39-12 秋田編7 プレイボール
晩餐の時にオメホ族の家族を見つめていたクライング・ドッグ。
やがて彼の目には意思の力が宿っていた。
座敷童がその瞳に見たのは長瀬咲良の姿であった。
ハドー総攻撃の避難の際に過去の恐怖を乗り越えて悪魔ベリアルをライズする事を決意した時の、あるいは風魔軍団にシスター智子がさらわれ救出に向かう事を決意した時の長瀬咲良と同じ目だ。
「あの家族を見ていた時に思ったんです。僕は家族を失った。そしてオメホの一族の人たちもすぐに僕と同じ気持ちを味わう事になってしまうって、僕はそれが嫌なんです」
僅かな星灯りを頼りに白神山地の原生林を駆けていくクライング・ドッグが前を走る座敷童に話しかける。
でこぼこと木の根が隆起した森の中は走り辛く、木の枝を掴んで飛び跳ねたり、逆に頭を下げて太い枝を避けての前進となったがクライング・ドッグよりも背の低い座敷童は難なく駆けていた。
「おかしいでしょうか? ウェンディゴには銃も効かない。オラホの戦士たちもロクな抵抗もできずに喰われていった。僕がなんとかしようとしても何ができるとも思えません。それでも僕は戦わなきゃいけないんです」
「君がおかしいのなら、私もおかしいわね……」
後ろを振り返る事もなく和服姿の幼女が呟く。
独白のように呟かれていた言葉は、だが確かにしっかりと少年の耳へと届いていた。
その声は深く沈みこんだ老人のようでもあり、見た目相応の幼い童女のようでもある。
「私もなのよ。秋田に来たのもそう。勝てない相手になんとか立ち向かおうと無い知恵振り絞って秋田に来たの。だから君を突き動かす衝動は私にもあるの」
ウェンディゴとナイアルラトホテプ。
敵は違えども2人の気持ちは同じ。
戦わねば、敵を倒さねばまた誰かが涙を流す事になる。
2人とも他の誰かに頼るつもりが無いのも同じ。
合理的に考えるならばクライング・ドッグはオメホ族とともに戦うべきであろうし、座敷童は東京H市から長瀬咲良を呼んで戦うべきだろう。
だがマタギ族はウェンディゴ化した牛を相手に夥しい死者を出したのだ。オラホ族の居留地を襲撃して全滅させたクマのウェンディゴを相手にしたら、例え勝ったとしてもどれほどの犠牲者を出すか分からない。
そして、その犠牲者の家族はウェンディゴを討伐したとしても嘆き悲しむであろう。
それは到底、クライング・ドッグに許容できるものではなかったのだ。
そして、それは座敷童も同じ。
長瀬咲良が風魔軍団の鬼を倒した時に使った力ならばクマのウェンディゴを倒す事もできるかもしれない。だが東京から長瀬咲良や河童を呼び寄せたとしても彼女たちの到着には半日から1日近くは必要だろう。
そしてその時間をマタギ族の戦士たちが待ってくれるとは限らないのだ。
そもそも悪しき精霊に肉体を奪われたウェンディゴとやらに勝てずに邪神ナイアルラトホテプに立ち向かう事ができるハズがない。
一しきり山を駆けてオメホの居留地から大分、離れた頃、先を走っていた座敷童が先頭を少年へと譲る。
「ウェンディゴのところまで案内してちょうだい」
「えっ!? 僕も分かりませんよ? 昨日、崖から落ちていった先を捜索しようと思っていたんですが……」
「大丈夫。君の闘志が本物ならば、君の足の向かう先に敵はいるわ……」
「ハハッ! 貴女にそう言われると本当のようだから不思議ですね。僕の闘志が本物ならですか、占い代わりに丁度良いくらいです!」
クライング・ドッグは知らない事だったが座敷童の能力は「憑いた人や家の者に幸運をもたらす」というものである。
少年が心の底から敵を求めているのなら、例え何も考えずに適当に歩いていようとその先に敵がいるのだ。
もっとも座敷童のもたらす幸運は戦闘の役には立たない。
だが、それでいいと座敷童は思っている。
「幸運」などというあやふやなモノに頼るようになったら自分以上の「幸運」を持つ相手になす術がないではないか。例え劣っていようと自分の力で戦って食らいついてこそ強者への勝機は生まれてくるのだ。
そう。待ち受ける捕手に飛び込む気概無くしてホームベースは踏めやしない。
やがて夜空が白み始める頃、白神山地の中心にそびえるという世界樹が2人の元へと姿を現す。
「これは……」
