43-6
午前10時30分。
房総半島より東南東約120km。
海上自衛隊第1護衛群第1護衛隊旗艦、戦艦「おはり」艦上。
戦艦「おはり」の昼戦艦橋にて第1護衛隊司令、1等海佐日吉 源太は厚い防弾ガラス越しに深い藍色の大海原を見ていた。
凪いだ状態とは言えなかったが、それでも波は低く基準排水量70,000tを超える改大和級戦艦は微塵も揺れを感じさせない。
さらに日吉1佐の眼下に見える3連装2基の46cm主砲塔はいかにも頼もしく、日吉1佐は初めて改大和級戦艦をその眼にした時、いかなる敵であろうと主砲の斉射で鎧袖一触にできるのではないかと感じたのを思い出していた。
しかも「おはり」の主砲塔は艦後部にもう1基あり、改大和級戦艦は46cm砲9門の砲火力を持つ。
さらに「おはり」の1,5km後方には同系艦の「きい」がいて、2隻の戦艦から少し離れた位置にヘリ空母型の護衛艦「いずも」、汎用護衛艦の「むらさめ」「いかづち」「はたかぜ」が輪形陣をとって控えている。
日吉1佐は着任以来、夜にベッドに入りながら自分の指揮下の第1護衛隊が旧海軍全盛期の連合艦隊と戦ったらどれほど戦い抜けるだろうかと密かに夢想していた。
無論、他の者には口が裂けても言えない子供じみた妄想である。
だが、定年退官を目前に控えた海の男をして少年の心がつい出てきてしまうほどに第1護衛隊の威容は壮観であった。
先の異次元人の一大攻勢「ハドー総攻撃」においても第1護衛隊は米第7艦隊と協力し、スーパーブレイブロボが誘き寄せてきたハドーの空中艦隊を相手に1歩も引かずに奮闘していたのだ。
生憎と上空の敵艦隊相手には仰角の都合で主砲を最大限に活かせたとは言えないが、それでも「おはり」「きい」から次々と噴煙を上げながら飛び立っていくミサイルが敵艦に命中し夏の花火のように爆発していく様は日吉1佐の心を躍らせたし、一部から時代遅れと揶揄される改大和級戦艦の実力について再認識する事ができた。「おはり」「きい」は世界最強の戦艦なのだと、アメリカのアイオワ級とて改大和級ならば容易く沈める事ができるだろうと。
しかし、だ。
艦橋の日吉1佐の心中には言いようの無い焦燥感が巣食っていた。
こうしてまだ敵が見えてくるような距離ではないというのに首から下げた双眼鏡で大海原を注視しているのも口を開いてしまえばささいな事から艦橋の面々に自分の弱気がバレてしまうのではないかと焦っているからだ。
(“海魔の聖域”ルルイエに、“旧支配者”クトゥルーか……)
日吉1佐たち第1護衛隊は昨日、「UN-DEAD」なる謎の組織が四国を襲うと電波ジャック放送で宣言してすぐさま非常呼集を発令。内閣の防衛出動の命令が下り次第、その日の内に母港である横須賀を出港していた。
ナチスの秘密兵器であるラーテが装備している28cm砲は元々、戦艦の主砲である。
そして現代の軍艦は戦艦の主砲に耐えうる装甲を有していない以上、改大和級を出すのに異論は無い。
ヒーローたちも大勢、四国へと向かっているようだが、日吉1佐からすればあのラーテをもっともスマートに倒す方法とは海上にて雌雄を決するというある意味でこれ以上無いほどに単純なものである。
改大和級戦艦は大戦中の設計を戦後日本の技術力で形にした物であり、その長い運用期間に渡って適時、改装が行われ、戦艦の主砲に耐える装甲に加えてイージス防空システムなど高度な火器管制システムを持ち、昨年からの改装ではフィジョーバ星系人からもたらされた宇宙戦闘機の主動力を移植された結果、生み出された大電力を活かして主砲をレールガンに改造されていた。
同じくラーテも異星由来の技術によってホバー推進装置を組み込まれるなど強化を受けているようだが、2000t足らずの超大型戦車相手に世界最強の戦艦が遅れを取るわけが無い。
