39-7 秋田編2 戦士の闘志は尽きず
ちなみに前回、作者の地元は秋田と書きましたが、私はマタギ族ではなくタンポ族の出身なので微妙に事実と異なる場合があります。
紫雲に微睡む午前6時。
早朝から営業している昔ながらのドライブインに1台の大型トラックが入ってきた。
広い駐車場に敷かれた砂利を鳴らしながら店舗近くのスペースに停まると1人の中年男性が高い運転席から飛び降りるように降りてくる。
男は助手席側に回るとドアを開けた。
「さっ! お嬢ちゃん、メシにしようぜ! なあに遠慮はいらねぇ、俺の奢りだ」
「…………」
そう言って手を伸ばすと助手席に座っていた着物姿の幼女の腰の両脇を掴んで助手席から降ろす。
荷物の積み下ろしの利便性や積載量を確保するために大型トラックはエンジンの上に運転台が位置している。そのため必然的に座面は高くなり、小さな子供では乗り降りがし辛い。こと降りる時には飛び降りるような形となって危ない。
男が幼女を降ろしてやったのはそういう点を考慮した結果であった。
もっとも幼女にその心配はいらなかった。
そもそも幼女は人間ではない。
彼女は妖怪。長瀬咲良の仲間である座敷童である。
人間でいうならば5、6歳児程度の体躯しか持たぬ座敷童であったが常人を大きく超える運動能力を持っている。だが、この気の良いトラック運転手の善意を受けて黙って抱きかかえられてトラックを降りる。
「お嬢ちゃん、字は読めるか? カレーとかラーメンとか子供の好みそうなモンだってあるぜ?」
「…………」
「俺? 俺は……、そうだなぁ、定番の『納豆汁定食』にすっかな……」
「…………」
「うん? お嬢ちゃんも同じでいいのか?」
店内に入ると背の低い座敷童に配慮してか、男は畳が敷かれた座敷席へと向かってメニューを開く。
男が2人分の納豆汁定食を注文するとまもなくトレーに乗せられた定食が運ばれてきた。
トラックの運転手たちの間では「早い、美味い、安い」食堂こそがもてはやされる。当然、このドライブインも御多分にもれずに素早く料理が提供されていた。
納豆汁。
それは秋田の郷土料理で一見、けんちん汁のような具沢山の味噌汁である。
だが、納豆汁の名の通り、汁の中にはすりつぶした納豆がたっぷりと入れられて独特の臭気を放っていた。
その他、大振りの小豆や地物のキノコ、何か分からないが細かく刻まれた魚肉などが入れられけんちん汁よりも田舎風の汁物だ。
「……?」
「ああ、それか。それ、サメの肉だよ」
「…………」
「意外と驚かないんだな。ま、口に合ったようで良かった良かった!」
見た目に反して運転手の男よりも何倍も長く生きていた座敷童にとってはサメの肉も珍しい食材ではなかった。
かつて冷蔵技術が発達していなかった頃の日本では、筋肉内に尿素をもつために日持ちするサメの肉がよく食べられていたのだ。恐らくは納豆汁にサメの肉が使われているのもその頃の名残だろう。
このドライブインの納豆汁定食は大きな丼に盛られた具沢山の納豆汁と同じく丼によそられた白米。その他にアジの干物、冷ややっこ、いぶりがっこ。
それと座敷童のトレーにだけプリンが付いている。
「それにしても子供1人でヒッチハイクって珍しいな」
「…………」
「んん、何か思いつめたような顔だな、子供がなんでそんな面すんのかは知らねぇけど、今はメシ食え、メシ!」
「…………」
男の言葉に座敷童は大きく頷くと丼メシをかきこむ。
肉体労働者たち向きにボリューム満点の納豆汁定食は子供の姿の座敷童にはあまりにも不釣り合いであったが、一流のアスリートの素質の1つである健啖さを座敷童は備えていた。
その姿は食事という憩いには見えない。まるで手負いの獣が淡々と爪を研いでいるかのようだった。
座敷童が秋田の地を訪れた理由。
それは辛酸を舐めさせられた邪神ナイアルラトホテプに対抗する手段を得るためである。
なるほど、つい半日前に咲良たちはあの邪神を相手に逃げるしかなかった。
あのベリアルですらナイアルラトホテプを前に咲良たちを逃がすだけで精一杯。そのベリアルも命を落とす結果になってしまっていた。デスサイズが彼女を連れ帰ってくれなければ今際の別れも交わす事はできなかっただろう。
だが、これで終わりではない。
座敷童も咲良もまだ生きている。
試合はまだ始まったばかり1アウト取られただけだ。1イニングすら終わってすらいない。勝負は審判のゲームセットの声がかけられるまでだ。
無論、このままでは勝ち目が無い事は分かっている。
このまま再戦しても9回を待たずにコールドゲームだろう。
かといって代打や救援を頼みにするつもりはない。例えばナイアルラトホテプと交戦してベリアルを咲良の元まで連れ帰ってきたデスサイズならば邪神を倒せるのかもしれない。だが座敷童にはデスサイズに頼るつもりはなかった。
ベリアルが命懸けで逃がした自分たちであの邪神を倒してこそ意味がある。ベリアルの死に報いる事ができる。
圧倒的で絶望的な敵を前にかえって座敷童は勝負師としての魂を強く揺さぶられていたのだ。
そのために長瀬咲良がアーシラトとスパーリングで己を苛め抜くようにまた座敷童も伝説の野球戦士の元へ教えを乞うべく秋田の地を訪れていたのだった。
それゆえに傍目には小さな子供が食事をしている微笑ましい光景もまた、猛虎が唸るような気迫を放っているのだ。
ドライブインで食事を済ませた2人はテレビを見ながら食休みをした後、トラックに戻って目的地を目指す。
大型トラックは東京で荷物を降ろした後は空荷。運転手の男も今日、明日は休日とのんびりとしたドライブだった。
ハチトラのカセットテープから再生される温かみのある演歌に包まれてトラックは男の自宅があるA市を目指す。
本来であれば白神山地近くのマタギ族の居留地へと寄る事は遠回りであったのだが、座敷童のような小さな子供がヒッチハイクをしてまでいるのだ。数時間の遠回りを苦にもしない情が男にはあった。
「お、そろそろだな……」
「…………」
「ほれ、道路の両脇に立ってる丸太に色々と模様が刻まれてるだろ? 道祖神って、まっ、魔除けだな!」
「…………」
なるほど、男の言うとおりに丸太には上からそれぞれ「鷹」「虎」「飛蝗」の顔が刻み込まれている。
全ての顔は睨みつけるように険しい目付きで外界から侵入しようとする悪しきモノへと睨みを利かせているように見えるあたり、運転手の男が言うように魔除けとしての役割があるのだろう。
となるとマタギの居留地はすぐ近くという事になるが、運転手の話ではマタギ族はいくつかの氏族に分かれており、座敷童の目指す「オラホ族」はもう少し北西に住んでいるのだとか。
「ん? なんだ……」
「…………!」
山が震えていた。
道路から見える白神山地は超局所的な地震にでも襲われたのかのように震えていたのだ。
トラックの2人は最初、トラックのエンジンの振動が運転台にまで伝わってそう見えるのかと疑ったがそうではない。
重量物が連続して地面に叩きつけられているかのような地響きだ。
だが、一体、山が震えて見えるほどの重量物とは一体?
「…………」
「お! おいッ! お嬢ちゃん!」
2人はいぶかしんでトラックを止め山々の様子を窺っていたが、新緑に萌える木々の間から子供の影が見えた時、座敷童はトラックから飛び降りて駆けだしていた。
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