39-13 秋田編8 闘志溌溂、起つや今
「Ho~! Ho! Ho! Ho!!」
ウェンディゴと化したクマを前にクライング・ドッグは雄叫びを上げた。
鉈のようにブ厚い長刀を胸の前で構えて山杖を投げ捨てる。
ウェンディゴは昨日よりもさらに巨大化し、猫背で立ち上がった状態ですら5メートルを超える高さで少年と幼女を見下ろしていた。
そのような巨大クマを相手に1.5メートル程度の山杖の先端にナガサを取り付けて手槍としたところで何の役に立つというのだろう。
それよりもクライング・ドッグは必殺の決意を込めて敵の懐に飛び込むチャンスを狙っていたのだ。
大岩の上で腰を落としてウェンディゴを睨みつけるクライング・ドッグ。
少年の細いしなやかな肢体に、鈍く朝日を反射するナガサは牙のよう。その姿はまるでロシアの猟犬ボルゾイにも似ていた。
「GURUAAAAA!!」
「来いッ!」
大岩の上のクライング・ドッグに岩の脇の座敷童。
ウェンディゴはその貪欲さゆえにどちらを狙うべきか僅かばかり悩んでいたが、まずは雄叫びを上げて敵意を剥き出しにしている少年へと狙いを定める。
四足になって突撃を始めるウェンディゴ。
巨大クマが1歩、また1歩と大地を蹴り上げる度に局所的な地震が起こって大岩の上のクライング・ドッグを揺らすが彼は器用にバランスを取ってクマの到来を待ち受ける。
少年を逃がして全滅したオラホの一族が、そして父が教えてくれた不安定な足場で戦うための術。
膝を少し曲げた状態で足を「八」の字に広げ、両足の十指を踏ん張って立つその姿は偶然にも琉球唐手に伝わる基本の型の一つ「三戦」と同様のものであった。
(父さん、母さん、名付けもできぬままに喰われた妹、そして一族の皆。もう皆のような犠牲者は出さないよ。だから僕に力を貸して)
少年は飛んだ。
生まれたばかりの妹がくれた笑顔はきっと世界中のどこにでもありふれたものなのだろう。
心優しい母がくれた温かさもきっとそう。
厳しかったが不器用に可愛がってくれた父に感じた誇らしさも。
だからそれら全てを失ってしまった自分が守らなければならない。
戦って守らなければ、きっと何処かの誰かが自分と同じ思いをする。
それがクライング・ドッグには許せなかったのだ。
大岩の上から跳び上がったマタギの戦士に食らいつこうとウェンディゴが大きな顔を持ち上げるが、機先を制した座敷童の毬の投球をまたもや鼻先に投げつけられてしまう。
「覚悟ォォォ!!」
巨大クマの頭部を踏みつけた小さな戦士はそのまま後ろに回って敵の頭部にしがみ付いた。
両足をウェンディゴの首に絡みつかせ、暴れまわる勢いを使って両手で握りしめたナガサを振り上げる。
そして切腹するようにナガサを振り下ろす。ただし、そこにあるのはクマの右目だ。
「GUA!?」
眼球にナガサを突き立てられたクマは反射的に跳ね上がってクライング・ドッグを振り落とすが、そこに間髪おかずに座敷童が毬を投げつける。
何度も、何度も。
「……セイッ! ……セイッ! セイッ! ……」
狙うはクライング・ドッグが突き立てたナガサの柄。
一球、一球に鬼気迫る気迫の込められた投球がナガサの柄に命中するたびにウェンディゴは苦しそうに身をよじる。
座敷童の投球はさらにピッチを上げていき、妖力で毬を呼び出すやすぐに投球へと移る。
「凄い! まるで風車だ!」
休む事無い座敷童の風車投法はクライング・ドッグに本物の風車を想起させるほどに加速していた。
座敷童は自分には野球しかない事を良く知っていた。
ベリアルのように魔法を使う事もできなければ格闘戦をこなす事もできない。子供の姿では敵を脅す事もできない。
長瀬咲良のように他の霊的存在の力を借りて戦う事もできなければ、妖魔を引き付ける魅力も無い。
それどころか河童のように馬鹿力で敵を食い止める事もできないし、水の中でなら無類の強さを誇るというわけでもない。
だが、今、マウンドに立っているのは自分だ。
ウェンディゴだろうとナイアルラトホテプであろうと、バッターボックスに入った敵がいるならば全力で投球するのみ。
自分の5倍も背の大きい、体重差で比べたらどれほどの差になるのか想像もつかない敵を前にかえって座敷童は闘志を滾らせていた。
そしてついに……。
「……セイッ!」
「GU……」
ウェンディゴに接敵してから81球目。
その投球がナガサの柄に命中すると深くクマの眼窩へと入り込んでいった。
ナガサに連続して打ち付けられた毬の投球がノミを岩に打ち込むハンマーのようについにウェンディゴの眼底の骨格を打ち抜いたのだ。
そして眼底の奥の骨格の奥、ナガサが入り込んでいった先には脳がある。
「81連続ストライク。パーフェクトゲームね……」
「…………」
満足気に座敷童が呟くと巨大なクマはゆっくりと後ろに倒れていく。
これが2人が考えていた作戦だった。
骨董品レベルとはいえライフル弾を浴びせられても有効なダメージを与えられないというクマのウェンディゴ。
その理由はクマの分厚い毛皮に皮下脂肪、そしてその下にある強固な骨格にあると座敷童は予想したのだ。
この天然の複合装甲を破れずにオラホのマタギたちは命を散らしていったのだと。
通常の生物、クマでなくてもシカなどの大型哺乳類ですら骨格を避ける形で射撃を加えないと致命傷とならずに取り逃がす事があるというのだ。
ましてや5、6メートルクラスのウェンディゴに至っては大口径強装薬ライフル弾であろうと撃ち抜く事は難しいだろう。
そのウェンディゴを銃を持たぬ2人が倒すために毛皮と皮下脂肪を避けて眼球にナガサを突き立てさせ、その奥の骨格を座敷童が連続してナガサを押し込む事で砕き、頭蓋骨という装甲を抜いて脳を破壊する事にしたのだ。
「……やったんですか?」
「ええ。実感が湧かない?」
「正直……」
「時間ならあるわ。オメホの人たちが来たらヒーローインタビューよ。それまでは……」
自身も内心、勝利を噛み締めながら若い戦士の健闘をどう称えようと思っていた座敷童であったが、ウェンディゴの死骸を見ていたクライング・ドッグの顔色が一気に青くなったのを見て血相を変えて振り向く。
「てけり・り」
甲高い冒涜的な鳴き声をあげながら巨大グマの死体はゆっくりと音もなく立ち上がっていた。
「これは……」
「決まってるじゃない? 0対0で延長戦って事でしょ!?」
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