「そもそも香川の地では香川の民を養えないのですよ」
「かま……たま……?」
医師は自身を「カマタマ派」というが、呂木はおろかウドン職人である天も「カマタマ」なるウドンを知らなかった。
稲庭や水沢のような県外のウドンかとも思ったほどで、だが、それではわざわざ内戦中の香川にいる理由も無いだろう。
訝しみながらも医師が所望した釜揚げのウドンを丼に盛り、屋台のカウンターに出すと医師はアルマイトの容器に収められていた鶏卵を大事そうに取り出してカウンターの縁で割り、ウドンの上へと落とす。
「ああ!」
「分かりましたか? “釜揚げ”のウドンに“玉”子で“釜玉”です」
香川の地において「釜玉ウドン」なる物がメニューに加わるようになったのは90年代になってからという。
丁度、時を同じくして市場に登場した冷凍の讃岐ウドンの持つ鮮烈なコシが持つ訴求力と合わせて讃岐ウドンの名を全国へ知らしめるのに多いに貢献したとされている。
だがNASAの研究によると、茹でてから水で締めない簡便な釜揚げウドンに生卵を落として醤油と絡めるという至極簡単な食べ方である釜玉ウドンは各家庭単位で同時多発的に自然発生していたものと見るのが自然であると指摘されている。
1952年のこの時代に釜玉ウドンを食する者がいても不思議ではないのだ。
医師は箸で卵の黄身を割ると醤油差しから天特製の出汁入り醤油をかけてかき混ぜ、ウドンと卵を和えていく。
そして立ち上る湯気で眼鏡が曇るのも構わずに威勢よく音を立てて啜り上げて満足そうな顔を見せた。
その笑顔はとても罪を咎められている者の顔には見えない。
「う~ん! やはり天ちゃんのウドンは最高ですね! 水で締められていないというのに角は死なず、コシが弱くなっても頑健に意地を残している」
「その食べ方、『生醤油派』の変形のように思えるのですがねぇ?」
首を傾げるロキに医師は背広のポケットから小さな瓢箪を取り出して見せる。
それは一味や七味トウガラシなどの粉末状の薬味を入れるための物だった。
瓢箪を開けて手の甲に内容物を振って落とすと灰色の粉末が現れた。
「それは?」
「イリコを砕いて粉末状にして、鍋で炒ってさらに乾燥させた物です。天ちゃんが出汁入り醤油を作り出す前はこれを釜玉ウドンに混ぜていたのですよ」
「なんでまたそんな面倒そうな事を……」
「ウドンと玉子、醤油だけじゃあ駄目なんです。玉子かけご飯と違って三者がケンカするというか、出汁の旨味で間を取り持たないとチグハグな味になってしまうんですね。……本当はカツオの削り節の方がいいんですが、内戦なんてやってる香川に飲兵衛たちは近寄りませんから……」
天は空を飛べる呂木がいるからこそ高知にカツオ節を買い付けに行かせる事ができたが、そのような者など他にいるハズも無く、事実上、両県の物流は完全にストップしていたのだ。
「つまり、先生はウドンに醤油をかけて食べるという点で『生醤油派』であり、出汁の旨味を理解しているという点で『出汁汁派』でもあるという事ですか?」
「ええ、その通りです。ですから私たち『釜玉派』は『生醤油派』も『出汁汁派』も殲滅する事にしたのです!」
「そんな……!?」
医師が犯してきた大罪も忘れて同じ思いの同士を見つけたと思った天の顔が綻ぶが、続く医師の言葉で一気に顔が青くなる。
元々、体調の優れていなかったのもあって屋台の屋根を支える支柱を掴んでやっと立っているという状態だ。
天が「生醤油派」に出汁の旨味を再認識させ、「出汁汁派」に醤油の重要さを思い出させる事で両派の宥和を計ろうとしていたのに、医師たち「釜玉派」は天が目指していたように醤油と出汁と両者の重要性を認識していながらも両派の全滅を目論んでいるという。
「天ちゃん、そもそも今回の内戦の原因はなんだと思いますか?」
「戦災の復興がまだ終わっていなかったせいで人々の心が荒んでいたせいではないでしょうか?」
「それもありますが、一番の理由はですね。そもそも香川の地では香川の民を養えないのですよ」
香川県の人口は1952年当時で94万人以上。
だが、これは戦後になってから増えたもので、それまでは70万から75万人程度を維持していたのだ。
当然、人が増えれば生活や農業、畜産、あるいは工業、産業と使用される水の量は増えていく。
さらに香川県の面積は全都道府県でもっとも狭い。
当然、河川の流域面積も狭いが、古くから香川の民たちは県内各地に溜め池を作って凌いできたのだ。
だが、渇水がおきやすい事を除きさえすれば自然災害も少なく平野部の多い香川は住みやすい場所で、人口密度は高い。
つまり医師が言いたいのは増え過ぎた香川の人口は県内各地の溜め池という古くからの知恵を持ってしても賄いきれないほどの状況にあるという事だ。
「そんな! 皆で手を取り合って協力すれば、どんな苦境だって乗り越えられるハズです!」
「事実、殺し合いは始まってるじゃないですか?」
天の本心、心の底からの叫びも医師には通じない。
夢見がちな少女を憐れむように苦笑してみせる。
それはできの悪い生徒を優しく叱る教師のようでもあった。
「言っておきますが、内戦が始まってしまったのには『釜玉派』は関与してませんよ?」
「だからと言って……」
「まぁ、話を聞いてください。私にとっての切っ掛けは立原さんの死でした」
「立原さん?」
思いがけない医師の言葉に天の脳内にいくつも疑問符が浮かぶが、彼が水源に毒物を投げ込むなどという医師たち「釜玉派」の暴挙を許さないであろう事だけは確かだ。
「私と彼とはまあ内戦が起きる前からの友人でしてね。ですが、彼はこんな詰まらない事で死んでいい男ではなかった! B-29を竹槍で撃墜するという事がどれほどの偉業であるか天ちゃんには分かりますか? 分からないかもしれません。立原さん自身、誇ることは無かったですし、戦中の軍部もさぞそれが当然と言い放ってましたしね!」
熱のこもった医師の言葉に、立原を失った悲しみ、怒りを思い出したかのように血走った眼に天も思わず息を飲む。
「……私には分からないのかもしれません。それでも立原さんがとても優しい方だったのはよく覚えています」
「ええ、女性や子供、お年寄りには優しくて、自身の力をひけらかしたりはせず。まるで絵に描いたような快男児でした。でも彼は死んだ……」
「…………」
「その時に気付いたのですよ。彼ほどの者でも詰まらない争いで死ななければならない。すべては香川の地が綺麗事じゃ生きていけないような状況だからです。なるほど人が増えるのは活気があってよろしい! でも、その人を養うだけの水は香川には無いのです! だから自分たちと相いれない者たちは殺すしかない!」
熱のこもった弁を振るう医師にあまりの事に瞳を震わせる天。
だが呂木はどこか退屈そうな顔をしている。
昨日、彼が言っていたように医師が語る内容もまた“古今東西、どこにでもある話”とでも思っているのだろうか?
