「人選を間違えた……かも?」
「貴女に魔法の力があったならどうします? 『生醤油派』を牛耳る事も、『出汁汁派』を駆逐する事もすべては貴女次第……」
呂木と名乗る男はいかなる手品を使ったものか、大仰に広げて見せた右手の平の上に炎を生み出してみせた。
さらに手の平の上の炎は一瞬にして凍り付き、炎をそのまま閉じ込めた氷は砂となって呂木の手に落ちて風に飛ばされて消えていく。
「へぇ~……。ところで『駆逐』ってどういう意味です?」
「あれぇ!? 気にするとこ、そこですかねぇ!?」
繰り返すが天は学が無い。
ついでにいうと国語辞典のようなかさ張る物などもってはいないのだ。
「あ~……、有り体に言うと『敵は皆、殺す』くらいの意味合いで良いですよ!」
「あ、どうも、ありがとうございます」
天も一応は説明してくれた呂木に礼は言うものの、見て分かるほどに興味無さそうだ。
「いや~、でも『出汁汁派』を殺しちゃったらウドンを食べてもらえないですし、私が偉くなっちゃったらウドンを打つ時間が無くなっちゃうじゃないですか?」
結局の所、天には魔法で何をしたいかなどと聞かれても特に今現在とやる事は変わらない。
ウドンを作って客に出す。
ただそれだけだ。
「あ~、でも、その『魔法』とかが使えればもっと大勢の人にウドンが食べてもらえるのかな?」
「チラシでも配ったらどうです?」
「もう! 茶化さないでください!」
「あれ? これ、悪いの私ですか?」
呂木にはまるで冗談にしか思えなかったが、天はあくまで本気のようだった。
「まぁ、そんなわけで、その『まほーしょーじょ』っての、他の人をあたられたらどうです?」
「欲の無い人ですねぇ……。でも、そうはいかないんですよ」
呂木は手にした短杖を天に差し出す。
全体的に白い杖には幾つも色とりどりの宝石が埋め込まれていて、中ほどには綺麗な刺繍がなされたリボンが巻き付けられていた。
綺麗な物だと天も思うが、ウドンを打つのには役に立たなさそうな代物だ。
「これ、『魔法の国』から借りてきたマジカルバトンのプロトタイプなんですがね」
「『ぷろとたいぷ』って何です?」
「試しに作ってみた、くらいの意味合いでいいですよ」
「へぇ~! 呂木さんって物知りですね!」
呂木は「借りてきた」と言うが、この呂木という男、出先で急に雨が降ってきた時に傘立に入っている他人の傘を勝手に使っても「借りた」と称する男である。
もっとも、それを天が知るハズも無いのだが……。
「まぁ物知りかどうかはともかく、このマジカルバトン、誰でも使えるってわけでもないんですよ?」
「あ、そうなんですか?」
「魔力っていうんですか? そういうの持ってる人って少ないんですよねぇ」
「あれ、じゃあ私は?」
「少ないですが、持っていますね」
試製マジカルバトンは後の世の第1期型と呼ばれる魔法少女たちが使うマジカルバトンのように魔力をブーストする機能も無ければ、第2期型のヤクザガールズたちの変身バッジのように肉体を魔力を使うに適した体に作りかえる機能も無い。極々、単純な物であった。
「まぁ、私にしか使えないというなら、ちょっと借りてみようかな?」
「ええ、どうぞ、どうぞ!」
呂木から受け取ったマジカルバトンはひんやりと冷たかったが金属や陶器でもなかった。
何故、呂木が今まで持っていたハズのマジカルバトンに彼の体温が移っていないのか疑問に思いながら、確かめるようにバトンのあちこちを触ってみる。
バトンの先端に付いている血のように赤い宝玉に触れた時の事だった。
「……あれ? えっ!?」
元々、可動式の機構が組み込まれていたのか、歯車のギアが動くような感触ととも宝玉は回りだす。
天はあまり力を込めたつもりはなかったが宝玉は回転の速度を増していき、心なしか光りだしているようにも思える。
それと同時にバトンを持つ手を通じて天の体から何かがバトンへと流れ込んでいくのが知覚できた。
もしかすると、この目に見えぬ何かの流れこそ呂木が言う魔力という物かもしれない。
「さあ! 魔法少女の誕生です! 『変身』と言ってください!」
「へ、変身!!」
呂木があの陰湿さを煮詰めたような顔で笑う。
天が発した言葉は言霊となり、彼女をこの世の理から外れた魔法で戦う戦士へと変える。
発動キーたる言霊によって宝玉から溢れた光は天の体を包み込み、やがて光が消え去った時、彼女は魔力で強化される純白の戦闘服に包まれていた。
