太平洋編-8
海上自衛隊の隊員らしき人たちも、灰色の肌の半魚人たちも僕と同じように気付いたらこの場所にいたのか困惑した顔をしながらも麦畑から現れた人々からウドンの丼を渡されると誰しも不思議そうにしながらその場に座り込んでウドンを食べ始めていた。
そこに地上人も半魚人も関係ない。
めいめいに近場の者と車座になって胡坐をかいて、やはり僕がそうしたように自衛官たちは自分の近くにいる半魚人たちへ箸の使い方を教えながら食べている。
昔のヤクザ映画に出てきそうな強面の自衛官のオジサンなんかは半魚人の子供を膝の上に乗せて箸の使い方を手取り足取り教え、その子がウドンをすすって顔をほころばせるとオジサンもつられて口元を歪ませていた。
また、半魚人の雌雄は僕には分からないけど、でっぷりと太った見るからにオバチャンっぽい体形と仕草の半魚人が肩から下げている海藻で編んだバッグから岩海苔らしき物を取り出して周囲の仲間や自衛官たちに勧めると誰もが歓声を上げて岩海苔を自分の丼へと乗せていく。
でも彼らは揃いも揃って先ほどまでは互いに殺し合っていたハズなのだ。
海自の護衛艦隊は迫る海産物軍団に大砲やら魚雷、爆雷で応戦してそれらが海中で炸裂するたびに海は赤く染まっていっていたし、ルルイエの黒い大地には海自のヘリの残骸が黒煙を上げていた。
子供の半魚人だって僕が「雄プレイ♂」から降下していた時にはその体の軽さを活かしてか、海中から飛び上がったトビウオやエイの上に乗って凶器を向けてきていたのだ。
それが何でこの麦畑に囲まれた世界に来ただけでこうも仲良くできるのだろう?
僕の疑問に対する答えはロキからもたらされた。
「……昔、1人の少女が夢を見ました。誰しもが争わなくてすむ世界。互いのささいな違いから諍いを起こして殺し合うのではなく、小さな事でいい、互いが同じである事を見つけて争わずに済む世界」
「それがここだって? ウドンを一緒に美味しく食べれば皆、仲良しと?」
「ええ……」
事もなげに言い切ったロキの目はどこか遠くを見ていた。
コイツも「アフターサービス」だとか言っていたけれど、なんだかんだで感慨深いものがあるのかもしれない。
「でも長い時が流れて人ではなくなってしまった少女も力を考え無しに使い過ぎた結果、徐々に“力”は失われ、ついにはクトゥルーの現世への出現という結果、あれだけ争いを嫌っていた少女も戦う事を余儀なくしてしまった。『貧すれば鈍ず』って奴ですかね? その失われた力を取り戻す手助けをしてくれた貴方には感謝しているのですよ?」
「なんで疑問形なんだよ!」
「これは失敬! あまり人に礼を言うのに慣れていないものでして……」
こんな世界を作れてしまうくらいだ。
今も屋台でウドンを作り続ける少女の“力”とやらは僕の想像もつかないレベルにあるのだろう。
いつもならその“力”と少女をロキの奴が悪用しないか勘繰る所だろうけど、何故かこの一件に関してだけはその心配はいらないような気がする。
「でも、分からないな……」
「何がです?」
「“力”があるからって世界を作り上げるだなんて、その方法は?」
「さっきも言ったでしょう?」
ロキは手品のタネ明かしをする子供のように茶目っ気を出した顔を作ってみせる。
「少女は『夢見た』って」
「夢?」
「貴方はアザトースという外なる神を知っていますか? あるいはフライング・スパゲッティ・モンスターなる存在を?」
「そのアザなんとかはともかく、もう1方は僕の聞き間違いかな? スパゲッティって……」
「いえ、聞き間違いではないですよ。ついでに言うと別に意味があるわけではなく、貴方もたまに食べるあのスパゲッティの事ですよ」
え? マジでそんな冗談みたいなのが存在するの?
