太平洋編-5
“輝く巨人”が作り出したエネルギー火球。
それは地上に太陽が出現したように思えて巨人の前に立ちふさがったロキも思わず冷や汗が流れるのを感じていた。
今はこの火球のすぐ数十メートルという距離にいても、火球の全エネルギーが巨人の制御下にあるために熱量は内へと収束されていてロキの身を焼くという事はない。
だが、この火球が放たれてしまえば話は別だ。
超高熱の火球は魂の無いクトゥルーを焼き、ルルイエを焼き、デスサイズも「深き者ども」も洋上の人間たちも区別なく焼き払い、そしてこの星を焼くだろう。
ロキが神の身でありながら自分の興味が赴くままに好き勝手に生きていられるのは自分がどのように死ぬかを知っているからだ。
叙事詩「エッダ」によって予言されている「神々の黄昏」、その戦いにおいてロキは光の神ヘイムダルと相討ちになって死ぬ事が運命付けられている。
であるからこそ普通ならば悪事の報いを受けて殺されてしまうような事でも、しっぺ返しなど心配する事なく好きに振る舞う事ができていた。
ロキが石動誠に語ったようにクトゥルーやナイアルラトホテプなどよりも長瀬咲良を恐れていたのは自身が今日、死ぬ運命にはないと知っていたからである。
そのロキですら目の前の火球には恐怖せずにはいられない。
自ら発光しているせいで表情を窺い知る事もできない巨人が火球の前に立ちはだかるロキもろともクトゥルーを消滅させる事を優先させてしまえば予言も運命もすべて無視して焼き払ってしまうのではないかと。
眼前の火球にはそれほどのエネルギーがひしひしと感じられるのだ。
しかし、それでもロキはその場を動く事はできなかった。
ロキがもっとも恐ろしかったのは眼前のエネルギー火球でも表情すら窺うことすらできない“輝く巨人”でもなく、あの少女が泣く事であった。
きっとこの火球が放たれれば、後であの少女は自身がなした事の結果を知って泣くだろう。
人を陥れて嘆き悲しむ様を見て笑って楽しむ事ができるロキであっても、それが未来永劫に続くとあれば、なおかつそれがロキ自身の行動が原因ともあれば躊躇するのだ。
僅かばかりに残った彼の“神”の沽券といってもいいし、泣きながらもウドンを作り続ける少女の涙であの日に食したウドンの味が変わってしまうのが耐えられなかったのかもしれない。
だから彼は叫ぶ。
ロキは魔法が使えるといえども古き友人である雷神や息子たちのような力は無く、娘のように配下を従えているわけでもない。
お得意の口車でハドーへARCANAの遺産を探させ、自身がそれを奪い、伝手を頼って少女の力を増幅するマジック・アイテムへと作り替え、それを彼女へ無事に届けるために石動誠を誘い出した。
後は彼にできるのは叫ぶだけであった。
半世紀以上の時が流れてもまだあの少女が以前と変わらない心優しい存在である事を祈って。
「天ちゃん! 殺せば貴女はきっと後悔します! アレを見なさい!」
空中で「大」の字の姿勢を保ったままロキは右手で改造人間デスサイズを指さした。
それにつられて“輝く巨人”も胸の前で火球を両手で挟み込んだままゆっくりと首を向ける。
デスサイズは青白いイオンの光を引きながら巨大半魚人ダゴンの周囲を飛び回りながら大鎌を振るい続けていた。
左足アキレス腱に続いて、右ふくらはぎ、臀部、背中、さらにダゴンの前にまわって腹部、そのまま1週するように回り込みながら頸部。銀色の刃が躍るたびにダゴンに灰の皮膚は切り裂かれて赤い血が噴き出している。
それは“死神”を模した改造人間などではなく、本物の“死神”なのではないかと見る者すべてが戦慄するような鬼気迫る戦い方だった。
ダゴンも致死の毒針を持つオオスズメバチにまとわりつかれた人間のように大げさに手足を振り回してデスサイズを払いのけようとしているが、大振りの攻撃が当たるような相手ではなかった。
さらにダゴンが口から吐き出した水流カッターを地表スレスレで躱したデスサイズは先ほどとは逆の右足のアキレス腱を斬りつけるとたまらずダゴンも頭から崩れ落ちる。
「あの子だって実の所、そんなにそんなに悪い子じゃあないんですよ。私の言う事を疑いながらもこんな所にホイホイ来てくれるくらいですからね。