その瞬間、天の脳内に膨大な量のデータが流れ込み、彼女に全てを理解させる。
それが頭部を保護するヘッドギアであると知った天はマジカルバトンに巻かれていたリボンを外して頭部に巻く。
「これが……、魔法少女……?」
「そうです! と、言いたいところなんですが……。何です? その恰好?」
苦虫を噛み潰したような顔の呂木の言葉で天は自身の纏った衣装を見てみた。
魔法銀の糸で縫われた魔力を効率的に扱うための意匠である刺繍が施されている以外、天が着ている純白の戦闘服はどう見ても割烹着にしか見えない物だった。
おまけに頭に巻いたリボンも天がリボンの巻き方を知っているわけもなく、三角巾を巻いただけのように見える。
ぶっちゃけた話、天は割烹着姿から銀色の刺繍が目立つ割烹着へと着替えただけに見えた。
「戦闘服……?」
「まぁ、厨房の戦闘服ですね」
※お詫びと訂正
先ほど「彼女は魔力で強化される純白の戦闘服に包まれていた」と表記しましたが、「彼女は割烹着から別の割烹着に着替えた」の誤りでした。ここにお詫びして訂正いたします。
「ま、まぁ、とりあえず一通りの魔法の使い方は分かりますね? 何かやってみたらどうです?」
「そうですね……」
天はこめかみに手を当てて、頭の中に放り込まれた知識を思い出すように考え込んだ後、ガスコンロの前へと移動する。
人差し指を立てて意識を集中すると小さな炎が生まれ、左手でコンロのガスの元栓を操作して魔法の火で点火した。
「凄い! マッチいらずだ!」
「いやいや! そんなのマッチ使えばいい話じゃないですか!?」
この時代はガスコンロという物は一般的な物ではなく、多くの一般家庭では今もカマドで薪をもやして煮炊きをしていたし、この野戦病院ではプロパンガスのボンベを使うガスコンロがあったものの、後の時代の物のように点火装置が組み込まれているものではなく、ガスの栓を操作してマッチなどで火を点けなければならない物だった。
だが、呂木からすればそんな事、魔法を使うに値しない。
彼はあくまで魔法という人類には不釣り合いな力を与えられた少女がどのような道を辿るのかだけに興味があった。
「もっと、こう、無いんですか!?」
「そうですねぇ……、あっ!」
天はしばらく悩んだ後、マジカル割烹着のポケットに入れたマジカルバトンを取り出して天に掲げる。
バトンからは変身の時とは別種の眩い光が溢れて、光が消えた後には天が10人ほどに増えていた。
「おお~!」
「マッチ代わりの火の次が“多重分身”とは飛ばしますねぇ!」
さすがにこれには呂木も感嘆の声を漏らす。
だが天の分身の9人は言葉も無く動き出して作業を始める。
ある物はこね鉢で先ほどと同じように水回しを始め、ある物は掛け醤油の仕込みに取り掛かり、鍋に油を注いで火を点けているものは天カスを作ろうとしているのか。
「クククッ! まさか魔法の力を、世界を支配できる力を手に入れて、本当にウドンを作ろうとは思いもしませんでした! でも、ゆめゆめ忘れる事が無いよう……」
呂木の陰鬱な笑顔が様子を変え、他人を嘲笑うような、悲劇を楽しむかのような意地の悪い物になったが、天は涼しい顔をしていた。
「何がです?」
「魔法を使うという、その意味を! 世界の摂理から外れてしまった者の最期が真っ当なものだとは貴女だって思わないでしょう?」
「ああ、それなら大丈夫です」
子供の頃に母が寝物語に語ってくれた昔話では欲をかいた人間は大抵、悲惨な結末を迎える事になっていた。
「サルカニ合戦」のサルや、「こぶ取り爺さん」の隣のおじいさん。
呂木が言っているのも、そういう事かもしれない。
だが天の瞳には迷いはない。
「大丈夫? なんで、そう思えるのです?」
「香川の民にとってウドンを食べる事こそ“世界の摂理”です。私はその手伝いをさせてもらうだけですから……」
自信に満ち溢れた天の言葉に呂木もさすがに不安になり、こね鉢の縁についている打ち粉を指につけて口へ運ぶ。
「どうかしました?」
「いえね。この“白い粉”、なんかヤバい物でも混じってないかと思いまして……」
「アハハ! そんなわけ無いじゃないですか!」
屈託のない笑顔で笑った天は分身たちに交じってウドンを打つ作業へと戻っていく。
その様子を見ながら呂木はさすがに「人選を間違えた……かも?」と思わざるを得なかった。
「これは1人の少女が“聖女”と呼ばれるまでの物語。そして香川の民が背負った“原罪”とは?」
ってキャッチコピー考えたんだけど、どう?




