「犯人はウドンを食べる者ですよ」
「毒……、ですか……?」
「ああ……。T町で1番、水が残っていた溜め池に夜中の内に毒が放り込まれたってよ! おかげでこっちに女子供だ戦えない連中が疎開してきてんのさ!」
確かにこの日の客は妙に女性や子供が多かったように思えた。
立地の都合で防衛の心配が無いK町から他の地域へ戦闘員として男が動いていたのかと天は思っていたが、実際はその逆、よその地域から女性や子供が移ってきていたのだ。
疎開とは空襲など被害を避けるために都市部などの被害が予想される地域から被災する可能性が低い田舎へと移る事である。
戦時中も大阪や神戸などの都市部から香川へ疎開してきている子供たちがいた。
まだ幼いながらに親元から離れて暮らす彼らの目はどこか影が差していて、天など地元の子供と遊んでいてもそれは消える事が無かった。
ウドン職人であった天の父や祖父が地元の名物であるウドンを振る舞うと感極まったのか泣き出す子などもいて、彼らの事を思い出すと今も胸が締め付けられるような思いがする。
嬉しい時、怒った時、悲しい時、楽しい時。
喜怒哀楽のいずれの時も香川の民はウドンとともある。
だがウドン職人としては子供には笑顔でウドンを食べてほしいのだ。
そして今、日本と外国との戦争は終わったというのに今度は香川の民同士で争い合い、香川の子供たちが疎開して親元からはなれなければならなくなっていたのだ。
「ったく、これで何ヵ所目だ!? ウドンに醤油かけて食ってる連中はやる事がエグいぜ!!」
スダレハゲの中年男は怒りを隠そうともしない口調であったが、天をどこか憐れみの目で見ていた。
もしかすると彼も天が両派の宥和の道を目指しているのを察しているのかもしれない。
そして、その道があまりにか細く遠い道であるために彼女を憐れんでいるのか、あるいは天が「生醤油派」の出身である事を知っていて、出身派閥の非道さに彼女の志が潰えてしまうのを憐れんでいるのか。
「呂木さん……」
「ええ……」
だが中年男とは裏腹に2人は怪訝な顔をして互いに顔を見合っていた。
互いに相手が腑に落ちないといった顔をしているのを見た所で安心するというものでもないが、それでも互いに相手の顔を見てしまっていたのだ。
「ん、どうした? 聖女サマもニーチャンも……」
「いえね。実は似たような話を聞きまして……」
「へぇ。聖女サマは県内色々と動いてらっしゃるそうだからなあ! で、どこの話だい? Y市か? それともT市?」
「三梨町です」
Y市もT市もいずれも「出汁汁派」の地域であり、天が食堂に務めている野戦病院がある三梨町は「生醤油派」の地域である。
「ん? そりゃ、一体?」
中年男もきょとんとした顔をして呂木の言葉の意味を探る。
「実は『生醤油派』の支配地域の水源にも毒が投げ込まれているそうなんです」
「はぁ?」
その地域で一番、大きな水源に夜間の内に毒物が投げ込まれるという手口も中年男と聞いた話と同じ。
三梨町の水源の溜め池に投げ込まれたのは1週間前だったか、野戦病院にも知らずに毒水を飲んだ者が大勢、運び込まれてきていて医師たちは対応に追われていたし、「生醤油派」では残り少ない水源の監視のために兵力を割かれていたのだ。
「ハッ! どうせ『生醤油派』の連中が戦意を煽るために使えなくなった水源に毒を入れて俺たちのせいにしようってのさ!」
「……そうでしょうか?」
「そらそうよ。ウドンに誓っていうが、こっちの潰された水源が地域で1番の水源だったってのはマジの大マジだぜ? むしろ奴らが同じような手口を使った事で下手人も割れたようなモンじゃねぇか!」
中年男はかぶりを振り顔を赤くして言葉を荒げる。
だが本当にそうだろうか?
目の前の中年男だけではない。天の勤め先である野戦病院でも大勢の人が「出汁汁派」の非道を思いつくままの言葉で口汚く罵っていた。
だが、両者とも相手派閥がやったという確たる証拠があるわけではないのだ。
天は1月前に出会った呂木の娘の言葉を思い出していた。
『殺し合いが始まってしまったら、後は行きつくとこまで行くしかないわ』
『皆が皆、揃いも揃って自分たちこそが正しいと信じて敵を殺して、殺されては恨みをつのらせる……』
まるで今の状況を言い表しているかのようではないか!
