の技なのだ。
章一がデッドボールをもらってしまったのも自チームが試合終盤まで点を取れない状況で、ならば自分自身でチャンスをものにするしかないと気負ったせいだ。
そこへ相手ピッチャーの疲労で制球が崩れたボールを食らってしまったという形だった。
そして章一が薄れゆく視界の中で見た相手ピッチャーは一瞬だけ「あ……」と驚いた表情を見せた後に頭を下げていた。
その姿は随分と堂々としたように見え、胆力ですら大きく水を開けられてしまったとベッドの上の章一を苛んでいた。
現在、小学校6年生である章一は中学にいっても、高校に進んでも野球を続けるつもりだ。
だが、このまま野球を続けてもアイツとの差は縮まるのだろうかという思いもあった。
「お~す! ショーイチ! メシ持ってきてやったぞ!!」
章一の居室のドアがコンコンとノックされたかと思うと、返事も待たずに開け放たれて1人の女性が入ってくる。
「あ、D子さん、どうも……」
「良いってことよ! それよりも具合は?」
「いや、もうほとんど大丈夫ですよ」
「んじゃ、メシ、机で食うか?」
トレーに乗せた昼食を持ってきたくれた女性はD-バスター1号。
「翌檜園」と運営母体である社会福祉法人を同じくする特別養護老人ホーム「天昇園」に投降してきたアンドロイドであるらしい。
まだ子供である章一には、なんで悪の組織が老人ホームに投降してくるのか大人の事情とやらは分からぬ。
そもそも自分の勉強机に昼食を置くや、本棚からマンガ本を取り出して章一が今まで寝ていたベッドに寝転んで読み始めるこの女性がアンドロイドという事すらにわかには信じられない。
不思議と嫌な気分にはならなかった。
憂鬱な気持ちを抱えていた章一にはただ誰かがそこにいてくれるだけで気が安らぐのを実感できていたし、ただ黙って後ろに立たれていたのでは気が散ってしょうがなかっただろう。
すぐ近くでマンガを読んでいるD-バスターは章一にとって絶妙な距離感であった。
「そういえばペイルライダーでしたっけ? 対抗策とか思いつきました?」
「おう! バッチシよ!!」
「え?」
机に向かって昼食を食べながら、ふと章一は背後のD-バスターに尋ねてみた。
いつの間にか高みに昇っていた昨日のピッチャーと大きく引き離されてしまっていた自分。
D-バスターもペイルライダーなる強敵が現れたとかで形は大きく違えど自分と置かれている状況は似ているといえるのではないか? ならば何か良い助言をもらえるのではないかという思いつきからだった。
だが昨日、一昨日と章一の部屋でマンガを読み漁っていたD-バスターはすでにペイルライダーへの対抗策は用意できていると言ってのける。
「『北〇の拳』全巻読んだし、負ける気しないわね」
「それ、駄目なヤツじゃ……」
章一も格闘技マンガを読んで自分も強くなった気がしてブロック塀を殴り手の甲を擦りむいた経験があった。
そもマンガを読んで強くなれるのなら章一は今頃、写輪眼を使うゴム人間の死神だ。
だがD-バスターは自信満々、鼻息も荒くドヤ顔を章一に向けていた。
「えっと……」
「ハハ! そう心配するな、少年よ!」
「いやぁ……、なんていうか……」
「気持ちで負けて勝てる勝負があるものかよ!?」
D-バスターの言葉に思わず章一もドキリとする。
自分は昨日、相手ピッチャーに気持ちで負けていなかっただろうか? 仲間を信じ切れずにエースである自分が負傷退場という失態を冒してしまったのは気持ちがすでに負けてしまっていたが故ではなかったか?
「ショーイチ、昨日の事は聞いてる。で、お前は負けたままで終わらせるつもりなのかい? 相手が妖怪から指導を受けているからって、すんなり諦められるのかい?」
「それは……、うん? ちょっと、妖怪って何!?」
D-バスターの口から飛び出てきたのは確かに「妖怪」という言葉だった。
だが章一が気になった部分をさらりと流してベッドから立ち上がる。
「丁度良い。寝てるだけで退屈してるだろ? ショーイチに私の切り札を見せてやる!」
「ねぇ、ちょ、そんな事より『妖怪に指導を受けて』ってとこ、もっと詳しく!」
丁度、昼食を食べ終わっていた章一の手を引き、D-バスターは居室を出ていく。
途中で職員に食べ終わった食器の乗ったトレーを渡し、廊下で出くわしたハドー獣人の伽羅をも引っ張って庭へと出ていく。
「あの……。子供たちが帰ってくる前にオヤツの用意をしないと……」
「なあに、すぐに済むさ」
まるで目に闘志の炎が燃え盛っているかのようなD-バスターに伽羅も諦めてサンダルと靴下を脱ぎ始める。
「ショーイチに説明しておくと、私は本来、リミッターのかかったままではハドー獣人には勝てない。そうだろう?」
「そうだと思いますけど……」
先月から「翌檜園」で働き始めた伽羅はカラカルキャットの因子を埋め込まれた異次元人だ。
猫科の動物らしい柔らかくしなやかさは女性的であり、それでいていかにもマッチョで力強い寅良や熊沢にも負けず劣らず強力な戦闘力を有している。
家庭内暴力で「翌檜園」へと来た子供を正規の手続きを経ずに取り戻そうと出刃包丁片手に襲いかかってきた者をあっという間に取り押さえた事もあり、「翌檜園」の子供たちはたちまち伽羅のファンになっていた。
章一もそろそろ世間で反抗期と呼ばれる年頃へと向かいつつあるが、伽羅が悲しむだろうなと思えばそうそう大それた事はできないだろうなと自覚していたし、自分以外の者たちも非行に走ったり、グレる事は無いだろうと思っていた。
……まあ、あんまりグレすぎると“お隣”から戦車が乗り込んでくると思えばグレたくてもグレられないのであるが。
「それじゃ、とっとと終わらせますか」
「悪いね」
靴下を脱ぎ終わった伽羅は爪先立ちとなって大きく腰を落とす。
上下左右に少しずつ頭を振って、大きな耳から生えた長い毛を鞭のように回し始める。
ハドー獣人である伽羅は強化処置によって耳から生えた毛をレーザーウィップとして使う事ができるのだ。
リミッター付きで全力を出せないD-バスターを相手にレーザーウィップまで使うのはいささか大人気ないと思わないではないが、伽羅にとしては章一が見ている前で負けるわけにはいかない。
「天昇園」の老人たちとは違い、「翌檜園」の子供たちは戦う力を持たない。故に誰かに守られなければならないのだ。
子供たちを守るのは誰か?
