39-9 秋田編4 ウェンディゴとマニトゥ
ブナの原生林の中を大型トラックが進む。
すでにアスファルトの舗装は無い。
それどころか白く乾いた土のいたる所で水が湧き出しているのか黒く変色し、タイヤの轍と轍の間には雑草が生い茂ってトラックのドライブシャフトや燃料タンクを撫でていた。
「…………!」
「うん? どうした?」
オラホ族の少年をオメホの居留地へと送り届けるためにトラックは自動車同士がすれ違う事も困難な狭い道を進んでいた。
クライング・ドッグと名乗る少年を真ん中の席に座り、座敷童が窓際の席に座っていたがオメホの里が近づくにつれて座敷童の様子が忙しなくなる。
先ほどから景色も大して変わっていないというのに辺りをキョロキョロと見渡したり、助手席側のパワーウィンドウを操作して窓を開け放って身を乗り出してみたり、そうした後に首を傾げて何か不思議な事があったかのようにしていた。
「ああ、何かに見られているような気がしますか? “マニトゥ”だと思いますよ……」
「……?」
「うんと、マニトゥってのはこっちの言葉で確か……、“精霊”って意味だったかな?」
「…………」
少年の言葉を運転手の男が説明してやる。
だが「精霊」などという突拍子もない説明を受けても座敷童は小さく頷いて納得してみせた。
なにしろ座敷童自体が“妖怪”という非化学的な存在なのだ。
自身がこうして存在している以上、どんな荒唐無稽で非常識な事であってもあり得ない事ではないのだ。
精霊だかマニトゥだか知らないがタネが割れてしまえばどうという事はない。
これが枕返しのようなイタズラ目的の愉快犯だというならおちおちしてはいられないが、走行するトラックを覆い包んでいる視線や囁き声には特に意思らしい意思は無さそうだ。
トラックの周囲の存在に興味の失せた座敷童を包んでいたのは目的の喪失による虚脱感だった。
あるいは先ほどの巨大クマとの刹那の死闘、まるで待ち構える捕手目掛けて本盗を仕掛けるような一瞬に全身全霊を傾け昂った魂が熱を失っていくのに思考が引きずられていくようでもある。
クライング・ドッグは「自分を残してオラホ族は全滅した」という。
ならばオラホの里にいた伝説の野球戦士ももはや……。
1人の少年を助ける事が出来て良かったとも思っていたが、それでも無駄足を踏んだ事には違いがない。
本来ならば次なるナイアルラトホテプへの対抗策をひねり出さねばならないところだが、全身を包む虚脱感に座敷童はしばしトラックの揺れに身を任せる事にした。
「おっ! 着いたぞ~!」
「あ、ありがとうございます!」
「…………」
それからほどなくしてトラックはマタギの氏族、オメホの居留地へとたどり着く。
原始の森の切り開かれた場所に作られた居留地は獣の襲撃を防ぐためか木の杭に板を張り巡らせた塀で包まれていた。
塀の空いた箇所には見張りか、槍で武装した屈強な若者が立っており、勇猛果敢で知られるオメホの戦士を前にトラックの運転手はもとより同じマタギ族であるクライング・ドッグも思わず背筋を正した。
一行はとりあえず入り口の脇へ車を停めてからトラックを降りる。
入り口から覗くオメホの里はそこかしこになめし革のテントが立てられ、女子供の活気ある声が響き渡っていた。
「オメガダ ナァダ?」
3人が入り口へと近づくと槍を持った上半身裸の戦士が誰何してくる。
クライング・ドッグはそれが彼らマタギの儀礼であるのか腰に吊るした長刀を抜くと、刃を自分に向けた状態で見張りへと差し出して答える。
「僕はオラホのクライング・ドッグ。オメホの一族へウェンディゴの出現を伝えに参りました!」
「なんだと!? ……でも君みたいな子供が使者に?」
「それは伝えられる者が僕しかいないからです。オラホの一族は皆、祖霊の元へと帰りました……」
