クリスマス特別編-8
ベリアルは子供用の小さなブランコに座りながら料理のレシピ本を眺めていた。
児童養護施設「子羊園」の園庭、無数の黒い最下級悪魔たちが周囲を取り囲み、その輪の中に子供たちやシスターなど20人ほどがロープで縛られて並べられている。
悪魔に目を付けられた哀れな子羊たちの前には、どこから持ってきたのか直径5mほどの大きな鍋が火にかけられている。
さらに子供たちのすぐ前には老シスターが縛られもせずに転がされている。
「ええと、水、酒、醤油、砂糖、八角……? なあ、八角ってなんだ?」
「ハッカク?」
「ああ、スパイスの一種でスターアニスと言えば分かりますか?」
「マジ? 私、スターアニスの香りが苦手なんだよな~!」
ブランコを揺らしながら配下の悪魔に問いかけるベリアルに対し、陰気な子供の悪魔と山羊の下半身を持つ老人の悪魔が答えた。
もう1柱の溶岩でできた巨人のような悪魔は「ジンギスカン! ジンギスカン!」と言いながら鍋の水を沸かしている火の様子を見ている。
巨人の悪魔は「ジンギスカン」なる肉料理を楽しみにしているようだったが、ベリアルが見ているのは「豚の角煮」のページだった。
ベリアルという悪魔、「ジンギスカン」という料理名を出したり、人間を「マトン」や「ラム」など羊肉に例えたりしていたくせに、適当に開いたレシピ本に載っていた豚角煮を作ろうとしていたのだ。
「なぁ? ハズウェルとアイヴィーはスターアニスは平気?」
「……私も苦手」
「魔除けにも使われる物が平気なわけないでしょう」
「んじゃ、抜いてもいいかな?」
「……お好きなように」
子供の悪魔アイヴィーと、老人の悪魔ハズウェルは主ベリアルが作ろうとしている料理がジンギスカンではないことに薄々は気付いていたが口に出して言う事はない。
そもそもベリアルという悪魔が口に出して言う事を真に受けても身が持たないという事を2柱は良く知っているのだ。
一方の巨人の悪魔、ネハレムは主ベリアルがジンギスカンなる料理を食べさせてくれると信じて疑っていなかったが、彼もジンギスカンなる料理がどのような物か知らなかったために何を出されてもそれをジンギスカンとして楽しんで食べるであろう。
「ん? そろそろお湯が沸いたかな?」
ブランコから飛び降りたベリアルは自分の背丈よりも高い鍋をジャンプして覗き込み、湯が沸騰している事を確認すると邪悪な笑みを浮かべて子供たちに近づいていった。
「さ~て子豚ちゃんたち、どの子からいこうかな? あれ? 子羊ちゃんだっけ? ア、アハハハハ!」
悪意がそのまま人の形を取ったような悪魔が近づいてくると、震えていた子供たちが緊張で凍ったように動きを止めた。
若いシスターが縛られたまま子供たちの前に出るが、恐怖のために奥歯がガチガチと音を立てるばかりで何も意味のある言葉を言う事が出来ないでいる。
「ベリアル様? 肉の下処理はしないので?」
「いや、いい。素材の味を活かしたいんだ!」
それならば余計に下処理が大事だろうに、ようするにベリアルは面倒だったのだ。
そもそも彼ら悪魔と言えど人肉を好んでいるわけではない。ベリアルたちも牛や豚、羊や鶏の肉の方が美味い事を知っている。
彼ら悪魔が人間を食べようとする時、それは食事以外の目的がある時だった。
人間が悪魔に殺されたと他の人間が知った際、単に「悪魔に切り刻まれて殺された」時よりも「悪魔に食い殺された」と聞いた方が人間は恐れるという事をベリアルたちは知っていたのだ。
「ん~、ど・れ・に・し・よ・う・か・な・! て・ん・の……ん?」
小さな口を大きく歪ませて陽気に歌うベリアルの足首を掴む者がいた。
「なんだ。マトンちゃんか。大人しくしててくれない? 貴女、これ以上ボコられたら肉が柔らかくなるどころか挽き肉になっちゃうよ?」
「…………か…………ゆ…………ん……」
左右それぞれの鎖骨と前腕の骨を砕かれてはろくに力も入らないだろうに、老シスターはベリアルの裾を掴んで離そうとしなかった。
白髪交じりの髪は泥に塗れ、痛みで全身を震わせながらも大悪魔を食い止めようと必死でしがみ付いていく。
その身は神に捧げたモノであるが故に止まる事を良しとせず。
子供たちは神の恩寵あるべきか弱い子羊であるが故に守られなければならない。
シスターは膝を立てなんとか立ち上がろうとするが、顔面にベリアルの膝を叩き込まれて再び倒れる。
だがシスターはベリアルの裾を離さなかった。
その事が悪魔の機嫌を損ねたようで、ベリアルは舌打ちしながらシスターの首に足をかける。
自らの命が風前の灯火となった事でシスターの表情にわずかでも脅えの色が見えればベリアルの気も晴れたであろうに、あくまでシスターは目の前の悪魔を睨みつけていた。
「気に食わないな! 貴女にはガキどもが死んでくところを最前列で楽しんでもらおうと思ってたけど、ここで死に……ん?」
ベリアルがシスターを見下ろしていた顔を上げた。
風が吹いていた。
温かい風が。
12月の東京には似つかわしくない温かい風だった。
そんなハズはないと知りながらもベリアルたちの脳裏に思い浮かんだのは地中海地方の風だった。
地中海に吹く西風。
西風の後には嵐が来たものだった。
そしてベリアルたちの前にも1つの嵐が近づいていたのだった。
「……来る!」
闘争の予感に犬歯を剥き出しにしたベリアルが唸るように呟いた。
迫る強烈な怒気にベリアルたちが子羊園の門を向くと、最下級の悪魔たちが竜巻に巻き上げられるように次々と宙へ飛んでいた。
やがて最下級悪魔たちの壁を抜いて現れたのは1柱の悪魔だった。
大蛇のような下半身に女性の上半身を乗せた悪魔。
4つの目は怒りに燃え上がり、大きく肩を揺らして呼吸をすると溢れ出した怒気が炎となって口から漏れ出る。
側頭部には2本の角が生えたその姿は「悪魔」としか言いようがない。
だが縛り上げられた子供たちは駆けつけた悪魔の姿を見て希望を取り戻していた。
子羊園の面々は縛り上げられ身動きは取れず、周囲は悪魔たちに包囲されている。
それでも子供たちは知っていたのだ。
悪魔アスタロトは諦める事がない。
何度、ヒーローたちに敗北してもアスタロトは挫ける事が無かった。幾度となく敗れてもアスタロトは立ち上がってきた。
そのアスタロトが自分たちのために怒っている。
もはや子供たちは恐怖で震える必要が無かったのだ。
アスタロトが叫ぶと大気が震える。
「ベェェェェェリィアァァァァァル!!!!」
「メリークリスマス! 古き悪魔王!」
ハズウェル、アイヴィー、ネハレムの3柱の悪魔とアスタロトが駆けだすのは同時だった。
そしてアスタロトの声を聞いて安心したのか、ベリアルの裾を掴んで離さなかった老シスターの手から力が抜け、彼女は安らかな表情で意識を失っていった。
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