クリスマス特別編-6
クリスマス・イブ。
昨日まで低く立ち込めていた灰色の雲は流れて消え、まるで秋のような高い青空が1日中、空を覆っていた。
だが日中こそは陽気のおかげで気温も上がっていたものの、陽が傾き夕焼けが見えてくるころには12月の後半らしい冷え込みが東京を包んでいた。
H市の児童養護施設、子羊園の玄関に1人の幼い子供が立ち尽くしている。
何をしているでもなく、玄関のガラス越しに施設の門をじっと見つめていたサクラに年老いたシスターが暖かい室内に入るよう促す。
「サクラちゃん。そんな所にいると風邪をひいてしまいますよ?」
「…………」
シスターの方を振り向いたサクラは幾度か首を横に振って見せ、すぐにまた振り返って門の辺りを見つめる。
「あの方を待ってらっしゃるのですか? 四ツ目夫人、いえ、え~とアスタロトさんを……」
「…………」
シスターの言葉にサクラは門の方を向いたまま1度だけ頷いた。
昨日、悪魔らしい気まぐれかサクラを助けたという悪魔アスタロト。
現代においてはアスタロトと幾度となく戦った魔法少女を題材とした女児向け特撮ドラマ内での名「四ツ目夫人」として知られる悪魔は、意外にもシスターの招きに応じてキリスト像の足の下をくぐり茶を飲み、クリスマスを祝うツリーの飾りつけにも応じていた。
その凶悪な姿とは裏腹に、無邪気な子供たちの求めに戸惑いながらも蛇のようになった下半身を伸ばして高い場所の飾りつけを行なっていく姿はとても邪悪なモノには思えなかったのだ。
少なくともシスターには。
それは子羊園の子供たちや他のシスターも同様であったようで、ツリーの飾りつけが終わるころにはすっかり子羊園の面々は名を知られたあの大悪魔に打ち解けていた。
幼い男児などアスタロトの蛇の下半身に馬乗りになって遊んでいたほどだ。
その後、夕食を共にした時に今日のクリスマスパーティーに誘った時もアスタロトは目を丸くして驚いていたものの、快く承諾してくれていた。
そしてアスタロトがパーティーに来ると言った時、サクラが一瞬だけ顔を綻ばせていたのをシスターは見ていた。
サクラがこの子羊園で暮らすようになって1年近い。
昨年のクリスマスイブに両親が自動車事故で亡くなり、親しい親戚などもいなかった事から児童養護施設で暮らす事になったサクラであったが、1度に両親を失った事で負った心の傷は深く、子羊園に来た時にはサクラは言葉を失っていた。
言葉だけではない。
サクラはただ1つの事を除いて執着というものを無くしていた。
サクラが去年のクリスマスに貰った綺麗な赤い包装紙でラッピングされたプレゼントの箱。
両親からの最後のプレゼントであるその30cm四方ほどの箱。
子羊園に来てからというものの、暇さえあれば自室で赤い箱を眺めていたサクラの事をシスターたちも周りの子供たちも皆の輪に加わるように誘ったが、彼女が応じる事は1度たりとて無かった。
そのサクラが小学校から帰ってきてから、ずっとアスタロトの来訪を待ちかねて玄関に立っている。
シスターはその事を良い兆候だと思っていた。
自分の殻に閉じこもっていたサクラが他者との関わりを求める事など初めての事だ。
あの悪魔は悪魔ゆえに良き保護者にはなりえないだろうが、もしかすると良き友人にはなれるかもしれない。
故にシスターは心配していた。
あのアスタロトという悪魔、けして邪悪な存在ではないと確信しているが、それでも悪魔だった。悪魔という存在はすべからく混沌を好む。
その悪魔にとって子供たちとの約束事などそもそも守るつもりなどないのかもしれない。何の悪気も無しにパーティーをすっぽかすかもしれないのだ。
もし、そうなったら、サクラは来もしない悪魔をいつまでああやって待ち続けるのだろう?
