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戦いは続き、すでに黒山羊は仔山羊を産むことはできなくなっていた。
もしかしたら産む事ができなくなったふりをしているだけで、機を見て一気に仔山羊を放出して逆転を狙っているのかもしれないけれど、末端の再生を諦めて至る所、骨が剥き出しの状態となった黒山羊を見るにその可能性も低いんじゃなかろうか?
油断は大敵とはいえ、僕はいくらか余裕を取り戻していた。
彼岸にいる友が授けてくれた“力”は完全に黒山羊の魔法を防ぎきり、しかも彼の地で飽きずにウドンを啜り上げている彼のエネルギーは尽きる事がない。
惜しむべきは黒山羊が「大海原の覇者の加護」と呼んだこの紋章は物理的、科学的なエネルギーには無力なようで防げるのは魔法だけのようだ。
いや、それはそれで便利なのかもしれない。
魔法を防ごうと紋章を展開した瞬間に空気抵抗の影響を受けて飛行速度が落ちたり、姿勢を崩してしまったりしては本末転倒だろうし。
現状、青く光る紋章は魔力によって作られる魔法にしか影響を及ぼさない。
つまり僕はインチキ臭さ極まりない魔法なんて代物を完全にシャットアウトできる盾を持ちながらも、自分のエネルギーの消費、質量の増加、そして空気抵抗の増大などという問題を考える必要がないのだ。
“彼”だけではない。
臨海エリアにひしめいているヒーローたちはいまだ僅かに残る仔山羊を駆除しつつ、僕を援護しながら黒山羊へ攻撃を加えている。
逆に対する黒山羊の方は数えきれないほどの仔山羊を産み落としながらも我が子を使い捨ての駒のように扱い、結果、現在は孤立無援の状態。
未だ戦意は衰えないらしく暴れ続けているけれど、古代のマンモスが石器時代の人間たちに追い立てられ狩られるように一方的な展開となっている。
黒山羊が“旧支配者”なんてカテゴライズされる化け物だとしても、それが怪獣であったとしても神様であったとしても不滅の存在などあろうハズもない。
いかに黒山羊が驚異的な生命力を持とうとも僕は焦る必要なんかなかったのだ。
ミナミさんが脚や翼を広げて全身の突起の先端の発振器や触手から七色の弾幕を黒山羊へ浴びせて彼女の何十倍もの質量があるであろう山羊を後ずらせて目を眩ました隙に僕は上空へと翔け上がり、再チャージの終わったビームマグナムをファニングで全弾、真下の敵へとお見舞いする。
なんで今回、ミナミさんはこないだ宇宙に行った時みたいに巨大化しないのかとも思っていたけれど、マイクロバスサイズのミナミさんの弾幕ですらこれほどの威力を持つのだから彼女が全長80メートルクラスまで巨大化してしまったらむしろ黒山羊よりもミナミさんの方が脅威になってしまうからなのだろうか?
「ええい! ちょこまかと!!」
黒山羊の長く巨大な腕が僕を狙って雑に振られるけど、僕の機動力を持ってすれば回避するのは容易い。
「いい加減に諦めろッ!」
黒山羊の顔面は3分の1ほどが頭蓋骨が剥き出しとなっていて、ヒビの入った眼窩には半ば再生途中の眼球が血走って僕を追っていた。
深く切り裂かれた首筋の傷口は再生を諦めたのか先ほどから開いたままで、だというのに切り裂かれた水道管のように太い血管からは今もドクドクと黒い鮮血が溢れだし続けている。
僕は黒山羊の眼前で空中静止しつつ大鎌を突き付けていた。
これで帰るならばそれで良し、帰れなくとも投降してくれたらいい。
それも嫌なら殺すだけ。
でも時間がいくらかかかるだけで結果の分かりきったワンサイドゲームなんてできれば願い下げというくらいの気持ちだ。
僕も携帯ゲーム機なんかでRPGのレベル上げとかはやったりするし、その退屈な過程を“作業ゲー”なんて言ったりもするけれど、ゲームで退屈を受け入れられるのはその後の攻略で必要な過程であったり楽するためのものだからだ。
何が悲しくて「殺して殺して、死ぬまで殺す」なんて作業を続けなくてはいけないのか。
「『対価を受けて』なんて言ってたけど、命あっての物種だろう?」
「黙れいッ!!」
「ふう……、聞く耳持たずか……。逆に聞くけど、あの野郎から何をもらったっていうのさ?」
呆れ果てた僕が茶化すくらいの気持ちで何をナイアルラトホテプからもらったのか聞いてみると、黒山羊はニタリと笑う。
血走って狂気の宿った右目も細め、山羊の顔を肉食獣が獲物を前にして牙を剥くように大きくゆがませて笑っていた。
「聞きたいのならば教えてやろう……」
僕は思わず唾を飲み込む。
ナイアルラトホテプの事だ。なんらかの生贄だとか言われてもおかしいという事はない。
「銅志摩ロールだ!」
「……うん? ゴメン、ちょっと聞き間違えたみたい……」
「だから銅志摩ロールだ!!」
聞き間違えじゃあないのか……。
銅志摩ロールってあれだよね。
ロールケーキだよね?
