クリスマス特別編-15
「……アスタロトを『神』に戻す?」
老シスターの言葉に神田も井上もポカンとした顔をしているが、譲司だけがその言葉の意味を理解して怪訝な顔をする。
日本では「八百万の神々」と言うように様々な神がおり、米の1粒1粒にすら神が宿っているともいう。中には荒ぶる神、悪しき神もおり、神々の全てが人間に対して好意的というわけではない。
大概の日本人には「悪しき神」と「悪魔」との見分けはつかないだろう。両者ともに魔法という存在を使う常人を超えた異形の存在なのだ。
そういう理由で神田と井上には老シスターの言葉にピンとこなかったのだが、欧米で暮らしていた経験を持つ譲司だけが「アスタロトを神に戻す」という言葉の意味を理解していたのだ。
「奴は……、アスタロトはシスターんとこの神様に神格を奪われていたんじゃ?」
「ええ、その通りです。でも、奪う事ができるのであれば与える事もできるハズです……」
老シスターはリングの上の2柱の悪魔を見つめながら譲司に答えた。
リングの上ではやっとのことで立ち上がったアスタロトをベリアルの手刀の連打が襲っていた。
シスターの両腕ごと両の鎖骨を叩き折った手刀だ。
堪らずアスタロトはジリジリと下がるが、ついにロープまで追い詰められてそれ以上、下がれなくなり反撃もできぬまま手刀の乱舞に晒されている。
反対にベリアルはアスタロトの様子にますます意気を上げ、アスタロトのガードの隙を突いた手刀を次々と打ち込んでいった。
「チィ、あいつも長くは持たねぇ……。シスター! その神格を戻す方法は?」
「……方法は2つ。1つは『偶像崇拝』……」
「え? そんなことでいいのかい?」
リングの上の一方的な蹂躙を見つめていたシスターは譲司の言葉にゆっくりと呟くような言葉を絞る。
神田の拍子抜けしたような言葉とは裏腹にシスターの表情は暗い。
一般的な日本人である神田にとっては「偶像崇拝」。「神の姿を模した像」など寺社仏閣において馴染みが深いものであったが、キリスト教徒であるシスターにとってそれは大逆に等しい事であったのだ。
「神田さん。貴方は何故、キリスト教やユダヤ、イスラムの一神教が偶像崇拝を禁じているか分かりますか?」
「ん? あれ? なんでだろ?」
「理由は“それ”でシスターんとこの神様が力を得る事ができなくなったから……。だろ?」
「ええ……。神は信仰によって力を集めるのですが、偶像を崇める事で信仰の力を送信する事ができなくなったのですよ」
シスターの問いに神田は答える事でできずに井上へ助けを求めるように視線を送るが、彼はリングの上へ向いたままでシスターの話を聞いているとも思えない。
だが、答えは譲司の口からもたらされた。
「私の信じる神は嫉妬深く、戦いで次々と他の神々から神格を奪っていきました。そして、様々な属性、力、名を奪っていく内に、いつしか固有の形を取れなくなってしまったのです。つまり私たちの神には像にするべき姿が無いのです」
「『神は死んだ』ってか?」
「それは違います。姿を持てなくなったといっても存在しなくなったわけではありません。神はどこにでもおられるのです。ですが偶像は作れなくなった。つまり偶像を崇拝するという習慣を残す事は他の神を利するのみ」
「ん? でも、教会には……、ここにもキリスト像が……」
「神の子イエスこそが姿を取れなくなった神が新たに作られたシンボルであり端末。そして神に作られた天使たちも同様。故に父と子と霊は根本的に同一の存在なのです。やっぱり偶像崇拝の効果は捨てがたかったんで方針転換したんじゃないですかね? 私は主のそういうお茶目なところは好きですよ?」
父である神、子であるイエス、霊たる天使が同一の存在であるという理論を「三位一体論」という。
「……そしてアスタロトの偶像があれば、それを通して信仰という力を送信する事ができるのですが、まぁ、無いものはしょうがありません。であれば、もう1つの手段……」
「なんだ!」
「『生贄』です」
