46-1
実は前回、「以上で第45話は終了となります」って書きましたが、泊満さん編の事を忘れてました。
というわけで今回と次回は本来は第45話に入っていた部分となります。
しれっと45話を続けてもいいけど、読者が混乱するかな~って……。
H市の臨海エリアは古くからある貨物の荷揚げ用の港湾施設と新興のオーシャンビューを売りにしたマンションやそれに付属する商業施設からなっている。
市内の工業団地へと原料を供給し、そこで作られた製品を世界中へと送り出す港はけして派手さはないものの市の財政の屋台骨を担う重要な施設であり、H市の特性上「不況知らず」と知られていた。
その港湾施設を静寂が支配していた。
コンクリート建築の谷間に吹き込むビル間風も、つい先ほど強行着陸した宇宙船が引き起こした火災の音も、そして鋼鉄で鎧われた巨獣の如き兵器が上げるエンジン音も周囲全体を包む静寂を打ち消すのには至らずどこか寒々しさが拭いきれない。
1人はその静寂にまるで自分が世界の中心になったように感じていた。
いつものように鋼鉄の巨獣、六号戦車ティーゲルの砲塔上車長ハッチから上半身を出していた泊満は無感情とも取れる顔をしてしっかりと前方の茶色い外壁のビルを見据えている。
彼の地球人の枠を超越した精神と脳髄は研ぎ澄まされ、もはやビルの谷間という死角ばかりの状況も彼にとっては何の障害物や稜線すらない平野と変わらないといっていい。
1人はその静寂に自分が死地に立った事を否応なく実感して身を震わせ、そしてもう1人は何を考えているかすら分からない。
多機能ボディーアーマーに身を包んだ「のっぺらぼう」のような宇宙からの来訪者、ルックズ星人はボディーアーマーの腰部ジョイントに取り付けていたロングバレルレールガンを切り離して投棄する。
小型艇を強行着陸させた直後に殺到してきたナイトゴーントの集団をルックズ星人はレールガンの連射で掃討して黒い汚水の水たまりへと変えていたものの残弾はほぼ尽いてしまった状態。
それならば邪神ナイアルラトホテプの支配するエリアのド真ん中という何が起きるか分からない状況ではデッドウェイトを無くして少しでも身軽になった方がいいとの判断からだった。
だが代わりに背部のマウントから取り出したのは地球の短機関銃や個人防衛火器にも似た小型の兵器。
わずか数時間で「UN-DEAD」を壊滅させたナイアルラトホテプの軍勢を相手にするのにはあまりにも頼りない武器だ。
「君はあの小型艇の中で籠城していたらどうかね?」
「仲間たちの仇を前に1人で安全な所にいろと言われますか?」
ルックズ星人の胸中を見透かしたかのように泊満はティーゲルの左にいた異星人へ語り掛けるが、逆にそれはルックズ星人の闘志に火を付けたようだった。
「それよりも、そんな小さな子を連れてきてどうするというのですか?」
「ハハッ! 私も妖怪と共に戦うのは初めてだがね。それを言ったら異星の人と轡を並べるのも初めての事だよ?」
「うん? 今、何と?」
ルックズ星人は四方八方を警戒するように機敏に体をあちこちへ向けながら両手で抱えるように構えていた銃器のセンサー類から送られてくる各種の情報をハンドヘルドコンピューターのディスプレイで確認していたが泊満の言葉に思わずティーゲルの車体の上に立っている幼女を見た。
赤を基調とした煌びやかな和装を纏った幼女を泊満は今、何と言ったか?