しかも話の流れ的に結構な力をお持ちの方なんでしょ? そのスパゲッティーなんちゃらって……。
「1説には、本当に冗談みたいな説ですがね。この地球のある宇宙を含めて、ここ以外の全ての世界はどこかで寝ているアザトースが見ている“夢”だって説があるんですよ。そしてこの世界の生命はフライング・スパゲッティ・モンスターなる未知の存在が酔っ払って夢を見た結果、生み出されたって説があるんです。
私も別に青臭い事を言いたいわけじゃありませんから『夢は必ず叶う』なんては言いませんが、夢が叶っちゃう事もあるんですよ。“力”さえあればね」
ロキはそう言うと、屋台のカウンターの箸入れの中から箸を1膳、取り出して僕の丼から1口分、手繰って口に入れた。
「う~ん、久しぶりに食べましたがやはり美味い! いや、昔以上の腕前ですね……」
ウドンを高級な料理のようにゆっくりと目を閉じて咀嚼するロキ。
勝手に人の丼に箸を突っ込んで……、とロキの行動に呆れかえっていると僕の脳裏にいくつもの光景が浮かんできた。
それらの光景には屋台の少女がいて、僕の事をロキと変なアクセントで呼んでいた。
恐らくこれはかつてロキが実際に見た光景を追体験しているのだろう。
少女は夜は寝る間も惜しんでウドンを打ち、出汁を取り、その他の作業も笑顔でやり続けていた。
そして昼は日が昇る前からあの銀色の屋台をロキに引かせて荒廃した街をあっちへこっちへ行ったり来たり。
ウドンを食べて喜ぶ人を見ては少女も笑顔となり、傷付き倒れた人の手を握っては少女は涙を流す。
やがて寝食を忘れた彼女の行動、長期間にわたる魔力の使用は彼女自身を蝕んでいった。
そしてついに少女は凶弾によって血を流し、明らかな致命傷を負いながらも少女は土煙が舞飛ぶ荒野へ屋台を引いていった。
そして最後に見えた光景はあの“輝く巨人”だった。
「見えましたか?」
「……これは、お前の……?」
「はい、そうです。これが魔力を使った小麦粉に類似した何らかの物質を媒介とする意識の共有現象です。かつてあの子がこれを使って彼の地の争いを止めたのは貴方も今見たとうり。
ですが今日ではウドンを食べた事の無いクトゥルーや『深き者ども』をも彼女の世界へ招き入れてウドンを食べさせ和解する事ができるまでに至った。案外、彼女が“神”の座に至る日もそんなに遠い話ではないのかもしれませんね」
今、ロキに見せられた光景を考えれば「一緒にウドンを食べて無条件で仲良くなれる世界」というのも悪くないのかもしれないと思える。
ただ僕には無理だ。
今回、クトゥルーやルルイエはナイアルラトホテプに召喚されて現れただけ、日本に混乱をもたらしたクトゥルーの咆哮も欠伸やイビキのようなものだと思えばまだ可愛げがある。
半魚人たちとの戦闘で海自側にも被害が出ただろうけど、向こうからすれば侵攻を受けたのはルルイエ側という事になるのかもしれないからその辺は少しくらい割り引いてもいい。
でもこれがナイアルラトホテプやあるいは昨年、埼玉にク・リトル・リトルを召喚したロキの事ならどうだ?
明確な悪意をもって人の命すら弄ぶような邪悪な存在の事を許せるか?
僕には無理だ。
「……帰ろう。あの街へ」
最後の1口を啜るとあれほど食べても無くなる事はなかった丼は空になり、そこには最初から何も無かったかのように綺麗にツユの水滴すら見当たらない状態になった。
「それじゃあ、送りますよ。目を閉じてください」
「うん……」
確かにこの場所にはもう少しいたいような名残惜しさすら感じていた。
隣のクトゥルーも引き留めるように触手を僕の左手に伸ばしてきたけれど、それを振り切るように僕は瞼を固く閉じた。
気が付くと僕は忌まわしい“死神”の姿で海と空の間にいた。
ログを確認するとあの麦畑の世界へ行く前、巨大半魚人へデスサイズキックを叩きこもうとしていた時と同じ高度。
いつの間にか僕は空中静止の状態でただ独り空に浮かんでいたのだ。
すでに時空間フィールドで作ったトンネルは消えていて、巨大半魚人もクトゥルーもルルイエもそこにはいなかった。
海自の艦隊もラーテやヘリ、ママさんや犬太さんが乗った「雄プレイ♂」もどこかに転送されているのか姿は見当たらない。
ただ青い空と紺碧の海が波と風の音を響かせている。
あの麦畑の賑やかさと比べたら酷く物悲しいように感じさえするほどだった。
でもここに戻ってくる事を決めたのは僕自身。
「気が付きましたか?」
「うひゃあっ!?」
「そんなけったいな恰好で女の子みたいな声を出さないでくださいよ」
「う、うるさい!」
いきなり後ろから声をかけてきたロキに面食らったものの、この世界にまるで僕1人しかいないような空間ではロキのような奴ですら他に誰かがいるということがどこかホッとさせてくれる。
