クリスマス特別編-3
幼女に今にも襲い掛かろうとしていた黒い人影。
その正体はアスタロトと同じ「悪魔」であった。
だが、その姿は突起や凹凸などは無く、顔面も目や鼻などのパーツは付いておらず、表情も読み取れない。
まるで黒い淀みが人の形を取ったような存在だった。
「チィッ! “名無し”が跳ねてんのかよ……」
その悪魔について、アスタロトは良く知っていた。
といっても、その個人を知っているワケではない。
名前すら持たない最下級の悪魔は、それゆえに個体を特定できるような容姿を持たない。揃いも揃って皆、一様に黒一色ののっぺらぼうなのだ。
「ゲェッ!? お、お前は……!」
「ふんっ!」
「ぶべらっ!?」
下級悪魔はアスタロトの怒声で彼女の存在に気付いたが、アスタロトは蛇の下半身の瞬発力を活かして一気に詰め寄り、言葉も交わす事なくラリアット1発で黒い悪魔を大空に打ち上げた。
「おい! 大丈夫か? 怪我してないか?」
アスタロトは目障りなゴミを掃除した事でサッパリとした気分になっていた。
まだ腰を抜かしたままの幼女の方に振りむき声を掛ける。
「…………」
「ん、どうした? 私が怖いか?」
アスタロトの言葉に幼女は大きく何度も首を横に振る。
その幼女の歳はおそらく羽沢真愛よりももっと幼いだろう。小学校低学年くらいか?
もこもこのダウンコートに着られているような細い子で、瞬きもせずにアスタロトの事をジッと見ていた。
幼女は差し出されたアスタロトの手を取って立ち上がった。
そして地面に落ちたレジ袋を拾いあげ、零れ落ちたリンゴも拾ってレジ袋の中に入れる。
「おつかいか?」
「…………」
アスタロトの言葉にその子供は2度、大きく頷いた。
どうやらアスタロトが自分を助けた事は理解しているようで、彼女に対して怯えた様子はない。
だが、その子の口は何故か言葉を紡ぐ事はなかった。
「んじゃ、家まで送ってってやるか! おう、案内しな!」
「…………」
幼女は礼1つ言う事なく、アスタロトの手を握ってきた。
もっともアスタロトは大人が相手ならばともかく、子供相手に礼儀がどうこう言う悪魔ではないの何も気にせずに手を曳かれるまま薄暗がりの街を這っていく。
体温の高い子供の手を握っているせいか、それとも1発だけとは気に食わない小悪党をブッ飛ばしたせいか、アスタロトはアスファルトの冷たさが気にならなくなっていたのが不思議だった。
「ん? ここか?」
「…………」
無口な幼女に5分ほど手を曳かれ辿り着いたのは民家ではなかった。
「児童養護施設 子羊園」
木造一部2階建ての施設の外壁に張られている木板は黒く変色しており、トタンの屋根は塗装の剥がれている個所もあってそこには赤錆が浮いていた。
そして玄関の上にはメッキの剥がれた真鍮製の十字架に掛けられた筋肉質の男の像があった。
だがアスタロトの目を放さなかったのは年月を感じさせる建物や商売敵の像ではなく、施設の看板だった。
児童養護施設。
保護者のいない子供を養育している施設である。
アスタロトが慣れ親しんでいた言葉では「孤児院」が近いだろうが、現代においてはむしろ両親と死別した孤児は少なく、虐待や経済的な事情で親と離れて暮らす子供の生活する場所としても知られている。
一見、豊かに見える現代日本においてもこのような施設が必要である事を実感させられてアスタロトは胸の中に棘が生えたような感覚を味わっていた。
もっとも、アスタロトが知っている過去の孤児院とは雲泥の差であろうが。それでも彼女の気が晴れる事はなかった。
「どうかされました? あら? サクラちゃん?」
「ん? サクラって、この子か?」
「ええ、貴女は……?」
看板に気を取られていたアスタロトは横から話しかけられて我を取り戻した。
いつの間にかアスタロトの横にいた女性は、黒と白の修道服を着た一目でシスターと分かる白髪交じりの人物だった。
穏やかな表情、物腰柔らかな口調とは裏腹にアスタロトを警戒してか左脚を1歩退いて、軽い半身の姿勢を取っている。
大体、「貴女は?」などと問わなくともアスタロトの角や4つの目、蛇の下半身を見れば彼女が悪魔である事は一目瞭然だろう。
つまりシスターはアスタロトが何者であるかを問うているわけではなく、何のために現れたのかを問うているのだ。
アスタロトとて、商売敵の家みたいな居心地の悪い場所に長居したいわけではない。
「ああ、ちょっと向こうでこの子が小悪魔に襲われてるのを見てな。送ってきたのさ」
「まあ! それはありがとうございます! お礼と言っちゃなんですが、お茶でもどう?」
「え、いや……」
アスタロトが事情を説明すると、シスターは一転して警戒を解き、まるで旧来の友人が訪ねて来たかのように彼女を園内に誘ったのだった。
こんな所でお茶なんか飲んでも味なんかしないだろうと固辞しようと思ったが、サクラと呼ばれた幼女に強く手を曳かれてアスタロトはしぶしぶといった具合で園内に入って行った。
「どうぞ! 神と子供たちの家へ!」
「へっ! まさか、コイツの足の下を潜るとはな……」
「貴女はイエス様と戦った事が?」
「いや、直接は無いが、コイツの親父やら同僚やらとはな……」
玄関に入る時、どうしてもイエス・キリストの像の下を潜らねばならなかったアスタロトが軽い悪態を付く、それをシスターは咎めるのかと思いきや、彼女の温和な表情が崩れる事はなかった。
「私も貴女とは直接的には戦った事はありませんが、貴女のお仲間さんとは幾度も戦いましたよ。でも、貴女に対しては悪い感情はありません。むしろサクラちゃんを助けてくれた貴女には感謝しかありません」
「……アンタ、退魔士上がりかい?」
「ええ」
大した事でもないかのように過去の経歴を認めるシスターだったが、アスタロトはそれで先ほどのシスターの身のこなしに合点がいった。
看板に気を取られていたとはいえアスタロトに察知されずに接近する歩行術。
あくまで自然であるかのように振る舞う半身の姿勢。
恐らく目の前のシスターは説法頼りの者ではなく、ガチガチ武闘派のエクソシストだったのであろう。
先ほどもアスタロトが敵であると見なしていたならば、サクラの手を取っていて隙のあった左わき腹あたりに中段蹴りがお見舞いされたであろう事は間違いない。
さらにシスターは言葉を続けてアスタロトを中へ促す。
「そうやって善意を持って迎え入れれば、ほら! 悪魔の貴女も玄関マットで綺麗に足? の汚れを落として入ってくれるじゃないですか!」
アスタロトが玄関マットに執拗に蛇の下半身をこすりつけていたのは中に入る事を躊躇っていたからであるが、サクラが雑巾で尻尾の先端の力が入りづらい所を拭いているのを見て、アスタロトは観念する事にした。
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