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引退変身ヒーロー、学校へ行く!  作者: 雑種犬
第45話 なってしまった者 なろうとする者 なれなかった者
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太平洋編エピローグ 後編

 そして長い、永い時が流れて……。


 今、1柱の神が最後の時を迎えようとしていた。


 予言書に記されていた「神々の黄昏(ラグナロク)」もすでに終局へと向かい、その神の周囲は静寂が支配している。


 太陽も長い戦いの結果、舞い上がった塵と黒煙によって隠れ、ただでさえ気温の上がらない北欧の大地をいっそう冷え切ったものとしていた。


 その神はもはや指先1つ動かす事もできず、自分が背にしている物が大岩なのか、それとも何かの瓦礫なのかを確かめる事すらする気になれないでいた。


 今はただ何かに背を持たれかけた状態で黒く汚れた空と海を眺めて最期の時を待つばかりである。


 その神からは空と海との間に巨大な岬のように体を横たえる者が見える。


 彼の息子の1柱、魔狼フェンリルの亡骸だ。

 もし「エッダ」に記された予言が外れていなければ、彼の義兄弟である隻眼の神を一飲みにするものの、その息子である神に討ち取られて命を落としたのだろう。


 この場所からは見えないが彼の別の息子、魔竜ヨルムンガンドも今頃はどこかであの雷神と相討ちになっている頃合いだろうか?


 自身が腹を痛めて産んだ子であるスレイブニルはどうなるのだったか?

 主である隻眼の神と運命を共にして兄弟の腹に収まったのか? それとも意外とちゃっかり生き残っているかもしれない。


 1人娘のヘルはどこにいるものやら。

 まあ、彼女は父親や兄弟たちとは違って責任感の強い子であったからこんな乱痴気騒ぎに加わるような真似はしないだろう。


 それにしても、だ。

 我ながら早まった事をしたものだと思う。

 その神は自嘲気味に笑いながら血を吐き捨て、それでもこみあげてくる笑いはとどまる事がない。


 長きに渡って予言されていた自身の死の運命を変えようと様々な手段を模索していたものの結局は上手くはいかず、ついには予言されていた通りに「ラグナロク」の幕が開いた時、神々へ報せを届けるべく角笛(ギャラルホルン)を吹きながら天を飛び回っていた光の神ヘイムダルが帰還したのをたまたま見かけたおり、ヘイムダルの様子があまりにも疲れ果てているように見えていたがためにこれ幸いと背後から奇襲を仕掛けた結果がこれである。


 そう。

 この神、ロキは自身が荒事を不得手としていたのをすっかり失念してしまっていたのだ。


 首筋を狙って仕掛けたローリング・ソバットはいとも容易く背後からの奇襲を察したヘイムダルの腕によって掴み取られ、そのままドラゴン・スクリュー式にロキの体は大地へと叩きつけられていた。


 そのまま残る足首も掴まれたロキはまるで自身が竜巻にでもなったようにすら思える猛スピードのジャイアントスイングの遠心力を散々に味合わされ、自身の振り回される体が空気を切り裂いて奏でる笛のような風切り音を聞いて「これが奴の必殺技(フェイバリッド)、『真・ギャラルホルン』か!」と驚愕させられていたのだ。


 その後、大空へと放り投げられたロキは薄れゆく意識の中でヘイムダルがゆっくりと崩れ落ちるのを目にし、そして気付いた時にはこの場にいたのだ。


「いやぁ~……、『ヘイムダルと相討ちになる』とは聞いていましたが、まさか一太刀すら浴びせられないまま過労死の最後の一押しになるという事だとは思いませんでしたよ……」


 一しきり笑いこけた後、ロキはしみじみと1人ごちる。

 最期の時を迎えて悔いなどは残してはいない。結局、予言を覆す事はできなかった。だがこれまで数えるのも億劫になるほどの年月、神という存在にのみ許された長い年月を好き放題に生きてきたのだ。

 最後に1つくらい思い通りにいかない事があったとしてもそれがなんだというのだろう?


