「私はウドン職人」
丸亀平野の外周部を取り囲むように数多の軍勢が集結している。
その数は千を超え、万を超え、「生醤油派」「出汁汁派」合わせて実に10万を超えるだろう。
だが正確な人数を把握している者は誰もいない。
此度の香川の内戦はその成り立ちゆえに両派とも明確な指導者はおらず、その軍勢を統率する者とていないのだ。
それが内戦の終結を難しいものにしていた。
トップ同士の話合いによって終戦、あるいは停戦を行う事ができないのだから。
そのような内情とともに両派とも装備はとても現代の物とは思えないほどに貧弱で、彼らを「軍勢」と呼ぶのはあるいは正しくないのかもしれない。
両派ともに火器と呼べるものは極々少数の歩兵銃や猟銃、拳銃くらいなもので、ほとんどの者は鎌や鍬などの農具やカケヤやツルハシなどの工具を手にしているし、中には竹竿の先端を斜めに切り落とした竹槍を持っている者もいた。
大勢の大人たちの中にはまだ幼さの残る少年たちも混じっている。
彼らも数年前の終戦によりもはや戦場に送られる事は無いと思っていただろうに、今、こうして強張った顔で野球のバットや剣道に使われる木刀を手にしていた。
もはや「軍勢」と言うよりも、「暴徒の群れ」と言った方がいいのかもしれない。
彼らは県内各地より集まり、互いに睨みを利かせながら激突の時を今や遅しと待っている。
しかも西側に「出汁汁派」が集まり東側に「生醤油派」といったような布陣ではなく、丸亀平野北側中央にM市の「出汁汁派」3000、その東にはM市「生醤油派」2000、さらにその隣にはT市から参集した「出汁汁派」2000、そのT市「出汁汁派」とにらみ合うような位置にT市「生醤油派」4000といったように両派とも入り乱れた配置となっていた。
自然、戦いが始まってしまえば乱戦は必至で、被害は甚大な結果になるだろう。
だが両派ともに引くことはできない。
両派ともに敵派閥こそが県内各地の水源に毒物を投げ込むという非道を行った極悪非道の集団であると思い込んでしまっていたし、何よりも長く続く日照りに彼らは皆、気が立っていたのだ。
長く続くこの世の地獄に破滅的な道を選んで早く楽になろうとしていたのかもしれない。
ただ互いに入り組んだ陣営の配置になっていたがため、互いに互いをけん制し合って今はまだ動くに動けないだけだ。
だが何かが口火を切ってしまえば後は揃って全滅するまで争いを止める事はないだろう。
「……お、おい! あれを見ろ!」
「あれは……」
ふと誰とでもなく、それに気づいた者が口を開く。
丸亀平野の中心部にある溜め池。
その周囲に並んでいる立木から現れた何者かがいたのだ。
その者は朝日を受けて銀色に輝く屋台を引き、よろめきながらも進んでいる。
白い衣装に身を包み、頭にも白い布を巻いている。
さらに後頭部には長い髪をまとめて結んだものがウドン玉のように丸く印象的だった。。
「聖女サマ……?」
「まさか……?」
「いや、アレは間違いなく聖女サマだ!」
「でも何であんな所に?」
最初は半信半疑で、だが次第に彼らは確信していく。
アレは彼らが「聖女」と呼ぶ少女だ。
「生醤油派」「出汁汁派」という派閥に関係無く、県内各地に屋台を引いて現れてはウドンを振る舞う。
そのウドンはまるで天上の存在のように白く、冬に降る雪のように冷たく、うら若い少女のようにしなやかで、それでいて長く続く日照りにも負けない気骨を食べた者に与えるようなコシを持つという。
丸亀平野を取り囲むように集まった暴徒たちの中にも聖女のウドンを食した者が大勢いた。
彼女がこの1月と少しの間に作り上げたウドンは実に100万食以上。
聖女のウドンで命を繋いだ者も多い。
当然、誰も聖女と呼ばれる少女が各地の水源に毒を投げ込んだ犯人だと疑う事は無い。
だが、それでも「何故、聖女サマがこんなところに?」と思わざるをえない。
時刻は午前4時半。
普段ならばともかく内戦中の香川でこんな朝早くに歩き回る理由が無いのだ。
それにいつも屋台を引いていた謎の白人男性もおらず、聖女は自分で屋台を引いている。
「聖女サマ、怪我してるのか?」
「本当だ……。でも何で?」
「決まってんだろう!!」
「ヤツらの仕業だッ!?」
各所で聖女の白い割烹着の腹部に赤い染みがあるのを見つけて声を張り上げる。
そして両派ともに確たる証拠も無しに敵派閥がやったのだと断じて怒りの炎を燃え上がらせていく。
丸亀平野の西部にある標高296メートルの小高い山である筆ノ山。
その頂上付近にロキの姿があった。
ロキは何をするでもなく遠く小さく見える銀色の屋台とそれを引く少女を見ていた。
ここからでは少女の歩みは芋虫のように遅く見える。
だが彼は一時も目を離す事無く、それはまるで見守っているかのようでもあった。
もっとも彼を知る者ならば誰しも否定するだろうが。
「やあ、ロキ。探したよ……」
「うん? ああ、ラビン将軍ですか……」
急に後ろから掛けられた声に振り向くが、すぐにロキは詰まらなそうな顔をして視線を元に戻す。
いつの間にかロキの後ろにいたのは異世界「魔法の国」の住人であるラビンだった。
時代がかった青い軍服を着た2足歩行のウサギであるラビンの身長は30cmほど。