ラーテ撃沈を命じられた時までは日吉1佐は事態を楽観視していたのだ。
事情が変わったのは未明、太平洋上に謎の物体が出現してからである。
艦船ではない。
だが火山島のように黒くゴツゴツとしたその島は船のように動いて東京に接近しているというのだ。
朝になって東京H市より「UN-DEAD」なる組織が壊滅したと情報が入り、その生き残りからもたらされた動画データにより東京に迫っているのが旧支配者クトゥルーだと判明。
第1護衛隊にも命令が下り旧支配者を迎撃するために四国へと向かっていた第一護衛隊は反転してルルイエへと向かっていた。
日吉1佐の胸に焦燥感が押し寄せてきたのは進路をルルイエへと向けてからである。
彼の心臓を重く圧迫して、脳髄を黒く染め上げていくような焦りは艦隊が進むと益々募っていき、今では何の変哲も無い紺碧の海原すら何か魔物が姿を潜めているのではないかと彼の気が休まる事はなくなっていた。
「……司令。接敵してからはいつ食事を取れるか分かりません。手空きの者に喫食許可を出したいのですが……」
「……ああ、そうだな。各艦にも通達してくれ」
「おはり」艦長の山口1佐が隊司令の日吉へ許可を求めてくる。
防大の2期後輩である山口1佐とは旧知の仲であるが、普段は実直という言葉をそのまま人の形にしたような男である山口の目と声色がどことなく泳いでいるのを見て、日吉は彼も自分と同じ感覚に苛まれているのだろうと察していた。
午前7時頃にクトゥルーは突然、咆哮を発していた。
入手した情報によると、あのクトゥルーはまだ肉体だけの魂が抜けた状態であるという。
幸い、先に異次元人の空中艦隊との決戦を経験していた第1護衛隊の乗り組み員たちはクトゥルーの咆哮がもたらす外宇宙の恐怖で発狂する事は無かった。
しかし、魂の無いハズのクトゥルーの咆哮は鋭いカミソリのように日吉1佐たちの精神を切り裂いて地獄の業火のように心を焼いていたのだ。
これがクトゥルーが魂を取り戻して完全復活を果たしてしまえばどうなってしまうというのだろう?
日吉1佐は恐らく自分は正気を保つどころかそのままショック死してしまうのではないかと内心、冷や冷やしていたのだ。
山口1佐もそうなのだろう。彼だけではない。艦橋勤務の若い隊員たちも意識して職務に没頭しているように見えるのはそれ以外の事を考えるのを拒絶しているためだろう。彼らも無意識で旧支配者への接近を肌で感じ取っているのだ。
「ハハハ! 皆、暗いぞ! そんなんでは勝てる勝負も勝てんではないか!」
日吉は艦橋内に暗く淀んだ空気を払拭するためにワザとらしく明るい声を張り上げて通信を命じた若い2曹の肩を叩く。
「君、今日の昼のメニューは何だったかな?」
「はい。ええと、確かウドンだったと思いますが……」
「ウドンかぁ……。はぁ、故郷の柔らかいウドンが恋しいものだな。こりゃあ、こんなトコで死ぬわけにはいかんぞ!」
日吉1佐の故郷は福岡であり、福岡のウドンは食べてるうちから麺がツユを吸ってどんどんと増えていくと噂されるほどに柔らかく茹で上げられた物である。
だが近年では艦内食のウドンも冷凍の讃岐ウドンが幅をきかせており、福岡のウドンとは対極をなすようなハードな触感の讃岐ウドンに日吉は未だに馴染めないでいた。
だが日吉は自分が再び故郷のウドンを食べる事ができる望みが薄いであろうということも何となくではあるが分かってしまっていたのだ。
戦艦「おはり」は旧国名の尾張から艦名を取っているので「おわり」とするべきでしょうが、それだと「終わり」みたいなのでゲンを担ぐ海の男っぽくないので「おはり」と旧仮名使いにしています。




