41-10
深夜の山中に闇が蠢いていた。
一切の光を反射することも無い闇は月が雲に隠れた暗天の中にあってなお一際、暗い。
東京では山中といっても遠く人里の灯りが薄く伸びてきて完全な闇というのは有り得ないのかもしれない。
完全なる闇は人の形を取り山中を進んでいく。
山中を覆う厚い夜霧も人の形を覆い隠すことはできず、むしろ白と黒のコントラストを際立たせているかのようでもあった。
「アア、エライ目ニアッタ……」
歩きながら人の姿をとった闇、ナイアルラトホテプは体中に幾つも空いた拳大の穴の1つを撫でていた。
体に空いた穴はどれも貫通して向こうが見える有様。それでも邪神は特にダメージが無いのかしっかりとした足取りで歩いている。
むしろ肉体的なものよりも精神的な疲労が溜まってるのか僅かながらに肩が落ちているようにも思える。
誰も聞く者がいない独り言もどこかくたびれた感があった。
無理もない。
クトゥルー召喚の生贄に相応しい存在、堕ちた神である水妖“河童”を発見し、かねてからの計画を発動させるために寄生型ショゴスの実験のために周囲から隔絶した環境にある秋田県はマタギ居留地へ飛び、実験体の成功を見届けるや東京H市へトンボ返り。
命令書を偽造して凶竜軍団の残党を上手く騙してナチスのホバーラートで四国へ向かわせ、電波ジャックの放送を見て混乱した隙に乗じて寄生型ショゴスで「UN-DEAD」の連中を手駒と化す。
このフットワークの軽さこそがナイアルラトホテプの本領であり、どこに現れるか分からない神出鬼没さこそが「這いよる混沌」という二つ名で呼ばれる所以である。
慰安旅行だ同好会だのにうつつを抜かす「UN-DEAD」の連中を邪神が「手ぬるい」と評したのもそういう理由である。
有史以前から活動しているナイアルラトホテプには人間の短い生命において無為の日々を過ごす彼らがとても理解できないのだ。
何も問題は無いハズだった。
クトゥルー召喚計画以前より支配していた風魔軍団を使って河童を使役する長瀬咲良を誘きよせたものの、悪魔ベリアルの命賭けの抵抗によって河童を逃がしてしまったのはまだいい。
“神”と“悪魔”という絶対に勝ち目が無い立場にありながら主を逃すため必死に抵抗してきたベリアルの健気さは邪神の嗜虐心を大いに満足させるものであったし、紀元前以前からの因縁を無残に蹴散らすというのも魅力的だった。
だがそれからがケチの付き始めだ。
ベリアルを嬲り殺しにしていたところで飛び込んできた改造人間デスサイズにベリアルの身柄をさらわれた時などはコース料理のデザートを横からかすめ取られたような気分になったし、クトゥルー召喚の前夜祭代わりに白神山地の世界樹を通じて地脈を破壊してやろうとしたのも阻止された。
「UN-DEAD」の旧式の技術で作られた改造人間やらサイボーグやらをまともな戦力にするために寄生型ショゴスを取りつかせる計画も成功こそしたものの、奴らは想像を超える抵抗を見せていたのだ。
「サクリファイス・ロッジ」の代表に化けていたナイアルラトホテプが正体を現してショゴスを呼び出したと同時にいきりたった奴らは襲い掛かってきて仲間たちが抵抗する時間を作っていたし、計画を万全にするために余分に作っておいた寄生型ショゴスをヒーローどもに取りつかせて手駒を増やす予定も崩れた。
ガレージでの戦闘でショゴス軍団の予備集団はほぼ全て撃破されてしまっていたのだ。
それもショゴス集団のほとんどを撃破したのがあのD-バスターだというのだからとんだお笑い草だ。
ナイアルラトホテプはD-バスターシリーズを戦力以前の出来損ないだと思っていた。
大体、対デビルクロー、デスサイズ用のアンドロイドなのに全機揃って飛行能力を持たないというのは真面目にやっているのか甚だ疑問である。誰も気付かなかったのか問い詰めてやりたいくらいだ。
しかもD-バスターシリーズは戦闘のためにリミッターを切ってしまえば短時間しか戦う事ができない。
仮に5機揃ってデスサイズと戦闘になっても空を飛びデスサイズに頭上からプラズマビームで狙い撃たれて御仕舞だっただろう。
しかも彼女たちの人格AIはルックス星人たちフラッグス移民船団からもたらされたという子守り用AIが元になっているという。
ここまでくるともはや悪ふざけにしか思えない。
だが、その地下暮らしで溜まった鬱憤を晴らしたかかのような悪ふざけの極致、D-バスターシリーズにショゴスの戦力予備は壊滅させられていたのだ。
しかも3体のD-バスターシリーズが逃したナチスジャパン代表へ追手を放ち、首尾の報告を待っていたナイアルラトホテプは突如として旧式戦車に襲撃されていた。
思えば去年のUN-DEAD慰安旅行だったか、バスの車内でわざわざ隣に座っておきながら口から唾を飛ばして口汚く罵りあうナチスジャパンと日本ソヴィエト赤軍の代表を見て、ナチと赤軍の連中が「虎の王みたいだな」と言っていたのを思い出す。
