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海上自衛隊第1護衛群第1護衛隊司令、日吉1佐は戦艦「おはり」の昼戦艦橋の窓にはめ込まれたブ厚い防弾ガラス越しに遠く見えるルルイエを見ていた。
ルルイエ。
旧支配者クトゥルーが眠る島であり、海魔たちの聖域であるという。
普段はクトゥルーとともに次元の狭間へと沈んでいるというが、星の巡りの悪戯で不意にこの次元に現れてはその存在を察知してしまった者の精神を狂気に落とすと言われている魔の島。
島自体は火山的な活動で作られたものなのか黒くゴツゴツとした島ではあるが、とても天然の物とは思えないほどに高く鋭く切り立った尖塔のような山が特徴的だ。だが、かといってその歪で何の規則性も見いだせない山肌は人工物とも思えず、こうして遠くから眺めているだけで日吉1佐はチリチリと焦燥感が胸に込み上げてくるのを押さえる事ができないでいた。
すでにルルイエは千葉県沖東南東160kmまで接近してきており、しかも徐々に速度を増してきているという。
このままルルイエが加速が止まらないのならば最悪、今日の夕方には東京へとぶつかる計算だ。
しかも邪神ナイアルラトホテプがクトゥルーへと河童を生贄に捧げる儀式が行う事でクトゥルーは完全に復活し、その時は地球人類の文明は崩壊してしまうという。
「おはり」「きい」の2隻の戦艦は面舵をとって、ルルイエと未だ沈黙を続けるクトゥルーを左手側に見ながら監視を続けている。
魂の無い肉体だけのクトゥルーは現在、眠ったような状況にあるようで朝方の咆哮もイビキや欠伸のような物だったのだろう。
しかし、それがかえって事態を難しくしていた。
これが乗り組み員がいない状態で防御システムも死んでいる巨大な宇宙船であるならばとっとと破壊してしまえばいい。
だがクトゥルーは死んでいるのではない。眠っているだけなのだ。
人間だって寝ている時に蚊や蠅なんかにたかられては無意識に手ではらうくらいの事はするのだ。
それが人知を超えた旧支配者ならば何が起こったとしてもおかしくはないだろう。
「……米軍は爆撃機に核を搭載して待機しているようですよ」
「他国の排他的経済水域で核兵器を使うなど正気の沙汰とは思えんな」
艦長の山口1佐がプリントアウトされた紙をバインダーに挟んで日吉へと差し出す。
内容は極東米軍からの爆撃機の待機を通知するものであった。
日本政府の許可があり次第、ルルイエへの核攻撃を実行するとあるが米政府も日本政府が核攻撃を認めるような事がありえないのは理解しているだろう。恐らくはルルイエが東京にぶつかる頃には「日本政府が自治能力を失った」などと声明を発表して独自に核攻撃に踏み切るだろう。
「実際、彼らは核でそれなりに成果を上げているのだから始末に負えん」
「いつだったかのゾンビの大量発生も核で解決したのでしたっけ?」
「それも自国内でな」
日吉は吐き捨てるように同盟国のやり口を批判する。
海の恵みを受けて生きてきた日本人であると自らを自任する日吉にとっては東京が核で汚染される事よりも海が汚される事こそが我慢できなかった。
陸上の話であれば核の汚染は関東一円の放棄で済む話かもしれないが、海の汚染はそうはいかない。海は海流によって繋がっているのだ。東京で核が使われてしまえば日本の漁業が壊滅するであろうし、海の物流も止まってしまうだろう。どこの誰が好き好んで放射能で汚染された海へ船をよこすというのだ。
「大変です!」
「どうした!?」
米国の核について話をしていた日吉と山口へ通信員が張りつめた声を上げて入電を知らせる。
「……H市災害対策室より入電。H市総合運動公園の『おびき寄せ部隊』の元へ邪神ナイアルラトホテプが現れました!」
「ほう、予定通りという事か?」
「いいえ、現れたのはナイアルラトホテプ1柱のみ!」
「なんだと!?」
傍受を防ぐために連絡機によって第1護衛隊に直接、届けられた作戦計画書によれば「おびきよせ部隊」へ敵戦力を向けさせて、戦力の抽出によって空いた穴へと「突入部隊」が侵攻を開始するハズであった。
だがH市総合運動公園に現れたのはナイアルラトホテプのみだという。
敵の大将首が単独で乗り込んできたといえばチャンスかもしれないが、当然、向こうだってそんな事は分かっているだろう。
つまりはナイアルラトホテプは自分1人でも「おびき寄せ部隊」を相手にできると踏んでいるということか。
そして、さらに悪い知らせは続く。
「その際に邪神は運動公園内に強力な妨害電波を発する巨大なドームを作り出したようで、運動公園の部隊と通信が断絶した『突入部隊』も独自の判断で行動を開始、すでに戦闘も始まっているようです!」
「むざむざ敵が待ち受ける所にか!?」
「UN-DEAD」なる謎の組織が早明浦ダムへ攻撃を行うと電波ジャック放送がされてからH市のヒーローたちのほとんどは四国へと向かっている。
「おびき寄せ部隊」と「突入部隊」による2重作戦はその少ない戦力で敵防衛網を突破するためのものだったハズだ。
しかし、「おびき寄せ部隊」は敵戦力を向けさせる事ができずに「突入部隊」はすでに攻撃を開始。
2重作戦は完全に失敗と言ってもいい。
「そして防衛大臣名で海上幕僚監部へクトゥルーの撃破が命ぜられました」
「で、もちろんそれをやるのは我々というわけか……」
