一方、その頃……
「……さて、どうしたものかな?」
鉄を打つ音が鳴り響き、その合間には電気溶接のスパークの音が連続して届いてきている。
鉄工所か何か大型の重機の工場のような音が轟いているがここは特別養護老人ホーム「天昇園」。
老人ホームとは思えないほどに巨大なガレージでは昨日の戦闘で損傷を受けた装備品の整備が急ピッチで進められ、施設内のリビングスペースでも多くの高齢者たちが小銃や機関銃の分解清掃をしている。
高齢者たちは昨日の戦闘が終わると同時に精も根も尽き果てた様子で次々と倒れ込み、一時はこのまま燃え尽きた線香花火の火が落ちるように死んでいくものと思われたが、黒山羊の肉塊の中から現れた少女が放つ気を浴びて徐々に元気を取り戻していた。
一晩が明けて今ではこうして職員や他の施設使用者たちの助けを借りながら装備の整備点検を行えるほどに回復していたのだ。
金属部品を磨くガンオイルに木製パーツを手入れするのに使うアマニ油の立ち込めるリビングの窓際。
円形のテーブルの上に置いたマグカップのコーヒーを啜って鉄子は呟いた。
老人ホームのリビングの椅子は高齢者がそこで1日の大半を過ごす事もできるようにとても柔らかく座り心地の良い物であったが、鉄子には椅子の心地良さに身を任せて微睡みを楽しむわけにはいかない事情があったのだ。
それは今後の身の振り方だろうか?
いや、それもおいおいは考えなくてはならないだろうが喫緊の問題ではない。
本性を現した邪神ナイアルラトホテプの軍勢に襲撃された「UN-DEAD」のアジトから脱出する際、鉄子たちは「天昇園」部隊に支援され、そのまま投降したという形になっていた。
世界を混乱の渦に叩き込んだナチスの末裔たる自分がよもや老人ホーム如きに投降する事になろうとはと鉄子は思っていたものの、結果的にはそれが鉄子の境遇に利するものとなっていたのだ。
鉄子たちがアジトからの脱出に使ったヤークト・パンテルⅡの側面に銀河帝国の紋章が描かれている事からも分かるように、鉄子の身は現在、銀河帝国の皇女の皇女の支配下にあるといっていい。
当の銀河帝国皇女には鉄子に対する興味はさして無いようだが、かといって嫌われているわけでもない。ならば皇女の機嫌を損ねないように政府や国連としても皇女の下にある鉄子には手が出せないのだ。
ただでさえ腫れ物を触る扱いの銀河帝国皇女に、その皇女に心酔する老人ホームの入居者たち。
事実上、鉄子にとって「天昇園」はこの地球でもっとも安全な場所と言ってもいいだろう。
現につい先ほども施設の敷地内に侵入した外国人風の男たちが老人たちに捕らえられて茶室に送られたばかりだ。
恐らくはその外国人たちはイスラエル諜報特務庁、通称「モサド」の手の者であろう。
「ナチ・ハンター」の異名で恐れられるモサドの特殊工作員はイスラエル国内はおろか国外においても非合法な活動を隠そうともしない。
「ナチス・ジャパン」に「UN-DEAD」という組織の後ろ盾を無くした鉄子を違法に拉致してイスラエルへと送る事だってモサドの工作員ならば平然とやるだろう。
だが、鉄子は今「天昇園」にいる。
少なくとも銀河帝国皇女の迎えが来るまでの数ヶ月は鉄子の身は安全だといってもいい。
今はもっと差し迫った問題があるのだ。
黒山羊との戦闘で重症を負ったルックズ星人もあのボサボサの長髪の少女の気で快復し、今は厨房の手伝いをしにいっているくらいで問題は無い。
ホバー・ラーテと「凶竜軍団」の面々も石動誠経由で連絡が来た旧日本軍の残党に誘われて鳥取砂漠の緑化事業に向かうらしいのでこちらも問題は無い。
鳥取砂漠は日本唯一の砂漠という事で天然記念物の指定を受けているが、どうやらそれは鳥取砂漠が鳥取砂丘と呼ばれていた頃の名残のようなもので、政府も本気で鳥取砂漠を守ろうとはしていないのだ。
旧日本軍の残党「666部隊」では天然記念物を破壊しているという事で存在感をアピールできるし、政府は自分の財布を使わずに緑化事業を勝手に進めてくれると互いに「Win-Winの関係」となっているらしい。
なんでも夏や冬の長期休暇の時期には大学生らのボランティアを招いて体験型学習も行われているそうな。
