クリスマス特別編-14
祝福された聖銀の弾丸を受けて悪魔アイヴィーは断末魔の絶叫を上げて燃えるように消滅していった。
譲司はアイヴィーが最後に残した数本のナイフを使って、縛られていた子供たちやシスターのロープを切っていく。
途中からそれぞれの敵を倒した井上と神田も加わり、ロープの戒めから開放された子供たちは喜ぶで口々に礼を言いながら気を失っている老シスターの元へ駆け寄っていく。
「こっちのシスターも命には別条は無さそうだな……」
「本当、神田さん?」
「うん。脈拍も安定している。これだけ酷く何ヵ所も骨折していたら普通はショック反応でも起こしていても不思議じゃあないんだけど……」
「悪魔のお姉ちゃんが魔法をかけてくれたんだよ!」
「魔法?」
アスタロトが負傷したシスターに魔法を使用して安静化させたと聞いて神田は驚く。
アスタロトが治癒の魔法を使えるだなんて彼にとっては初耳だった。
アスタロトは魔法少女プリティ☆キュートの爆炎に焼かれても、スティンガータイタンのパイルバンカーで撃ち抜かれても包帯や絆創膏で手当てしていたハズだ。
何故、アスタロトはこれまで治癒魔法を使わずに自身の再生力に頼っていたのだろう?
「譲司は彼女が治癒魔法を使う事ができるって知ってたかい?」
「いや、初耳だな……。爺さんは?」
「ワシも初めて聞いたわい……」
3人は顔を合わせて不思議そうに首を傾げていたが、その疑問の答えをすぐに思い知る事になる。
背後の結界から突如として響きわたる激突音に一同はリングの方を向く。
周囲から1mほどせり上がったリングの中央。
そこには脚部と背筋の力だけでブリッジを決めるベリアルと、ベリアルに背後から抱えられるようにして頭頂部を地面に叩きつけられたアスタロトの姿があった。
「……ジャーマン・スープレックス!」
譲司が唸るようにベリアルの仕掛けた荒技の名前を呟く。
ほんの小さな声量だったというのに譲司の声がベリアルに聞こえたのか、赤髪の悪魔はブリッジしてアスタロトをホールドしたまま譲司に向かってウインクを投げた。
「負けないで!」
「立って! お姉ちゃん!」
「…………」
子供たちがリングサイドに駆け寄りアスタロトに声援を送る。
つい先ほどまでロープから解放された喜びでこれ以上ないほどの笑顔をしていたというのに、皆、必死な顔をして自分たちを助けるために悪魔と戦う悪魔を応援していた。
中には今にも泣き出しそうな顔をして必死に涙を堪えている子もいる。
譲司たちも老シスターを若いシスターに任せてリングサイドに駆け寄るが、何故かリングの中に入る事も、ベリアルに向かって銃撃する事も憚られた。
「こ、これが『結界』の効果という事かな?」
「じゃろうな……」
「おい! 姉ちゃん! この結界を解け! 4人で囲んじまおうぜ!」
自身の理解を超えた結界というオカルトに苦笑いを浮かべる神田に、渋い顔をしてリングの上を見つめる井上。気を失ったように見えるアスタロトに怒鳴り声をあげる譲司。
だが3人ともどうしてもリングの上に上がる事だけはできないでいた。リングに上がってロープを越える事。その事が『殺人』や『人肉食』と同じくらいの禁忌に思えて仕方がないのだ。
3人が想像していた通りにそれが“リング”の効果である。
だがアスタロトがベリアルを逃がさぬよう、駆けつけてきた仲間たちにベリアルが余計な茶々を入れないように作った結界は、同時にアスタロト自身を閉じ込める牢獄の役割も果たしていたのだ。
ベリアルがアスタロトを放り投げ軽やかな足取りで立ち上がるが、アスタロトはゆっくりとふらつきながら立ち上がる。
「オッサン共は黙って見てろ! 子供の声はともかく、オッサンの声は頭に響く!」
「アハハ! 口だけは調子良いみたいじゃない?」
「おい! いいから早く結界を解け!」
「そいつぁ聞けない相談だね! こいつは私が倒す!」
アスタロトは悪態を付きながらも結界を解こうとはしなかった。
譲司たちはベリアル配下の悪魔を倒したようだが、三下の悪魔とベリアルとは格が違う。魔力を使う事ができない譲司たちではベリアル相手に立ち向かう事は難しい。
