39-11 秋田編6 バッテリー
やがて夜の帳が降りるとオメホ族の居留地中央、酋長のテントの前に盛大な篝火が焚かれて村の住人たちが集まってくる。
女子供たちは夕食の支度を始め、男たちは笛や太鼓を演奏し始める。
普段ならば活気に溢れていると形容してもよさそうな光景であったが、勇ましい太鼓や哀調を帯びた笛の音色の中に混じるすすり泣く声が混じっていた。
見るとまだ年若い少年に縋りついて無く母親とおぼしき女性の姿や、酋長のテントの周囲に並べられた銃や槍にただならぬ様子の大人たちを見て怯えて泣く幼子の姿がそこかしこで見られる。
クライング・ドッグがもたらしたウェンディゴ出現の報によってオメホの戦士たちは翌朝を待って邪霊に取りつかれた大熊の討伐に出る事を決定していた。
晩餐の時間まで男たちは武器の点検で大わらわであり、里の人間でウェンディゴの件を知らない者は言葉を理解できない乳児くらいなものだろう。その乳児ですらいつもとは違う空気を察してかぐずっている。
そう。今晩の晩餐は使命を果たしたクライング・ドッグの労を労うため、クライング・ドッグを助けてオメホの居留地まで連れてきたトラック運転手と座敷童を歓待するため、そして死にゆく者たちが家族と最後の言葉を交わすためのものだった。
「……何だかトンデモない事になっちまったなぁ……」
「…………」
トラックの運転手が皿に乗せられたカモシカの串焼きにかぶりつきながら呟いた。
この気の良い男は周囲に漂う悲壮感に必要もない罪悪感を感じているのだ。
座敷童もドングリのクッキーを噛み締めながらマタギの人々の様子を眺めている。
ふと視線に入ってきたのが2人から離れた場所で空を眺めていたクライング・ドッグだった。
少年の膝の上の皿には手つかずの串焼きの肉と蒸し焼きの淡水魚が残っており、天を見上げるその瞳はどこか空虚なものだった。
「…………」
「ぶふぉっ!? なんでいきなり口の中にクッキー放りこんでくるんですか!?」
駆け寄ってきた座敷童にも気づかなったクライング・ドッグは半開きの口の中にクッキーを無理やりに入れられてむせる。
「…………」
「心配かけてすいません。食べなきゃダメですよね」
「…………」
「でも、空を見ると僕の里と見る星空と同じだなって思っちゃうんです」
「……?」
こんな篝火に照らされて星空などロクに見えるわけが……、と思いながら座敷童も空を見る。
「…………!」
そこに広がっていたのはまるで天が迫ってくるような錯覚を覚えさせるほどの満天の星空。
地に焚かれた篝火などなんの問題でもないかのように燦然と輝く星々は周囲を包む白神の山々に切り取られて天と地のコントラストを作り出していた。
妖怪といえど自然を離れて人里で暮らすようになった座敷童にもはっきりと大自然への畏敬の念が沸き起こってくるような光景だ。
何かに見守られているかのような温かさと同時に自身の矮小さを思い知らされるようなどこか寒々しさをも感じさせる。そんな星空だった。
「僕たちマタギは大昔からずっと、この星空を見ては『この美しい星空を守らなければならない』と思っていたのでしょうか?」
「…………」
座敷童には分からない。
マタギ族が原始的な生活に固執しているのは有名な話で、秋田県の行政が招聘した医師などもマタギ族に追い払われたなんて話はいくらでもある。
インターネットなどの情報網が発達した現代においては、その話が切り取られてこの辺りは「医師追い出し村」など揶揄されているが、マタギ族は西洋医学を学んだ医師よりも伝統的な祈祷師や呪術医を信頼しているというのが事実だ。
その話が示すように彼らマタギ族は変化を嫌う。
もしかしたら少年が語るように人口の灯りで星空が汚されるのを恐れていたが故に彼らは原始的な生活に固執していたと考える事もできる。
だがウェンディゴ討伐のために男たちが持ち出してきたのは銃。
これも明治期に製造されたような年代物ばかりで骨董品のような物だが、それでも銃という代物は彼らが守り通してきた原始的な生活とはかけ離れた物のように思える。
少年の話ではオラホ族でも銃器を所有していたようでオメホ族が特別というわけでもなさそうだ。
「オラホの酋長は『世界樹を守らねば世界が滅びる』なんて言いますけど、昔の伝承なんでお二人は気にせずに普段の生活に戻ってください。狭い世界で生きてきたマタギ族が『世界が滅びる』なんて言っても、精々が『白神山地が滅びる』程度のものでしょう」
クライング・ドッグはあからさまな作り笑顔で「ウェンディゴの事はマタギ族に任せておけ」と言ってくる。
だが本当にそうだろうか?