そこでホバー・ラーテには非常時の防衛力の他、普段はその搭載しているフォトン・リアクターを発電機として使いたいという申し入れだった。
そして長年の宿敵であった「虎の王」の事も今やさして問題ではない。
「虎の王」に助けられ、「虎の王」と共に戦った事で鉄子の心の中からは牙が抜け落ちたようにすっかり彼への敵愾心は消え失せていた。
わだかまりが無いかと言えばそれは嘘になるが、例えば今、鉄子の手に拳銃があったとしてもわざわざそれを1人の老人へ向けるような事はないだろうというのは確かだった。
それに「虎の王」は昨日も今日も鉄子の元へ訪れては「食事はとれているか?」「ちゃんと寝れたかね?」と彼女の事を気に掛ける様子を見せていたのだ。
敵愾心は失せたとはいえ彼に何という言葉を言えば良いか分からなかった鉄子に泊満も言葉は少なげであったが口元を緩ませて僅かに笑みを作って去っていた。
「随分と物憂げなご様子ですが、いかがなさいましたか?」
「あんたたちの事よ……」
鉄子は自分の背後に控えている1体のD-バスターへ舌打ちしながら答える。
そう。鉄子が先ほどから心を悩ませている喫緊の問題とはD-バスターたちの事である。
鉄子の背後の1体の他にも、床の上に広げたボロの毛布の上で震える手で小銃の分解清掃をしている高齢者を根気よくサポートしているのが2体。窓の外、「天昇園」と運営元が同じである児童養護施設の子供たちと一緒に遊んでいるのが3体。
鉄子の背後に1体、老人のサポートをしているのが2体、子供たちと遊んでいるのが3体である。
D-バスターの生産数は全部で5体であるのにも関わらずだ。
「…………なんで1体、増えてるのよ……」
昨日の戦闘が終わり、鉄子が新鮮な空気を求めてヤークト・パンテルのハッチから顔を出すとそこには4体のD-バスターがいたのだ。
慌てて彼女が車内を確認すると操縦手役と装填手役をしていたD-バスターは変わらずそこにおり、いつの間にやらD-バスターが6体に増えていたのだ。
ルックズ星人に確認してみても間違いなくD-バスターの生産数は5体だというし、長瀬咲良の軍門に降ったナイアルラトホテプへ電話で聞いてみても返答は「何でもかんでも我のせいにしないでくれ!」である。
「はいよ~、こっち私が押さえてるからバネ押し込んで~」
「お、爺ちゃん、この部品、取付け忘れてない?」
武器の整備を手伝っている2体は視力の低下した、あるいは手が震えて思うように作業が上手く進まない高齢者たちにも苛立った様子も見せずに落ち着いた様子。
D-バスターの人格には子守り用のAIを転用したらしいが案外、高齢者の介護もできるのかもしれない。
そして窓の向こうにはショゴスとかいう黒い粘液質の生物を長縄跳びのように2体で回しているD-バスターとそのショゴスのロープの中に入っていっては飛ぶ子供たち。あるいは鉄棒の逆上がりの練習をしている子供の補助をしている1体が見える。
「……ていうか、貴女が偽物でしょ?」
「な、何を言われますか、総統閣下!?」
自分たちを逃がすためにアジトのガレージでショゴスたちへ戦いを挑んでいった3体の事は疑う事はないし、残る3体の内、1体にはそれ以外のD-バスターとは明確な違いがあったのだ。
「総統閣下、私を疑うというのならば理由をお聞かせ願いたい!」
「鉄子ちゃんたちさぁ~」
「こっちは小っちゃい部品の組み立てとかもあるんだから静かにしてくれよな~」
2体のD-バスターは自分の事を関東訛りで「鉄子ちゃん」と呼ぶのに対して、1体だけは何故か自分の事を「総統閣下」と呼ぶのである。
ついでにいうとフランクすぎる口調の2体に比べて、1体だけは随分とへりくだった口調なのだ。
実の所、この事には昨日の時点で、いや、D-バスターの数が増えた事に気付いてからほぼ間もなく鉄子は気付いていた。
もちろん、その時点で偽物はどれなのか分かったようなものだが、鉄子は「総統閣下」と呼ばれてちょっと良い気持ちになっていたのだ。
「46-10」でD-バスターの数が増えてる事に気付いた人っていた?
ヤークトパンテルの中に操縦手と装填手で2体いるのに、誠君が来た時に車外に4体のD-バスターがいるって驚いていたのだけれど。