シスターは首から下げた十字架を手に取り神に祈った。
せめて悪魔アスタロトが混沌の存在であっても、わずかばかりの善性を持ち合わせていますように、と。
それから、せめてサクラが少しでも寒くないように部屋からマフラーでも持ってこようと思った時、シスターの第6感が最大限の警報を発する。
背中に氷水でも流し込まれたかのような錯覚。
その正体は強烈な邪気であった。
外の薄暗がりの闇がまるで粘菌のように蠢き、人の形を取っていく。
「……“名無し”の悪魔!」
「…………」
サクラが息を飲んで微かに震えていた。
シスターはサクラを安心させようと彼女の肩を優しく叩き、努めて穏やかな声を出す。
「サクラちゃんは危ないから中に入ってて、あ、シスター智子に警察に通報してくれるように伝えてもらえる?」
そう言って玄関から打って出ようとしたシスターの修道服の裾をサクラが掴んだ。
「…………」
「サクラちゃん? 心配してくれるの? 大丈夫! 私も現役時代はあんな小物、まとめて蹴散らしてきたのよ? なんたって神にこの身を捧げたのですからね!」
なおも不安そうな顔をするサクラの手を取り、腰を屈めて彼女に笑顔を見せたシスターは玄関を飛び出していった。
「シャアアアアアッ!」
シスターの全身が弓なりにしなり、その反動を一気に開放したナックルアローが最下級悪魔の顔面を撃ち抜く。
頭巾がはだけて、ほとんど白髪になった髪が露わになるがシスターは構わず次の標的へ駆け出す。
減速無しで悪魔の集団に突っ込む瞬間、シスターは両足を揃えて跳び強烈なドロップキックをお見舞いした。
その衝撃を受けた悪魔は質量を持たないかのように軽く吹き飛び、周囲にいた悪魔3体を巻き込んで地に倒れた。
さらにシスターは急な襲撃に戸惑っている悪魔の背後に回り込み、後ろから悪魔の首に左腕を回して右腕でロックする。
「フンッ!」
そのまま一気に力を込めて悪魔の首を圧し折った。
パチ、パチパチパチ、パチ!
シスター必殺のチョークスリーパーから解放された悪魔がゆっくりと倒れ落ちていった時、どこからともなくまばらな拍手が聞こえてきた。
「やあ! 歳の割にはやるじゃない?」
「ベリアル様、コヤツ、退魔士の闘法を使いますぞ!」
「私がやる?」
「…………」
いつの間にかシスターの前方、5mほどの位置にいた4体の悪魔たち。
仰々しいタキシードで男装している赤髪の悪魔を中心として、山羊の下半身を持つ老人に陰気な笑みをたたえる性別不明の子供、所々にマグマのような赤い模様が浮き出た岩石の巨人。
いずれもシスターが今までに感じた事の無いカミソリのように鋭い邪気を隠そうともしていない。
「貴女たち、神の家に何の用ですか!?」
敵の返答を待たずにシスターは深く腰を落とした姿勢を取る。
エクソシストとして半生を生きてきた経験が目の前の悪魔たちが尋常な者でない事を知らせていた。だがシスターには退く事はできなかった。一角の修道女として、また、1人の人間として背に守るべき子供たちを背負った状態で逃げ出す事など彼女にはできない相談だった。
「何をそうツンケンしているんだいシスター? 私たちはちょっと食事処を探していただけさ!」
前に出ようとしていた子供と岩石の悪魔を押しのけて赤髪の悪魔がシスターに近づいてくる。
「……食事処?」
「そう! ジンギスカンとかどうかと思ってさ」
「……?」
北海道の名物料理を言われ、一瞬だけシスターの構えに隙ができた。
赤髪の悪魔、ベリアルはその機を見逃さず、まるで魔法を使ったような跳躍で一気に距離を詰める。
「……なっ!?」
「アハハ!」
ベリアルの振り上げた両の腕にシスターは両腕を交差させてガードしようとしたが、ベリアルの2振りの手刀はシスターの交差させた腕ごと鎖骨を叩き砕いた。
「アハハ! 成羊1丁上がり! お次は幼羊の仕込みと行こうか! アハハハハ!」
まるで気が触れたように笑い続ける悪魔を前に、シスターは意識がブラックアウトするように遠のいていくのを感じていた。
(……神よ! どうか、あの子たちにだけでもお慈悲を!)
皆さん、良いお年を!