それはもちろん自分である。
そして子供たちが安心して暮らせるように自分は子供が見ている前で負けるわけにはいかないのだ。
勤務開始から僅か1月ばかりとはいえ、伽羅に芽生えていた職業意識は彼女を修羅になる事も辞さないだけの覚悟を決めさせていた。
対するD-バスターも伽羅と相対して構えを取る。
両脚は左右に広げ、左腕は肘を曲げながら頭の上へと上げ、右腕は手の平を見せつけるように股間近くまで下げる。
「こ、これは北斗七星!?」
「まさか北〇神拳ッ!?」
D-バスター1号の構えは夜空に浮かぶ星座の1つである北斗七星を模したもので、7つの点とそれらを柄杓型に結ぶ青白い線が浮かび上がって伽羅と章一を驚愕させる。
D-バスターの闘気が北斗七星の形を取ったのだろうか?
いや、違う。
D-バスターの皮膚や衣服に取り付けられたLEDライトが発光して線と点を作っているのだ。
自動車のドレスアップに使われるLEDライトは真昼間であっても視認性は十分!
そしてD-バスターは章一と伽羅の驚愕の表情に気分を良くして、まるでいけない薬物でもやっているのか不安になるほどのご満悦顔。
「ふ、ふざけんなッ!!」
伽羅が怒声とともにD-バスターへと飛び掛かる。
猫科の猛獣ならではの跳躍力を活かしたまま腕を飛び上がり、鋭い爪を振り下ろす。
爪の一撃を避けられても至近距離からのレーザーウィップが待っているという伽羅必殺の戦法である。
だがD-バスター1号の子供のごっこ遊びにも等しい小細工に頭に血が昇っていなかったなら、冷静であったならば伽羅も気が付けたハズだ。
前後に足を開くのではなく、左右へと開いたD-バスターの構えは攻めるというよりはカウンターに向いたものであるという事を。
………………
…………
……
「……えっ!?」
思わず章一も声を漏らす。
1月前にはH市に総攻撃を仕掛け混乱の渦に叩きこんだハドーの獣人である伽羅の、子供たちの守護者である伽羅の一撃はDバスターのわずかな体捌きと下から振り上げられた右腕によって軽くいなされ、代わりに伽羅の脇腹へと両の貫き手が付きつけられていたのだ。
「本番は貫き手ではなくコイツを使うわ……」
何が起きたか理解しきれぬまま硬直してしまった伽羅から離れ、D-バスターは章一へ腕まくりをしてから内蔵式の3連装ビームガンを展開して見せる。
「いくらペイルライダーの装甲が厚かろうと、至近距離からのビームガンの連射には耐えられないでしょう。……知らないけど」
これが気持ちで負けないという事か。
伽羅の戦力はリミッターのかかった状態のD-バスターを上回っているハズ。
伽羅の爪は軍用規格の防弾ベストをティッシュペーパーの如く切り裂く事ができるものであるし、先月、「天昇園」に攻め込んできた異星人部隊も、先週の金曜に暴れ回ったショゴス怪人とやらも伽羅のレーザーウィップに耐えられるものではなかったという。
だが、それでもD-バスターはカウンター狙いのまるで掴みあいでもするかのような超至近距離で戦う事を選んだ。
心を持たないハズのアンドロイドが見せてくれた心意気に章一の心はただ震えていた。
確かに気持ちで負けていて勝てるものなどありはしないだろう。
向こうが妖怪仕込みの野球なら、こっちは海賊仕込みの野球で勝負だ。
「……ところでD子さん、そのペイルライダーって接近戦に付き合ってくれるんですか?」
「さあ? そんなわけでショーイチの部屋で『ア〇ギ』読んでたのよ!」
「それ、麻雀マンガ……」
「え? なに? 私、意味もなく子供の前で負けちゃったって事!?」
幼少期の経験がその後の性癖に大きく関わるという説を考えると、翌檜園の子供たちは生来、ケモナーになる可能性も微レ存?




