デモンライザー サクラ 第3話「私はデモンライザー」-3
「小賢シイ真似ヲシオッテ! 魔法デ殺レヌノナラバ直接、縊リ殺シテクレルワっ!!」
怒気のこもった叫び声と共にナイアルラトホテプが跳躍し、咲良の目の前に作られた“障壁”を殴りつける。
邪神の両腕が、両足が、そして邪神の背中から伸びた触手たちが土砂降りの雨のように“障壁”へと絶えまなく叩きつけられ、その度に術者である咲良の脳へと反動が激痛となって襲い掛かり、さらに“障壁”の維持修復のために魔力が脱力感を伴いながら身体から抜けていく。
“障壁”魔法も長くは持たない事は明白だった。
そもそも咲良が現在、発動させている“障壁”魔法は召喚術用の魔法陣に添付されているものだ。
本来、召喚術式に添えられている“障壁”魔法は長期間にわたって使用される事を考慮された物ではない。
召喚した悪魔や魔神から術者が不意打ちを食らうのを防ぐのが精々といったところでそれ以上の物ではないのだ。もし短時間で召喚対象と契約を結べない場合は魔法陣のもう1つの機能である“送還”魔法で対象を元の場所へと送り返せばいいだけだからだ。
そして“障壁”魔法が無くなってしまえばどうなるか?
そんな事はナイアルラトホテプの炎のように揺らめく3つの目に籠った怒りの色を見れば火を見るよりも明らか。
だが、咲良にはそんな怒り狂ったように青白い“障壁”を叩き続けるナイアルラトホテプの様子こそ自分の勝利への淡い期待を抱かせるものだ。
(怒ってるというよりも、焦ってる……の?)
咲良と真愛をこの漆黒の闇のドームへと閉じ込めた時のような余裕の表情は消え去り、邪神とはいえまごう事なき本物の“神”であるナイアルラトホテプがただほんの少し魔法を使えるだけの女の子である自分を相手に本気になって“障壁”魔法を遮二無二、突破しようとしている。
やはり真愛が言っていたように自分にはナイアルラトホテプがそうせざるをえないだけの何かがあるのか?
それは咲良をわずかばかりでも勇気付ける事になっていた。
いや、むしろ咲良はそのような確証を持てない事ですら自分を鼓舞するのに利用しなければならないほどの精神状態だったのだ。
それほどに咲良がこれからやろうとしている事は荒唐無稽で、成功の可能性だなんて考えるだけ無駄な事だと思っていた。
真愛が言うように心の底から「自分ならやれる」と信じる事など咲良には無理である。
羽沢真愛は小学生ながら「最強」の2つ名で呼ばれていた魔法少女のエリート。
その力は変身せず魔法すら使わずとも邪神の魔法弾を防いで見せた事からも一目瞭然。
しかも「旧支配者」討伐の実績すら持っているのだ。
対して自分はどうだ?
「悪魔のような存在と手を取り合って」などと志したはいいものの、結局は仲間たちに守られ続けてベリアルは死に、河童は攫われて生贄にされようとしている。
だが咲良には「心の底から自分を信じる事」こそできなかったが、「心の底から求める事」はできた。
何を?
仲間を、友を!
どうやって?
決まっている。おあつらえ向きにこの場には大掛かりな“召喚”術式があるではないか!
この魔法陣は元々、ヤクザガールズの山本組長用に作られた物で、彼女の血が混ぜられた水が散布されて山本組長専用に効率化されたものだ。
だが、それがなんだというのだ。
効率が悪かろうが必要なだけ魔力を注ぎ込めばいいだけではないか。
咲良はきつく魔杖を握りしめ、目の前の邪神を睨み頭の中に浮かんできた呪文を詠唱していく。
「我、求む! 貴女が褥を捨て、どんな世界の穴倉にいようとも我の前に姿を現さん事を!
アグロン! テタグラム! ヴァイケイオン! スティムラマトン! エロハレス……!」
それはソロモン王の遺産であった。
何故、咲良が初めて魔杖デモンライザーを手にした時に脳内に刻み込まれた魔法の知識が不完全なものであったか?
