幕間 帰ってきたべりあるさん!
巫女。
正月の神社で御守りや御神籤を売るコスプレの販売員たちの事ではなく、本来の意味での巫女とは“神との交信者”を指す。
古来より巫女は神の意を民草たちへと伝え、逆に民草たちの声を神へと届け続けてきたのだ。
当然、怒りで荒れ狂う神を鎮める事もまた巫女たる者の役目であった。
だが常人を超越した力を持つ神が相手の事。
神の怒りを鎮めようとする巫女がどれほどの事ができたのかははなはだ疑問である。
(以上、石動仁、磐手大学卒業論文より一部抜粋)
「ちょっとぉぉぉ!! アーシラトさん、止めてぇぇぇ!!」
「っうるせぇぇぇッ!! 止めるな、咲良ァァァ!!」
H市総合運動公園。
その陸上競技場のフィールドに横たわる全身が闇でできたように黒いナイアルラトホテプをアーシラトが殴り続ける。
蛇の下半身をナイアルラトホテプに絡みつかせて自由を奪い、マウントポジションの状態で幾度となく上半身のバネを効かせたナックルアローが邪神の顔面へと叩き込まれていく。
「べ、ベリアルさ~~ん! ベリアルさんも止めてッ!?」
「あ~っはっはは! あはははは!!」
まるで悪魔、いや悪魔そのものといった形相で邪神を殴り続けるアーシラトの後ろから長瀬咲良が羽交い絞めにするように止めようとするものの、中学1年生の中でも貧相な体格の持ち主である咲良にはとても荷が重い事であるのは一目瞭然。
たまらず咲良はすぐにそばにいるベリアルへと助けを求めるが、その悪魔ベリアルはもうこれ以上に面白い事は無いといった感じで腹を抱えて大笑している。
本来、魔杖デモンライザーの制御下にあるベリアルは杖の持ち主である咲良に命じられたら、それが例えベリアルの意に反する事であっても即座に行動に移さざるをえないのであるが、あくまでそれは「命令」でなければならない。
咲良自身が心の底からベリアルへと命を下すのならばいざしらず、「お願い」という感覚くらいでは魔杖の強制力は働かないのだ。
「ベリアルさん!? 笑ってないで早く止めてェ!!」
咲良も俗に「箸が転がるだけでも面白い年頃」と呼ばれる少女である。だが、それでもただ他人が殴られているのを見て喜んで大笑いするベリアルの精神性はまるで理解できない。
もしくは胴にしがみついてアーシラトを止めるの諦め、今度は右腕にしがみ付いたはいいがそのまま遊園地の遊具のように振り回されている自分を見てベリアルは笑っているのだろうかと咲良が思い始めた頃、周囲から続々と集まってきたヤクザガールズや大H川中野球部員たちの助力を得てやっとアーシラトを止める事ができた。
「はぁ? なに、お前も咲良の手下になったのか!?」
「……お前にボコられながら辞めたくなったところだがな」
アーシラトの動きが止まったところで咲良が事情を説明すると今までの怒り狂った様子が嘘のようにカラッとした態度でアーシラトはナイアルラトホテプを開放する。
「ちぇッ! もう少し楽しませてくれたって良いじゃない?」
「勘弁してくださいよ……」
反対にベリアルは物足りないのか口先を尖らせて不満を露わにしていた。
いつもは「男装の麗人」という言葉がこれ以上にないほど嵌る美貌を誇るベリアルであったが、今は何か他に面白い事はないかと周囲を見回してまるで好奇心旺盛な子猫のようにさえ見える。
「え~と、すいませんね。ナイさん?」
「これで『帰らせてくれ!』とは言わんがな、それでも我をカードに戻すなりしてくれても良かったのではないか?」
先の閉鎖空間での戦闘直後よりも疲れ果てた様子のナイアルラトホテプに咲良は「ハハハ……」と愛想笑いを返すほかない。
「す、すいません。いきなりの事でそこまで頭が回らなくて……」
「ふむ。主にはその手の判断力も含めた特訓も必要か……」