魔法の力を使っているのか1.5メートルほどの高さに浮かんだラビンはロキの2メートルほど後方にいた。
「君、何か言う事はないのかい?」
「すいませんね。後にしてもらえます?」
ラビンの事など興味が無いとでもいうつもりか、振り向く事すらしないロキにラビンは心なしか怒りに震えているように見える。
「あのね? 君ね、君がプロトタイプ・マジカルバトンを勝手に持っていったせいで、こっちはエラい騒ぎだよ!?」
「でしょうねぇ……」
「僕がクビになるくらいならいいけどね。この件のせいで魔法少女計画は数十年は遅れるかもしれないんだよ!?」
ラビンは「魔法の国」の軍人であり、地球軍事援助計画「魔法少女計画」の推進者であった。
「いずれ来る旧支配者『アンゴルモアの恐怖の大王』の事は君だって知っているだろう? 僕たちも、君たち地球の神だってヤツには勝てないのは分かるだろう? 僕たちは少女の無限の可能性に賭けるしかないんだよ? それを君の退屈しのぎに潰されたらたまったもんじゃないね!」
「その事なんですがね……」
ラビンの言葉を受けてロキが振り向く。
その顔からはいつもの笑みは消えていたものの、所詮は彼の事、その表情にどのような意味があるかは分かったものではない。
「少女に“無限の可能性”を与えたところで、少女は少女でしかありえないのでしょうかね?」
「……?」
「君たちは少女に神をも超える事を期待しているのかもしれませんが、それはその少女を不幸にするだけかもしれませんよ?」
「早速、1人の少女を不幸にしておいてよくも言ってくれる。まぁ、それは良しとしよう。それよりもプロトタイプ・マジカルバトンは回収させてもらうよ……」
ラビンが指を鳴らすと周囲にいくつも魔法陣が浮かび上がり、その1つ1つからラビンと同サイズの羊が現れた。
羊たちは一様にラビンの物と同様の意匠が施された赤い軍服を着こみ、魔導刃を発生させる事も出来るスパイクを先端に取り付けた先込め式小銃を手にしていた。
「もう少し待ってもらえませんかねぇ……。天ちゃんの命はどうせ長くない。もう少しだけ彼女の好きにさせてもらえませんか?」
「……もう待てないよ」
「そうですか……」
その言葉と同時にラビンの視界からロキが消える。
次にロキが現れた時、ロキはラビンの眼前に迫っており、右腕を大きく振りかぶっていた。
その手刀はロキのフェイバリッドであり、炎の巨人スルトに伝えられたそれは“スティルヴァーレ”とも呼ばれ、エッダの最終章「神々の黄昏」においてはロキはその手刀で光の神ヘイムダルと相打ちになると記されている。
「メ、メェ~メェ~兵!!」
「うわっ!? 放せ! 放せ!!」
だがラビンが呼び出した羊兵によってあっという間にロキは取り押さえられてしまった。
「……あれ? 弱い? えっ、どゆこと……?」
「いやあ……、私、武闘派じゃないですし。それに最近、働かされ過ぎて過労死寸前なんですよねぇ……」
天がこの1月に作ったウドンが100万食以上という事はそれだけの材料を用意する必要があったのだ。
当然、ウドンを作っている天が買いにいけるわけもなし、ロキが各地に飛んで買い付けに行き、他にも日中、屋台を引くのもネギや天カスなどを用意するのもロキの仕事だったのだ。
「えぇ……。そ、それは同情するけどさ、僕も魔法少女計画を潰すわけにはいかないんだ」
ラビンの顔に明らかに困惑の色が浮かぶものの、さすがにそれで止まるラビンではない。
だが……。
「そこまでよ!!」
ラビンの眼前に1本の竹槍が飛んできて地面に突き刺さる。
「お前はヘル! なんで君が!?」
いつの間にかロキから見て左側、ラビンから見て右側に2つの人影があった。
1人は何かのユニフォームなのか白と黒のストライプのシャツに黒いスラックスの女性。
肌は血が通っていないかのように白く、目には白目は無い。そして口からは黒い瘴気を吐き出している。
そしてもう1人は人の形をとっているものの、後ろの風景が透けて見える明らかにこの世の存在ではない者ではない男だった。
男は幽霊には似つかわしくない筋骨隆々の大男で、背には何本も竹やりを背負っている。
幽霊の大男がラビンへ竹槍を投げつけたのだろうか?
男は背にした竹槍の1本を抜き取ってラビンたちへ構える。
竹槍の先端は異様に細く尖り、強度を保つためにか黒く焼かれていた。
ヘルの連れてきた男が放つ威圧によってラビンたち「魔法の国」の一隊は動けなくなってしまった。
「バイト前なんだけど、こないだウドンの代金を払ってなかったのを思い出したから借りを返しに来たわよ」
そう言うとヘルはラビンたちを立原の霊に任せて、先ほどのロキのように山の上から遠く見える天の姿を見守る。
天は独り屋台を引いて進む。
すでに全身は冷たくなっていて、銃弾を受けた腹部の痛みすら薄れてきている。
意識もすでに朦朧と曖昧になり、天はただ魂の意思により進んでいた。
(私はウドン職人。私はアルファであり、オメガである。私は飢える者には価無しでウドンを食べさせるだろう……)
それは香川の地に伝わるウドン職人の心意気だった。
父も、祖父も、またその他、数多のウドン職人たちが築き上げてきた職人気質が天を動かしていたのだ。
さすがに代金無しでウドン喰わせるのはどうかと思います。




