40-2
夜空の星灯りは地上の明りにかき消され、月は雲に隠された夜空の下、僕と河童さんは園庭のベンチに並んで座っていた。
僕を外に誘った河童さんは話を始める踏ん切りがつかないのか見えもしない月を探している。
「……『思えば遠くに来たもんだ』って誰やったかな?」
「中原中也だったと思いますよ」
「そっか、デっちゃんはそう思う時はあるか?」
河童さんが呟いたフレーズは中原中也の詩「頑是ない歌」の一節だ。
でも、そんな事よりも先に河童さんに聞きたい事がある。
「その……、『デっちゃん』ってのは……?」
「うん? “デ”スサイズやからデっちゃんやけど?」
「ああ……」
「嫌か?」
「まぁ、できれば……」
デスサイズという識別名を付けたのは僕の両親を虫けらのように殺して僕と兄ちゃんを改造したARCANAだ。
その後、ARCANAの支配を脱した後もなし崩し的に「デスサイズ」と呼ばれ続け、ヒーローとしての登録名もそれで通ってしまっている。
多分、先にヒーローとしての活動を開始していた兄ちゃんがARCANAが付けた「デビルクロー」という名を捨てて別の名を名乗っていたなら、僕もなんかそれっぽい新しいヒーロー名がもらえていたと思うのだけれど、その辺をウチの兄ちゃんに期待するだけ無駄だろう。
「ほな、マっちゃんやな!」
「まぁ、いいですけど……」
「…………」
「…………」
それきり2人はまた無言になってしまう。
ああ、なんだっけ? 「思えば遠くに来たもんだ」って僕もそう思うかだっけ?
「河童さんは岩手のどの辺に住んでたんですか?」
「ワイか? ワイは元々はT市の辺りにいたんやが何年か前にM市に越してな、んで、今年になってからこっちに来たんや」
「そうですか。M市やT市とこっちの夜空は違うんですか?」
「いや、大して変わらんで……」
夜空の見え方が違うからそう思うのではないらしい。
中原中也の詩でも月を見ていたとあったハズだけど、あれは「夜空を見ていたら汽笛が聞こえてきて……」というくらいで月自体には大した意味はなかったと思う。
「『遠くにきた』言うても、距離的なモンやない。時間の問題やな……」
「あの頃には戻れないというのを『戻れないくらいに遠くに来た』と?」
「せやな……」
それは誰だってそうなのだろうと思う。
人間だろうと妖怪だろうと過去に戻れるハズがないのだ。
僕だってキチガイ共に目を付けられる前に戻りたいかと言われれば戻りたい。
でも、それは無理だと分かっているからそう思うのだ。
実際に目の前にタイムマシンを用意されてしまえば躊躇してしまうだろう。
僕たちが平穏に暮らせる代わりにあの腐れ外道共を野放しにしてしまう事もどうかと思わないではないし、去年、出会ってはもう会えなくなった人たちの遺志を無駄にしてしまうような気もする。何より僕がこの町に引っ越してこなければ真愛さんたちに出会う事もなかっただろう。
結局は人間、過去を懐かしむ事があっても今を精一杯、生きるしかないのだろう。
でも河童さんはそうではないようだ。
「サっちゃんにあの杖を渡したのはワイなんや。なあ、ワイは思うんや。ワイが余計な事をせえへんかったら、今もサっちゃんは平穏に暮らしていたのかもしれへんってな……」
それはどうなんだろう?