「はい!」
通信員より渡された命令文書を確認すると日吉は通信員を通じて第1護衛群へ命令を下していく。
山口1佐も「おはり」乗組員へと戦闘態勢を発令。
艦橋内も一気に慌ただしくなっていく。
「司令、レールガン全基いけます!」
「『きい』からも入電! 『準備完了、攻撃命令ヲ待ツ』以上!」
「よし……」
艦橋上のモニタースクリーンには2隻の戦艦と9時方向のルルイエとクトゥルーの他、後方の「いずも」ら4隻と各艦から離陸したヘリたちが映っている。
(大丈夫、できる事はすべてやったハズだ……)
日吉は腕組みをするフリをして制服に手汗を拭う。
サウナに入ってもこうは溢れてこないだろうというほどに手の平は緊張のために発汗し、それが部下たちにバレるのではないかと彼を冷や冷やさせていた。
「トマホーク、システム・オールグリーン!」
「司令、下に降りられてはいかがですか?」
山口1佐が言う“下”とは昼戦艦橋の下階に位置するCICの事である。
改大和級戦艦のCICはレールガン化以前の同級の主砲に耐えうるほどの装甲によって覆われた強固な防御力と、NBC兵器による攻撃も考慮された独立した換気システムによって高い生存性を誇る。
昼戦艦橋のようなガラス窓は無いが、レーダーやソナーなどの機器の情報やデータリンクした僚艦からの情報は大型のデータスクリーンへと投影されて指揮を執るのには何の問題もない。むしろ現代戦においては昼戦艦橋よりも事細やかに情報を見る事ができるだろう。
現に「おはり」砲雷長はすでにCICに控えてそこから指揮を執っている。
だが日吉は山口艦長の提案を断った。
「いや、敵は旧支配者、何があるか分からん。せめて自分の目で見ておかないと不安でな……」
「実は私もなのです」
「そうか……」
ルルイエの海岸付近で立ったまま微睡むクトゥルーと「おはり」の距離は5,000メートルほど。
戦艦の戦闘距離としては鼻と鼻を突き合わせるような至近距離だ。
しかし双眼鏡でみても体高200メートルほどのクトゥルーは小さくしか見えない。
だが、その威圧感は日吉1佐と山口1佐にも如実に感じ取る事ができていた。
「『旧支配者』とは言うが、アレは巨大な宇宙怪獣であって神ではないと聞いてはいるがな……」
「聞きしに勝る威容ですなぁ」
「では、そろそろ始めようか?」
「ハッ!!」
「第1護衛隊、攻撃開始! 目標、クトゥルー!!」
日吉の号令はただちに各艦へと伝達され、戦闘の火蓋が切って落とされた。
すでに旋回して目標に照準を合わせていた「おはり」の9門の46cm砲が火を噴く。
目も眩くほどの閃光と共に腹へと響く轟音が鳴り響き、艦橋内をも振動が伝わって防弾ガラスを震わせる。
少し遅れて遠雷のような轟音が轟いてくるが振動は伝わってこない。後方の「きい」も射撃を開始したのだろう。
電磁気によって加速され砲口から解き放たれた砲弾はまっすぐクトゥルーへと飛んでいき、「おはり」「きい」合わせて18発の46cm砲弾は半数以上が至近弾となってルルイエの海岸や海へ降り注いだものの数発が直撃する。
だが……。
「なんだと!」
「46cmのレールガンを弾くだと! バリアーか!?」
「いえ、力場監視装置には何も検出されません!」
日吉の目に飛び込んできたのは、火球と化した砲弾がまっすぐクトゥルーへと飛んでいき、命中するも豆鉄砲のように弾かれてはあらぬ所で信管が作動して爆ぜていくところだった。
「トマホーク! トマホークだ!!」
「徹甲弾頭とサーモバリック弾頭、両方だ!」
「次弾装填も急げ!」
改大和級が誇る46cmレールガンが効かない。
それは海上自衛隊が保有するいかなる兵器もクトゥルーには通用しない事を意味していた。
だが1度の攻撃は駄目でも連続で攻撃を続ければと、恐らくは無意味であろう事を半ば理解していながらも日吉は攻撃続行を指示する。
そういえば昨年、埼玉に現れたク・リトル・リトルのサイズは80メートルほどと大分、小さかったがそれでもスーパーブレイブロボの大型熱線砲による攻撃で僅かな損傷しか与える事ができなかったのを日吉は思い出していた。
その親玉であるクトゥルーの防御力は当然の如くそれ以上という事だろう。
あの時はその熱線砲による損傷部位からデビルクローとデスサイズが体内へと飛び込んで撃破していたのだ。
だが、この大海原のただ中にデスサイズがいるハズもなく、デビルクローに至ってはすでに鬼籍に入っている。
電柱のような大型のミサイルがオレンジ色の炎と白い噴煙を撒き散らして飛んでいくのを見ながら、日吉1佐は主砲の装填を待っていた。
「大変です!」
「今度は何だ!?」
顔を青ざめさせたソナー員が言葉も無く艦橋内データスクリーンの表示を切り替える。
それは一目でソナーの2次元データと分かる物であった。
だが、それが指し示す内容をすぐに理解できたものはいなかっただろう。
ソナーが指し示す内容を額面通りに受け止めるならばルルイエがまっすぐに「おはり」に向けて急速接近しているように見える。
だが、窓の外に見えるルルイエは先ほどから微塵も動いていないように思えた。
つまり、海中を何かが猛スピードで接近しているのだ。
しかもまるで島が動いているのかと錯覚させるほどにスクリーンを埋め尽くす何かが。
「司令、これは……?」
「『深き者ども』だ……」
唐突な反核アピールは怪獣物の特権!