確かにナイアルラトホテプの言う通りに先ほど彼をカードに戻す事もできたであろうにそれを思いつかなかったのは明らかな過失であるように咲良は感じていた。
「そうですねぇ。確かに今のは私が至らなかったと思います。なので、先の命令に反しない限りある程度の自由は与えたいと思うんですが……」
「……いや、自由裁量権とかそういうわけではなく、アーシラトの奴に反撃しようと思っても体が動かなくてな」
「え、体調不良ですか? カードに戻ります?」
「いや、そういうのでもなく……」
3つの燃える瞳を閉じたナイアルラトホテプの顔は黒一色で表情を窺う事はできない。
それでも不思議そうにしているのがありありと感じられるほどに邪神は首を傾げ、手を顎に当てて考えこんでいた。
「ああ、その理由を教えてやろうか?」
「ベリアルさんは分かるんですか?」
「そりゃあ、モチのロンよ! その代わり『ぷり~ず てる み~ ベリアル様』って言ってごらん?」
その言葉は咲良に向けられたものではない。
ベリアルは「どうする?」とばかりにナイアルラトホテプに悪意の籠った微笑を向けている。
放っておけば「私の靴を美味しそうに舐めろ!」とでも言い出さんばかりのベリアルの様子に仲間になったばかりの邪神がキレたりしないか咲良はハラハラとさせられるが、当のナイアルラトホテプの反応は2人の予想に反したものだった。
「Please tell me ベリアル様……」
「あっりゃ、こりゃツまんない……」
「もう! ちゃんと言う通りにしたんですから教えてくださいよ!」
「はいは~い」
そもそもの感覚が地球の者とはズレているのか、ナイアルラトホテプはスラっと言われた通りの言葉を返す。
内心では分からないが少なくとも表面上は屈辱を感じている様子も見られない。
その様子にベリアルはいくらか気落ちした様子で耳の辺りを掻きながら話を始める。
「え~と、ウチのご主人様がアーシラトの奴に“神格”を取り戻させたって話は知ってるか?」
「それは初耳だが」
「まぁ、それでアーシラトに霊的な繋がりができて、御主人様はいわゆるアーシラトの巫女ってわけだ」
「ふむ。地球人には稀なレベルの魔力を持つのはそういう理由か」
気を取り直したのかベリアルは再び微笑を浮かべながら話をしている。
その表情からどうせこれからナイアルラトホテプが驚愕する、それも彼にとって都合の悪い展開が待ち受けている事は想像に難くない。
そうでなければベリアルが面白そうな顔をする理由が無いのだ。
「で、お前は魔杖を通じてご主人様の支配下にあるわけだろ?」
「うむ」
「つまりは『アーシラト→御主人様→お前』って図式が成立するわけだ! お前が御主人様の祭神であるアーシラトに逆らったりできるわけないだろ! バーカ、バーカ! お前は奴に殴られても反撃すらできないよ!」
「…………」
「アハハハハハ!! こりゃおかしい!」
言いたい事を言い終えるとベリアルは堰を切ったように笑い始めた。
咲良にとってもベリアルが話していた内容については初耳であったのだが、笑い狂うベリアルを向いたまま困惑した様子のナイアルラトホテプへフォローを入れようと彼に近寄って行った。
「ええと、そんなに心配しなくても私だって仲間に酷い事はさせるつもりはありませんよ?」
「い、いや、そんな事よりも……、だ……」
「うん、何か?」
ナイアルラトホテプは腹を抱えて笑うベリアルと咲良の顔を何度も見返してから躊躇いながらも口を開く。
「な、なぁ、我の間違いなのかもしれないが……」
「何でしょう?」
「今のベリアルの話って、別に我に限った話ではなく、アイツ自身も我と同じ立場なのではないか?」
「うん? そういえば、そうですね?」
ベリアルが言った「アーシラトに逆らう事はできず、殴られても反撃する事すらできない」というのはそっくりそのままベリアル自身にも当てはまるのだ。
