35-4
エクソシストを志したはいいものの、咲良は体格に恵まれていなかった。
身長は145cm。体重も40kgに満たない。
けして食べていないわけではないと自分では思っていた。
だが腕も足も細く、胸や腰回りは成長の兆しすら見せていない。
せめて将来に期待しようと体幹や心肺機能を鍛えるトレーニングはしていたものの、中三の冬にあるエクソシストの新弟子検査で結果を出せるかは神のみぞ知るといったところだ。
中学校進学前のとある休日、咲良は1人でH市西側の山間部の山道を1人で走っていた。
トレイルランニングなどと気取るつもりもなかったが、心肺機能を鍛えるには山の急こう配を走るのがいいだろうと子羊園のシスターが教えてくれていたのだ。
かつてはエクソシストとして第一線で活躍していたという老シスターはなるほど、この年配の日本人女性にしては背が高く170cmほどもあり、頭髪はほとんど白髪になっていたものの、かつて鍛えた体幹の賜物か背筋もピンと立って若々しい印象を与える。
咲良の目指すべき目標がすぐ身近にいたのは彼女にとって幸運であり、老シスターの園長もまた咲良が将来どのような道を選ぶにせよ体を鍛える事は無駄にはならないだろうと勉学に差し支えの無い限りにおいてトレーニングを許可してくれていた。
まだ春と呼ぶには早い山の中は暗い。
植物の力の無い季節であるので日光は地表まで届いているのだが、木々の葉の緑は深く老いたような色合いで、しかも表面に杉の花粉を纏っているので余計にくすんだような印象を与えるのだ。
肺の中にまだ冷たい空気が入り込み、うっすらと掻いた汗が咲良の小さな体を冷やしていった。
膝を壊さないようにクッションの効いたスニーカーを履いていたために足は重く、意識して腕を振って走るが体は思うように進んでいかない。
それでも咲良はストロークを小さく、代わりにピッチを上げて山道を進んでいく。
もう少しで山の頂上、そこには道路脇の展望台に飲み物の自動販売機がある。
せめてそこまでは走ろうと咲良は思う。
この山道を走る時は頂上の展望台で休憩してから帰るのが通例となっていた。
「ん? なんだろ?」
展望台に行ったら何を飲もうかと考えていた咲良であったが、ふと左側の杉林に何か動く物を見つけて立ち止まる。
一瞬、蝶か何かかとも思った。
だが3月の東京に飛ぶ蝶がいるわけもないし、金色に輝く蝶なども咲良は知らない。
だが鳥のように直線的に動くわけでもないし、鳥にしては遅すぎる。
登山道を少し外れて山の斜面を覗き込んでみる。
「ええと……。ん……!?」
そこにいたのは蝶でも鳥でもなかった。
咲良の目に飛び込んできたのは河童。
金色の装飾の付いた黒い杖をついた河童が山の斜面を歩いていたのだ。
「カッー!! カァー!!」
咲良の背後でカラスが鳴く。
その鳴き声に河童はゆっくりと大きな頭部を咲良の方へと向けた。
(……ヤバ! 見つかった!?)
