46-8
右腕を血に染め力無く垂らした老人が突撃喇叭を吹く。
次々と戦場へと駆け込んでくる仲間たちの心を振るわせようと喇叭は高らかに鳴り響いていた。
喇叭の音は銃声や爆発音そして喊声によってかき消され、それでもなお、もはや戦う事もできなくなったというのに最前線で喇叭を吹き続ける仲間の姿に老人たちは感じ入り、彼の後ろにいては恥だと前へと進んでいく。
4人掛かりで運ばれてきた銃機関銃の三脚が据え付けられてビルの谷間を埋め尽くす仔山羊たちへと掃射が行われ、八九式重擲弾筒から撃ち込まれる擲弾の雨に老人たちが仔山羊たちの隙間を見つけては放り込む手榴弾は次々に仔山羊たちを吹き飛ばしていった。
小銃を構えた老人たちは死に急いでいるかのように我先にと敵目掛けて突っ込んでいき、涎を垂らして歯をひん剥いて腕を振り上げる仔山羊たちに怯む事も無く銃剣を突き立てる。
「……な、何だ? こいつらは!?」
それは黒山羊にとっても初めての経験だった。
本来であれば「エネルギー保存の法則」や「質量保存の法則」を無視して増殖し続ける旧支配者「シュブ=ニグラス」の姿を知的生命体が認識してしまったならば、彼らが生きるこの宇宙の根底を覆すその光景にとても正気ではいられないハズなのだ。
気が狂ってしまえば、例えどのような強者であってもマトモには戦う事ができない。
先の無意味な特攻を仕掛けたルックズ星人のように無能と化した敵をただ数で蹂躙する事こそが黒山羊の戦い方であった。
しかし、今こうして目の前に押し寄せてきている敵は違った。
それもそうだろう。
彼らはヒトラーやスターリンと手を組んで世界を混乱の渦に叩き込んだ軍勢の生き残り。
地球の裏側のドイツと手を結んだと言っては極東で西はインド、東は中部太平洋まで暴れまわり。スターリンが裏切ったとあっては今度はソ連軍相手に牙を剥く。
彼らとて地球儀を見た事が無かったわけではない。
彼らはとうに気が触れていたのだ。
すでに気が触れているから外宇宙より来たりし旧支配者の狂気にも染まる事なく戦えるのである。
彼らにとっては目の前に聳え立つ太古の恐竜をも思わせる巨躯のシュブ=ニグラスとて恐るるに足らず。ただ後方、ヤークト・パンテルⅡの戦闘室の上に立って彼らの戦ぶりを腕組みしながら睥睨している姫君にばかり意識は向いていた。
仮に黒山羊が何をしようと老人たちの戦意を削ぐ事は叶わなかっただろうが、心優しい姫君が「誰それの動きが落ちてきたな、下がらせて休ませろ」とでも言おうものならば、恥を知る老人たちはその場で万歳三唱して割腹自殺を遂げてしまうだろう。
……もっとも、当の銀河帝国皇女様は幼少の頃より叩き込まれた皇族の責務として兵たちを鼓舞すべく駆逐戦車の上に出てきてはいたのだが、日頃のんびりとした暮らしを送っている老人たちの豹変ぶりにドン引きして苦笑いを浮かべていたのであったが。
「泊満さんは?」
「肋骨を痛めているようですね」
涼子は援軍の到来によってひとまず窮地を脱した事にホッと一息ついて宇佐が泊満を引いて入っていったビルの中へ泊満の様子を見に来ていた。
何かしかのオフィスであった室内はティーゲルの衝突によって備品が散乱し、その壁際に泊満は横たわっていた。
さらに宇佐が路上に転がっていた異星人を担いできて並べて寝かせてやるが、宇佐も涼子もルックズ星人の脈の取り方など分からなかったし、仮に脈が取れたとしても正常値がどれほどのものなのかなど知るわけもなかったので彼の安否は分からない。
一先ず泊満が楽になるようにとワイシャツの首元のボタンを外してズボンのベルトを緩めてやると幾分か呼吸が緩やかになり、それと同時に泊満は立ち上がろうと体を起こして壁にもたれかかった。