「ようするに貴方たち『釜玉派』は『生醤油派』「出汁汁派」を潰して県内の水資源を独占するつもりだと? でも、ぶっちゃけ貴方たちマイノリティーですよね?」
「外人の貴方にも分かりますか?」
「そりゃあ当然、貴方たちが第3勢力と呼べるほどに規模が大きいのなら各地の水源を潰すのは自殺行為でしょうし、拠点や勢力地の確保に動いていない事からもそれができない程度の規模なのは想像できます」
「釜玉派」などと名乗っているが、ようするに2大派閥と表立って抗争を行えるような規模の団体ではないのだ。
であるから2大派閥の対立を煽って潰し合わせるような事をする必要があるし、県内の主だった水源を潰しても少ない勢力であれば細々とした水源で生きながらえる事もできると踏んでいるのであろう。
「ええ、確かに我々は極めて脆弱な勢力でしかありません。ですが、貴方たち2人くらいならなんとでもできますよ……」
医師は釜玉ウドンの最後の一口をさも美味そうに啜り上げると満足気に溜息を1つつき、起ち上って背広の内側から拳銃を抜いた。
旧陸軍の正式拳銃である黒い凶器は明るくなった朝の光を反射して青白い光を放ち、長年にわたって丹念に手入れされていたためか何度も磨きあげられて塗装が剥げて銀色の金属が覗いていて、それがかえって拳銃が脅しの玩具ではないことを主張しているようにすら思える。
「天ちゃん、貴女のようなウドン職人を失うのは惜しい。我々の仲間になりなさい!」
「お断りします」
天は考える事もなく答える。
自身に向けられた拳銃に怯える様子はない。
「……即答ですか」
「『釜玉派』だけのためにウドンを作るだなんて真っ平御免です。私はあまねく全ての人にウドンを食べてもらいたいのです」
医師は天の目を見据えながら大きく頷いて返す。
元々、説得しても天が味方になるなど思っていなかったのかもしれない。
ウドンのコシとはウドン職人の心意気そのものだ。
ならば水で締められなくとも角の立ったままのウドンを打ち、湧き立つ熱湯にも負けずにしっかりとコシを保つウドンを打つ天が拳銃を突き付けられたくらいで意思を曲げるハズがない。
「そうですか……、ならば!」
「……ッ! 呂木さん! 危ない!!」
医師が自分に向けていた拳銃を横へ動かしたのを見て天は慌てて呂木を突き飛ばす。
それと同時に竹を割るような甲高い銃声が鳴り響き、天は地に伏していた。
「天ちゃん? ちょっ、天ちゃん!?」
突き飛ばされた呂木に怪我は無い。
天を抱き起すと腹部からは夥しい血液が溢れだしていた。
呼びかける呂木の声に反応する事もなく、天はただひきつけをおこしたように震えている。
「ちぃッ!! 手品師の外人からと思ったが……」
医師が呂木を狙ったのは野戦病院に務めている彼が呂木が何の器具も用いずに空を飛んでいるのを目撃していたためで、逃がすと面倒な事になりそうだという判断からだった。
だが、医師の判断の間違いは呂木の玩具を壊してしまった所にある。
「……貴様ァ!」
「ひぃっ! な、な……!」
地の底から響いてきたような声で呂木が唸る。
女性のように長い髪が逆立ち、2つの瞳には憎悪の炎が灯っていた。
煌めく青い背広から飛び出た腕には血管が浮き立って、節くれだった指先には猛禽類のように太く鋭い爪が目に見える速度で伸びていく。
明らかに人間ではない。
自身の想像力の限界を超える出来事に医師の全身の毛穴は開いて脂汗が湧き出し、彼は瞬きする事も忘れ、失禁している事にも気付かなかった。
「……死ね」
そして呂木が手の平を医師に向けるとアルファベットともアラブ文字とも違う見たことも無い字で作られた魔法陣が何も無いハズの空間に浮き出る。
だが……。
「……駄目です! こ、殺してはいけません……」
魔法陣は光輝き、何かが発現しようとしたその時、倒れていた天が呂木のズボンの裾にしがみついて彼をとどめていた。
朝(ASA)からNoodle!
でNASAでしたっけ?
(´癶ω癶`)




