「晩メシ、何にする?」
時は流れて現代。
かつて香川の地において人々の心を救った聖女の行いは語り継がれてきたが桑原天という名を知る者はとうにいなくなり、今はただ聖女の名は「智玖和天」として語り継がれるのみである。
そして香川の民は聖女の事を「救世主」あるいは「飯屋」として信仰の対象としていた。
「あ~……、晩メシ、何にする?」
「いや、『何にする?』ってコレ、選択肢の問題じゃないぞ……」
「最悪、コンビニ弁当とか総菜になるで」
「は? 香川まで来てコンビニとか嫌だよ……」
香川県の県庁所在地、T市の繁華街を異形の怪人たちがトボトボと歩いていた。
怪人たちは様々なシルエットであったが一様に爬虫類のような鱗の肌に冷たい鋼鉄の鎧を身に纏っている。
彼らは恐竜の遺伝子を組み込まれた改造人間集団「凶竜軍団」の残党である。
同じ遺伝子改造人間である「超次元海賊ハドー」の獣人たちとは違い、未成熟な遺伝子改造技術を用いて製造されたために体内に機械類も組み込まれており、いわば生物学と工学のハイブリッドともいえる存在だ。
彼らは組織の壊滅後、「UN-DEAD」に合流し、彼らのまとめ役であるルックズ星人の依頼により四国へと来ていたのだ。
ナチスの秘密兵器であるホバー・ラーテを用いて四国の水瓶である早明浦ダムを破壊し、電波ジャックでの宣戦布告と合わせて政府やヒーローたちの目を四国に集めておく。
そうする事で東京で起こす本命の作戦の邪魔を減らすのだという。
「凶竜軍団」の面々の人数がちょうどホバーラーテの乗員にピッタリだからだとルックズ星人からの作戦計画書を持ってきた内原が言っていた。
なるほど、確かに人数だけならナチの連中でもいいかもしれないが彼らは所詮、元地下アイドルオタクに過ぎない。
その点、「凶竜軍団」の改造人間たちならば万が一、車内に敵の侵入を許してしまった場合でも身体能力を活かして戦う事ができる。
それに彼ら「凶竜軍団」は四国の連中には借りがあるのだ。
彼らの組織が斜陽の時期、資金集めのためにネットを用いて転売屋を営んでいた事があった。
その転売屋で阿波踊りの桟敷観覧席を取り扱ったのが運の尽き。
転売屋アジトは「護祭連」の襲撃を受けて壊滅してしまったのだ。
「凶竜軍団」残党の1人、トリケラ鳥栖は失った右腕を左手でさする真似をしながらあの時の事を思い出していた。
東京の5階建て雑居ビルの3階にアジトを構えていた転売屋の護衛のためにトリケラ鳥栖は配備されていた時の事。
ぼんやりと電話やパソコンに向かって様々なイベントのチケットの転売に精を出す構成員たちを眺めていた時だった。
突如として護祭連の特殊部隊がガラス窓を突き破ってアジトへ突入してきたのだ。
それと同時にドアからも「マスターキー」と呼ばれるショットガンの特殊弾を用いて扉の蝶番を破壊してきた部隊に突入され、たちまち現場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
トリケラ鳥栖も突入してきた特殊部隊を迎え撃とうと手近な1人に飛び掛かっていったものの、全身を小さく切って踊るような独特の闘術によって右手を切断されてしまっていた。
足首、膝、腰、24の背骨、肩、肘、手首と全身の骨格を小さく動かす阿波踊りを戦闘術として昇華させた彼の者の手刀はトリケラトプスをベースとした頑強な鱗も骨格も容易く断ち切る事ができたのだ。
今でもその時の事を思い出す度に無くなった右腕が痛むような感覚に襲われ、寝ても彼の者の編み笠に隠されて口元しか見えない顔が笑うのを夢に見てうなされていた。
「護祭連」とは徳島阿波踊り実行協議会が保有する戦闘部隊だ。
“連”とは元々、阿波踊りの踊り手のグループを指す。職場や町内会、学校などで組織される連は規模も踊りのレベルも様々、だが皆揃って阿波踊りにかける熱意は高い。
