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「あの小娘、死神に憑かれてるぞ?」
山羊女が言う「あの小娘」という言葉の対象が真愛さんの事ではなければと思う。
もちろん、そんな都合が良い事があるわけが無いという事も分かってる。
人間態のシュブ=ニグラスが現れてから僕と行動を共にしていたのは真愛さんだけなのだから。
これが昨日、一晩、泊めてもらったという「天昇園」の誰かの事だったら僕は山羊女の事を殴っても許されるのではないかと思う。
それくらい脈絡の無い話になってしまうし、そもそもそれでは真愛さんを巻いて2人だけで話をする理由にならない。
「…………」
「うん? どうした、意外と驚かないのだな。我の思い過ごしであの小娘は貴様にとって気にかけるだけの価値も無いような者であったか?」
「……まさか!」
山羊女の言葉で僕の心が鉛に変わってしまったかのように深く沈み込んでいた。
驚かなかったのは以前のロキの言葉があったからだ。
「前にも似たような事を言われた事があってさ……」
「そうなのか?」
「その時は『貴方はこのまま羽沢真愛の近くにいると、彼女のために死ぬことになりますよ?』って言われたんだ。だからその内、真愛さんに危機が迫るらしいってのは分かってた」
「ああ、さもありなん」
山羊女はロキの肯定するようにゆっくりと2回、大きく頷いてみせる。
シュブ=ニグラスは真愛さんが死神に憑かれていると言う。ロキは僕が真愛さんのそばにいると彼女のために死ぬことになると言う。
違いは真愛さん主観の話か、僕主観の話かという事。
ロキの話では僕は真愛さんから距離を取っていれば死なずに済むらしい。
その時のロキの話ではロキ自身では手が出せなかった宇宙テロリストの宇宙軍艦を僕が撃破してきたお礼という事でそんな予言めいた事を言いに来たらしい。
つまりロキにとっては真愛さんはどうでもいいという事。
「我は『1日に千の子を産む山羊』、宇宙全体の生命力、命の象徴よ。故に小娘から濃密に立ち昇る“死”の気配に気付いた」
「その『死の気配』の原因は?」
「分からん! さっぱりだ!!」
……なんでそんな事を大威張りで言う事ができるの?
山羊女の奴は肝心な事は分からないと言うし、ロキの奴も詳細な事は言わなかったし、基本的に“神様”という連中は中途半端な事しか言えないのかと思う。
これなら僅かばかりの“神格”を取り戻したとかいうアーシラトさんの方がよっぽど役に立つのではないだろうか?
もしかしてアレか?
神様連中が半端な事しか言わないのは体験版的な奴で、僕が信徒にでもなればフルの会員サービスでも受けられるパターンの奴か?
悪いけど僕は宗教関係にはお正月の初詣で使うお賽銭以上のサブスクリプション契約を結ぶつもりはないのだ。
「で、僕にどうしろと?」
「うん? 我はどうしろとは言わん。そもそもそういう類の存在ではないしな。でも番に選ぶのならば他の雌の方が良いんじゃないかとは思うがな。別にあの小娘でなければいけないわけでもなかろう?」
「……駄目だね」
ハッキリと意識するよりも先に僕の口からは否定の言葉が出ていた。
いや、別に番とか伴侶とか恋人とか、そういうのはさておいて、さておいてというか後で考えるとして、真愛さんの身に危険が迫っている以上、彼女のそばから離れるだなんて僕にはありえない話だった。
「どこぞの誰かにも言われたのだろう? 確かに小娘を包む死の気配、このままでは貴様をも飲み込むやもしれん?」
「逆の立場になってみなよ。お前の彼ピッピ、『よぐたん』とか『いぐ君』だっけ? そいつらがお前らの近くにいれば死ぬ事になるとか言われて離れていくような男なら、お前は付き合おうと思う?」
「ハハッ、まさか! 我の彼ピッピにはそんな腰抜けは1柱たりとておらぬわ!」
できれば僕も“腰抜け”にはなりたくないものだと思う。
“旧支配者”とか言うトンチキな連中ですらそのくらいの精神性は持ち合わせているのだ。
山羊女の言葉で少しだけ、本当に少しだけ気が楽になったのを感じる。
とはいえ真愛さんに迫る危機の正体、山羊女の言葉を借りれば「濃密な死の気配」とはなんなのか分からない以上は対処もできないし、ロキの言うようにこのままでは僕は死あるのみなのかもしれない。