それは紀元前の時代に「旧支配者」と戦っていたソロモン王が知る魔法の知識は異世界「魔法の国」から情報がもたらされた現代の基準から考えれば稚拙で不完全なものであったからだ。しかし、それでもソロモン王は仲間たちとともに許せぬ邪悪と戦う道を選んだのだ。
そしてソロモン王は自身の死後に自分と同じ道を往く者のために魔杖デモンライザーを残した。
そしてソロモン王が不完全な知識を埋めるために重視したのが「熱意」だった。
少年が少女を想うように、大人が飢える子供を何とかしてやりたいと思うように、心を焼き焦がすほどに求め、求め続けて魔力を先鋭化させるのだ。
丁度、今、呪文を詠唱する咲良のように。
「我、求む! 友よ、その姿を現せ! ベリアル!!」
その名を唱えた時、思わず咲良は涙ぐんでいた。
出会いは最悪だった。
あの悪魔は手下たちと咲良たちを捕まえて鍋で煮こんで食らおうとしたのだ。
しかも後から聞いた話では子供の肉が好きというわけでもなく、子供を殺して食らえば、その話を聞いた者が余計に恐怖するからだという。
咲良たちはそんな理由でベリアルという悪魔に殺されそうになったのだ。
そして河童から譲り受けたデモンライザーのカードホルダーには何故かベリアルのカードが入っており、その時に思い出したかつての恐怖は言葉では言い切れないほどに酷いものだった。
今では信じられないが契約のチョコ菓子を渡す時以外はカードに封じたままにしようと思っていたくらいだ。
そしてやむを得ず身を守るためにカードから呼び起こして戦ってもらった時、ベリアルの赤い髪と金の瞳が燃える街の炎に照らされて心ならずも美しいと思ったものだ。
その後、ベリアルへの警戒は薄れ、「子羊園」で共に暮らすようになると彼女も“悪”である事には変わりはないが意外と可愛らしい所もあるように思えてきていた。
座敷童や河童のお菓子を盗ってみたり、子供たちに適当な事を吹かしてみたり、園長が腰に付けている湿布にタバスコを塗ってみたり。
そういった「悪い事をするな」と命じていても「これは愛嬌だから!」で済ませようとしているところ。
あるいは口では文句ばかり言いながらもチョコ菓子には目が無いところ。
「子羊園」のリビングでソファーに座り膝の上に幼い子供を乗せて女児向け特撮ドラマを食い入るように見ているところ。
そして死の直前に咲良が他の悪魔に狙われる事が無いようにと手の甲につけてくれた傷。
(ベリアルさん、貴女にもう1度、もう1度、貴女に会いたい! そして今度は貴女に守ってもらうだけではなくて……)
魔法というものが「不可能を可能にする力」ならば死んだハズの者を召喚しても良いのではないだろうか?
悪魔や妖怪などというものは肉体を持つが根本的には霊的なエネルギー体なのだという。
水蒸気が結露して水滴になり、さらに温度が下がると氷になるように高濃度の霊的エネルギーが肉となっているものなのだ。
ならば肉体の死にどれほどの意味があるものだろうか。
根拠は無い。
それに、どうせ地獄かそれに類する所だろうが、今、どこにいるかすら分からないのだ。
今はただ「不可能を可能にする力」に賭けて魂が求めるがままに亡き友を呼ぶだけだ。
「……クッ、フハハハハハ!! コレハ驚イタ! ソレガ御前ノ『切リ札』カ!? ヨリニモヨッテソンナ無駄ナ事ヲ!」
だが咲良がベリアルを召喚するための呪文を聞くと、怒りと焦りを隠そうともせずに“障壁”を突破しようとしていたナイアルラトホテプは一転、余裕を取り戻して高らかに笑いだしていた。
なるほど、確かに長瀬咲良は地球人にしては類稀な魔力を持っている。
羽沢真愛ほどとはいかずとも変身後のヤクザガールズの魔法少女など比較にはならないほどの魔力量である。
だがナイアルラトホテプが考える限り、死んだ悪魔を召喚しようとはこれ以上無いほどの悪手であった。
ナイアルラトホテプが長瀬咲良を恐れていたのはその魔杖デモンライザーによって霊的な存在を使役する能力である。
デモンライザーが“神”と呼ばれるような存在を使役できるのかは分からなかったが、“神格化”された存在、例えば「日本3大怨霊」と称される存在を使役したならばナイアルラトホテプもうかうかはしていられなかった。
それがよりにもよって先に戦って負けた存在を呼び出そうとは。
ナイアルラトホテプには咲良の気が触れたのかと思わざるを得ない。あるいは“悪魔”では“神”に勝つ事はできないという自然法則にも似た摂理を知らないのか、忘れているのか。
それ以前にだ。
そもそも長瀬咲良の魔力量ではこの世の者ではない存在を呼び出すにはとても足りないのだ。
しかも、それに輪をかけて地面に描かれている魔法陣は山本組長の魔力の波長に合うように調整されたもの。
他の者にも魔法陣の発動はできるが、とても非効率なやり方になってしまうのだ。
だが、もはや長瀬咲良に脅威は無いと判断し、後は咲良の魔力が尽きるのを待つ事にしたナイアルラトホテプであったが、一向に咲良の小さな細い体から魔力が尽きる様子は無い。
(……ドウイウ事ダ?)