アスタロトがベリアルのように冷酷な悪魔であったなら、譲司たちを囮にしてベリアルの一瞬の隙を突いたり、あるいは体力の回復を待つ事ができただろう。
だが、アスタロトは「自分自身の好きに生きる」悪魔であったために、自分を助けにきた3人を危険に晒す事を好まず、例え自分がいかに劣勢でも結界を解く事はない。
アスタロトは無理矢理に呼吸を整えて、起死回生を狙った渾身のラリアットを仕掛けるがベリアルは軽い調子でヒラリと躱した。
そのままアスタロトはバランスを崩してリングに頭から突っ込んでいく。
「ああ……!」
「そんな!?」
「アスタロトの奴、いつものキレがまるで無いじゃないか! どうなってんだ!?」
「すでにそれほどのダメージを?」
「教えてあげようか?」
リングサイドの子供や譲司たちはアスタロトの不調に声を上げた。
その悲痛な声に気を良くしたベリアルがリングサイドまで来て、トップロープに腰掛けて説明する。
眼下の人間たちが静まるのを待ち、得意気な表情を浮かべるベリアルの顔は人形のように美しい物であったが、どこか底無し沼のような淀んだ雰囲気を感じさせた。
「さっき、アスタロトはそこのシスターに治癒魔法を使ったろ? そもそもアスタロトは治癒魔法なんか使えないのさ!」
「何だと!」
「言いたい事は分かってるよ! 『現にアスタロトは使ったじゃないか?』ってね。だろ? 君たちに理解できるかは分からないけどね。魔法というのは“不可能”を“可能”にする力なのさ! 『使えないハズの治癒魔法』という不可能を捻じ曲げてしまうほどのね! でもその結果がこれさ!」
ベリアルは腕を広げてリングの上のアスタロトを示した。
「使えないハズの魔法を使った結果、彼女の体を流れる魔力は変調をきたしてジワジワと彼女を蝕んでいっているのさ!」
「そんな……」
「ご……、ゴチャゴチャとうるせーぞ……」
なんとか立ち上がったアスタロトであったが、その腕は力無く落ち、蛇の下半身にも普段の俊敏さは見られない。
「ハハ! そのまま倒れていれば楽だろうに! これが貴女が私たちに……、あ、もう僕だけか。これが貴女が私に勝てない理由その2さ!」
ベリアルはトップロープの上に飛び乗り、高くジャンプした。
空中で宙返りを決めながら着地するのはアスタロトの背中。
不調のために猫背気味になっていたアスタロトの背中に飛び乗って押し倒して腰の上に座り、うつ伏せになったアスタロトの顎に手を掛けて思いきりのけ反らせる。
「……ガ! …………ハッ……、グ……」
蛇のようになっているアスタロトの下半身がベリアルに巻き付いて引き剥がそうとするが、ベリアルのキャメルクラッチが緩むことはない。
「どうだい? まだ、お仲間さんは元気いっぱいのようだし、結界を解いてしまったら? 後の事は仲間にまかせてさぁ?」
逆海老状にのけ反らせたアスタロトの耳元でベリアルが優しく呟く。
このような状態で甘く囁かれる悪魔の誘惑を断るなど、例え聖人であっても難しいだろう。
「ほらぁ、もう貴女1人が苦しむ事はないんだよ? きっと子供たちも分かってくれるさ……」
「だ……れ……が……!」
アスタロトには分かっていた。
彼女が結界を解いた瞬間、ベリアルは譲司たちよりも先にまず子供たちに魔法弾を浴びせて殺すであろう事が。その方が自分や譲司たちの絶望を楽しめるからだ。
「ふ~ん? そう……。それじゃ、もう少し私と遊ぼうか?」
ベリアルはアスタロトの反応がまるで詰まらないもののようにそっけない反応を返して、キャメルクラッチを解いた。
もはや息も絶え絶えのアスタロトなど相手にならないとでも言わんばかりに彼女に背を向けて
リングサイドの人間たちに目を向ける。
「それじゃ貴女が私に勝てない理由その3といこうか? アスタロト、貴女、今までに何回、負けたか覚えてる?」
「なんの事だ……?」
「だからさ、貴女はこれまでシナイの山のヤンデレに負けてから、一体、何度、負けてきたのさ?」
「…………」
アスタロトはもはや立ち上がる事もできず、腕を使って体を起こしていた。