……でも、あの子は殺す事を覚えてしまった。その力があの子にはありますし、敵も殺さなきゃならないような連中ばかりですからね。でも貴女はそれに耐えられますか? 血に塗れた手で人にウドンを出せますか?」
『…………』
巨人がロキへとゆっくりと向きかえる。
心なしか先ほどまでの超然とした態度が少しだけ畏まっているようにも見えた。
「あと、この際だから言いますけど、さっきの英語は何なんです? 発音もアクセントも滅茶苦茶じゃないですか?」
『いやぁ~……、“ぐろうばる”化の時代だっていうから外国のお客さんにもウドンを食べて欲しいなって……』
「あ、やっぱり普通に話せるんじゃないですか!」
巨人が先ほどまでと同じように周囲の者たちの脳内に直接響いてくるような声ではあるが流暢な日本語で喋りだすと、なんとか片膝をついた状態ながら体を起こしたダゴンも、その眼前で必殺のデスサイズキックを放とうと時空間フィールドで作ったリングを連ねてトンネルを作っていたデスサイズも動きを止めて「え? 喋れんの?」と言いたげな顔で揃ってロキと“輝く巨人”へ顔を向けていた。
骸骨を模した仮面のデスサイズですらそのような感情が見て取れるのだ。ダゴンなどは大きな口を半開きにしてポカンとした顔をしているほどだ。
「大体、グローバル化って宇宙人や異次元人なんかも地球に来てるようなご時世に英語なんか話せても意味無いでしょう? 向こうが無理してでも日本語使いたくなるように腕を磨くのが本道でしょうに」
『はえ~……、呂木さんの話はやっぱりためになりますねぇ』
「それより何で今まで変な英語以外は喋らなかったんですか?」
『実は……』
“輝く巨人”が僅かばかりロキへと顔を寄せる。
『あの人たち、なんか怖いじゃないですか?』
「そ、そうですかね?」
『そうですよ! あの人魚ももっとこう下半身が魚で上半身が人間とかなら可愛げがありそうなのにあんなのですし、あの黒くて小っちゃいのなんて絶対にカタギじゃありませんよ!』
「人魚っていうか、ありゃあ半魚人って言ったほうがしっくりくるとは思いますが……」
“輝く巨人”本人はロキにだけ聞こえるようなヒソヒソ話をしているようなつもりなのだろうが、巨人の声は音波によって伝わる者ではなく付近の者の脳内に直接、届くものである。
当然、デスサイズにも巨人の声は聞こえているだろうが、「怖い」と言われてショックを受けているであろう少年の事は無視して話を続ける事にした。
「話は元に戻しますけど、昔は私に散々『私にできる事はウドンを作る事だけですから!(キリッ!)』とか言っといて、なんで貴女が喧嘩なんかしてるんです? もう、いいからウドンでも食べてもらってお引き取り願ってください!」
「って、言いますけど、あの人魚はウドンとか食べるか分かりませんし、あそこの大きいのなんか半分、死んでません? それなのになんか異様な雰囲気出してるし……」
巨人はチラチラと目線でダゴンやロキの背後のクトゥルーを示す。
「『死せるクトゥルー、なれど死は永劫の眠りに非ず、彼の者、夢を見ながら目覚めの時を待つ』っていうくらいですからねぇ。寝ているようなものだと思ってください。まぁ、でも……」
「なんです?」
「まぁ、私はいいですけど、貴女が諦めたら、そこがウドンの限界点ですよ?」
「……いいえ、ウドンに限界はありません。そして私はウドン職人。故に私にも限界はありません!」
地球人類の歴史が始まって以降、ロキの口車に乗った数え切れぬ者たちと同様に“輝く巨人”は意を決したように大きく頷いた。
まるでそんな物、最初から存在しなかったようにエネルギー火球は霧散して消え、代わりに巨人は天に向けて高らかに拳を突き上げる。
右手首のブレスレットから未知のエネルギーの波動が迸り、やがて飽和状態を超えたエネルギーは金色の輝きを伴ってゆっくりと天から地へと舞い降りていった。
穏やかな冬の日に雲から雪が零れ落ちるように。
春の日に桜の花びらが舞い落ちるように。
しとしとと降る夏の日の雨のように。
色づいて落ちる秋の日の落ち葉のように。
無数の金色の粒子はゆっくりと周囲へと降り注ぎ、そして藍色の海も黒のルルイエもかまわずに金色の野へと塗り替えていく。
やがて地表だけではなく金色の粒子は空間全てを埋め尽くしていた。