そして阿波踊りの実行を妨げる者を排除するために徳島阿波踊り実行協議会が組織したのが「護祭連」であるとされている。古くは幕末、維新期の数件の暗殺事件にも関与が噂される「護祭連」の組織の全容は謎に包まれている。
トリケラ鳥栖たち「凶竜軍団」残党も「護祭連」への復讐を忘れた事は無かったが、一説では中型空母まで保有しているのではないかと噂される連中を相手にできる事などありもしなかったのだ。
だが今回は違う。
ホバー・ラーテの28cm砲で早明浦ダムを破壊してしまえば、徳島の地を踏む事なく奴らに復讐を成し遂げる事ができるのだ。
そのため、ホバー・ラーテは東京を出発してから太平洋を陸沿いに進んで瀬戸内海に入り、香川沖に入っていた。
いかに異星の技術によってホバー・ラーテが光学迷彩を含めた多目的迷彩を使用可能とはいえ、陸上とは違い、海上では航跡や波の変化などでそこに何かがあると気取られる心配はあった。
だが阿波踊り実行協議会の艦隊に補足されるような愚を犯すわけにはいかなかったのだ。
かくして敵に補足される可能性が高かったN市沖を無事に通過し、無事に香川沖に到着した「凶竜軍団」の面々はラーテに多目的迷彩を発動させた後で香川の県庁所在地であるT市に上陸していたのだ。
彼らの目的は食事。
「餓狼」とも「子育て中の獣」とも例えられる阿波踊り前の徳島県民に見つからずに香川へとたどり着き、ホッと一安心した所で彼らは空腹を思い出していた。
超大型戦車であるホバー・ラーテにも食料は備蓄されている。だがあの鉄子が管理していた戦車である。食料庫にはジャガイモ、冷蔵庫にはビール、冷凍庫には冷凍フライドポテトという有様で一大作戦を控えた「凶竜軍団」の面々はそれでは我慢できなかったのだ。
だがすでに時刻は日付が変わっており、しかも電波ジャック放送で「UN-DEAD」なる謎の組織が四国を攻撃すると宣言したばかりである。
香川一の繁華街であるT市中央商店街であっても早々に店仕舞いされて、「凶竜軍団」の面々は食事処を求めて右往左往する羽目になっていた。
無論、スナックなんかは今だ空いている店はある。
だが、そのような店で食べられるのは酒のツマミくらいなものだ。
それにせっかく東京から香川まで来たのだ。何か地元の名物料理でも食べていきたいではないか!
「どうするよ? マジで空いてる飯屋ねぇ~ぜぇ?」
「ちょっと前に杉屋あったけど……」
「はぁ? 香川まで来て杉屋の牛丼ってナシだろッ!?」
「って言ってもなぁ……」
「せっかくだし、讃岐ウドンでも食いたいけどなぁ……」
「だよなぁ……」
彼らが足を踏み入れたT市中央商店街は幾つもの商店街が集まった構造である。
それが土地勘の無い彼らが右往左往する結果となっていた。
飲食店の多いライオン町商店街を見ても空いている店は無く、今度は道路の幅の広い南新町商店街はどうかと進んでみるがこちらはそもそも飲食店の少ないエリアだった。
そうしてあちこちを行ったり来たりを繰り返している内に時計の針は2時近くになり、一同に諦めムードが漂ってきた頃。
「どうする? さっきのアップルバーガーに戻る?」
「アップかぁ~……、ハンバーガーも嫌いじゃないけどさぁ~……」
「ん? アレ、屋台じゃね?」
「おっ!?」
高松城跡の公園近くまで来た頃、ティラノ佐藤が1軒の屋台に気付いた。
屋根の両脇に吊るされている赤提灯には「うどん」の文字が記されており、今時、珍しい人力で引くタイプの屋台は風情もたっぷり。銀色のフレームすら情感を阻害する事なく、むしろ赤提灯の灯りを受けて優しく輝いて見える。
その屋台には1人の少女が立っていた。
深夜に屋台をやっているのだ。実際に子供という事はないだろうが、どう見ても中学生くらいの少女にしか見えない。
「ネーチャン! まだやってる?」
「あ、大丈夫ですよ~! お兄さんたち、県外の人?」
「おう! 今日、ついたばかりなんだよ」
「ああ、どうりで。で、温かいのと冷たいのとありますけどどうします?」