「ちょ、ちょっと! 泊満さん、動いちゃダメですって!!」
宇佐が慌てて泊満を押さえようとするが、痩せ細った老人のどこにそんな力があるのか不思議なくらいに彼は何度も立ち上がろうと悪戦苦闘していた。
額には脂汗が浮かんで皮膚は紅潮し、泊満が血圧を上げている事は誰の目にも明らか。
「泊満さん、落ち着いて、ね、また入院しちゃいますよ!?」
「涼子君に宇佐君、すまないが仲間が待ってる。行かせてはくれないか?」
先の「ハドー総攻撃」の際も大戦果を上げた泊満は血圧を上げすぎて体調を崩し入院することを余儀なくされていたのだ。
しかも今回は程度は不明だが肋骨を痛めている状況。
齢100を超えた泊満が負傷を押してこれ以上に血圧を上げてしまえば命にもかかわりかねない。
「援軍は到着しました。もう泊満さんがこれ以上に戦う必要なんて無いですよ!」
「そう言ってくれるな。私は戦わなければ価値なんか無い人間なんだよ」
「そんな事なんて無いですって!!」
だが涼子に対して泊満が向けた表情はこれから戦いに赴こうとする闘志に溢れたものではなかった。
それは笑顔だった。
どこか自嘲気味に他の誰でもない自らを笑うような微笑みを浮かべる老人に涼子は影が差し込んだような感覚を覚える。
「もう十分に貴方は戦われました。本当にもう十分……」
「『もう十分』だなんてそんな事はない。そんな事は無いのだよ。私は生きている限り戦わなければ……、そうでないと……」
「そうでないと?」
「…………」
泊満はどこか言い辛そうな、気恥ずかしそうな様子で瞳を泳がせた後、意を決して言葉を続けた。
「そうでないと私は人の中にはいられないのだ」
「は?」
「私の力は他者から排斥されかねないものなのだよ。役に立てると証明し続けなければね。そして、それを証明するためには戦い続けねばならない」
「えと……」
泊満の幸運は地球人の枠を超える“力”を得てしまった事だとするならば、彼の不幸は人は1人では生きていけないという事を知っていたという事、そして人間を愛していた事だろうか。
彼は自分の“力”が他人から恐れられるものである事を知り、そして、なおかつ自分の“力”を使わなければ愛する人々を守れない事に苦悩していたのだ。
その“力”を隠してただの人として生きてこれたのならばどれほど楽だったのだろう。
“力”に溺れて他者を踏みつけて生きる事を選んでいたのならばどれほど楽だったのだろう。
だが泊満はそのどちらも選ぶ事はなかった。
他者を守るために力を使い、そして自身が善良な人間の敵ではない事を証明し続ける道を彼は選んでいたのだ。
だが、対する涼子の反応は彼の思いもよらぬものだった。
「……ちょっとアレ見てみてくださいよ?」
涼子は自身の背後を親指で指し示す。
彼女の背後にはティーゲルの衝突した穴から外の戦場が覗いており、今も姿勢を低くして銃剣突撃を敢行する「天昇園」の高齢者の姿が見えていた。
老人は上手く仔山羊の肋骨を避けるように心臓目掛けて銃剣を突き立て、蹴り飛ばし、なおも立ち上がろうとする山羊の額へ銃床を振り下ろして頭蓋を叩き割る。
その高齢者の背後を取ろうとした別の仔山羊は熊型の獣人に張り倒された。その熊獣人の口には仔山羊の首筋が加えられていて、獣人は仔山羊の生き血を啜りながらさらに前進していく。
熊獣人に続いて今度は2足歩行のシオマネキのような異星人と茄子のような質感の肌を持つ異星人が現れて周囲に色とりどりのビーム射撃を撒き散らしていった。