シスターの言葉に譲司も神田も後頭部をハンマーで殴られたような衝撃を受ける。リングサイドにかぶりつきで悪魔たちを見つめていた井上も思わず振り返って目を丸くしていた。
「は? おい、何を言ってんだ!?」
「冗談でしょ!?」
「冗談ではありません。私の命の力を信仰によってアスタロトへ送ります。譲司さん、お願いできますか?」
「できるワケねぇだろ!?」
譲司が叫ぶように吐き捨てるが、シスターは譲司の拳銃を握る右手を両手を添えて持ち上げて自身の胸へ押し付けさせる。
払いのけるべきだとも思うが抗う事ができない。
力が強いわけではない。シスターは両腕も左右の鎖骨も骨折していて震えるようなか弱い力しか出せてはいない。シスターが譲司へ向ける哀願するような目が彼の自由を奪っていた。
「お願いします! アスタロトが死亡して結界が消滅してしまえば子供たちが危険に晒されてしまいます!」
「だからって……」
「どうせ私はアスタロトに力を与える以上、神の元で申し開きをせねばなりません。それに私は戒律で自殺を禁じられているのです」
「……ふざけんなよ……」
譲司の右手の人差し指、トリガーガードにかかっていた指が震えながらも引鉄へ動いていく。
呼吸も忘れて、唾を飲みこみ音が頭蓋に響き渡る。
だが、その時、譲司の銃を持つ腕と、シスターの譲司の銃を自分に向けさせる腕に手を添えて下げさせる者がいた。
「……サクラちゃん?」
まだ小学校低学年とも思わしき少女に言葉はない。自身の名を呼ぶシスターを見向きもせずに譲司の顔を射すくめるように見ていた。
「…………」
だが丸い頬を冷たい風で赤くしながらもガンマンの目を見つめる少女の瞳に、譲司は意思の力を見た。
譲司が少女に頷いてみせると、少女は踵を返して駆け出し、子羊園の中に入っていく。
少女の意思で心の熱を取り戻した譲司は天に銃を向けて数度、発砲する。
「悪ぃなシスター! コイツで弾切れだ! 俺たちのスペードのエースはあの子が持ってくるらしいぜ!?」
心配そうに少女が駆けて行った建物と譲司を交互に見つめる老シスターに譲司は両肩を上げて見せた。
やがて時間をおかずにサクラは何かの箱を抱えて玄関から飛び出してくる。
靴も履かずに靴下のまま、何度も転びそうになりながらサクラが持ってきた箱は赤を基調として緑の模様が施された包装紙でラッピングされた物だった。
「サクラちゃん。それは……」
「…………!」
サクラはシスターたちの元へ戻ると、大きく肩を上下させながら包装紙をビリビリと破り捨てていく。
その長さ30cmほどの箱はサクラが去年、両親からもらったクリスマスプレゼントだった。
事故で両親が亡くなる直前にもらった最後のクリスマスプレゼント。
子羊園に来てからというもの、サクラは暇があればその箱を眺めて暮らしていた。そうしていれば両親が戻ってくるとでも言わんかのように。
その両親からのクリスマスプレゼントを一心不乱に破いていく。両の眼からは涙が零れてサクラは2度、3度と袖で涙を拭って箱の中身を取り出した。
「これは……!」
「なんという僥倖!」
「ヒュ~!」
「おお! 神よ!」
包装紙の中から現れたのはオモチャのパッケージだった。
「魔法の天使プリティ☆キュート2ndフィギュアシリーズ DX四ツ目夫人 ファッションセンターはらだコラボモデル」と書かれた紙箱も乱雑に破り捨てると1体の人形が出てくる。
顔の4つの目に、側頭部の2本の角、蛇のようになった下半身とアスタロトと瓜2つの人形は正確にはアスタロトではなく、彼女をモデルとした女児向け特撮ドラマのキャラクターの着せ替え人形だった。
4つの目はディフォルメが効いて逆三角に吊り上がり、モチーフのアスタロトが好むファストファッションの服を着せられて着膨れている人形。
だがシスターや譲司たちにはサクラが何を考えているかは考えるまでもない。
「……あった! あるハズのないアスタロトの偶像が……、あった!」
あと数回でクリスマス編は終わります