 こうして最後に神々と戦乙女(ヴァルキリー)神々の戦士たち(エインヘリャル)が次々と討ち死にしていくのを穏やかな気持ちで特等席で眺めていく事ができるのならば万々歳といったところだろう。


「……ん?」


 不意に風が止んだ。


 目に染みる煙の混じった風はどこかへいき、代わりに優しく鼻孔を刺激する懐かしい香りが漂ってきた。


「……ああ、貴女ですか。お久しぶりです」

「どうも、あんまり来てくれないものですから、こちらから来てしまいました」


 いつの間にやら1人の少女がロキの目の前に立っていたが、彼は不思議とも思わずに微笑みながら挨拶を交わす。


 いい加減に化粧の1つでも覚えたらいいと思うが少女は昔と変わらず飾り気の無いゴムで長い髪を頭の後ろでまとめ上げて団子のようにしているし、相変わらず白い割烹着を着ているのもまた懐かしい。


 そして昔馴染みの少女の後ろには銀色に輝く1台の屋台が置かれ、少女の手には1杯の丼があった。


「呂木さん、お疲れさまでした」

「ええ。疲れましたとも……」

「ささっ! ウドンをどうぞ!」

「といってもねぇ……」


 少女は笑顔で手にした丼をロキへと進めてくるが、ロキは彼には珍しく苦笑いのような表情を見せて自身の下半身を目くばせで示してみせる。


 ロキの下半身は無かった。

 彼はただ上半身のみを大岩か何かにもたれかけさせていたのだ。

 ヘイムダルのジャイアント・スイングを受けた時、ロキの華奢な肉体はその遠心力に耐えきれず、上半身と下半身は千切れて泣き別れ、そしてこの場へと飛ばされてきていたのだった。


 上半身だけといっても綺麗に刃物で切ったわけでもないので胃腸がどこまで残っているのかロキには分からなかった。


「生憎と貴女の前でウドンを無駄にするような事はしたくないんですよねぇ……」


 それは皮肉でもなんでもなく彼の心からの本心である。

 無論、昔懐かしいウドンを味わってから死にたいという欲求も無いわけではないが、永い時を経て自身と同じ座に昇ってきたのであろう少女へ最後に1つ、“神”として先輩らしい心意気を見せて死にたかったのだ。


 それにウドンを食べたはしから下から流れ出てきてしまっては出来の悪いコントか趣味の悪いホラーか分かったものではない。


 だが、少女は一際、輝くような笑顔を浮かべてロキの手に丼を持たせる。


「大丈夫です! ウドンはお腹で食べるんじゃありません。喉で感じて魂ですするんです!」

「……そんなんでしたっけ?」


 確かに最後にウドンを食べてからもう長い年月が経つ。

 あの時に感じた満腹感は思い出せなくても、幸福の実感だけは今も昨日の事のように思い出す事だできる。


 なにより丼から伝わってくるウドンの熱はロキの冷え切った指先を温め、指先から体を登ってくる熱は彼に食欲というものを思い出させていた。


「……そ、それじゃあ」


 丼の上に添えられていた塗箸を使ってウドンを持ち上げようとすると、箸で掴んだだけで分かるウドンの強いコシに箸から麺が逃げようとするので、慌ててロキは箸を持つ手に力を込めてウドンを逃さないようにして口へと入れた。