その唯一の例外は魔杖デモンライザーを介した命令であるのだが、それはナイアルラトホテプも同様。
しかも……。
「それに僅かばかりの“神格”を取り戻しただけのアーシラトでは我を殺す事まではできんが、逆に悪魔であるベリアルは簡単にアーシラトに殺されるのではないか?」
「そ、そうなんですか?」
「そりゃ、そうだろう」
そう。
むしろベリアルはナイアルラトホテプよりも悪い立場にあったのだ。
邪神の言葉に今度は咲良の方が困惑した表情を浮かべていつまでも笑い続けているベリアルを見る事になる。
「なあ、教えてやらなくていいのか?」
「いやぁ~、復活したばかりでこんなに楽しそうなベリアルさんを見るのも久しぶりなんで、もう少しこのままでいいかな~って……」
「そ、そうか……。主も大変だな……」
「そういえばツチノコさん、戻ってきませんね~」
「うん? 我も向こうには留守番を呼んでおいたが、デスサイズも向かったんだし大丈夫だろう?」
それから数分、さすがに笑い疲れたのかベリアルの笑いも収まりつつあったが、それでもナイアルラトホテプの顔を見ては笑いがこみ上げてくるのか幾度も発作的に思い出し笑いを続けていた。
事情を明智元親の他、総合運動公園に詰めていた面々に説明した後、咲良は先のナイアルラトホテプとの死闘の疲労から動く事ができなくなっていたのだ。
ベンチに座り元ツチノコの天使が戻ってくるのを待つが、飛びさって行く時のスピードを考えればもうとっくに河童を連れて帰ってきてもよさそうなものなのに一向にその気配が無い。
「え? 留守番って帰ってもらう事ってできないんですか?」
「無理だな。アレは我の親戚だが、恐らくは我よりも話が通じんぞ」
「……た、大変! 私も行かなきゃ!」
ベンチから立ち上がろうとした咲良であったが足に力は戻っておらず、立ち上がった勢いそのまま前へと倒れ込みそうになる。
隣に座っていたナイアルラトホテプが慌てて立ち上がって咲良の肩を抱きかかえたために何とか地面とキスする事は避けられたがしばらく咲良の体は使い物になりそうは無い事は誰の目にも明らかだった。
「主はもう少し他者に任せるという事を覚えよ! そうやって以前、主はベリアルを失ったのだろう?」
咲良を窘めるようにナイアルラトホテプが諭すが、そのベリアルを殺した当の本人に言われては咲良もどういう顔をすればいいのか分からない。
「ルシフェルもデスサイズも行ったのだ。主がこんな体で向かったところでかえって邪魔になるだけだ。それにどうせ向こうにはクトゥグァもいるのだろう?」
「あれ? クトゥグァってナイさんを騙すつもりで……」
「ああ、その種明かしはまだだったな……」
邪神は咲良の気が紛れるのならとクトゥグァと呼ばれる旧支配者、あるいは宇宙怪獣サウスガルムの話を始める。
「……そんなわけでクトゥグアの奴が荷電粒子砲でも使えば我の親戚、シュブ=ニグラスとて退散するだろうよ」
「はえ~……。宇宙って凄いんですねぇ……」
ナイアルラトホテプが語るにはクトゥグァの成体ならば先に地球圏へと迫った銀河帝国の宇宙巡洋艦とて鎧袖一触にするであろう事など、かの宇宙怪獣の脅威がいくらか誇張を交えながらも伝えられた。
だが、丁度その時、その近くを通りがかった明智元親がその話に割って入ってくる。
「……ちょっと待ってくれ。『荷電粒子砲を使えば』って、逆に言うと荷電粒子砲を使わなきゃいけないとでもいうのか? それほどの相手がいるのか!?」
「えと、その主婦ニコラスだかニコラス刑事だかって、そんなに強いんですか?」
「……シュブ=ニグラスだ。ワザとなのか?」
慌てて駆けだしていく明智を目で追いながら咲良は河童の無事を祈っていた。
べりあるさ~んはゆっかっいだな~!




