47-5
翌、日曜日。
一昨日の混乱の痕跡もほぼ消え去って明日からは学校も再開されるというので、僕はお昼のお弁当用の食材の買い出しに出かけていた。
梅雨入り前だというのに東京は日差しも強く風も温かい。
でも暑すぎて不快というわけでもなく、かえって心地良いくらいで買い物前に少し外をプラプラしようと思った僕は前にクラスメイトから商店街のパン屋さんのチャイが美味しいと聞いた事を思い出した。
岩手産まれの僕からしてみれば東京の蒸し暑さと日差しの強さはインドを思わせるほどで、まぁインドには行った事がないのだから想像にすぎないのだけれど、1度、思い出してしまえば僕の口と脳は冷たいチャイを求めだして治まるという事がない様子。
結局、お昼ご飯はそのパン屋さんの総菜パンか菓子パンにでもする事にしてチャイと一緒にいつもの公園で食べる事にする。
「……あれ? あの髪色は……」
商店街のパン屋さんでサンドイッチとカレーパン、クリームパン、そしてお目当てのチャイのアイスのLサイズを買った僕が公園に行くと、目指していたベンチにはすでに先客が2人いた。
この公園には他にもベンチはあるのだけれど、丁度良く木陰になっているのはそこだけなのだ。
公園などによくあるタイプの3人掛けのベンチが2つ並んでいる内の右側のベンチに先客は座っていたために左側のベンチは空いている。
でも他にもベンチがあるのにわざわざ隣のベンチに座ったら変に思われないだろうか? いや、木陰に来たっていうのは言わなくても分かるだろうななどと考えていたのだけれど、ベンチに座っている2人の片方の後ろ姿が見覚えのあるものだったので僕は気が楽になった。
燃えるような真っ赤な赤い髪。
そんなトンチキな色の髪をしていながら、その人は時代がかった優雅さを感じさせる白いシャツに黒いベストを着ている。
パンクな色のショートカットの髪に浅黒い肌、古風な喫茶店のマスターや落ち着いたバーのバーテンダーを思わせる男装をした女性。
そんな人はこの街が広いといっても1人しかいないだろう。
「こんにちは、隣、良いですか?」
「おっ、アンタは……、こないだは世話になったね! 座って、座って! これ、食う?」
赤い髪の持ち主、悪魔ベリアルさんに声を掛けてベンチに座ると彼女も気さくな様子で僕を迎え入れてくれた。
ベリアルさんが片手で差し出してきてくれたのは透明なプラパック。中にはシュークリームが1つ残っている。元は3個入りであったパックの残り2個はベリアルさんと隣の男性で食べたのだろう。
「あ、いえいえ。僕はこれからお昼ご飯にでもしようかと……」
「それじゃデザートにでもしなよ! 嫌いじゃないだろ?」
「それじゃ、頂きます。ありがとうございます」
ベリアルさんは読みかけていたマンガ雑誌を膝の上に乗せたままシュークリームのパックをグイグイと僕の方へと伸ばしてくる。
食べれない理由があるわけでもないし、こうも勧められて断るのもかえって失礼かとありがたく食後に頂く事にして僕はパックを受け取る。
後ろから近付いていた時にはベリアルさんともう1人の男性は同じベンチに座っているにも関わらず間隔が空いていて、それが2人の距離感のようなものにも感じられていたけれど、正面に回ってみれば何という事もない。2人の間にはコンビニで買ってきたのであろうチョコ菓子やらミックスナッツの袋、それから500mlサイズのペットボトルが置かれていたのだ。
でも僕がベリアルさんと話をしていてもその男性は膝の上に乗せたモバイルノートパソコンとにらめっこしたままでこちらを見ようともしない。
まぁ、この男性の顔は初めて見るわけだし、彼とベリアルさんとの関係も分からないのだから僕が気にする事でもないかと、2人が座っているベンチの隣のベンチに座ってパン屋の紙袋を取り出してチャイのプラカップを取り出す。
「そういえば、ベリアルさんは生き返ってからお加減はいかがですか?」
「あ~、私らは人間と違うからさ、重症で生き延びるよりも1回、死んで生き返ったほうが万全な状態で復活できるから楽なもんよ! ま! 復活できるって保証はどこにもないんだけどね」
「……そ、そうなんですか」
「魔法は不可能を可能にする」とは魔法少女たちから以前にも聞いていた。でも死んだベリアルさんを復活させるとは咲良ちゃんも中々に思い切った事をするものだと思う。
当の復活した本人は随分と軽い調子だけれど、けっこうリスキーな事だったのではなかろうか?