地球暮らしの長いルックズ星人は流暢に日本語を話す事ができるために普段は脳内に埋め込まれた補助言語チップを使ってはいない。
だが相手は齢100を超えた老人、古い言い回しか何かかと思って脳内言語チップを起動させるものの、ルックズ星人が先ほど聞き取った以上の情報は示される事が無かった。
(ま、まあ、相手は認知症の老人だし……)
ルックズ星人は認知症の老人の戯言と自分を納得させるものの、その認知症の老人につい先日、地球人の技術レベルでは探知する事ができないように隠蔽処理された山中のアジトを襲撃されていた事を思い出して背筋に冷たいものが流れるのを感じていた。
着物と同じような布で装飾された毬を抱えた幼女がそんな非常識な存在であるわけがないとルックズ星人は意識的に話を逸らす事にする。
「ところで前方の茶色いタイルのビルの屋上に河童が捉えられているのは突入前に上空から確認した通りですが、本当に私たちだけで?」
「さすがにそうはいかんだろう」
「ではこんな所で味方の集結を待つので?」
ティーゲルの応急修理が完了した直後、泊満はルックズ星人に出撃を命じていた。
「それでは、行こうか?」と提案の形ではあったし、高圧的な態度を取られたわけでもない。むしろ彼の物腰は柔らかく気品に溢れていたと言ってもいい。
だが泊満の内に秘められた闘志に射竦められたルックズ星人にとっては有無を言わせない命令が下されたのと一緒である。
だが小型艇が離陸してからも、事前に入手していた情報から河童が捉えられている現場を望遠カメラで確認してからも泊満は何も作戦らしい作戦を示す事はなかった。
ただ彼は「あそこに降ろしてくれたまえ」と指示をしただけ。
敵の対空砲火が予想されるために垂直降下は諦め、速度をある程度保ったままの着陸になったがそれについても泊満は「了解した」と返すばかり。
そして着陸態勢に入った所でティーゲルの残る4名の乗員に乗車を命じ、強行着陸の衝撃が収まったところでルックズ星人にハッチを開放させるととっとと発進を始めて周囲の敵と交戦を始めていたのだ。
着物姿の幼女もその小さな体からは想像もできないような跳躍でティーゲルの車体へと飛び乗り、ルックズ星人は慌ててボディーアーマーにレールガンを接続して彼らの後を追ってきたのだった。
果たして敵として神出鬼没の「虎の王」を相手にするのと、味方として好き勝手に徘徊する痴呆老人の介護をするのとどちらが楽だろうかとルックズ星人は思うものの、もはや彼に助力して邪神の企みを阻むしか「UN-DEAD」の矜持を示す道は無いのだ。
「UN-DEAD」の理念とは「けして屈せぬ事」。
組織が壊滅していたとしても、地下暮らしを余儀なくされていたとしても彼らは屈する事を良しとしなかった者たちの集まりだ。
それは例えヒーローたちや国家権力が相手だろうと宇宙を荒らしまわる邪神が相手だろうと変わりがない。
「UN-DEAD」には日本政府の打倒を標榜していた組織も参加していたが、それはけして邪神の傀儡と化して行われる事ではなかった。
むしろ彼らの身中に潜み、時期を見るやショゴスを放って「UN-DEAD」の仲間たちを無理矢理に手駒と変えていくなどという非道、ルックズ星人には許すわけにもいかないのだ。
邪神の企みを挫くためならば、これまで幾度となく苦渋を舐めさせられてきた「虎の王」に協力する事も甘んじて受け入れるつもりである。
だが神出鬼没、山林に潜む虎の如しと恐れられてきた「虎の王」が完全ノープラン故に神出鬼没だとはさすがのルックズ星人も思わなかったのだ。
今もとっとと敵勢力の中心に乗り込んだかと思えばそのまま突っ切るわけではないという。
確かに敵勢力圏内に橋頭保を築く事で後の味方の集結が楽になるという考えもあるし、地球の軍隊でもそのような目的のための空挺部隊が組織されていたりもする。
だが、空挺降下で敵勢力圏内に橋頭保を築くというのはもっとも危険な作戦の1つであり、けして考え無しに行っていい作戦ではないのだ。
「まあ、そんなに心配そうな顔をするな」
「はあ、貴方には私の表情が分かりますか?」
軽い調子の泊満にルックズ星人は浮かぬ声で皮肉を返す。
ルックズ星人の顔面には目や鼻、口といった部位は無く、小泉八雲の「怪談」に登場するのっぺらぼうのような風貌である。
そのような顔をしている自分の表情をよく「心配そうな顔」などと言えたものだと思うが、泊満はそもそもルックズ星人の方など向いてはいなかった。
微速でティーゲルを前進させながら、河童が捉えられている港湾センタービルだけをただ見据えている。
「私が昔、ドイツにいた時の話だ……」
「はあ……」
「当時は戦車という兵器が本格的に使われ始めた頃で戦術というものも未だ手探りの状態でな」
ルックズ星人も「UN-DEAD」のデータベースで「虎の王」の過去についてはある程度は知っていた。