さらにベリアルは言葉を続ける。
「天使でも、聖人でも、この国のヒーローでもいい。これまでに何回、戦って負けてきたか覚えているかって聞いているのだけれど、分からない?」
「んなこと、一々、覚えていられるか!」
「んなこったろうと思っていたよ! だから貴女は私に勝てないのさ!」
ベリアルは屈託のない邪悪な笑みを浮かべて笑う。
「悪魔は負ければ負けるほど弱くなる。って、知ってた?」
「……チッ……」
ベリアルの言葉にアスタロトが下を見て舌打ちする。
「その反応は知ってたか!? ま、でも貴女は戦いを避ける事ができるわけじゃない。『自分の好き勝手に生きる混沌の悪魔』である故にね! だから無謀な戦いでも飽きずに懲りずに突っ込んでいく」
悪魔などの霊的な存在は周囲の知的生命体のイメージによって存在を左右されてしまう。
すなわち、敗北を重ねてきたアスタロトは次第に「恐怖の魔王」という存在から「強大ではあるが太刀打ちできない相手ではない」という存在へと長い年月をかけて変容してしまっていたのだ。
「私はこれまで神格を奪われてから勝てる相手としか戦ってこなかったよ? 貴女にはこの意味が分かるわよね?」
ベリアルの目が妖しく光る。
「貴女はもう私には勝てない。だから、貴女も早く負けを認めてしまいなさいよ? いつもみたいにね!」
「……ッザッケンな!」
アスタロトがよろよろと立ち上がってベリアルに掴みかかろうとするが、彼女の顔面にベリアルの靴底が叩き込まれた。
アスタロトはこれまでに幾度となく敗れてきた。
ベリアルの言うとうりにその数は数えきれないほどで、百や千では収まらないだろう。
それでも、これまでの戦いは自分が何かやらかして、その結果として退治されてきたのだ
人の迷惑を顧みずに一時の快楽のために暴れて、その結果として退治される。
自分でもしょうがない事だと思っていた。悪い事をしているのは明らかに自分なのだ。それ故に負ける事も納得できたし、幾度か戦った譲司たちと普段は酒を酌み交わしているのも彼らに負けた事など一片たりとも根に持っていないからだった。
不思議とこれまでの戦いで負けた時、「今日はこの辺で潮時かな?」ぐらいにしか思わなかったのだ。
だが今日は違う。
ここでアスタロトがベリアルに屈してしまえば、罪の無い子供たちが犠牲になる。自分を助けに来てくれた譲司たちも死ぬ。
アスタロトは自分勝手自由気ままに生きる悪魔であるがゆえに、死ぬまで結界を解除する事はない。例えどれほど目の前の悪魔が強大な相手であろうとも。
「クソッ! どうすりゃいいんだ!」
「ロボットなら結界を突破できるんでないかの?」
「駄目です! タイタンはオーバーヒートで……」
リングの下で歯噛みする譲司たちの元へ声をかける者がいた。
「……状況は芳しくないようですね……」
「あんたは!?」
その声の主は老シスターだった。
白髪交じりの頭は泥に汚れ、痛みのせいか顔色は悪い。両脇を若いシスターに抱えられながらゆっくりとリングサイドに歩いてきたシスターは苦痛で顔を歪ませた。
「寝てなくて大丈夫なのか!?」
「黙って寝てられる場合でもないでしょう?」
「それもそうだが……。それより、アンタ、この状況を何とかする方法を知らないか?」
「そうですねぇ……」
シスターは顔を上げてリングの上を見る。
リングの上に倒れたアスタロトをベリアルが嬲るように蹴りを加え続けている所だった。
「おい! あるのか、ないのかどっちなんだよ!?」
方法はある。
だが、それを言う事はシスターには背徳に等しい事だった。
神に仕える身として背筋が凍えるような事を言おうとしているという自覚がある。
しかし、現在のアスタロトの状況は自分を彼女が助けたせいでもあるというのだ。
結局、シスターは1度だけ神を裏切る事にした。
「……周囲のイメージで弱くなってしまったのであれば、霊的な存在でありながら周囲に左右されない存在になればよいのです」
「どういうこった?」
「つまり、彼女を……、アスタロトを『神』に戻せれば……」
そろそろクリスマス編の終わりが見えてきました!