座敷童も思わず声を漏らす。
夜が明けるまではそこにあるのは山だと思っていた。
満天の星空を切り取る悠然たる山だと。
だが、そこにあったのは山のように高く悠々と新緑に包まれた枝を広げる大樹であった。
あまりに巨大な世界樹を前に遠近感が狂ってしまったのかと錯覚を覚えるほどで、まだ歩いて数時間はかかりそうな場所にあるというのに巨塔のような太い幹がハッキリと見える。
「……これを見てください!」
「……!?」
世界樹を目指しているというウェンディゴを探しているのに、もう世界樹が見えてきて内心、焦りだしていた座敷童にクライング・ゴッグが声を張り上げる。
地面にかがみ込んでいた少年が手にしていたのはドス黒く変色した血に塗れた動物の体毛だった。
周囲には動物の体液独特のすえた臭気が立ち込めて、下草もところどころ血で汚れている。
だが落ちているのは僅かばかりの体毛と血液のみ。普通ならば肉食獣が獲物を捕食したにしても骨や食べきれない肉などは残るハズ、
あの巨大なウェンディゴが骨も残さずに綺麗に食べたという事だろう。
「そんなに時間は経っていないと思います」
おそらくはヘソイノシシの物と思わしき体毛についた血の匂いを嗅いだ少年は毛を捨てると濡れた指を立てて風向きを確認しようとしていた。
そして周囲には真新しい圧し折られたブナの木が世界樹へ向けてまっすぐと続いている。
あの巨大なクマの事だ。ただ移動するだけでも若木などは圧し折れて道が出来ているのだろう。
「風下から回っていきましょう」
一族の仇を目前に努めて冷静に判断を下すクライング・ドッグに座敷童も満足気に頷く。
ここから先は「幸運」などは関係ない。
ただ知恵を生かして戦術を練った方が先手を取れるというだけだ。
そこからは2人とも言葉を使わずに手振りやアイコンタクトを使って敵へと接近していく。
世界樹を目指すウェンディゴには座敷童の予想通りに大した負傷は見られない。
あるいはクライング・ドッグがオラホの居留地で見たという治癒力のなせる業かもしれない。
だが傷こそ残っていないもののウェンディゴは怒り狂っていた。
小さな幼女に出し抜かれて崖から転げ落ちる羽目になった事。
そのせいであの柔らかくて美味そうな少年の肉を食いそびれる羽目になってしまった事。
熊という動物は元来、執着心が強い生き物だ。
熊が大型の哺乳類型動物である以上、必要とするエネルギーは大量であり、そのエネルギーを確保するために長い進化の果てに強い執着心を種族的な特徴として有するようになったのだ。
現代においても人間の荷物に興味を示した熊が長期間にわたって荷物を手放さない人間を追い詰めて、ついには殺害してしまうという事例は枚挙にいとまがない。
この巨大グマも昨日、取り逃がした少年への執着に囚われていた。
だがウェンディゴの習性はクマを世界樹へと向かわせ、その精神のアンバランスがウェンディゴを狂わせていたのだ。
つい先ほども哀れなペッカリーを丸々1匹、食したばかり。
しかし、あの少年の血肉でなければクマの魂の飢えを満たす事はできない。
なのに足は自然と世界樹へと向かっていくのだ。
1歩、歩を進める度に精神をねじ曲がっていくように気が猛っていく。
「Ho~!! Ho! Ho!! Hoooo~!!!!」
突如としてウェンディゴの前の大岩の上に飛び上がってきたマタギの少年が雄たけびを上げる。
その姿はまさに“吠える犬”。
だが昨日のように震える小型犬のような矮小さはもはや無い。そこにいるのは1匹の誇り高い猟犬だった。
ウェンディゴが笑う。
焦がれていた獲物が自分から目の前に出てきてくれたのだ。
口を大きく開けて歓喜に震えて、目の前の敵の温かい血で喉を鳴らす事を想像していた。
だが……。
「……セイッ!!」
ウェンディゴの鼻っ柱に飛んできたのは石だった。
大人の握り拳ほどもあろうかという石がレーザービームのような勢いで飛んできたのだ。
「初球はストライク。プレイボールよ!」
大岩の影からいつの間にか出ていた座敷童がウェンディゴを挑発すると、岩の上にいた少年も腰から長刀を引き抜いた。
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