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「……ぐふぅッ! ほ……、砲塔旋回! 急げッ!!」
ティーゲルが側面からビルへと衝突した際、泊満はバランスを崩して車長用キューポラハッチの縁へとしたたかに鳩尾をぶつけていた。
視界が霞み、ゆっくりと緞帳が下がっていくかのような感覚を覚えながらも何とか咽頭式マイクで車内へと指示を出すが、いつもよりも大分、遅れて砲塔は旋回を始める。
だが巨大な黒山羊がティーゲルへと不気味に節くれだった腕を伸ばしてくるというのに砲は沈黙したままだった。
「どうした!?」
ハッチの中を覗き込むと装填手が頭部をぶつけたのか昏倒しており、車内の弾薬庫から砲弾を手渡そうとしている通信手も昨晩の傷が開いたのか血まみれの手を震えさせながらやっとの事で砲手へと砲弾を渡している。
主砲の構造上、砲手側から砲弾を装填するだけでも手間だというのに、その砲手も左腕を負傷したのか右腕だけで砲弾をなんとか装填しようと悪戦苦闘していたのだ。
しかし、砲手はハッとしたように今、まさに装填しようとしていた砲弾の弾種に気付いて動作を止める。
「そいつで構わん!」
「しかし……」
「フッ! 見くびってくれるなよ! 長い付き合いじゃあないか!」
「ハッ……!」
ハッチの中の砲手へと指示を出した泊満の言葉に渋々といった様子で砲手は砲弾を装填、体を滑らせて射撃姿勢へとつく。
黒山羊の長い手は今、まさにティーゲルへと届こうとしていた所だ。
そしてティーゲルの主砲が火を噴く。
ぢゃきッッッ!!
泊満が主砲の轟音よりも強く感じたその音は砲弾の破片が空気を切り裂く音だったのか、それとも撒き散らされた破片が自身の頬を深く切り裂いていく音だったのか。
砲手が装填して発射した砲弾は榴弾だった。
砲弾内部に充填された炸薬が信管の作動によって爆発し、周囲へと弾片を撒き散らす榴弾は至近距離の敵へと撃つのにはあまりにも危険な兵器である。
ティーゲルの装甲が弾片によって貫通される事は無いが、観測装置や機銃を破損する恐れがあるだけではなく、ハッチから上半身を出している泊満を用意に砲弾の破片は殺傷しうるのだ。
それを砲手は危惧して躊躇っていたのだった。
第2次大戦中に開発されたティーゲル重戦車が何故、21世紀の今日においても活躍できているのかといえば、それは一重に現代のヴェトロニクスをも凌駕する泊満の直感力と指揮能力の賜物だ。
それが失われてしまえばティーゲルは途端にただの大戦中期の旧式戦車へと化してしまう。
無論、泊満には砲塔内へと入って榴弾の破片から身を守る事もできた。
だが彼には先のビルへ衝突した時の負傷によって、今、砲塔に中へと入ってしまったら2度と立ち上がる事ができないのが分かっていたのだ。
体を捩って勘で致命傷だけは避けたものの、砲塔の天面へと肘をついてなんとか立っている泊満の頬や肩から滴る血液は止まる事を知らず、ハッキリと体温が下がっていくのが実感できるほどだ。
「ふん! 何をするかと思えば馬鹿の一つ覚えみたいに!」
しかし、自爆覚悟の砲撃は黒山羊の掌へと命中していたものの、何事も無かったかのように手を開いては閉じるのを見せつけながら黒山羊は大きく毛皮を揺らしてせせら笑っている。
「うおおおおおぉぉぉ~!!」
雄叫びを上げながらルックズ星人がティーゲルの間近へと迫っていた黒山羊へと脚部ジェットエンジンを用いて飛び掛かり、後頭部の長いボサボサの毛を掴んでしがみ付く。
「これでも食らえッ! 香川県民対抗兵器だ!!」
音声認識装置によってルックズ星人の全身が爆ぜた。
いや、正確には彼の身を包んでいた多機能ボディーアーマーがである。
先に黒山羊に質量保存の法則を無視した増殖を見せつけられ、自身の常識が根底から崩れ去った事による“SAN価チェック失敗”による狂乱状態にあったルックズ星人であったが、そのような状態にあってもむざむざと「虎の王」がやられるのを看過していてはおけなかったのだ。
「UN-DEAD」がまだ健在であった頃、「日本ソヴィエト赤軍」の残党たちが語る「虎の王」の手強さには言外に「あの男と戦火を交えても我々は生き残ってきたのだぞ!」という誇りが感じられた。
また「ナチス・ジャパン」の代表である鉄子も「私の両親や祖父は『虎の王』を相手に一歩も退かずに戦ったのだ」という亡き家族への誇らしさがあった。
「UN-DEAD」の生き残りとして彼らの誇りを汚す事はできなかったのだ。
しかし香川県民対抗兵器、全身のアーマーに仕込まれた炸薬によって金属球を全周へと撃ちだす1度きりの奥の手を用いても黒山羊の毛皮を焦がす事すらできず、逆にルックズ星人は黒山羊の巨大な手に捕まれてアスファルトの上へと叩きつけられてしまった。
2度、3度と道路上をバウンドしていき、これが地球人であったならば間違いなく即死していたであろうダメージを負うが、何とか辛うじてルックズ星人は生きながらえている。
もっとも殺虫剤をかけられたゴキブリのように全身をピクピクと痙攣させている状態でもうこれ以上の戦闘行動は不可能であろう事は誰の目からも明らか。
「ええい! 虫ケラどもがいつまでも往生際が悪い!」
黒山羊は明らかに苛立った様子で先にルックズ星人のとどめをさそうと巨大な体で踏みつけるべき移動を始めた。
その黒い大山羊の前を小さな、本当に小さな光輝く何かが横切る。
「ん? なんだ……? これは……」
それは非現実が現実を凌駕した時の現象でもあり、この惑星に宿る意思無き意思たちの具現化でもある。
人はそれを“人魂”と呼び、また遠く辺境の民は“精霊”とも呼ぶ。
「……呆れた。『時間を稼いでくれ』って頼んだのに、随分とガチンコじゃない?」
そこにいたのは1人の女性。
8.5等身の長身に長い手足。一見、海外のファッションモデルにも似ているが、見る者が見れば一目で気付いたであろう。
全身の筋肉は猫科の猛獣のように柔軟性と力強さを併せ持ち、しかもそれを十全に活かすために体幹、特に下半身が発達したその姿はまさに理想的な野球戦士である事を。
「でも、そういうの、嫌いじゃないわよ」
「何者だ、貴様!?」
腰まで伸びたまるでそこだけ夜の帳が降りたような黒い髪。
黒曜石のように黒く、意思の強さを現したかのような2つの瞳。
そして身を包むは縦縞の戦闘服。
「虎よ! 虎が1匹だけだって誰が決めたのよ!?」
精霊たちが歌いだす。
猛き虎の雄姿を讃える歌を!
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