ブロント榊が長い首を伸ばして暖簾をくぐらせ、店員の少女に声を掛ける。
少女も朗らかな笑顔で彼らを迎え入れ、注文を聞いてきた。
それにしても少女のように若く見える女性だというのに、なんとも古風な雰囲気を纏っている女だ。
エプロンではなく割烹着を着て、後頭部にまとめた髪はシニヨンなどではなくゴムでまとめられてお団子といった風情。
だが待ち望んだ食事にやっとの事でありつける嬉しさに「凶竜軍団」の17人は些細な事など気にならないといった様子だった。
「じゃあ俺は冷たいの!」
「それじゃ俺は温かいのにしようかな?」
「こらこら! いきなり20人近くで来てバラバラな注文じゃ迷惑だろ!」
「いえいえ、大丈夫ですよ~!」
全員の注文をとると少女は全員分のウドンをまとめて大きな寸胴に入れた。
明らかに麺を入れすぎだろうと誰しもが思うが、不思議と寸胴の中でウドンはのびのびと泳いでいる。
屋台のカウンターには椅子が4つ。
だが人間に比べて大柄な怪人では3人が座るのがやっとだろう。
古参の2人と右腕の無いトリケラ鳥栖が座らせてもらう事にして、残りの面子は車道と歩道を隔てる縁石に腰かけてウドンが出来上がるのを待つ事にした。
トリケラ鳥栖は右に座る2人との会話もそこそこに屋台を観察していた。
コンロは2つ、それぞれに大きな寸胴鍋がかけられ、シンクの脇には水道の蛇口が伸びている。どこに水のタンクを積んでいるのだろうと屋台の下を覗き込んでみるが水のタンクはおろかプロパンガスのボンベすら見つける事はできなかった。
「あ、お兄さん。これ丼の下に敷いてください」
少女がカウンター越しにゴム製のマットをトリケラ鳥栖に差し出してくる。
まな板の滑り止めに使われているのであろうゴムマット、片腕が無いために丼を押さえる事ができない彼のための配慮だろう。
少女の心配りが嬉しかった。
数分でウドンは茹で上がり、少女はザルを使って器用に大量のウドンをすくいあげ、シンクへ移して蛇口の流水で一気に締め上げていく。
まだ沸き立つ鍋から上げたばかりで熱いだろうに少女は流水の中で泳ぐ麺の中に手を入れて冷たい水にさらしていた。
「冷たいウドンの方~! もうすぐできますよ!」
少女が声を掛けると縁石に座っていた怪人たちも立ち上がって集まってくる。
「カウンターの上のおツユか醤油差しの出汁醤油でお召し上がりください!」
少女が先に並べて置いた丼に次々とウドンを持って冷たいウドンを注文した者に出していく。
カウンターの上にはネギや薬味の他、2つのポッドが並べられており、蓋にそれぞれ水色と赤色のシールが貼られていた。かけツユも温冷両方が楽しめるようになっているようだ。
「おおっ! ウメェ!!」
「こんなに上手いウドン、食ったことねぇよ!」
深夜の2時だというのに大きな声を出す面々にトリケラ鳥栖は眉をしかめる。
「UN-DEAD」ではルックズ星人の指導により「仕事先でいくら迷惑をかけても、遊びにいった先では迷惑をかけては駄目!」と常日頃から言われている。彼らが四国に来たのは仕事でも、外食しに来たのは名物料理を食べようとしていた所からも半ば観光のようなもの。
そのような状況で騒ぐのは近隣住民の皆さんに迷惑だろうと思っていたのだ。
だが、そこまで声を上げて喜ぶほどのウドンとはどれほどの物だろうと気にならないわけではない。
トリケラ鳥栖は温かいウドンを注文していたためにまだウドンにありつけていないのだ。
調理を続ける少女に目を戻すと冷水で締めたウドンを再び寸胴に入れて温めなおしている。
「い、1度、水で締めてからまた温めるのかい?」
「はい! そうする事で温かいウドンでもコシが楽しめるんですよ! あっ、釜揚げの方が良かったですか?」
「いや、いい。君に任せる」
「ありがとうございます!」
こんな深夜の2時の団体客だというのに少女は手を抜かずに接客してくれている。
少女のキビキビとした動作や目線の動きからそれは間違いない。
