サクラよ 亡き戦友のために哭け 6
僅かな力で咲良の手を握り返してきたベリアルだったが、それきり目を開ける事もなければ口を開くという事もなかった。
ただ全身の傷口から魔力が黒い靄となって漏れ出ては霧散していくのみだ。
(私のせいだ……。私が……)
咲良はベリアルの手をさすり、半ば思考停止の状態で自責の念にかられていた。
魔杖デモンライザーの所有者となりベリアルや河童たちを仲間にしたものの、仲間たちの力を自分の力だと錯覚していなかったか?
強大な悪魔であるベリアルを使役する事で仮初の万能感に溺れていたのではないか?
幾度となく訪れていたハズの危機を座敷童に救ってもらっていた事で戦いという物をどこか楽観視していなかったか?
本来ならば自分のような子供が踏み入れてしまえば気が狂ってしまうような領域に踏み込んでいて、それでいて河童ののほほんとした顔に頼り切ってしまっていなかったか?
今日だって制止する園長先生の事を押さえ付けて1人で乗り込んできたものの結果はこの様。
対して話を聞くに自由を取り戻した園長先生は警察や市の災害対策室に通報するとともに市内で別の児童養護施設を運営している社会福祉法人に連絡を取って戦車隊を派兵してもらったのだという。そして元々、放課後を待って殴り込むを予定していたヤクザガールズも参加し、かくしてヤクザガールズ、デスサイズ、天昇園戦車隊という錚々たるメンバーで風魔軍団のアジトへと乗り込んできたのだが、もし、これだけの面子が揃っていればベリアルがこんな目にあう事も無かったのではないか?
すべては自分の勇み足の招いた結果だ。
つくづく自分が嫌になる。
《……ら、……くら! 咲良!》
堂々巡りする自責は自己嫌悪となって心を重くしていた咲良に不意に声が届いた。いや“声”ではない。念のような何かが咲良の頭脳に直接届いてきたのだ。
だが、その声は聞き間違えるハズもない。ベリアルの声だった。
「ベリアルさん!」
咲良が死神の腕に抱かれたベリアルの顔を覗き込むものの、先ほどと同じように目も口もピクリともしていない。
《悪いがもうロクに体を動かす事ができない。今だって、ほとんど体と魂が分離してしまっているからこうやって思念を送り込んでいられるんだ》
「すいません……」
《気にすんな。まさか私もアイツが出てくるとは思わなかったしな》
ベリアルの声が届いているのは自分だけ、それは分かっていながらも咲良はベリアルに向かって涙ながらに話しかけた。
周りの人間が何と思うかなどと考えている余裕などはない。
だがデスサイズも魔法少女たちも老人たちもテントの中の者は誰も咲良を笑ったり、あるいは気が狂ったなどとは扱わなかった。ただ咲良とベリアルの最期の時を見守ってくれているだけだ。
「アイツ? ベリアルさんはあの黒い何かを知っているんですか!?」
《ああ、あいつは邪神ナイアルラトホテプ。咲良の使う杖の前の持ち主を殺した奴だ》
「邪神!?」
《ああ、「旧支配者」なんて呼ばれてる連中の中で最悪にタチの悪いヤツで、その性質は地球の神に近い。だから私みたいな悪魔には勝てないのさ。で、前の持ち主の仲間は悪魔だけだったからな……》
「そんな……」
《おいおい。ビビっちまったのか?》
「いえ……。ベリアルさん、勝てないっていたのに分かっていて私たちを逃がしてくれたんですね」
出会いは最悪だった。
何しろ大鍋で煮込んで食べられそうになったくらいだ。
それから5年が経ってから再開した時も顔を見るだけで恐ろしかった。
だが使役という形ではあれ、その力で命を救われて恐怖心は薄れて咲良は彼女に1歩、歩み寄ってみようと思った。そして彼女もそれにぎこちないながらも答えてくれたように思える。
そして今また命を救われた。
咲良はべリアルの力が抜けきった手を持ち上げて、傷だらけで所々に肉が覗いているその手を愛おしそうに自分の頬にあてていた。
「ありがとうございます」