むしろ座敷童にはマタギ族が原始的な生活を守りながらも銃という近代的で異質な武器を保有している所に「世界を守るために戦う」という並々ならぬ決意が透けて見えるのだ。
それがまるで本当にウェンディゴが世界を滅ぼしてしまうかのような……。
その辺をもう少し聞こうとクライング・ドッグの顔を覗き込むが、少年は座敷童の事など忘れてしまったかのように遠くを見ていた。
少年の視線の先には別れを惜しむ1組の家族がいた。
父親の胸に縋り付いて無く幼女に、優しく子供の肩を叩きながらさめざめと泣く妻、そしていじらしいほどにわざとおどけて見せる夫。
理不尽とも思える運命に翻弄されて離別を余儀なくされる家族の姿がそこにあった。そして、そんな家族がこの狭い集落のいたる所にいるのだ。
クライング・ドッグはしばらくそうやって家族を眺めると突然、人が変わったように膝の上の食べ物を貪りだす。
両の瞳には先ほどまで消え失せていた意思の光が灯り、肉の脂でぬらぬらと指先や口の周りを汚しても気にせずに腹の中に食べ物を詰め込んでいく。
「……今日は本当にありがとうございました。お2人にマニトゥの加護があるように祈っています。それではすいませんが僕は寝ます」
そう言うとクライング・ドッグは彼らに割り当てられたテントへと向かっていった。
先ほどの少年の思いつめたような様子の意味を考えながら座敷童が星空を眺めていると隣に座る者がいた。
「大したもてなしもできなくてもスマンのう……」
「…………」
座敷童は首を大きく横に振って答える。
隣に座ってきた人物、それはオメホ族の酋長であるビッグ・ロングホーンだった。
「のう……」
「……?」
「お前さんにこう頼むのもおかしな話かもしれんが、オラホの童っこを導いてやってくれんか? あの子はウェンディゴに家族と一族を殺され、自身も危ない目にあった。もう十分じゃろう。後は我々オメホに任せてもらおう。じゃから、あの子を外界に連れて行ってはくれんか?」
座敷童は訝しんで酋長の顔を覗き込むが、老人の皺くちゃの顔に刻まれた1本の皺と勘違いしてしまいそうになるほど細い目は閉じられて何を考えているか伺い知る事はできない。
それにしても子供を託すというような話を何故、子供の姿の座敷童にするのだろう。普通ならば大人に、トラックの運転手にするべき話ではないだろうか?
「お前さん、精霊じゃろ?」
「!?」
「ふぉっふぉ! マニトゥに若者を導き加護を与えるように頼むのもマタギの酋長の仕事の1つじゃ」
老人の目は見開かれていた。
その双眸は白く濁り、素人が見ても完全に視力を失っている事は一目瞭然。
だが座敷童は老人が自身をしっかりと見つめている事を確信していた。
「お前さんはマタギの一族が慣れ親しんできたマニトゥではないようじゃ。むしろ人に近いのか。それも戦士じゃ。いくら泥を舐める事になろうがけして諦める事がない戦士じゃ。どうか戦士のマニトゥよ、哀れな少年を導いてやっておくれ! ウェンディゴとの戦いに赴く氏族の最後の願いと思って聞いてくださらんか?」
「…………」
湿った土に額を擦り付けて懇願する老人を前に座敷童はしばし考えた後、ゆっくりと近づいて彼の肩を叩いた。
ビッグ・ロングホーンが顔をあげるとしっかりと1度、首を縦に振って頷いて見せる。
「おお!!」
「…………」
痛々しいほどに哀れな滅びゆく部族の老人の頼みは引き受けた。
だが、老人の言葉をしっかりそのまま実行するつもりはない。
引き受けたのは「少年を導く」という一点のみ。それを伝えるつもりもなかったが。
自然とともに暮らすマタギ族が寝静まるのは早い。
石油燃料や電気を使わない彼らにとって燃料である薪が貴重だという理由もあったが、何より日が明けたらウェンディゴの討伐に赴く彼らにとって家族ですごす最後の夜だ。いつも以上に早々と皆、テントに戻っていった。
日付が変わったか変わらないかの頃、1つのテントから人影がひっそりと出てくる。
クライング・ドッグだ。
満天の星空の下でなお生まれた山の影の闇に乗じてゆっくりと少年は抜き足差し足で村を歩いていく。
やがて居留地の外れまでくると手にした山杖と腰に巻いていた荒縄を巧みに使って物音1つ立てずに塀を乗り越える。
塀の途切れた出入り口から出ていけばそんな苦労はいらないのだが、少年には見張りに見つかりたくない理由があったのだ。
集落を出てからしばらくはそのまま足音を立てないようにゆっくりと進み、ある程度離れた所で駆け足へと移る。
現代人とは違い、靴などの履物を用いずに裸足が基本のマタギ族にとっては駆け足でも余計な足音を立てる事はないのだ。
少年はそのまま山へと入ろうとするが……。
「さあ、準備はいい?」
「ヒィッ!?」
突然、背後から掛けられた声に少年は思わず悲鳴を上げてしまった。
背後を振り向くと、そこには和服姿の幼女が1人。イタズラっ気たっぷりな様子で口元に右手の人差し指を当てて「静かに」と仕草で伝える。
「ど、どうして……」
「どうしてって、あのデカいクマを倒しに行くんでしょ? 私も付き合うわ」
「なんで……」
少年が聞きたかったのは「なんでマタギ族でもない貴方がそんな事に付き合うのか?」という事であったが、座敷童はあえて別の意味で受け取ったように振る舞った。
「君のさっきの目、覚悟を決めた者の目だったからね。大方、1人で行こうとしてんじゃないかと予想は付くわ。私の知り合いにもそんなのが1人いるの」
「え? 知り合い?」
「だから私もあのクマを倒すのに付き合うわ。今日は私と君とでバッテリー、OK?」
そういうと座敷童はクライング・ドッグを追い越して山の中へと入っていった。
「でも……」
「なに?」
「いや、貴女、喋れたんですね」
「…………」
マタギをインディアン風にするならガンマンキャラも出すべきだと思うんですよ。
でもとっくに死んでるんですよ。
人生ってままならないものですね。