「……ッ!? そ、それは済まなかった。……オイ!」
「ああ!」
塀の裏の見張りの詰め所でもあったのか、もう1人の戦士が姿を現すと見張りの男は彼に見張りを任せて一行を連れ立って里の中へと迎え入れる。
「長旅で疲れているだろうが、我らが酋長の所でウェンディゴの話を詳しく教えてくれ!」
「はい! もちろんです! それと彼ら2人はここに来る途中、ウェンディゴに襲われていた僕を助けてくれ、こうして自動車で送ってくれた恩人です」
「おお! 我らが氏族の者を救ってくれてありがとう! 礼を言うぞ、勇者よ!」
頭を下げる戦士に運転手の男も座敷童も頭を下げて答礼した。
一行は戦士に連れられて居留地の中を進み中央にある一際、大きなテントを目指す。
戦士は誰かに出くわす度に「ウェンディゴが出たぞ」と伝え、伝えられた者は一様に慌てふためいて日常の仕事を放り出して駆けだしていく。
だが戦士の男が口を開くたびに座敷童は首を傾げて不思議そうにしていた。
「うん? どうしたお嬢ちゃん?」
「ああ、彼が最初は凄い訛っていたのに、普通に話しているからそれが不思議なのでは?」
察しのいいクライング・ドッグにうんうんと頷いて見せると少年は気恥ずかしそうにクスリと笑った。
「最初、訛ってたのはアレですよ。僕たちの事を道に迷った観光客か何かだと思ってたんですよ」
「……?」
「つまり観光客をガッカリさせないためにわざと訛った言葉を話していたんですよ!」
「……!?」
確かにそれを聞いてしまえば理由のない妙なガッカリ感が座敷童を包み込んでいた。
酋長のテントは私邸と集会所を兼ねているのか、大人が20人ほど胡坐をかいて座っても平気なほどに広いものだった。
一行をここまで連れてきた戦士が触れ回ってくれたおかげか、テントの中に赤黒く焼けたマタギの戦士たちが続々と詰め掛けてくる。
クライング・ドッグたち3人はテントの中央に案内されて黒いクマの毛皮に座るように促された。
そしてマタギの女性に肩を貸してもらいながら1人の老人が表れて最前列に座る。
「ワシがビッグ・ロングホーンじゃ。はるばるよう来てくださった……」
老人が背にしているテントの壁面、テントに詰め掛けた人々を見下ろすように巨大なロングホーンの頭骨が飾られていた。
恐らくは老人の名の由来であろう。
「そして一族の、マタギの使命のために戦ったオラホの氏族が祖霊から暖かく迎えられる事を祈ろう……」
老人が両手を天に掲げたのが合図であったのか、テントの中に詰めていた面々が顔を伏せて黙祷を始めた。
座敷童も運転手の男もマタギの作法には不調法であったものの、彼らは彼らなりにクライング・ドッグの家族たちの冥福を祈る。
しばし後、一同の意識が自分に向いてくるのを察した老人は手を降ろして口を開く。
「オラホの氏族の子よ。君の名は?」
「はい。僕の名はクライング・ドッグ」
「ウェンディゴが出たと聞いたが誠か?」
「はい! 父と母と祖霊に誓って!」
「ふうむ。で、何のウェンディゴじゃ? カモシカか? ウサギか? それとも人間……」
「クマの……」
「……!?」
クライング・ドッグが「クマ」という言葉と口にすると同時にテントの中のオメホ族が色を失ってざわめきだす。
少年はざわめきに負けないようにもう一度、今度は大きな声で繰り返した。
「クマの、クマのウェンディゴです!」
「もっとも強力と言われるクマのウェンディゴとはの……。者ども! 何を怯えておる! 我らマタギの一族、御山にそびえる世界樹を守るために生きておる事、忘れやしまいな! オラホの一族に笑われるぞ!」
だが酋長が飛ばす檄にも関わらず、一同を支配していたのは諦観、あきらめ、あるいは恐怖であった。
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