39-6 秋田編1 RISER BALL!!
今回から少し私の地元である秋田へと舞台は移ります。
深い、深い。
ただただ深い森は原始の姿を現代に残していた。
青森県西部から秋田兼北西部にかけて広がる白神山地の大森林。
6月にもなると青森、秋田の山間部といえど雪が残っているのは高山の山頂付近くらいだ。
当然、1000メートル級程度の山々がそびえる白神山地にはすでに残雪はない。長い冬を終えて新しい命の息吹が感じられる新緑に包まれていた。
その白神山地の南端近く。
例年ならば遅い春を待ち望んでいた動植物たちによって活気に満ち溢れていたハズであった。
だが今現在、どういうわけか山々はまるで何かに怯えたように静まり返っており、小鳥の鳴き声さえも聞こえない。
その山が震えた。
地震ではない。
「ハァッ! ハァッ! ハァッ! ハァッ……!」
1人の少年が息を切らせて震える山を駆け巡る。
時に迫り出した木の根に足を取られながらも上手くバランスを取って転ばぬように全力疾走していくあたり、少年が生まれついての山育ちである事が分かる。
灰色のカモシカの毛皮を羽織って、頭に巻いたバンダナにはイヌワシの羽飾り。見る者が見たならば、バンダナや衣服の編み目模様から少年が「オラホ族」の出身である事を察する事ができよう。
少年はマタギの一族の出身であった。
秋田県で土着の文化、風習を守りながら原始の生活を続けている部族。それがマタギである。
だが少年が所属している「オラホ族」は白神山地西側に居留地があるハズで、その彼が白神山地の南端にいるのはおかしい。南端部は南端部で同じくマタギの一氏族「オメホ族」の居留地となっているのだから。
おかしいといえばまだある。
深く険しい、大人のマタギでも遭難する事がある白神山地を少年はただ1人、駆けていた。
少年は逃げていたのだ。
山々を震わす元凶から。
どれほどの時間を駆けていたのか、ついに少年はへたり込むようにしてその場に膝をついた。腰に下げた革袋の水筒はすでに空だ。
イラ立ち紛れに革袋を投げ捨て、少年は腰のベルトにつけていた鉈と脇差の中間のような小刀「長刀」を木製の鞘から抜き放つと手にしていた山杖の先端に取り付けた。
南部鉄で作られたナガサの柄は中空であり、山杖の先端に取り付ける事で手槍として使う事ができるようになっているのだ。
追手を待つ間、少しでも呼吸を整えようと深呼吸するものの、それはかえって少年を過呼吸気味にして気ばかり焦らせる。
そして、ついに少年を追っていたモノたちが姿を現す。
それは熊だった。
黒い、胸元に三日月状の白い毛があるその熊は日本の本州在来種であるツキノワグマである事は疑いようもない。
だが、大きさが問題だ。
通常のツキノワグマであれば大きくても体長は2メートル弱であるというのに、少年を追ってきたクマは少年の3、4倍はあろうかという大きさであった。二足歩行で猫背気味である事を考えると優に5メートルを超える巨体である。
その巨大グマが少年を追って山を駆け回っていたがために山が震えて鳥などの小動物も怯えていたのだ。
「GURUUU……」
巨大グマが獲物を追い詰めた満足感で口角を上げると口の端から粘度の高い唾液が大量に零れる。
少年も手槍で突く真似をしてこれ以上にクマを近づけさせないよう試みるがどうにも効果があるようには思えない。
だが仮に上手くクマの腹に槍を突き入れる事ができたとしても、所詮は鉈のように丈夫さを優先したナガサの切っ先が分厚い毛皮と丈夫な皮膚を切り裂いてダメージを与えられるとは考えにくいだろう。
「GARU……」
少年の腰の引けた様子にクマは嗜虐心を刺激されたのかゆっくりとした動作で腕を振り上げた。
振り上げられた腕にはその巨体に見合った黒く鋭い爪が5本。
クマの腕が振り下ろされた時、少年の頭部はスイカ割りのように爆ぜてしまう事は間違いないだろうし、その瞬間が間もなく訪れるという事も少年には良く理解できていた。
だが、全身を包む恐怖に少年は動く事もできなかったのだ。
その時、竹を割るように威勢の良い子供の声が山中に響き渡る。
「……っセイ!」
そして風を切る音と共に赤い錦で作られた派手な毬がクマの胸元に目掛けて一直線。
胸元へと向かっていく毬は命中直前で浮き上がり、クマの鼻先にとブチ当たった。
鼻先はクマにとって皮膚が露出した数少ない弱点の1つである。
その弱点へとしたたかに叩きつけられた毬にクマは激昂してヨダレを撒き散らしながら毬が飛んできた方へと向き直った。
そこにいたのは未就学児程度の背丈しか持たぬ和服姿の幼女。
だが幼女は人間ではない。
そう。
幼女は長瀬咲良の仲間である野球妖怪、座敷童であった。
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