彼は第二次世界大戦中、重戦車研究の名目のためにドイツへと派遣されていた武官であったという。
「ドイツ参謀本部で研究段階だった戦術の1つにPanzerkeilというものがあってな」
「パンツァーカイル?」
「ああ。楔のように敵陣へ穴を開けるための機甲部隊用の陣形と言ったところかな? 車輛1台を1つの陣に見立てるなら日本や中国の魚鱗の陣形にも似ていると言っていいだろう」
ルックズ星人も地球暮らしは長いために暇を持て余して地球人の戦術については調べていた事がある。
その彼が知らないという事は恐らく何らかの問題があって今では使われていない戦術なのだろう。
現在の地球人同士の大規模戦闘では旧ソ連式の縦深戦術やあるいはNATO式の空陸連携戦術が取られる事が多い。
第一、今、こうして話を聞いてみただけでも楔形陣形の切っ先、最前列の損耗率は洒落にならないレベルで酷いものになるだろうと想像が付く。
「君も何か言いたげだがね。もちろん地球人だって馬鹿じゃない。まぁ、同族同士で殺し合ってると思えば大馬鹿だがな。
それはともかく、そのパンツァーカイルの再先鋒を進む車輛には敵弾を物ともしない重装甲と敵戦車を圧倒する大火力が必要とされていたのだ。そして、その戦車こそが……」
泊満は自身が半身を出している砲塔の天面を軽く叩いて見せる。
「ウチのお嬢さんというわけだ。だが、パンツァーカイルにも問題があってね……」
「何です?」
「ティーゲルはその複雑な機構や生産に必要とする資材の量から量産には向いていなくてね。先鋒のティーゲルの脇を固める車輛を必要とするわけだが、当時のドイツのⅣ号戦車にはちと荷が重くてね。まぁ、それは戦後に自衛隊が装備した61式や74式でも同じなのだが……。
そこで私は考えた!」
港湾センタービルを見据えたままの泊満の口元が僅かに綻ぶ。
「他の戦車に荷が重いのなら、いなくていいや! と……」
「は?」
「つまりは我々が1輌で敵をひっかきまわしてやるから、後から頃合い見てやってこいというわけだ」
「というと、陣形としてのパンツァーカイルではなく、貴方は単騎で敵陣に穿たれたパンツァーカイルだと?」
「ああ!」
ルックズ星人の口は顎の下に隠れた小さなものである。だが、彼が地球人であったならばあんぐりと開いた口が塞がらないという慣用句通りに恰好になっていたであろう。
「虎の王」が考えていたのは橋頭保を築いて味方の来援を待つという温っちょろいものではなかった。
味方が来る前にあるだけの砲弾を撃ちまくって敵を撹乱するつもりだと言っているのだ。
案外、先ほどルックズ星人がロングバレルのレールガンで上空から迫るナイトゴーントの群れを倒したのだって「虎の王」からすれば「撃破記録を取られた」くらいに感じているのかもしれない。
無論、伸びた背筋から優雅さすら漂わせる泊満がスコアを取られたくらいでうだうだ言い出すわけでもあるまいが、競争相手として意識されてはいるのかもしれない。
戦車の死角である真上からの攻撃にどうやって対処するのかは知らないが、意外となんとかやってしまうのだろう。
そう思わせるだけの気迫と自信が泊満という地球人にはあった。
「おっと、御誂え向きに私たちが相手しておくべき敵が来るな……」
「はっ!?」
泊満の言葉にルックズ星人も気を取り直して周囲を見渡すが、ビルの谷間は先ほどまでと同じように猫の子1匹見当たらず、まるで眠ったように死んだようにしか見えない。
左手首のハンドヘルドのディスプレーを確認してみてもなんら特異な反応は検知されていなかった。
「すいません……、って!?」
せめて車体の上の幼女を車内に入れてもらうようにティーゲルを振り向くが、車体の上で毬を抱えていたハズの幼女は半身になった状態で右腕を風車のように大きく回しながら気迫を籠った眼差しでルックズ星人の方を睨みつけていた。
「……セイッ!!」
「……えっ?」
幼女は大きく足を踏み出しながら風車投法で毬を投げた。
毬は縦方向に回転しながら器用にルックズ星人を避け、そして何かに当たって地面へ落ちた。
だが、何に?
投げつけられた毬が何かにぶつかって落ちた音はルックズ星人の僅か1メートルほど後方で聞こえたように思える。
だが、そこには何も無いハズ。
車道があって、後ろのビルまでは7、8メートルはあったハズなのだ。
ルックズ星人が恐る恐る、だが瞬時に跳びはねるように後ろを振り返って毬が投げられた方へ銃を向けるとそこにいたのは悍ましい何かだった。
鰐のように巨大な口吻からは長く鋭い舌を伸ばし、全身を膿汁に塗れたような剥き出しの筋組織に包み、しかもその黄色い泡だった汁が酷い悪臭を放っているのだ。
「ほう、“猟犬”といった所か……」
頭上から届いてくる泊満の「猟犬」という言葉。
そして目の前の不浄を体現したかのような生物の大きな口から覗くぬめった唾液に塗れ不規則に生えた牙にルックズ星人は思わず戦慄した。