すでに魔法陣を駆け巡っている魔力量は長瀬咲良が内包している魔力量を優に超え、それでも呪文を唱え続ける咲良の口調は明瞭なままだった。
「……ッ!? 羽沢真愛ッ! 貴様ノ仕業カ!?」
ハッと尽きぬ魔力のカラクリに気付いたナイアルラトホテプは咲良の後方にいる少女へ目を向ける。
羽沢真愛は先ほど魔法弾で吹き飛ばされた時のまま、上半身だけを起こして地に手を付いた状態であった。
その地に付いた両手から石灰で引かれた白線へと魔力が供給されていた。
「甘いわね、邪神! 貴方の敗因は貴方がわざわざ自分の手で殺さなくてはいけないと思った相手を同時に始末しようとした事よ! 1人ずつ確実に始末すべきだったわね!」
現役時代からは確実に肉の付いた羽沢真愛の顔付きが獲物を追い詰めた狩人の物へと変わっていた。
笑うように口角を上げて敵を睨みつけるその表情は飢えた狼にも似ている。
「咲良ちゃんがどれほど無茶な事をしようとしているかは分からない。でも、それに必要な魔力は私が出して見せるわッ!」
「クッ……、オノレ、ナラバ!」
かつて魔王アスタロトと数多の死闘を繰り広げ、千を超す異星人の軍勢を一瞬で灰燼と化し、そして予言に謳われた「アンゴルモアの恐怖の大王」を単独で屠った戦士の決意がこもった言葉である。
餓狼の眼差しに射竦められたか、精神の平静を失っていたナイアルラトホテプは咲良の召喚術を阻害するための反魔術の詠唱を始めた。
「不釣り合いにも不信者とくびきを共にしてはなりません。義と不法に何の交友があるのでしょうか。また、光が闇と何を分け合うのでしょうか。さらにキリストとベリアルの間にどんな調和があるのでしょうか」
それは聖書の言葉であった。
新約聖書に記された「コリント第二6章14~15節」。それは新約聖書の中で唯一、悪魔の個体名として「ベリアル」の名が記された箇所である。
そしてこの惑星で最大規模を誇る宗教の聖典の言葉にはその宗教を信仰する人々の力が宿る。
例え、その言葉を詠唱したのが外宇宙より来た邪悪な神であったとしても。
地球上でこの1節が唱えられた場合、信仰の力によって悪魔ベリアルを召喚する事は何人たりとてできなくなる。
そのハズであった。
「黙れェェェ! お前が聖書の言葉を語るなァァァ!!」
邪神が語る聖書の言葉に反応し、咲良は呪文の詠唱を止めて怒鳴りつけていた。
にも拘わらず魔法陣はいよいよ輝きを増していき、咲良が手にする魔杖もその装飾が魔法陣から立ち上がる青白い輝きと同じ色で光りだしている。
「墓穴を掘ったようね、ナイアルラトホテプ! 今、貴方の言葉によって咲良ちゃんの精神と魂は“悪意の悪魔”ベリアルと同調を始めたわッ!」
「ナンダト……!?」
「さあ! 咲良ちゃん! 最後の一押しよ!」
キリスト教の教会が運営する児童養護施設「子羊園」で育ち、エクソシストを志してきた咲良にとって、邪神に教典を利用される事は耐えがたい侮辱でしかない。
その心に芽生えた憎悪の炎。それはベリアルが敵を焼くのに使う炎、そしてベリアル自身の力の源泉と同種のエネルギーであった。
羽沢真愛の言葉によってナイアルラトホテプは驚愕し、完成間近となった術式を食い止めようと少女たちを守る“障壁”を叩くがすでに手遅れである事は明白。
それは見様によっては滑稽な姿にも見えただろう。
かつて完膚なきまでに打ち倒し、命を奪った相手を召喚しようとしている相手に対して邪神の態度は酷く怯えているようにすら見える。
「キリストとベリアルの調和は私が作る! だからベリアルさん! お願い、私と一緒に戦ってッ!」
咲良は腰のカードホルダーから1枚のカードを引き抜いた。
最後から5番目、亡き友の定位置。
今は白紙のカードを手にして「貴女の居場所はここだ!」とこの世界ではないどこかにいる友へと呼びかける。
聖書の引用は「新世界訳聖書 ものみの塔聖書冊子教会」より。
本編中の挿絵についてはakisa様から描いて頂きました。
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