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とりあえず子羊園の人たちの狂気浸食は僕と河童さんで防ぐ事ができた。
でも再び出現したク・リトル・リトルの影響が現れたのが子羊園だけという事はないだろう。
その証拠に窓の外からは悲鳴に近いような喧噪が聞こえてきて、自動車のクラクションが終末のラッパのようにいくつも鳴り続けている。
自動車の運転中にあの旧支配者の欠伸を聞いて精神崩壊を起こしてしまった結果の事故なのだろう。
「真愛さん……」
「そうね……。気を付けて……」
僕の背中に抱き着いた真愛さんの感触と暖かさは名残惜しいけれど、僕は行かなければならない。
僕と河童さんには旧支配者、外宇宙からの脅威に怯え震えている人の恐怖を祓えるのだから。
だから僕は行こう。
真愛さんが僕のワイシャツから手を離すと一欠片の後悔と罪悪感が僕の胸中にこみあげる。
本当なら真愛さんだけを守っていたい。
こんな状況でも僕には「正体不明の敵から狙われている“真愛さんと咲良ちゃん”の護衛」という任務がある。
それを盾に真愛さんと子羊園に閉じこもっているいる事もできるのかもしれない。
でも、それは許されない。
他ならぬ僕自身がそれを許せそうにない。
兄ちゃんやマーダーヴィジランテさんといった僕を救ってくれたヒーローたちに顔向けできないような事はしたくないし、何より僕がここにいてはきっと真愛さんが後悔する。
真愛さんは優しい人だから、自分だけ安全な場所にいる事に耐えられないだろう。そして後で何度も今日の事を思い出してはその度に後悔する。
だから僕は行かなければならない。
と思ったのだけれど……。
「……あれ?」
真愛さんを振り返る事もなく、僕は魔杖を持ってきた咲良ちゃん、河童さんと共に玄関から外に出たのだけれど、そこに広がっていた光景は僕の予想外のものだった。
「オッス、お願いしま~す!」
「…………」
「シャオラッ!!」
子羊園の園庭には近所の人が何人も詰め掛けてきていた。
SAN価チェックに失敗して精神と肉体に変調をきたした人を背負ったり両脇から抱えたりした人たちが30人近くも集まり、道路上にも子羊園に向かっている人が大勢見える。
SAN値チェックに失敗した人は一様に小刻みに体を震わせ目を見開き、口からは泡を吹いていた。
彼らは園庭に控えているアーシラトさんの前まで連れてこられるとシスターに両脇を支えられて立たせられた。
そこで人事不省の被害者たちへアーシラトさんは腰の入ったビンタを一閃。
「元気ですかッッッ!!」
「え? え?」
「元気があればなんでもできる!!」
音が遅れて聞こえてくるんじゃないかと錯覚するほどの、まさに“神”速のビンタを叩きこまれた人はまるでアーシラトさんの溢れんばかりの闘魂によって邪気を振り払われたかのように正気に戻っていく。
闘魂注入ビンタによって頬を赤くした人は何故、こんな事になってるのか不思議そうにしながらも目には光が戻って列を後にして、アーシラトさんの前には新たな被害者が立たされる。
そして次々と行われる神様ビンタを見て正気に戻った被害者たちは自分の身に何があったかを理解し、未だ旧支配者の狂気に苛まれている人たちの搬送に協力し始めるといった具合だ。
「えぇ……。こういうのでいいんだ……」
まぁ、詩の朗読で助かるのなら、他にも救う手段があってもおかしくなんかないけれど、ついさっきの僕の決意はなんだったんだろうって気分になってしまう。
さらに子羊園の中からシスターたちが出てきて、アーシラトさんとは別の列を作る。
新しい列の先頭にいるのは子羊園の園長さんだ。
「悪魔よ去れッ!」
「主の導きをッ!」
「キエエエエエ!!」
言ってる事は違えど園長さんもやってる事はアーシラトさんと変わらない。
眼前に引き出された哀れな犠牲者にビンタを叩きこんでは正気へと引きずり戻していく。
ん?
いや、園長さんの列の方が明らかに進むペースが速い?
「……これは?」
「どういう事でしょう?」
「良く見てみぃ! アーシラトはんは右手のみを使っているのに対して、園長センセーは両手でビンタを繰り出しとるやろ? その往復動作の分、園長の方が早いんや!」
なるほど、確かに河童さんの解説のとおりに園長先生は左右からビンタを繰り出している。
その回転速度に対応するために被害者の両脇を支えるシスターの後方や、園長の左右にもシスターが控えてベルトコンベアの流れ作業のように次々と被害者を園長の前に送り出しては引き抜いていく。
さらにアーシラトさんのようにしっかりとタメを作れない分、体を「∞」の形のように振り回して加速をつけてカバーしていた。
まるでそのフォームは……。
「デンプシーロール! これがエクソシストの技か!」
アーシラトさんのパワーに技巧で対抗していくようなスタイル。
アメリカエクソシスト界の伝説の技すら使いこなす園長さんだったが、かえってそれはアーシラトさんの燃える闘魂に油を注ぐ結果となる。
「面白れぇ! こっちもピッチ上げんぞッ!」
「付け焼刃でできる技ではありませんよ?」
「言ってろ! フッ! フッ! フッ! フッ……!」
アーシラトさんも周囲のシスターや子供たち、正気に戻った近所の人たちへ指示して園長さんの列のような人力ベルトコンベアを作らせると見様見真似のデンプシーロールを始める。
園長先生のデンプシーロールが大きく「∞」の形を描くように体を振って加速を付けているのに対して、アーシラトさんのものは対照的に小さな動きだった。でも加速、停止、その反動を利用しての逆方向への再加速という、蛇の下半身で地面への接地面積が大きく反動の吸収が可能であるが故に可能なパワフルなものだった。
「アーシラトさんも園長さんも2人で盛り上がっちゃってさぁ、“ツヴァイリング”ならビンタする必要ないですよって言える雰囲気じゃないね……」
「せやなぁ……」
「ハハハ……」
咲良ちゃんの乾いた笑い声が妙に虚しく響く。
てかアーシラトさん。キリスト教的には異教の神様だか悪魔のくせに、よく子羊園に出入りが許されてるなぁと思ったら、園長さんと気が合うんでしょ?
2人とも脳味噌まで筋肉に浸食されすぎて手遅れだ。
一体、“筋肉”と“狂気”、浸食されるのならどっちがマシなのだろう?
「咲良ちゃん?」
「はい?」
「悪い事は言わないから改宗しない? 知り合いにお寺で尼さんやってる人とかいるんだけど……」
「ア、アハハハ……!」
また咲良ちゃんの乾いた作り笑い。
この慣れた感じ、この子も色々と苦労してるんだろうなぁ……。
まぁ、ZIZOUちゃんとこのお寺もマトモかどうかと言われたらちょっと僕も自信無いけど。
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