「ろ、ロールケーキ……?」
「ああ、そうだ!」
銅志摩ロールといえば贈答品なんかやお土産物なんかにも良く使われる有名メーカー製のロールケーキの事だ。
僕も食べた事はあるし確かに美味しいのだけれど所詮はロールケーキ、大砲やらビームやらバカスカ撃たれまくって骨も剥き出しになってまで戦う対価としては割りに合わないんじゃなかろうか?
「……いやぁ、なんつ~かロールケーキもらった分の働きにしちゃあ、もう十分じゃないっスかね?」
「馬鹿を言うな! 3本セットだぞ!?」
3本セットだから何だってんだよ……。
ミルク感たっぷりのクリームをしっとり柔らかな生地で巻いた定番のケーキの他に季節のフルーツなどの素材をふんだんに使った期間限定品を合わせたセットですってか!?
そういえばと僕は思い出す。
臨海エリアの港湾センタービルのちょっと手前に百貨店があった事を。
もしかして、そのデパートのテナントで銅志摩ロールのお店があって、ナイアルラトホテプの野郎は臨海エリアを占拠した時にこの黒山羊の召喚用にロールケーキをかっぱらってきたのだろうか?
もし、そうなら随分と安上がりな代償だと思う。
“旧支配者”とかいう連中の間でも高効率が求められる時代だとでも?
「銅志摩ロールはいいぞぉ~!」
「そ、そうっスか……」
黒山羊は巨大な手で3本セットの3を示す3本指を動かしながら、まるで物語の悪魔が魂を代価にした取引を持ち掛けるような邪悪な声色で喋る。
だが生憎の所、黒山羊は先に僕たち地球人の事を「矮小な種族」なんて言っていたのだけれど、その矮小な種族は命なんか賭けなくてもお金さえ出せばいくらでも美味しいロールケーキを食べれるのだ。
外宇宙の連中の感覚は地球人には計り難く、想像も及ばぬものであるのは間違いないけれど、かといって理解してやろうという気にはならない。
「そういうわけで無駄話はここまでだ! さあ! 存分に殺し合おうぞ!!」
「1万円あげるから帰ってよ。ホントに……」
ロールケーキの味を思い出してか舌なめずりした黒山羊は一転、再びいきり立って戦闘態勢に入る。
だが、もうそんな理由で戦うのが馬鹿らしくなった僕が呟いた言葉を聞いて黒山羊は動きを止めた。
「……な、何ッ!?」
「うん? もしかして意外と乗り気?」
「い、いやいや! 我がそんな端金で買収されるわけがなかろう!? 愚弄するなよ、人間!!」
チッ! 駄目か……。
銅志摩ロールの定番バニラロールは2千円しなかったハズだし、期間限定商品の値段は知らないけれど3本セットでも1万円しないだろうからいけると思ったんだけどな~。
……いや。
1万円で買収を持ち掛けた僕の言葉を否定した黒山羊だったけれど、ブンブンと何度も頭を大きく横に振っている様子はかえって未練タラタラタランティーノだし、さっきは僕に対して「矮小な種族」と呼んでいたのに今は「人間」と呼んでいるところからも目はあるんじゃなかろうか?
「じゃあさ、2万円だったら?」
「…………」
僕が値段を一気に倍に吊り上げると黒山羊はまるで時間が止まったかのようにピタリを動きを止めた。
右目だけはキョロキョロを小刻みに左右に動かし、迷っているのは一目瞭然。
「…………うぅ、だが1度、受けた約定を違えるのも……」
「裏切っちゃえば? 僕も僕を改造した組織を裏切ったし、そんな面倒な事でもないよ? それにほら……」
僕が振り向いて後ろのビルの屋上にいた黒い粘液質に寄生されたD-バスターを指さすと、そいつの肩に背負う形になっている放熱板のような形状の黒い粘液の形が変わり、まるで人の手を模した形状になって、その手がひらひらと手を振ってみせる。
果てして“旧支配者”とやらに「皆でやれば怖くない」式の集団効果や「皆やってるんだから」式の同調圧力が通じるのかは分からないけれど、少なくとも「自分1人で……」みたいにやる気を削げてればいいなと思う。
「だ、だが、ここで裏切った事で後の仕事が無くなってしまっても……」
随分と女々しい奴だな!
「じゃあさ、戦って負けた事にしたら?」
「…………」
黒山羊の泳いでいた目がしっかりと僕を見据えた。
「どうする?」
それは裏切るのか、裏切らないのかという問いではない。
もはやその言葉は「どういう形でやるのか?」という意味しか持ち合わせていなかった。
やがて僅かな逡巡の後、黒山羊は口を開いた。
「最初は強くあたって、あとは流れでお願いします……」
「お~け~!」
堂〇ロール美味しいですよね!




