クリスマス特別編-16
「ところでよ? この子の人形を媒体にして『偶像崇拝』してアスタロトを神に戻すって、具体的にはどうやるんだ?」
譲司が少女の持つ着せ替え人形とリングの上のアスタロトを見比べながら言った。
口調とは裏腹に顔からはいつものヘラヘラとした笑みは消えて焦りの色が見えている。
リングの上ではベリアルの猛攻を受けてアスタロトは完全に沈黙。意識もあるのかすら定かではない。
ベリアルは止めを刺すべく、倒れたアスタロトの体を持ち上げて、結界の“彼岸”と“此岸”とを隔てる3本のロープ、その一番上と中段の物を両腕に巻きつけさせる。
アスタロトはかつてクリスマスに産まれた男と同じように十字に磔にされてしまった。
譲司たちがアスタロトを神に戻すにしても、もはや一刻の時間の猶予も無い。
「かつてアスタロトが神であった頃に彼女を祀っていた古代フェニキア人の祭祀法は現在に伝わっていません。“私たち”が完全に痕跡すら残さずに消し去りましたからね……」
「おいおい……」
「ですが、現代の人も古代の人も祭祀の根本は何も変わらないでしょう。祈る事。私たちに出来る事はそれだけです」
「それだけって……」
神田が困ったような顔をするが、その神田の肩を譲司が叩いた。
「まっ! 生贄だなんだ言われるよりはよっぽど気が楽だわな! やってみようぜ!」
譲司がリングサイドの面々の顔を見渡す。
子供たちもシスターたちも、皆、言葉こそ無いが、譲司の目を見つめ返して大きく頷いてみせる。
祈る。
言葉でこそ簡単なものだが神田も譲司もいつの間にか忘れていたのかもしれない。自分自身が数多の侵略者と戦うヒーローであるがゆえに“祈る”という事を。
逆に子供たちは本来であれば親元で幸せな生活を送っていたであろうものが児童養護施設で暮らしているのだ。彼らは毎日のように自分と仲間たちの未来について祈っているのだろう。
「……そうだな。祈るのなんて子供が生まれる時以来かな?」
「そうか? 俺はちょいちょい真冬に財布も無しに家から放り出されたりした時に祈ってるぜ? まっ、相手はカミサマじゃなくてカミサンだけどな!」
減らず口を叩きながらも譲司は手にした拳銃をホルスターに収めて、両手を胸の前で握り合わせる。
神田も譲司に倣って両手を合わせ、サクラが手にした着せ替え人形へ祈った。
井上は左手の手刀を顔の前に掲げて言葉も無く目を閉じている。
(……アスタロト! お前が神様の端くれだったというのなら、たったこれだけの子供くらい助けて見せろ!)
「さっ、私たちも……」
老シスターに促されて子供たちもシスターも祈り始めた。
老シスターも脂汗を流して震えながらも両の手を合わせて祈りの姿勢を取る。
いつもならば胸にかけた十字架を手に持つところだが、今、祈る相手は彼女の救世主ではなかった。彼女の信じる神が太古の昔に凋落させた相手だった。
(あんな悪魔なんかに負けないで……!)
(アスタロトさん! 目を覚まして!)
(お願い! 戦ってよ! 貴女はプリティ☆キュートに何度、負けてもその度に立ち上がってきたじゃない!)
(虫の良い話かもしれませんが、今、子供たちを助けられるのは貴女だけなのです……)
言葉を無くした少女サクラも人形を手に祈る。
去年のクリスマス前にサクラが両親に何が欲しいか尋ねられた時、「四ツ目夫人の人形」と答えた時の両親の顔を思い出していた。
「悪役の人形でいいの?」と困惑する両親にサクラが得意気になって四ツ目夫人がいかに凄いキャラクターであるのか説明していた時の事。興奮していただけあって前後の文脈などあったものではない支離滅裂な事を言っていたと思うが、父も母も穏やかな笑顔でサクラの話を聞いてくれていたのだ。
あの時、サクラは両親に「四ツ目夫人は何度やられても諦めたりしない。諦めないって事は負けてないって事なんだよ!」と言っていた。
今はもう両親とは思いでの中でしか会えない。
その思いでの中で両親に語った言葉を嘘にしたくはない。
だからサクラは胸が張り裂けんばかりの思いを込めて祈った。
リングの上のベリアルはアスタロトの胸を貫こうと右手に魔力を集中させてサーベルに変化させている。
間に合わないのか?
