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「まぁ、コンビニで何か買ってコインランドリーで食べれば?」
「もう口がカレーを迎え入れる気分なんだよ……」
よっぽどカレーを楽しみにしていたのか、ペイルライダーこと平行世界の石動誠は肩を落としてあからさまにガッカリした様子を見せていた。
僕はネットカフェというお店を利用した事はないのだけれど、このお店は全国各地で見るような店名で恐らくは全国展開のチェーンかフランチャイズなのだろう。
そういう所の料理といえば業務用のレトルトや冷凍食品だろうし、コンビニのカレー弁当みたいなのではいけないのだろうか?
「……コンビニのカレーじゃ駄目なの?」
「僕は良くても他のお客さんは嫌でしょ?」
「うん?」
「だからさ、コインランドリーで折角、洗濯した衣服にカレーの匂いとかつきそうじゃん?」
ああ、そういうことか。
確かにコインランドリーの店内で匂いの強い物を食べるのは顰蹙を買う行為かもしれない。
少なくとも僕は気にする。
でも、ちょっと待って欲しい。
フライドポテトのお皿に割り箸が乗っているのを見た時にも感じた事なのだけれど、コイツはそんな気の小さな人間ではない。
平行世界の僕であるペイルライダーは自分の世界で「日本の人口が半分になるような」とか「世界を混乱の渦に叩き込んだ」と形容されるような大量虐殺をやってのける大罪人だ。
ペイルライダーに比べたらスターリンであろうと毛沢東だろうと、あるいはヒトラーであってものんびり屋さんのオジサンぐらいにしかならないだろう。
しかし、僕の目の前にいるもう1人の僕はどうだ。
いきなり乱入されて怒鳴りつけられては膝を揃え小さくなって上目遣いで僕の方を見上げてきたり、あるいは朝食のカレーが来ないと分かっては軽く頬を膨らまして恨めしそうにこちらを見てくる姿を見て彼を空前絶後の大罪人だと思う者がいるだろうか? いや、恐らくは誰しもが彼の事を見てもただの可愛らしい少年だと思うのではないだろうか?
……そういう事を自分で思うのもどうかと思うけど、そもそも僕が大アルカナの素体に選ばれたのは他人の同情を買いやすい外見からという客観的な事実があるのでしょうがない。
まあ、兄ちゃんが大アルカナの素体に選ばれた理由である「天才的とも言える格闘センス」と並ぶものなのかはさすがに分からないけど。
さらにいうと、僕が恐ろしいのは目の前にいる少年がまるで罪の意識を感じていない所なのだ。
平行世界の石動誠の表情にはまるで陰というものは感じられず、あくまで屈託のない子供のそれだった。
ヒーローも怪人も自衛隊も警察も有象無象の区別なく超高熱のプラズマビームで焼き払い、100歳を超える老人の首を圧し折り、東京で核兵器を使う。
他にも僕の知らないような事も山ほどしでかしているだろうに、少年の精神はそれらにまったくもって罪の意識を感じていないのだ。
大アルカナとして改造された時に脳味噌をイジられた影響だろうか?
僕自身、理由さえ付けば命を奪う事の忌避感は皆無に近いのだけれども、それだけではないと思う。
『自分でデビルクローを殺しといて『兄さんを助けてくれなかった奴らなんて死ねばいい!』とかヤベぇだろ? ワケ分かんねぇだろ?』
頭の中で前日、フュンフが言った言葉が何度もリフレインする。
ああ、そうか。
やっぱり“向こう”の僕はトチ狂っているんだ。
コイツからすればおかしいのは自分以外の連中で、だから何の躊躇もなく人を殺せる。命を奪える。
そして別の世界にくれば、“こっち”の世界の人たちは罪を犯したわけではないから普通に接していられるのだろう。
そして、すでに数えきれないほどの殺人という禁忌を侵した結果、人間が本来持っているべきタブーを冒す事への忌避感は完全に消え去り、ロキが口にしたトールハンマーというどういう物なのかも分からない物のために人の命を奪おうとする事ができるのだ。
「……うん? どしたの? さっきから黙って」
「いや、ホントに良い御身分だな~と思ってさ」
つい長々と考え事をしてしまい、不審に思ったのか奴が首を傾げながら問うてくる。
「人の恰好して、暇を持て余して、ネットカフェとスーパー銭湯の往復? 本当に良い御身分だよ……」
……そろそろ潮時だろうか?
最初に怒鳴りつけて萎縮させた効果もすでに薄れ始め、奴の口調は普段の僕と大して変わらないものへとなっている。
本来の実力差からすれば奴が僕を恐れる理由など無いのだから当たり前と言えば当たり前か。
早く明智君が授けてくれた時間稼ぎの言葉を出して退散するべきなのかもしれない。
「『暇を持て余して』って僕もただマンガ読んでご飯食べてるだけじゃないんだよ!?」
「ふ~ん。例えば?」
「……え~と、新必殺技の名前を考えたりとか?」
その言葉を聞いた瞬間、僕の背筋は総毛だつような感覚を覚える。
奴のいう「新必殺技」とはなんだろうか?