《…………》
「ベリアルさん?」
《ああ、すまない。考え事をしていた。ところでご主人様? 最後に1つ、私の好きにさせてもらえるかい?》
「……はい」
《少し間を置いたって事はちゃんと考えてるって事だよな? いいかい? 今、私はほとんど死んでいるせいで魔杖の戒めから解き放たれて自由な状態だ。それで好きにさせるってどういう事かホントに分かってるのか?》
すでに先ほどベリアルのライザーカードが白紙カードになった事は咲良だって忘れたわけではない。
「はい。分かってます。それでもベリアルさんは私の仲間ですから……」
べリアルが何をしようとしているかはさっぱり分からない。
だが例え何をしようと、何を望もうと仲間として受け入れようと咲良は決意していた。
《……分かった。少しばかり痛いぞ!》
「……ッ!」
突如としてベリアルの手に力が戻り、杭打ち機のような力でベリアルの親指は咲良の左の掌に穴を開けた。
生易しい痛みではない。
鋭い針で刺したとしても激痛が走るであろうに、太い親指が手の平を貫通しては思わず叫び声を上げたくなるほどの痛みを咲良は味わっていた。
だが歯を食いしばって咲良は痛みを堪える。
自身の判断の甘さが招いた結果であるベリアルの全身の傷が物語る痛みにはまだほど遠い。
《反対の手を、それとも止めとくかい?》
「……いえ、大丈夫です」
《すまないな。すぐに終わる》
「……っ!」
咲良は左手から離れたべリアルの手に右手を持っていく。
再び訪れる激しい痛み。
だが出血は思ったほどはない。
《痛かっただろう? すまなかったな》
「……いいえ」
《でも、その傷口はお前が、咲良が私の獲物だって証拠だ。だからよほどではない限り他の悪魔は近寄ってこれないハズだよ。御主人様は運が悪いからな……》
「ベリ、アルさん……」
咲良の右手からベリアルの手が離れた時、それで彼女は力を使い果たしたように姿が薄れて透きとおっていく。
「ベリアルさん! 嘘でしょ!? ベリアルさん!!」
もはやベリアルの思念も届かない。
そのままベリアルの体は最初から何も無かったかのように消え失せてしまった。
ただ咲良の両の掌の傷跡だけを残して。
「うわあああああ!!!!」
咲良はその場に崩れて泣き叫び、死神は顔を上げて夕日を見ていた。
鋼鉄の塊の上の老人たちは一斉に挙手の敬礼で死者を送り、魔法少女たちは優しく咲良を抱きしめる。
どれほどそうやって泣き叫んでいただろう。
自分ももらい泣きしながら優しく咲良を抱きしめてくれていたツインテールの魔法少女の衣服を汚しているのも気付かずに涙を流し、背中をさすってくれている治癒の魔法少女の慰めの言葉にただ何度も首を縦に振って答える。
やがて咲良が泣き止んだ時、周囲の魔法少女や老人たちがほとんどもらい泣きしていたので、かえって咲良は気恥しくなったくらいだ。なんといってもあの死神デスサイズですら鼻声になっていたくらいでもしかすると彼も仮面の下で泣いていたのかもしれない。
「ぐすっ! ……あら? 咲良さん、その両手の傷口……」
「ベリアルさんが最後に悪魔が近寄らないようにって……」
「ああ、そういう意味が……。でも、それアレみたいね」
「アレ?」
「ほら、キリスト様が十字架に掛けられた時の」
確かに言われてもみれば両掌の真ん中に付いた親指の大きさの傷口、いわゆる聖痕と呼ばれるものにそっくりだった。ただ、それを付けたのが悪魔だという事をのぞいては。
(ベリアルさん。私、強くなります。ベリアルさんに恥ずかしくないよう、絶対に強くなります)
咲良は誓う。
両手の悪魔が付けた聖痕に。
かくして悪魔によって命の危機にさらされて悪魔に助けられた少女は悪魔を日の当たる場所へと導くためにエクソシストを目指し、そして今、来るべき新たな戦いに向けて決意を新たにするのであった。
次回、エピローグっぽいのをやって第36話は終わりとなります。