「嗚呼、美味しい。……本当に美味しい」


 麺を続けて2口、3口と啜った後は丼に口を付けて音を立てて出汁ツユを啜った。


 滋味深い出汁ツユに揚げ玉の油が染み出し、香り高いネギの香味成分とともにロキの魂を震わせる。

 麺は母のように優しく柔らかいのに父のように強固なコシを保っていた。


 ロキはすでに感覚の無くなっている腹部から麺が流れ出ているだろうという事などすっかり忘れてウドンを無我夢中で啜っていた。


 そして丼が空になった時、ロキは涙を流していた。


「ろ、呂木さん!? どうかしましたか?」

「い、いえね……。ウチの息子にこれを食べさせてやりたかったな、と……」

「呂木さんの息子って……?」


 少女の問いにロキは黙って遠くに伏せる巨狼の亡骸を指さした。


 少女が現れてウドンを食べさせてくれるまでは指1本動かすだけでも億劫であったというのに、ロキの肉体は今際の際に活力を取り戻していた。


 だがロキが流す涙は活力を取り戻した肉体が痛みのシグナルを送り始めたからではない。


 ウドンが与えてくれた温かさ、思い出させてくれた温もりを遠くで伏した息子にも与えてやりたいという親心が流させた涙である。


「……そう、ですか。それじゃあ、行きましょうか?」


 少女はほんの少しばかり考えたかと思うとすぐに軽い調子でロキの手を引いた。


「行くって、どこへです?」

「決まってるじゃないですか! 呂木さんの息子さんのとこにですよ!」

「い、いえね……、ウチの息子って狼ですよ?」

「大丈夫です! すでに私たち(香川県民)は犬用のウドンも開発済みです! ほら! 『善は急げ』です! とっとと立って!」


 そのまま少女が力強くロキの手を引いて立ち上がらせると下半身を失ったハズのロキはするりと立ち上がれてしまった。

 ヘイムダルの所へおいてきてしまったラメ入りのスーツのズボンも渋茶の革靴も元通り。


「……ったく、貴女は昔からやると決めた事は曲げないのですねぇ」

「もちろんですとも! さあ、行きますよ!」


 悠久の時を生きる事になっても少女の性急な性格は変わらないようだ。


 ロキもすっかり観念して大昔にそうしたようにミスリル製の屋台の引き手へ回って屋台を引き始める。

 最後に1度だけ、ロキは自身の亡骸へ目をくれると後は振り返る事もない。


「……ところで天ちゃん、なんかこの屋台、昔よりも重くなってませんか?」

「えへへ、実は色々と取り扱い品目を増やしまして……」


 確かに屋台にはオデンのものらしき四角い鍋やモツ煮込みの大鍋、透明なプラケースに1食分ずつ小分けにされた稲荷寿司やおはぎ、そして何故かマスコットキャラクターらしき名状しがたきファンシーなぬいぐるみまで所狭しと並べられている。


「やっぱりウドンが茹で上がるまでのワクワク感も大事にしたいじゃないですか? そういうわけでウドンが茹で上がるまでに軽く摘まんでもらえる物とかデザート的な物とか、ガッツリ肉系も食べたい人のために煮込みとか、後、外貨獲得のためのキャラクターグッズとか置き始めたらこんな感じに……」


 少女が照れ隠しの笑顔を浮かべているのが容易に想像できるような声を上げながら屋台の後部へ回って押し始める。


 いくらなんでも何でこんなワケの分からない造形のキャラクターグッズをとロキは溜息をつくがその疑問はすぐに解消される事となる。


 2柱が屋台を引き始めてからしばらくしてから、どこにいたものやらヴァルキリーとエインヘリャルの2人組が現れてロキたちを引き留める。


「おっ! 屋台か! なっつかしいねぇ! 嬢ちゃん、これは何の屋台だい?」

「讃岐ウドンでやらせてもらってます」

「お、いいねぇ! そいじゃ2人分、たのまぁ! 後、俺にはモツ煮込み(パンチ)と酒を……」

「あっ! 高田さん! 『コトゥルーくん』ですよ! 『コトゥルーくん』! 後、私はおはぎも貰います!」


 意外とこのわけの分からないどこか外宇宙的な恐怖を呼び覚まされそうなキャラクターに人気があるのか、ロキは不承不承といった具合で屋台の脚をおろして営業を開始する。


 ウドンを茹で上げるための大鍋がかけられたコンロに火を入れ、水で冷やしていた1カップ酒の封を開けてアメリカンなバイカー風のエインヘリャルへ差し出した少女を見ていたロキはふと思いついた事を少女へ提案した。


「あ、そうだ。ウチの息子の腹の中に片目の爺がいると思うんですけど、私とその爺ィ様っていわゆる『腐れ縁』ってヤツなんですよねぇ~。この際ですから、その爺にも貴女のウドンを食べさせてやってもらえませんか?」


 背後からかけられたロキの言葉に少女は笑顔で振り返り「喜んで!」と返してよこす。


 その少女の笑顔を見て、ロキも義兄弟ながら確執ばかり抱えていたあの神との関係も修復できるのではないかと淡い期待を抱いていた。

ひとまずは天ちゃんの物語はここまでとなります。

次回からはウドンの無い街でヒーローたちが命を賭して戦いを繰り広げてくれると思います。


……ところでウドンが好きすぎて犬用のウドンを作る香川県民を笑ってはいけない(戒め)。

作者は納豆が好きすぎて犬猫用の納豆を作ってしまう秋田県民なのだ。

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