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引退変身ヒーロー、学校へ行く!  作者: 雑種犬
番外編 救世の魔法少女
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「最後にもう1度だけ……」

 1人の少女が屋台を引いて行く。


 朝日が上がった事で周囲の空気は熱せられて風を生み、乾いた大地から土煙を上げて少女の行く手を阻むが少女を表情を変える事は無かった。


 額に滲んだ脂汗に細かい粒子状の土が付いて、また白い割烹着を赤く染める出血も土で汚れている。


 そのように汚れ切った少女であるというのに遠く彼女を見守る10万を超える人々は彼女に何か神聖なモノを見ていた。


 固い大地の上に乗った細かい砂で傷付いた少女は足を滑らせて転びそうになったが、屋台につかまって何とか転ばずに堪える事ができた。

 そして何事も無かったように前へと進む。


「…………もう止めてくれ……」


 少女を見守る群衆の誰かが呟く。

 無論、遠く離れた彼女にその声が届く事はない。


 だが仮にその声が届いたとして、少女は歩みを止めるだろうか?

 彼女を見守る数多の群衆の誰1人とて肯定することはないだろう。

 聖女が何をしようとしているかは分からずとも自分たちでは彼女を止められないという漠然とした確信がある。


 殺し合うために丸亀平野へ集まってきた者たちは一様に無力感を味わっていた。

 そして無力感と同時に深い後悔も。


 この場にいる多くの者が彼女の作ったウドンを食べていた。

 自身が食した事はなくとも両親や祖父母、子や孫たち、兄弟姉妹に友人隣人。

 少女の作ったウドンと無縁であった者などこの場にはいないと言い切ってもいい。


 果たしてそれは少女がやるべきことだったのか?


 殺し合いなんてしていないで、身近な人たちの命を繋ぐ事は自分たちでしなければならなかったのではないか?


 自分たちが少女に全てを押し付けてやけっぱちの争いをしていたせいで、今、少女は傷ついているのではないか?


 後悔から自らの行いを恥じ、人々は手にした武器を捨ててひざまずき手を合わせて祈っていた。

 誰から始めたのかは分からない。

 だが「生醤油派」も「出汁汁派」も関係無く、丸亀平野に集った者たちは揃って屋台を引く少女に手を合わせる。






 屋台を引く少女、桑原天はやがて歩みを止める。


(……この辺でいいかな?)


 周囲を見渡して場所を確認。

 ただただ広い荒野だった。

 黄色く枯れた田畑に完全に乾いた水路。


 海がある北を除いては周囲を山で囲まれた丸亀平野の周囲に県内各地から集まった大勢の人たちが見える。

 天はその群衆に囲まれた形のド真ん中に位置するように進んできたのだ。

 これからする事が誰の目にも見えるように。


 丸亀平野のど真ん中、先ほどまでいた溜め池からは5、600メートルほど離れただろうか?


 たったそれだけの距離だというのにまるで永遠とも思えるような時間だった。

 いや、陽の上り方から察するに実際にはそんなに時間は経っていないだろう。


 1ヶ月以上に渡る魔力の過剰使用によって天の生命力は底を尽きかけ、体力を全体的に低下させていたため、腹部に銃弾を受けても血流量が低下していたおかげで天は絶命を免れていた。

 だが皮肉にも体力の低下が彼女のこれまでの道のりに地獄の苦しみをもたらしていたのだ。


「やあ! もうお止めなさいな、お嬢さん」


 周囲を見渡していた天のすぐ目の前にいつの間にか1人の男が立っていた。


 美しい男だった。

 男性的な顔立ちながらも女性的な柔和な笑顔で天に語りかける姿は思わず息を飲むものであったし、長い金髪が無造作にカールを作っているのも様になっている。着ている服はまるで御伽噺の絵本から飛び出してきたかのようで、何故、このような美しい男がこんな所にいるのか不思議なほどだ。


「2千年前にもお嬢さんと似たような事をした男がいたよ。彼が人の罪を背負って死んだというのに人はそれからも罪を犯し続けてきた。君のやる事も無意味なのかもしれない……」


 男の青い瞳は憐れむような悲しみような沈みこんだ色をたたえていた。

 だが、この男が何を言わんとしているのか天には理解する事ができない。

 無意味だとして、それで諦めてしまう事こそ無意味ではないのか?


「私は無意味ではないと信じています」

「そうか。君には不思議な力があるそうだね? ならば、この土くれをパンに変えてみたまえ!?」

「去れ! 悪魔よ!」

「ふがっ……!?」


 男には何も見る事はできなかった。

 ただ天の両腕が煌めいたかと思うと自身の口に何かが詰め込まれていたのだ。

 自身の反応速度を超える速さで死にかけた少女が何をしたのか、予想する事すらできなかった男はただただ困惑する。


「人はパンにて生きるに非ず。人はただウドンによって生きるのです!」

「ふぁっ!?」

「ウドン。もう1玉、食べますか?」

「…………」


 目の座った少女の言葉によって自身の口内に詰め込まれたものがウドンであると察した男はブンブンを大きく首を横に振ってすごすごと退散する事にした。




 いきなり現れた男は蛇に姿を変えて逃げるように帰っていった。


 蛇に姿を変えるとは呂木と同じように魔法使いだったのだろうか? 外国では魔法使いなんて珍しいものでもないのかもしれない。

 そりゃあ前の戦争で日本が負けるのも納得だ。


 それにしてもウドン職人にパンを作れだなんて何て酷い事を言う男だろう。

 あのような人間の事をきっと悪魔と言うのだ。


 だが怪我の功名といったところか、天の脳内にはアドレナリンが噴き出して冷え切った自身の身体をなんとか動かす事ができそうだ。


 まず手始めに屋台の屋根を支える支柱を外して屋根を降ろす。

 これは周囲の者たちから自分がよく見えるようにするための処置だ。


 天が昨日、“未来予知”の魔法で垣間見た未来、その内の1つの分岐では香川の地は人住まぬ土地と化していた。

 その分岐の切っ掛けがこれから行われる「生醤油派」と「出汁汁派」の決戦にある。


 だが、天はいかにその決戦を止めようというのか?