なるほど、確かに耳をつんざくエンジンの轟音は虎の咆哮のようで、迫りながら撒き散らされる機銃の曳光弾は虎が獲物の血で喉を潤すことを想像して口から垂れる涎のようだった。
そのバス旅行の際に内原に化けていた邪神の隣に座っていた赤軍の兵士が言うには「虎の王」は対人戦車格闘術なる珍妙な技を編み出し、並みの怪人では接近戦に持ち込んでも勝ち目が無いという。
通常、市街戦などで戦車が敵歩兵と極至近距離で相対する場面では機銃掃射で蹴散らすなり、履帯で蹂躙するなり、あるいは随伴する味方側の歩兵に任せればいい。
改造人間などの怪人との戦闘の場合は距離を取って味方車両と連携して弾幕の雨を浴びせるのが定石だ。
赤軍兵士から話を聞いた時は「んなアホな……」という感想しか持たず、詳しい話を聞くことは無かったものの、今日になってそれを後悔する事になろうとは“神”であるナイアルラトホテプですら思いもよらぬ事であった。
しかし邪神がカートゥーンアニメのチーズのように穴だらけなっているのは8.8cmの直撃を連続して受けたがために再生が追い付かなくなっているためであり、その他にも山中の軟弱な地質すら読んでいたというのか車体をスライドさせながら重戦車の側面で邪神は跳ね飛ばされ、飛び立とうとすれば突進してきた戦車が太い砲身を邪神に突き立てるという有様だった。
「ナンナンダ、アレハ? ホントニアレハ地球人ナノカ?」
魔力の作用を持って物理法則を無視して翻弄してやろうと跳ねたところにすでに虎の主砲が向いていたのを見た時には思わず背筋が凍える気がしたものだ。
だが、それももう終わり。
傾斜装甲や曲面装甲の理論が確立される以前の前時代的な直線で作られているティーゲル重戦車を「虎の王」は邪神に対して車体を斜めにすることで疑似的な傾斜装甲を作り、ナイアルラトホテプの魔法弾や槍のように鋭い触手を幾度となく跳ね返していた。
装甲の薄い車体側面すらキツい傾斜を得たのと同じように邪神の攻撃を阻んで見せた。
だが、さすがに「虎の王」と言えど履帯を破壊されて身動きが出来なくなってはおしまい。
エンジンを魔法弾で撃ち抜かれ、軟弱な地面は崩れてティーゲルは崖下へと消えていった。
そして砲塔上のハッチから上半身を出していた「虎の王」もまたティーゲルと運命を同じくしていた。
落下中に「虎の王」は「それでは、また!」とでも言わんばかりに邪神に向けてウインクをしてみせていたが、結局は奴のできる最後の悪あがきといったところか。
……人間だったら何度も夢に、それも寝汗ぐっしょりの悪夢で見そうな光景だったが。
「アア、疲レタ……」
日本人はノリが悪いというが、それとは違う感覚だった。
ナイアルラトホテプが欲しいのは「打てば響く」といった反応だ。
これがアメリカの某大学の連中ならナイアルラトホテプがその痕跡を少しでも匂わせただけで震えあがり、顔は死人のように蒼褪め、それでもなけなしの勇気と旧支配者からすれば無いにも等しい脳味噌を振り絞って大学図書館の蔵書である魔導書を震える手で漁りながら対応策を探り、少なくない犠牲を払いながら立ち向かってくるだろう。
そうであればこそ邪神は満足できる。
計画の成功、不成功は関係無く、長い時を生きる旧支配者の無聊を慰める事ができるのだ。
それが日本じゃどうだ?
「UN-DEAD」にしろ、デスサイズにしろ、「虎の王」だっていきり立って襲い掛かってくるだけではないか!
これまで邪神を満足させたのはベリアルだけ。だが、あの悪魔は日本人ではないのでノーカンだ。
「日本カラ帰ル時ハアノ大学ノ連中ニ『雷おこし』カ『人形焼き』デモ買ッテイッテヤルカ……」
昔を懐かしむような、旧友を思い出すかのような独り言を呟くがまだ日本でやる事がある。
ぶつくさと独り言を呟きながら邪神は山の頂上までたどり着くと天を仰ぎ見た。
文字通りに神であるナイアルラトホテプには天を覆う薄い雲も関係無く星の並びを見る事ができる。
複雑精緻の機械時計のように動く星々はこれからクトゥルーを呼び出す魔法陣の補助とするのに都合が良い位置に来ている。
自身の力によってクトゥルーの肉体を召喚し、後は相応しい星辰の時間に河童を生贄に捧げてクトゥルーの精神を呼び出して肉体へと降ろす。
魂の無い肉体だけの状態であってもクトゥルーであれば人間社会に混乱をもたらすことは間違いない。
その隙をつけば河童をさらう事も難しくは無いハズだ。
「いあ! いあ! くとぅるふ ふたぐん! ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるふ るるいえ うがなぐる ふたぐん! いあ! いあ!」
妖しく動く夜霧はナイアルラトホテプの体に空いた穴を抜けていき、天に両の腕を掲げて獣が吠えるように呪文を唱える邪神。
だが邪神とて全知全能の存在ではない。
自身が犯した2つの誤ちに気付く事なく召喚の儀式は進められていった。
これにて第41話は終了となります。
それではまた次回!