全ては無駄だったのか?
諦めかけたその時、サクラは小さな変化に気付いた。
陽の落ちるのが早い12月の事であるので、すでに辺りは薄暗くなっているのに手にした人形が明るい。街灯の光を反射しているのかとも思ったが、七色に虹のように輝く街灯などサクラは知らなかった。
人形自身が発光しているのだと思い至った時、その人形が熱を持っている事に気付いた。
どこまでも限りなく温かい。だが、けして熱くはない。
サクラが手にした奇跡に息を飲んでいる内にも「光」と「熱」はますます勢いを増していく。
「シスター!?」
「慌てないで祈りを続けるのです!」
若いシスターが怯えたような声を出すが老シスターに窘められる。
子供たちの様子がおかしい事に若いシスターは気付いたのだ。
皆、祈りの姿勢を取ったまま痙攣したように不規則に震えながら口を動かしている。
現実の改変に感受性の強い子供たちが反応しているのだ。凪いだ水面に小石を投げ込めば波紋ができるように。
「偶像を通して現実が置き換わっているのです。心を安らかに、ただ真摯に祈るのです!」
「………………と!」
「……いあ…………いあ……」
「ん! …………!」
子供たちはただ口を動かしているのではない。
何かを口ずさんでいるのだ。まるで歌うような旋律で子供たちの口は何かを紡いでいく。
やがてサクラの持つ偶像が放つ光が増すのに同期するように、子供たちの声は大きく、明瞭になっていった。
《……青い海も》
《高い空も》
《心を洗う清き風さえも》
《すべては貴女の物》
《豊穣、繁栄、安寧》
《すべてをもたらす者》
《地中海の真珠》
《海の貴婦人》
《雄々しき男神バアルと対をなす女神》
《アーシラト!》
《我らの神よ! アーシラト=イラト!》
祝詞のような、詠唱のような言葉が子供たちの口から紡がれ終わると、サクラが持っている像が放つ光は七色から金色へと変わって安定する。
その光を見た瞬間、サクラは自分が何をするべきかを理解した。
「受け取って! アーシラト!」
自然とサクラは叫んでいた。
去年の事故以来、出なかったハズの声がだ。
サクラ自身、声が出せた事に驚いていると自分の体が自分の物ではないように動き、ロープで磔にされたアスタロトへ金色に光る偶像を投げた。
歴戦のガンマンである譲司ですら結界が持つ精神的な作用により、リングの中へ銃撃を加える事ができなかったのにだ。
投げられた偶像は光の粒子に姿を変えてアスタロトに吸収されていく。
「……な、なんだコレは……!?」
アスタロトに止めを刺そうとしていたベリアルは不意にリングサイドからもたらされた金色の光に思わず魅入ってしまっていた。
それは何故かとても懐かしい物のようで目を放す事ができなかったのだ。
やがて光は粒子に姿を変えてアスタロトに吸収されるとベリアルも我に返り、これは何かが不味いと急いでアスタロトの止めを刺すべく心臓の位置へサーベルを突き立てる。
だがベリアルが突き立てようと押し込んだ右腕はアスタロトの左腕に掴まれて途中で止まっていた。
見ると結界であるロープは一瞬で引き千切られ、本来であればすでにアスタロトに突き立っているハズのサーベルの刀身は太陽の光に当った朝霧のように消えていた。
「な、何をした!? アスタロト!」
「アスタロト? 違うな……」
アスタロトであったハズの悪魔はもう一方のロープが絡みついた右腕にも力を込めると簡単にロープは千切れてしまう。
結界が解かれたわけではない。
現に残りのロープもリングも以前として姿を保ったままだった。
これは結界を張った時のアスタロトよりも今のアスタロトは別次元の力を持つ事を意味する。今のアスタロトには悪魔王アスタロトの張った結界など意味を為さないという事だ。
「アタイの名はアーシラト! 間違えんなドサンピンが!」
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