 寸胴鍋の固定を外してコンロに火を点ける。

 麺箱を取り出して麺の調子を確かめながらあらかじめ軽くほぐして寸胴鍋に投入。


 そう。天はウドンを作ろうとしていた。

 天にできるのはウドンを作る事だけ。

 それ以外にできる事も無ければ、思いつく事も無い。あったらとっくの昔にしているだろう。


 だが天には確信があった。

 茹で上げられたウドンを前にして、ウドンをほっぽといて殺し合いをする香川の民などいない。

 彼らは人を愛するようにウドンを愛するが故に水を求めて争っているのだ。

 ならば、そのウドンを目の前にしていかに争いをすることができようか?






「お、おい! 聖女サマ、ウドンを茹でてるのか……?」

「ああ。俺にもハッキリと見える」


 天を取り囲む群衆は遠く彼女を見守っていたが、何やら立ち止まって急にワンツーパンチを空に向けて放ったと思ったら屋台の屋根を外してウドンを茹で始めたのを見て揃って困惑していた。


 皆、手を合わせたままポカンとした顔をしてそのまま彼女を見つめているが、何でそんな事になっているのか分からない。


 幾度も目の錯覚か、決戦前の昂りによって自分の頭がおかしくなったのではないかと疑うが、何度、見直してもウドンを茹でているようにしか見えないのだ。


 それにしても威風堂々とした姿だった。


 寸胴鍋を覗きこむ姿は瞬きすら忘れたように湧き立つ鍋の中を泳ぐ麺を見守っているようで、一寸の無駄も無い。


(……ゴクリ!)


 誰かが生唾を飲み込む、異様に大きく響くその音に唾を飲み込んだのが自分だと気づくが周囲には同じようにチラチラと周囲を見渡している者もいて、その者も自分と同じなのかと密かに親近感を抱いた。


 それから数分、裁判の判決が言い渡される瞬間のような緊張感の中、ついに麺が鍋から上げられた。

 天を見守る10万を超える人々の誰しもがこれ以上早くてもいけないし、これ以上遅くてもいけないと直感で理解する完全なタイミング。


 それから天は遠くから見てもハッキリと青ざめた顔色なのが嘘のように素早い動作でザルに上げられたウドンを冷たい流水の中で洗っていく。


 ベストタイミングで茹で上げられた麺が伸びないように素早く、それでいて麺の表面が傷つかないように優しく麺が泳ぐ流れに逆らわず。

 やがて産婆が新生児を取り上げるかのように微笑とともにウドンを取り上げる。


 事前に用意していた丼にそっとウドンを置いて腕を回して食べる者が箸を入れ易いように盛り付けてついに1杯のウドンが完成した。


 屋台には冷されたかけツユと醤油差しが用意されていて、食べる者が好きなのを使えというスタイル。


(私の気持ち、どうか通じて……)


 もはや言葉は無い。

 ウドン職人に戦いを止めるための言葉は無く、ウドン職人を前にして世に星の数ほど散らばるあらゆる争いの種は意味をなさない。


 天も彼女を見守る者たちも周囲から殺気が消え失せている事に気付いた。

 ただそこに残るのは空腹のみだったのだ。

 だが……。


(……あれ? 力が……、まだ……)


 1杯のウドンに全身全霊をかけて作り上げ、そこで天は倒れてしまった。




 最初に気付いたのは自分の顔に触れている土が陽に温められて心地よいという事だった。

 顔だけではない。

 天の身体は壁に押し付けられているように感じられ、やがてそれが壁ではなく地面である事に思い至った。


「お、おい! 聖女様ッ……!?」

「嘘だろ!?」

「畜生、奴ら、許せねぇ!!」

「聖女様の弔い合戦だ!!」

「殺っちまえ!!」


「生醤油派」は「出汁汁派」を。「出汁汁派」は「生醤油派」を。

 互いに互いが確たる証拠も無しに聖女を傷つけたと思っていた所で聖女が倒れたのだ。


 なまじ聖女の働きによって殺意の波が引いていた所での事である。

 引いていた波が押し返してくるように群衆たちは怒りで心を曇らせていった。


 地に捨てていたそれぞれの武器を拾い上げ、各々、手近な敵集団に突っ込んでいく。

 もはや“牽制”や“睨み合い”などというものが必要な局面ではなかった。

 自分たちのために全てを投げ出した聖女に報いるためにこの場にいる全ての人間が自分の命を捨てる覚悟を決めていたのだ。


 皮肉にも両派の決戦を止めようとした聖女の行いこそが最終決戦の引き金となってしまっていた。




 もはや声を上げる事はできず。

 手を伸ばしても届く事は無く。

 涙で滲んだ目には愛する人たちの姿を見る事もできない。


 傷ついた少女は割烹着のポケットからプロトタイプ・マジカルバトンを取り出すと中心に取り付けられた宝玉に震える指をかけて回した。


(お願い! 私を最後にもう1度だけ魔法少女に、ウドン職人にして!! 私の全てを差し出すから! お願い! マジカルバトン!!)


 その瞬間、少女の願いに呼応するように光が爆ぜた。

天ちゃんの活動期間は短いのでハードスケジュール。

ハードすぎてゴルゴダと悪魔の誘惑をはねのけるのと同時進行。

労働基準監督署の設置が急務。

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