さきほどのゴムマットの配慮といい、トリケラ鳥栖はウドンを食べる前から心が温かくなっていた。
そして再びウドンはザルに上げられ、今度は水で締められる事なく丼に盛り付けられた。
「はい、お待ちどう様!」
「おっ! 来た来た! ほれ、鳥栖さん!」
「ああ、あんがと……」
隣のプテラノ堂珍がトリケラ鳥栖の分も丼を受け取ってカウンターのゴムマットの上においてやる。
「それじゃ、食べるか……」
温かいかけツユをポッドから注ぎ、少量のネギを入れてからトリケラ鳥栖は丼を見つめていた。
無論、彼も麺類はとっとと食べなければ伸びてしまうというのは分かっていたが、どこから箸を付けたものか分からないほどに美しい物に感じられたのだ。
上等の洋菓子や懐石料理がそうであるように、目の前のウドンもまた「美味しそう」というだけでなく「美しい」ものであった。
冷水で締められた後に再び茹で上げられた麺は艶めかしいほどに艶を放ち、澄みきったツユに沈んで箸を付けられるのを今や遅しと待ちわびている。
丼の中に世界がある。
必要なモノはすべて有り、不必要なモノは何も無い。
トリケラ鳥栖はたかがウドンだと己に喝を入れ、箸を持ったが2本の箸が震えているのに気付く。
丼の中に納まるような小さな、だが完全な世界を自らの手で壊してしまう事に畏怖しているのだ。
それでも意を決して1口目を手繰りよせて口へと運ぶ。
「……ッ! これは……!」
固いわけではない。
言葉にするならばモッチリというしかない。
だがそれでも極限までモッチリという感触を突き詰めたようなウドンのコシはトリケラ鳥栖の頭脳にあったモッチリという言葉の定義を完全に書き換えていた。
世界を壊してしまった。
その罪悪感が無いではないが、それでも次の1口が止まらない。
6月になったばかりの肌寒い気温の深夜を歩き回ってきたトリケラ鳥栖の人口臓器にかけツユが染みわたっていくようで、麺のハードなコシが直接自分の活力となっていくようで箸が止まらないのだ。
気が付くと周囲の同胞たちも皆、一心不乱にウドンに食らいついている。
先ほどまでのように大声で騒ぐ者など誰もいない。
誰もが話をすることなく、だがその顔には笑顔が浮かびウドンに満足しているのだけは確かだった。
「ふぅ~……。食った、食った……」
意外な事にただ1玉のウドンを食しただけで「凶竜軍団」の面々の胃袋は満足していた。
時間も時間であるので2杯目を頼むのは悪いだろうかと思いながらも、後輩連中に最後の晩餐になるかもしれないのに中途半端な空きっ腹を抱えさせるのはかわいそうでどうしたものかとトリケラ鳥栖も考えていたのだが、皆、揃って屋台の少女に笑顔で礼を言いながら丼を返している。
「……美味かった」
誰に言うでもなくトリケラ鳥栖は呟いて夜空を見上げる。
温かい接客に美味いウドン、おまけに考えられないくらいに安い値段。
これ以上などありえないというほどに彼は満足していたのだ。
「ネーチャン、ごちそ……、ってアレ!?」
「どうした?」
「い、いない……」
後輩たちの言葉に視線を地上に戻すと、そこにはいつの間にか屋台も少女もいなくなっていた。
聴力を強化された者もいるというのに屋台を引く音すら聞いた者はいないという。
まるで最初から何も無かったかのように少女は忽然と姿を消してしまったのだ。
「…………」
一抹の寂しさとともに先ほどウドンを食べていた時に感じた「世界を破壊する」恐怖が胸の内に押し寄せてきているのに気付く。
そして自分たちがこれから行おうとしていた行為の意味にも……。
周囲の者たちも同様であったのか、互いに目で見やるとただただ言葉も無く頷いて見せ、「凶竜軍団」の面々は踵を返してホバー・ラーテを目指して歩いていった。
これにて香川番外編は終了となります。
次回からは本編に戻ります。
ところでプテラノドンは恐竜じゃねぇ~だろぉ?と思った貴方。
世の中には5、6人の内、恐竜モチーフは2人しかいない恐竜戦隊ってのがあってだね……。