思わず固まってしまった咲良の心中とは裏腹に河童は破顔させて笑顔を作ってヒョコヒョコ杖を突きながら咲良の方へとやってきた。
「お嬢ちゃん、コンチハ!」
「ど、ども。こんにちは」
妙に人懐っこい笑顔をする河童だった。
真ん丸の目を細め平たいクチバシをだらしなく半開きにして、頭が重いのか歩きながら左右に揺れながら歩いてくる。
咲良は河童というのは残忍な妖怪だと思っていたので不意を突かれた形でそのまま河童の接近を許してしまった。
「部活の自主トレかい? こんな山奥で1人で……」
「部活ではないですけど、似たようなものです」
その河童には遠慮というものが無いのか、河童は距離感などおかまいなしでグイグイと咲良に近寄ってついには2歩ほどの距離にまで詰めてくる。
だが、不思議と咲良は嫌な気はしていなかった。
かつて悪魔に捕らえられて縛られていた時には呼吸も止まるかというほどに震えていたというのにだ。
「まあ、最近は寒さも緩んできたから走りやすいやろ?」
「え、ええ。真冬に比べればですけど……」
「せやけど油断しちゃアカンで! ワイなんかいい歳こいて風邪ひいてもうたわ!」
「風邪って大丈夫ですか?」
咲良が以前に見たテレビのドキュメント番組で野生動物にとって軽い病気でも餌が取れずに命に係わる事になる場合があるという事を思い出していた。
もっとも河童が野生動物なのかは置いておいて。
「大丈夫やて! 頭が痛いとか体がダルいとか無いしな。ただ目が痒くて鼻水が出るんや! それに毎年、この時期になると風邪をひくしな!」
「…………」
「ん? どないした?」
「えと、それ、風邪じゃなくて花粉症じゃないですかね?」
我ながら馬鹿な事を言っていると思う。
河童が花粉症なんて聞いた事もない。
あまり変な事を言うと河童を怒らせてしまうかもしれない。そう思いながらも、つい咲良は思った事を口にしてしまっていた。
「か……ふん……しょう……」
だが河童は咲良の言葉を真面目に考え込んでた。
顎に手をやりながら頭を傾けて唸る。
大きな頭に不釣り合いな細い首が折れてしまうのではないかと咲良は1人でヒヤヒヤしてしまう。
「ん~。かもしれんなぁ……」
「この辺、杉林とか多いですし、花粉の季節が終わるまでどこかに移ったらどうです?」
「せやな! せや! 良い事を教えてくれた礼や! お嬢ちゃんにコレ、やるわ!」
そう言って河童は手にしていた黒と金の杖を咲良の方へと差し出した。
「いえいえ! そんな事でこんな立派な杖なんてもらえませんよ!」
「ええって、ええって! ワイかてコレ、先週、手に入れたばかりやし……」
「はい?」
目の前の杖の金色の装飾はメッキのような安っぽい輝きではない。深く引き込まれそうな黄金の輝きはまだ小学生の咲良の目から見ても安物には見えないような物だった。
そんな上等な代物を軽く初対面の人間に差しだそうとする河童に咲良は不信感を抱いた。
盗品。そうでなくても遺失物横領か……。
怪訝な顔をするサクラの様子に気付いたのか河童は笑顔を崩す事も無く杖の来歴を語った。
「なんかな。アホみたいに派手な服……、ラメって言うんか? そんな場末のコメディアンみたいなカッコしたオッサンが杖とキュウリ持ってきてな。『キュウリやるからピンときた人間にこの杖を渡せ』って言うんや!」
「はあ……」
「せやから、けしてワイが悪い事をしてこの杖を手に入れたわけやないで?」
嘘をつくのならもっとマトモな嘘をつくであろうし、確たる根拠もないのに河童を疑っていた自分が何だか恥ずかしくなる。
気恥しさを隠すように咲良は河童が差し出した杖を受け取った。
だが杖を受け取った瞬間、咲良の全身に電流のようなものが流れる。
横隔膜は活動を阻害されて呼吸は止まり、筋肉は体を支える事ができなくなって咲良は膝を突く。それでも咲良は杖から手を放すことができなかった。
「お嬢ちゃん! 大丈夫か!? お嬢ちゃん!?」
河童も知らない事であったのか、膝から倒れた咲良の背中をさすりながら河童は必死に声を掛け続ける。
そのおかげで咲良はなんとか意識を繋ぎ止めておく事が出来ていた。
電流のように感じたものの正体、それは“情報”。
未知の方法で杖から無理矢理に脳内に情報を流しこまれていくのが電気のように感じられるのだ。
やがて情報の奔流は治まり、サクラは大きく深呼吸をしながら山の地面の上に寝転がった。
今は山の冷たい空気がありがたいと思えるほどに体は火照っているのを感じる。
「だ、大丈夫なんか!?」
「大丈夫みたいです。この杖『デモンライザー』の使い方を使用者へ教える機能みたいです……」
「……でもんらいざあ?」
どうやら河童は1週間もデモンライザーを持っていたというのに同様の現象は起きなかったようだ。
すると、先ほどの現象は人間を対象としたものなのだろうか?
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