「まぁ、それはともかく海自の兵隊さんたちもお腹が膨れたら帰ってくるでしょうし、クトゥルーとその眷属たちも2度とこちらの世界へ現れる事はないでしょう」
「そうなの?」
人の声をからかった後、ロキは自身のトレードマークでもある売れないコメディアンのようなスーツが場違いであるかのような神妙な顔をして僕に話をする。
「ナイアルラトホテプのような誰かがクトゥルーを呼ぼうとしても旧来の魔術では彼の地の座標が変わってしまったがために呼び出す事はできないでしょう。いずれあの世界にも海ができるのでしょうね。『荒神』というんでしたっけ? 祟り神やら怨霊をあがめ奉って良い気にさせて守ってもらう。その内、旧支配者クトゥルーも向こうで神格を獲て海神クトゥルーとしてイリコやらカツオやら出汁材を提供してくれるのでしょう。そしてクトゥルーを呼び出して世界に混乱をもたらそうという邪悪な者にはあの娘の世界は知覚できないでしょう」
「ということは?」
「ええ。私も戻ろうとしてもあそこには戻れません」
「良かったの?」
「…………」
僕を元の世界に送り届けるとロキはこちらの世界に来てくれたけど、本当はこいつもお腹一杯ウドンを食べたかったのかもしれないし、あの屋台の少女と話をしたかったのかもしれない。
ただロキはしばらく口を閉ざしてどこかを見ていた。
「……話は変わりますけど、前にZIONで貴方に話したように貴方は羽沢真愛のそばにいればその内、死にますよ? それは今日ではありませんが、けして遠い未来の話でもありません」
「また、その話?」
僕に話す踏ん切りがつかなかったのか唐突に話題を変えたロキだったけど、話す内容に困ったのか前にも1度、聞いた話をしはじめた。
「そんな話を聞いたら余計に真愛さんのそばにいてあげたいよ。その内、彼女のそばで危険な何かが起こるって事でしょ? それじゃ、もう話も無いなら僕は行くよ。今日はそんな気しないけど、次にお前が何か悪い事してたらその時こそ殺すから覚えとけよ!」
今、この場で用の済んだロキを殺さなかったのはこんな奴でも死ねばあの少女が泣いてしまうのではないかと思ったからだ。
かといって奴の事を許したわけでもない。
次に奴が何かしでかしたら僕がこの手で香川県民専用の天国とやらに送り込んで未来永劫、ネギでも切っててもらう事にする。
挨拶もそこそこに僕はイオン式ロケットを吹かしてH市へと進路をとった。
空と海に負けないくらいに青い光条を引きながら僕は飛ぶ。
帰ろう。
あの街へ。
あの戦う事に慣れ過ぎたあの街へ。
剣呑な物言いの“死神”が飛び去ってからもロキはしばらく宙に浮かんで海と空を眺めていた。
すでに昼近くになり日は高く、藍色に近かった海も青さを増している。
それ以上に彼の心は晴れやかだった。
予言書「エッダ」に記された自身の死の運命を変えようと様々な手を使ってもけして上手くはいかず、予言された死までの長い生という拷問にも似た耐えがたい退屈を紛らわすために様々な悪事を働いてきたロキであったが、今日という日ほどの晴れやかな気持ちになった時はなかった。
これからも自分の運命を変えるべく動く事を止める気はないが、それでもあの少女が神の座に至ってくれれば例え死の運命を変えられなくとも何かを残せたという事になるのではないか。
半ば自嘲気味に1人、ロキは笑っていた。
だが、その彼の元に先ほど飛び去っていったハズの“死神”が青いイオンの光を引きながら戻ってくるのが見えた。
別に武器を手にしているわけでもないので気が変わったというわけでもないだろう。
怪訝に思ったロキが笑うのを止めて待っていると“死神”は彼の目の前、空中で静止して口を開く。
子供のような、少女のような声だった。
「……1つ、聞き忘れたんだけどさ」
「ん? どうしました?」
「お前らのギョーカイじゃ喋れるのを隠すのを流行ってたりするの?」
自分でもどうでもいい事だと思っているのか“死神”は遠慮がちな様子で尋ねてくる。
「ああ、それは……」
「うん……」
「流行り廃りというか定番ですね。ほれ、人間も『オシャレの基本は足元から』みたいに言うでしょ? 『神秘性の演出には沈黙を』ってね! 妖怪なんかでも実践してる方が多いみたいですよ?」
「……その割りにはお前は随分とおしゃべりだね?」
「そりゃあ私には積み重ねてきた実績というものがありますから! 一々、演出なんかいらないでしょう?」
「……そうだね」
呆れたのか怒ったのか、まるで本物の死神のような気配を放ち始めた改造人間の様子にロキは高らかに笑い声をあげ、“死神”の気が変わらない内にと今度こそ退散する事にした。
狂ったように笑い声を上げながら宙を自在に飛び跳ねる“笑う魔王”。
彼の性分がこのようなものであるかぎり、彼の神が人をからかうのを止める事は無いだろう。
次回、太平洋編のエピローグをやってから舞台はH市に戻ります。