呂木の娘の言葉は何度も天の胸の中に押し寄せてはその度に彼女の心を重く沈ませていった。
「おっ! 聖女サマいたいた! 悪いけど俺たちにも1杯もらえねぇかな?」
「え、ええ。大丈夫ですよ! あ、呂木さんはゆっくり食べてて……」
そこへ4人連れの漁師風の若い男たちが現れて声をかけてきた。
天の胸の内はまだ重く沈んだままだったが、客が来た以上はウドンを作るのがウドン職人だ。
無理やりに作った笑顔で客を出迎える。
「いえ、丁度、食べ終わりましたし、ネギも切らなきゃいけないんで……」
「あ、そろそろ動くからたくさんはいらないよ?」
「分かってますって……」
呂木という男、明らかにやる気の無い不真面目な男であったが、妙に仕事を覚えるのが早い男だった。
魔法使いというのはそういうものなのか修行中の職人なんて目ではないほどに技術を吸収し、今ではネギを空中で切る技もお手の物だ。
「あ、聖女サマ、メシの最中だった?」
目ざとく天の食べかけの丼を見た男の1人が申し訳無さそうに小さく頭を下げる。
「ん? 聖女サマ、何、食べてたの?」
「えと、網元さんに卵を頂いたので、釜揚げに落として頂いてました。あ! でも、かけツユも残ってますから安心してください!」
「へぇ! 卵かけご飯のウドン版か! 俺もそれにしようかな。おう! サブ、網元の家に行って卵を貰ってこい!」
「へい!」
「俺の分も頼むわ!」
サブと呼ばれた下っ端風の男は兄貴分たちの命で全速力で駆けだしていく。
網元の家はすぐそこだったが、冷水で締めない釜揚げは伸びるのが早いのだ。
ウドンが茹で上がるのが早いか、サブが戻ってくるのが早いかという時間との勝負となる。
結局、サブは頼まれた2人の分だけではなく、もう1人の分も自分の分も鶏卵を貰ってきたために漁師風の4人は揃って釜揚げのウドンに生卵を落として食べる事にしたようだ。
「お! この食べ方は初めてだけどコクがあってウメェな!」
「醤油が違うのかな?」
「はい! ツユだけじゃなくて醤油にも出汁を入れてあります」
「へぇ~! さすがは噂に名高い聖女サマのウドンだ!」
「ウドンに卵と醤油が絡んで最高だな! こんな美味い物なら暑い時に熱いのを食うのも悪くねぇ!」
「出汁汁派」の男たちが「生醤油派」の変形ともとれる食べ方で美味しそうに笑顔でウドンを啜る。
それは空腹によるものもあるだろうし、生卵の力もあるだろう。それに醤油も出汁を入れたものなのだ。
それでも両派の和解の道が見えた気がして、天の客を迎えるための作り笑顔はいつの間にか本物の笑顔へと変わっていた。
「呂木さん……」
「なんです?」
K町の港町から次の現場に向かうために魔法の屋台を引いていた呂木に天が声をかける。
天の疲労は色濃く、屋台の屋根へと上ってそこに座っていた。
砂利敷きの道を行く屋台の振動は小さなものではない。
だが魔法少女の研ぎ澄まされたバランス感覚は砂利を踏んだ振動などものともせず、天はただこれから行く道をまっすぐに見据えている。
渇いた大地から立つ土煙が酷く、真夏だというのに周囲の昆虫の声は少ない。そして空には雨の気配1つ無い青空。
今までは容赦無く地を炙る太陽に恨みすら感じていたが、今日は青空を好ましいようにすら思えていた。
港町でのあの漁師風の男たちが卵を落とした釜揚げウドンに明るい未来を感じていたが故の心境の変化だろう。
だが、その前に解決すべき問題がある。
「呂木さんは誰が犯人だと思います?」
「分かりませんよ。ただ1つだけ言えるのは……」
「言えるのは?」
「犯人はウドンを食べる者ですよ」
呂木の言葉に天は頭を鈍器で殴られたような衝撃を味わう。
もう少しで屋台の屋根の上から落ちるところだった。
それほどに呂木の言葉は衝撃的な物であったのだ。
「何故、そう思うのです?」
「前に貴女が言っていたのではないですか、『香川の民はウドンとともにある』のでしょう? ならば犯人はウドンを食べている者です」
「それは全香川県民を疑っているのと同じです」
「はい。そう言っているのです」
県外からの部外者というのは考えにくいだろう。
「生醤油派」支配地域にしろ「出汁汁派」支配地域にしろ、地域でもっとも規模の大きい水源に毒が投げ込まれているのだ。
その土地勘が県外の者にあるとは考え辛い。
そして何より県外の者には香川の内戦に関与しても何の利も無いハズだ。
徳島の人間は阿波踊りの本番を前に香川になど構っている暇があるわけでもなし、愛媛の人間なら柑橘の世話で忙しく、高知の者はカツオ食って酒飲んで寝てればそれで幸せなのだ。
また本州の人間にしたところでそれは同様。
間違いなく香川県内の者による犯行である事は間違いない。
だが、その目的が分からない。
「はぁ……。犯人が『生醤油派』でも『出汁汁派』でもなく、ウドンすら食べない人なら気が楽なんですけどねぇ……」
「そんな人間、いるんですか?」
「…………」
天は「そんな人間、いるわけがない」という言葉を口にする事ができなかった。
香川の人間にウドンが必要であるように、全ての人間には水が必要なのだ。
そしてウドンを作るためにも水を必要とする。
その水源を「生醤油派」「出汁汁派」問わずに潰して回るなど、まるで両派の対立を煽っている者がいるようではないか!
天には自分と同じくウドンを愛する者がそのような非道をするとは思えなかったのだ。
いや、思いたくなかったのだった。
≫ウドン職人であった天の父や祖父が地元の名物であるウドンを振る舞うと感極まったのか泣き出す子などもいて
自分で書いてて思ったんだけどさ、現代と違って情報を入手する手段が限られていた時代、大阪ウドンに慣れ親しんだ子供がヘビーなコシの讃岐ウドンを食べてイジメとか嫌がらせに思ったのでは?