ペイルライダーの圧倒的性能は既存の武装だけで十分に必殺技と呼べるだけの能力を有しているのだ。
既にある武装に新機軸を加えて新必殺技とする必要など奴には存在しない。
奴の新必殺技とは新武装、つまりはトールハンマーを手に入れてからの事を夢想しての事なのだろう。
限りなく黒に近い、黒として扱っても構わないくらいのグレーが、ピッタリ黒だと判明する瞬間だったと言ってもいい。
「新必殺技イゼルローン・アタック! どうよ?」
「なにローン? 止めてよね、人の顔して借金とか……」
「違うよ!?」
何とかローンとやらが何なのかは分からないけど、コイツが暇を持て余してトンデモないのに手を出したような気がするのは何故だろう?
「て、ていうかさ、僕の偽物が僕が知らない必殺技とか使ったらバレるんじゃない?」
「……あ、そっかぁ」
あくまで僕はペイルライダーやら平行世界やら知らない体で話を進めるけれど、妙にキョドってしまって内心はヒヤヒヤしていた。
向こうも少しの間を置いて返事を返してきたけれど、僕たちの計画がバレる要素は何も無かったと思う。
「ていうかさ、お前、お金とかはどうしてんの? ちゃんと払ってる? 僕の顔して無銭飲食とかはしてない?」
「してない! 先週の平日に下半身が蛇の人に会った時に『風魔の第2アジトを潰しにいくから手伝え』って言われて、付き合ったらお金を山ほど貰ったんだよ!」
そう言ってもう1人の僕はポケットからブ厚い財布を取り出してパソコンデスクの上に置いて見せると2つ折りの財布はデスクの上にしっかりと立った。
「下半身が蛇の人って『四ツ目婦人』みたいな?」
「そう! その人!」
「……そうなんだ」
先週の平日、「風魔の第2アジト」となると火曜から木曜の出来事だろうか?
月曜に咲良ちゃんたちの救出に行った田園地帯の中のアジトが第1アジトだとして。
先週、放課後は咲良ちゃんの護衛のためにアーシラトさんも「子羊園」にいたと思ったのだけれど、咲良ちゃんが学校に行っている間の事だろう。
「……あのさぁ、そういうの困るじゃん? 次にその人にあった時に『こないだはどうも』とでも言わなきゃ僕が無礼な人間だと思われるじゃん?」
「あ、ゴメン……」
僕がギロリと睨みつけてやると僕なんか歯牙にもかけない実力を持つハズのペイルライダーはしょんぼりと項垂れてみせる。
アーシラトさんも学校に行ってるハズの僕が日中に出歩いてておかしいと思わなかったのだろうか?
まぁ、案外、アーシラトさんならすんなりと受け入れたのかもしれない。「今日は天気が良いから学校って気分でもないのだろうな」とでも勝手に納得して。
戦闘の時もビームマグナムだけ使ってればデスサイズとペイルライダーの違いもバレる事もないだろうし。
「ま、まあいいや……」
少なくとも先週の内からコイツがこの街に潜伏していたというのは学校に通報があったくらいだから予想はしていたのだけれど、さすがに僕の知り合いにも接触済みでしかも別人だとバレていないとは。
さすがに軽く眩暈を覚えて、もうボロがでないようにとっとと退散する事にする。
「とりあえず偽物が本当に存在するのは確認できたし、ちょっと写メ良い?」
「え、あ、うん……」
とりあえず僕ともう1人の僕の2ショットの画像を見せれば担任の安井先生も納得してくれるだろうし、コイツにも僕が来た理由をしっかり誤解させる効果もあるだろう。
「何か不法行為を働いているって事でもないし現状じゃただのコスプレ野郎と同じか。んじゃ、悔しいけど僕は帰るよ。ただし……」
「ただし?」
「1週間だ。1週間でこの街から出てってよ。今日が火曜だから、来週の水曜になってもこの街をうろついていたら次は問答無用で破壊する。いいね?」
「あ、はい……」
これこそが明智君の時間稼ぎの言葉だ。
僕の性格からいって1週間の猶予を与えられたら、予備日を見込んでも後2、3日はゆっくりするだろう。
なにせ向こうからすれば僕の定めた1週間という期限なんて無視してもまったく構わないのだから。
しかし4日後か5日後、あるいは1週間経ってから奴が行動を起こし始めた時には、すでに真愛さんは明智君が用意してくれる安全な隠れ家に退避済みというわけだ。
そういや平行世界の明智君ってどうなったんすかね?
第2次浜松会戦あたりで死んでると後腐れないと思うけど。