せめて僕が死ぬ時に時間を稼いで真愛さんはなんとか危機から逃げおおせてくれればいいのだけれど……。
「父さん似か……」
「うん? 何か言ったか?」
「いや、ゴメン、独り言だよ……」
それは他人に語るにはあまりにも辛い光景だった。
ポンコツ電脳の働きによって僕の重要な記憶は忘れる事も薄らいでいく事も許されず、思い出そうと思えばつい先ほどの事のように振り返る事ができる。
「ARCANA」の尖兵ロボットの装甲の継ぎ目の僅かな隙間から貫き手を刺し込んだ母さんの背後から向けられた銃口。
母さんの名を叫んで母さんの前に飛び出していった父さん。
そして熟した柘榴の実がはじけるような赤い……。
その記憶はまるで僕自身の近い未来を暗示しているかのようにさえ思えた。
少しの間、僕はベンチに座りこんだまま時間が止まったように言葉を失っていたけれど、ジーンズの後ろポケットに入れていたスマホが振動を始めたので取り出すとそこには無料通話アプリ「RINE」の着信通知の画面が映っていた。
「もしもし、誠君?」
着信は真愛さんから。
僕はその声を聞いてホッとしたような、胸の中の凍てついた氷が溶けていくような感覚を覚える。
問題は何一つ解決していないというのに。
「も、もしもし?」
「あ、ああ、ゴメンゴメン!」
「あのね、シュブ=ニグラスさんが迷子になっちゃったみたいなんだけど……」
「あっ……」
そういやコイツ、真愛さんを巻いてきたとか言ってたっけ。
僕がチラリと責めるような目付きで山羊女の事を見ると、コイツも誰からの電話なのか察したのか僕の手からスマホを奪い取って勝手に話始める。
「おう、我はこっちだ! うん、うん。ハハッ! 済まぬな、コイツにお主の3サイズでも教えてやれば今日の昼飯でも奢ってもらえるかと思ってな!」
「ふぁっ!?」
そりゃあ真愛さんの身に危険が迫っているなんて話、それも何の事だか、いつの事だか分からない話を本人に言っていいものかは熟慮する必要があるとは思う。
そのために話をはぐらかす必要があるというのも理解できる。
だからといってもう少し僕が傷つかなくて済む嘘だってあるだろうに。
正直、僕は自分が死ぬかどうかの話よりは真愛さんに女の子の3サイズを知りたがるような人間だと思われるほうがキツいのだけど。
「うん? 馬鹿め! 山羊の目は視界が広いのだ。お主が我の横で自分の分の下着を物色している時にしっかり見えておったわ! ハハッ! 心配するな! こやつ、そんな事を教えなくても昼飯くらいいくらでも奢ってやると言っておるぞ?」
再び無言で手元に転送したビームマグナムを山羊女のこめかみに押し付けるとさすがに話の流れを訂正しだしたけど、それでも僕が昼食を奢るというのは譲る気は無いらしい。
そりゃあ昨日の黒山羊の暴れっぷりを思い出すにビーム撃たれたくらいでシュブ=ニグラスがへこたれるわけもないだろうし、“生命力”や“命”の象徴を自称するこの女は餌を得るためなら何だってやるであろう事は想像に難くない。
「おう、おう! 気にすんな! 我らは入り口近くの吹き抜けのベンチがあるところだ。お主も早く来い! じゃあの!」
「…………」
「うん? どうした?」
山羊女は話を終わらせスマホを操作して通話を終了すると予備冷却で氷点下以下に冷やされているビームマグナムの銃身にも気が付いていないかのような素振りを見せる。
「あの、なんで僕がお前にもメシ奢る事になってんの?」
「はあ? どうせ昨日、私を倒した事でガッポリ入ってくるんだろ? ケチケチすんな! 貴様、どうせ死ぬんだから貯め込んでもしょうがないだろ!」
そういうと山羊女は僕の右手を引いて立ち上がらせ、真愛さんがこちらに来るのが待ちきれないとばかりに探しに行こうと急き立てる。
「それじゃ昼はシャレオツにパスタにでもするか! よ~し、大豚パスタヤサイカラメアブラニンニクチョモランマいっちゃうぞ~!」
「え、なにそれ? 今、魔法の詠唱とかした?」
さすがは未だに「ZION」を「ジャ〇コ」とか言っちゃう旧支配者系女子。
パスタがオシャレっていつの時代の話だよ。そもそも今言ったのは本当にパスタの話なのかな?
……貫き手は石動家秘伝の必殺技だったりするのでしょうか?