そのビーム射撃の弾幕の中を球状の半透明なフィールドに守られたまるでファンタジー小説に出てきそうな鎧に身を包み剣を手にした黒髪の少年が現れて左手で印を作り呪文の詠唱を始める。
「≪雷帝よ! 我に力を≫、アレ? 出ない……?」
「少年よ。こっちの世界で“雷帝”と言ったら昔のロシアの皇帝の事だぞ!?」
「あっ、スイマセン……」
魔法の発動に失敗して敵に取り囲まれた少年をカニとナスの異星人が助け出すと少年は恥ずかしそうに頭を掻いて礼をする。
「……どうです? 泊満さんが他人が分からない事でも分かっちゃう力を持ってるのは知ってますけど、ぶっちゃけ、それだけだとちょっとキャラが弱くないっスか?」
「うん? キャラが……弱い……?」
「そりゃあ分かりますよ? 昭和の時代はそれだけでもビンビンにキャラが立ってたってのは……」
今度は涼子の方が言い辛そうな顔をしていた。
泊満の目から視線を逸らし、できるだけ彼の心を傷つけないよう言葉を選んでいるのが彼女が本心からそう思っている事を物語っている。
「泊満さんが言っている事も分かりますよ? 他人が持っていない力を持っているから排斥される。それが怖い。うん、それは分かります。……でも、ぶっちゃけこの御時勢、そんな心配いらないんじゃないかな~って……」
「そ、そうかね?」
「宇佐たちは異次元人だし、さっきのカニみたいな人とイルカみたいな黒い人は宇宙人らしいですし、さっきのコスプレみたいな子は異世界帰りらしくて1回、死んでお墓に自分の遺骨が入ってるらしいですよ?」
涼子は憐れんでいた。
夜道を歩く子供が風に揺れる木の枝に怯えるのを大人が馬鹿にするでもなくそうするように、涼子は泊満を憐れんでいたのだ。
「逆に聞きますけど、泊満さんは宇佐が怖いですか? やろうと思えば一瞬で宇佐は泊満さんの首を掻き切る事ができますけど」
「そんな事しませんよ!?」
「それは分かってるわ。でも、泊満さんが言っているのはそれができる力があるって事じゃないの?」
「うう……」
宇佐が大きな瞳で泊満へ縋るような視線を送る。
これにはたまらず泊満も「フフ……」と笑い、笑いと共に襲ってきた胸の痛みに耐えながら宇佐の頭を手を乗せて優しく撫でてやった。
「宇佐君の事は怖くは無いよ。君は優しい子だと知っているからね」
「はい!」
「私自身も何の事は無い。ただの取り越し苦労だと?」
「まあ、泊満さんが今まで私たちを守ってきてくれたおかげで私たちは宇佐やその他、色んな種族の人たちと友好的な関係を築けるようになったわけで、今となったら泊満さんもちょっと地球人と違うくらいで、そんな気にする必要無いんじゃないですかねぇ……」
そこにいたのは「虎の王」と呼ばれるヒーローではなかった。ただ1人の疲れ果てた年老いた男がそこにいた。
「……涼子君」
「はい」
「ティーゲルを使え。私の“ちょっとだけ他人より良い勘”で察するにあの黒い山羊は只者じゃあないぞ。大概のあの手の奴はどこかに核があってそれを潰せば倒せるのだが、奴はそんなんじゃあない」
「というと?」
「アレは、そうだなぁ……。『日に千匹の子を産む山羊』、すなわち生命力の塊のような奴だ。奴の生命力が尽きるまで殺し続けろ!」
泊満の言葉に呼応するようにティーゲルのエンジンが唸り声を上げて車体は振動し、壁面のタイルが僅かに崩れて光が室内へと差し込んでくる。
涼子にはそれがただの機械であるハズのティーゲルが自身を招いているように感じられた。
「……了解! 行くわよ、宇佐!!」
「はいな!」
泊満は戦いに赴く種族の違う2人の少女を見ながら満足気に深呼吸し、そしてゆっくりと瞼を閉じる。
次回(多分だけど……)、ステルス性能が高すぎる主人公=サンがやってくる?