そもそもこれは悪魔であるベリアルさんだからできるような事であって、死んだ人間で同じ事ができるのかははなはだ疑問だ。
シナモンと生姜、そしてたっぷりの砂糖が効いたチャイを飲みながら僕はついそんな事を考えてしまう。
ようするに自分が死んだ時にベリアルさんと同じように復活できるか考えているのだ。
でも死んだ人間が生き返れるというのなら、これまでにも復活したケースがあってもいいものだろうがそんな事など生憎と僕は聞いた事が無い。
つまりはそういう事なのだろう。
現役時代の真愛さんやZIZOUちゃんさん。
第1期型と呼ばれる魔法少女は現在の魔法少女、ヤクザガールズとは比べ物にならないほどの強力な力を持っていたという。
その第1期型魔法少女の適応者を見つける事が困難になったために能力的には遥かに劣るものの間口の広い第2期型魔法少女計画が実施に移され、そして低い戦闘能力を補うために集団戦を旨とするヤクザガールズが生まれたのだ。
その第1期型魔法少女の時代とて、死んだ人間が復活したなんて話は聞いた事がない。
そもそも死んだ人間が復活できるのなら、僕が死ぬ前提をやめて兄ちゃんやマーダー・ヴィジランテさんに復活してもらって真愛さんに迫っているという危機をなんとかしてほしいくらいだ。
「どうしたんだ? メシだってのにそんな暗い顔をして……」
「い、いえいえ! ちょっとチャイはご飯のお供には合わないな~って……」
目ざとくも僕の表情が沈み込んだのを見てベリアルさんが理由を聞いてきたので慌てて僕は嘘を付いてしまった。
確かに香辛料の効いた甘いチャイは白米には合わないだろうけど、パンだったら別に平気だ。
うまく誤魔化されてくれたのかベリアルさんは「ふ~ん……」と気の無い返事を返してマンガ雑誌へ目を戻す。
それから僕はハムサンドや野菜サンドなどが入ったサンドイッチのパックを開けて食べ、続いてカレーパン、それからクリームパンとベリアルさんからもらったシュークリームへと続けていく。
「……貴様は何で今の学校を選んだのだ?」
「んあ?」
「お前ではない。石動誠だ」
「え、僕?」
そろそろ食事を終えるかという頃、ベリアルさんの隣の男性が僕へと問いを投げかけてくる。
その男性、歳の頃は40代ぐらいかな?
カラスのように黒い髪を整髪料で後ろに撫でつけ、細い顔の両目は鋭く細く神経質そうな印象を受ける。
着ている服も髪のように黒い背広の上下に黒いシャツ。あまけに履いている靴や靴下までもが黒い。
さっき僕がベリアルさんと話をしていた時はこちらを見る事すらしなかった男はノートパソコンの画面を睨みつけたままいきなり質問をしてきたのだ。
随分と不躾な人だなとは思うものの、ベリアルさんと一緒にいるくらいだからこの人も一筋縄ではいかない人なのだろうと気にせず質問に答える事にした。
「……何でって、そりゃあ普通の学校だからかな?」
「それだけか?」
「うん。ええと、僕がこの街に引っ越してきた理由は知ってますか?」
「知るか! って、お前、もしかして気付いていないのか?」
気付く?
何の事だろう?
気になった僕は男性の横顔をしげしげと見てみるものの、やはり男性と僕は初対面のハズ。
でもその声にはどこかで聞き覚えがあった。
顔認識機能が検索を終えても該当がなかったので今度は声紋検索をかけてみるとすぐに1件の該当が見つかる。
「あっ! お前は……」
僕の驚いた声で男性は顔を歪ませて笑い、右手で顔を下から上へと撫でていく。
右手が通り過ぎていくと男性の顔はそれまでのものとはまるで異質なものへと変わっていた。
黒い、ただただ黒い闇。
一切の光を反射しない飲み込まれそうになるほど深い闇が人の形を取っていた。
「……ナイアルラトホテプ!」
「ご名答! 2日ぶりだな?」
「なんでお前がこんなところに!」
いつの間にか男性が来ていた背広も形を失い形を持った闇へと変わっていた。
「なんで? 聞かれたならば教えてやろう……!」
ナイアルラトホテプは僕を嘲笑うかのように首を傾げてみせる。
ただただそれだけの動作なのに僕の心はささくれ立ち、それ以上に漠然とした不安が広がっていくのを感じて慌てて脳内物質の調整を電脳へと指示する。
「実はルシフェルの奴が子供たち相手にパン作りを教えるとかでバターを使い切ってしまってな。園長に我らでおつかいに行ってこいと命じられたのだ」
「そ~いう事」
「……そうなんだ」
そういやナイアルラトホテプも咲良ちゃんの仲間になったんだっけ。
ベリアルさんもマンガを読みながらナイアルラトホテプの言葉を肯定する。
ていうか「子羊園」の園長さん、悪魔やら邪神やらに買い物に行かせてんだ……。
「ルシフェルの奴、『ならば〇〇をパンに変えてみよ!』って持ちネタが通じなくなったからって自分でパンの作り方を子供たちに教える事にしたらしい」
「……そうなんだ」
「ほれ、アイツ、堕天してルシファーとなった後でも全天使の3分の1があいつに付き従うくらいには面倒見の良い奴だから!」
「……そうなんだ」
「一説にはアイツが服を着ていたら3分の2が裏切っていたんじゃないかと言われているくらいだ」
むしろ3分の1の天使はあの全裸の変態に付き合って反乱に参加したというのが驚きだ。
悪魔に邪神、そして死神。
何かが起きるに違いない!(起きない)