確かに咲良ちゃんが普通の女の子のままだったなら風魔軍団に目を付けられる事もなかっただろうし、邪神と戦うための特訓なんてしなくてもよかったのだろう。
でも、彼女に戦う力が無かったら、ハドー総攻撃を無事に生き延びる事ができたかは分からないのだ。
でも、そんな事を言っても河童さんは納得しないような気がする。
悪い事ばかりに目がいってどんどんと深みにはまっていく。過去への後悔だなんてそんなものなのだ。
「せやからな。ワイはワイなりに責任を取ろうと思うんや……」
「責任?」
河童さんは意を決したように切り出す。
大きな2つの瞳に灯った意思は固く、しっかりと僕を見つめていた。
「マっちゃん、面倒な事を頼むがワイを殺せ!」
「は?」
河童さんが真面目な話をしている事は分かっている。
それでも僕には彼が何を言っているか理解できない。
いきなり河童さんを殺せと言われて僕はよほど驚いた顔をしたのだろう。
彼は悲しそうな顔のまま表情を和らげて笑顔を作って理由を説明する。
「ワイは妖怪や。妖怪っちゅうんは色んな成り立ちがあってな。人間や動物あるいは自然の精霊が変質したモンや、大勢の人の思念を受けて妖怪化したもの……」
「ええ……」
妖怪の出自が河童さんを殺す理由になるのだろうか? 僕はただ話を聞いていた。
「で、ワイは『堕ちた神』や。アーシラトはんみたいに他の神と戦って神性を奪われたわけではなく、ただ信仰するモンがいなくなって忘れられた結果に神ではなくなってしまったんや」
「それが?」
「つまり、ワイの中にはほとんど変質しとるが“神”としての部分が残っとる。せやからワイを殺せばマっちゃんに“神殺し”の属性が付くんや!」
ん? “神殺し”の力があるから“神”を殺せるのとは逆に、“神”を殺したから“神殺し”の力がある事になるって事?
「せやからワイを殺して“神殺し”の力を得てサっちゃんの代わりに邪神を討ってくれんか!?」
「お断りします」
「え……?」
この2日間、放課後に子羊園で過ごして気が付かないわけがない。
彼は、河童さんは善良な存在だ。
甲斐甲斐しく子供たちの面倒を見て、子供たちやシスターたちも彼に対して心を許している。
どうしてその河童さんを殺す事ができようか?
兄ちゃんを目指して、マーダーヴィジランテさんが道を示し、譲司さんや米内さんとともに歩んだヒーローはそんな事はしない。
僕が河童さんを殺してしまったら去年の戦いが全て嘘になってしまうような気すらするのだ。
僕は“神殺し”なんかよりも“元ヒーロー”でいたい。
でも、そんな事を言っても河童さんは納得しないだろうという事も理解している。
「……河童さんを殺さなくても僕、去年、ウチの兄ちゃんと一緒にク・リトル・リトルをヤってるんですけど、“神殺し”ならそれで十分じゃないですか?」
「うん? それを言われれば……?」
覚悟を決めて自分を殺すよう頼んできた河童さんも僕の言葉で肩透かしを食らったような顔をして首を傾げてしまう。
「…………」
「…………」
それからしばらく2人で月の隠れた夜空を見上げていた。
「……う~ん。名案やと思ったんやけどなぁ……。マっちゃん、他人からKYとか言われへんか?」
「ハハハ、たまに……」
何とか河童さんも納得してくれたようだ。
僕は嘘をついた罪悪感を作り笑いで隠しながらも安堵する。
土曜日、モーター・ヴァルキリーさんたちと喫茶店で話をしている時に明智君は言っていた。
いわゆる「旧支配者」とカテゴライズする存在。彼らはナイアルラトホテプのような一部の存在を除き、ク・リトル・リトルなどは神のように強大な力を持つだけで本質的には巨大怪獣と変わらないという事を。
つまりク・リトル・リトルを倒したからといって僕には“神殺し”の力など宿ってはいない。
かといって河童さんを殺すのもまっぴらゴメンだ。
というかナイアルラトホテプが神だといっても僕がやる事なんか普段と大して変わらないような気がする。
死ぬまで殺せばいいだけじゃない? ダメなの?
“考えてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと”
僕は頭の中で中原中也の詩を口ずさんでいた。
引用は中原中也「頑是ない歌」より
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